耳を塞ぐ

応募作品

松尾模糊

小説

3,193文字

『叫び』エドヴァルド・ムンク:1893年、油彩・パステル91×73.5cm、オスロ国立美術館
11月合評会(テーマ「ノスタルジア」)応募作。印象と本質の話です。

エドヴァルド・ムンクの『叫び』。あの橋の上で叫ぶ海坊主のような人間なのか、妖怪なのか分からない、インパクトのある像を誰もが容易に連想できるほど有名な絵画だ。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に匹敵するほど日本では知られているのではないか。恥ずかしながら、わたしはあの橋の上の像が“ムンク”であの作品は“ムンクの叫び”と呼ばれていると勘違いしていた。あれがムンクによる『叫び』という作品だと知ったのは高校生の頃だった。そして、あの作品が同じ作者による同じ構図で五作もあると知ったのはつい最近のことだ。

 

「なに、『叫び』?」あ、ああ。ちょっと模写をしてみようと思って。これなら簡単かなと。
「暇なのね……洗濯物の一つでもしてくれりゃいいのにね。こっちはいくら時間があっても足りないってのに」
始まった妻の愚痴にわたしは耳を塞ぐようにキャンバスに向かい、油絵の具をパレットに注ぎ足した。昨年、退職して時間を持て余したわたしは居心地の悪い家から少しでも離れようと、近所のテニス教室に通うようになった。しかし、やっとラリーも続くようになり始めた矢先にコロナ禍でテニス教室は閉鎖され、外に出るのも憚れるような状況の中で藁にも縋る思いで初心者用の油絵セットをアマゾンで注文したのが先月。勢いで頼んだのはいいものの何をどうやるのか分からず、ひとまず教則本を読んでいるうちにひと月なにもせずに経ってしまった。そもそも、わたしに絵心なぞ微塵もなかった。学生時代の美術の評価は芳しくなかったし、それはムンクの事を知らなかったことからも自明だろうが。そんなわたしがキャンバスの前に座っているところを見たら、きっとあいつは腹を抱えて笑うだろうな。ふと古い友人の顔が頭に浮かんだ。

 

神田とは地元の高校で出会った。バスケ部の主将でクラス一の秀才というだけで漫画に出てきそうなキャラクターで、その上に社交性に富んだみんなの人気者。スクールカースト上位の完璧な人間だった。しかし、わたしは彼にどこか影があるように見えていて、彼もそれを察したのだろうか、彼を取り巻く人間たちとは別に、わたしと二人で校外で会うようになった。校外と言っても当時、田舎の高校生がたむろする場所なんてものは、公園かボウリング場か喫茶店くらいしかなかった。もちろんインターネットなんてものは、まだ存在すらしていない時代だ。テレビで得る情報くらいしか知らないわたしにとって、神田から教えてもらったサブカルチャーやら陰謀論は、わたしにとってそれまでの世界が完全に変わるほど刺激的なものだった。西日の眩しさなど物ともせず、窓際に陣取って冷めたコーヒーを前に熱弁する神田は、学校での彼の輝きがまるでメッキのようなものだと思わせるほど生き生きとしていた。
「お前、知っとるや? ムンクの『叫び』」あの両手を頬に当てとるやつやろ?
「あれさ、叫んでないんやって」は? 叫んどるやん。ヒョエーってムンク。
「ムンク? エドヴァルド・ムンクは作者ぜ。まさかお前あれをムンクって思ってた?」うん。え、違うん? あれ誰なんや、じゃあ。
「あいつに名は無いわ。観念的な何かやろ。作者自身とかな。そういう意味ではムンクやな」そうか。ヒョエーって英語でなんて言うんかな?
「ヒョエーってなんや(笑)。ウギャーやろ、どっちか言うたら」そうか? キョエーかもな。
「ムンクはノルウェー人やからノルウェー語やしな。まあ、それはどうでもいいわ。何の話やったっけ……ああ、あれな、叫んでるんやなくて、耳を塞いどるんよ」……? どういうこと?
「やから、なんや分からん叫び声みたいなものが聞こえて、それで頬やなくて、耳を塞いどるんよ、あいつは」え? そうなん? 知らんかった。あんなん、誰でも叫んでるようにしか見えんやろ。
「つまりな、物事はどう見えるかよりも何を意味してるかが大事ってことや」は? 全然「つまり」の意味が分からんわ。無理やりまとめるなや。まあ、周りがどう思ってるかよりも本人がどう感じてるかが大事かもしらんな。
「いいこと言うやん、たまには」
屈託なく笑う神田の顔に西日が差して眩しかった。神田は東京の一流大学に進学して、地元でそのまま就職したわたしとはまるで違う人生を歩み始め、自然と疎遠になってしまった。わたしが地元に帰った時に風の噂で業界一の広告代理店に就職したと聞いた。その数年後に彼は自殺した。

 

「できてきたね。それっぽいじゃん。道具が良いんだね、きっと」妻の嫌味に、わたしはムンクの気持ちに想いを馳せながら両耳を塞ぐ手の部分に、ぶ厚めに絵の具を重ねた。西日を受ける神田の笑顔が、本当は悲壮な形相を帯びていたことを慮った。進学校で文武両道、一流大学を出て一流企業に就職し、誰もが羨むレールに乗っていた神田がどう思われていたかなんて誰にでもわかる。でも、彼がどう感じていたのかは誰も知る由はない。叫んでいるように見えるこの絵画が、実は正体不明の叫び声に耳を塞いでいるなんて誰も一見しては思わないように。ムンクが同じ構図の絵を何十年にも渡り描き続けたのは、もしかしたらムンク自身そのことに気づいていたからかもしれない。わたしはキャンバスをイーゼルから降ろし、新たに白いキャンバスをそこに置いて再びパレットを手に取った。

 

耳の奥で男の叫び声が聞こえた。

 

突然目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。かぶりを振って顔を上げると、港街を望む高台の上からあの海坊主のような怪物が、呻き声のような身の毛もよだつ恐ろしい声を発していた。わたしは耳を塞いでその場にへたり込んだ。ぎゅっと目を閉じてみたが、余計に声が大きく聞こえたのですぐに目を開いた。依然として怪物は叫んでいた。夢ではないのか。模写しすぎて幻視しているのではないか、いや、たかだか二枚でそんな錯覚が起こるほど人間の精神は軟じゃないはずだ。それとも歳を取ったからか? 段々と不安になってきた。怪物の声が近づいて来ている気がする……わたしは恐る恐る振り返った。悲壮感に溢れた神田の顔がそこにあった。神田? 生きていたのか?
「いや、俺は死んだよ。ずいぶん前にね。こんなところで何をしてるんだ、お前も死んだのか? 病死か?」え?
「自覚無いのか? そいつは弱ったな。ここは絶望した死者の街だ。お前も苦労したんだな」ちょ、ちょっと待ってくれ! わたしはまだ死んでない! ただムンクの『叫び』を模写して神田のことを思い出してただけなんだ!! これは夢だ、幻想だ、そうだろ?! わたしは両手を強く両耳に当てて耳を塞いでしゃがみこんだ。
「耳を塞いだところで、真実は変わらないよ。お前もこっちに来て一緒に思いきり叫ばないか? スッキリするよ」

 

Neeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii

Fffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffffyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy

Faaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaeeeeeeeeeeeeeeeeeee

eeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeenn

2020年11月16日公開

© 2020 松尾模糊

これはの応募作品です。
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ファンタジー ホラー ムンク

"耳を塞ぐ"へのコメント 12

  • 編集者 | 2020-11-18 18:51

    神田の絶望は主人公の視点のように察せらるが、主人公は何に絶望して死後の世界に行った(招かれた?)のか、色々考えさせられる。妻と会話している辺り、シックスセンス的な話でも無さそうだ。ノスタルジーが単に懐かしさや些細な哀愁に留まらないことが表されてるなと感じた。

  • 投稿者 | 2020-11-19 08:25

    コロナ禍なんかも使って、ちょうど時期的なものを書いてて、いいなあって思いました。コロナ禍の昨今では、精神に異常をきたす人も多いっていうニュースを見ましたし。ええ。あとアマゾンで安心しました。私もアマゾン派なんで。はい。

  • 投稿者 | 2020-11-19 22:51

    前段で『叫び』に対して「妻に耳を閉ざす私」と「世間に耳を閉ざす神田」と二重のメタファーを張っているのには唸らされました。それがあるからこそ後段の私=神田があっちの世界に連れていかれるという展開がすんなり入ってきます。

  • 投稿者 | 2020-11-20 23:38

    10代男子の親密なホモソーシャリティは松尾さんが得意とするテーマなので、今回もその手で来たかと読み進めていったら最後に驚かされた。主人公の絶望はよくわからなかったけれど、理不尽で得体のしれないものが突然出てくるところはすごくいい。

    主人公は退職してのんびりテニスや絵に興じるご身分だから高校時代は40数年前のことだろうと思ったが、回想シーンがものすごく90年代(あるいは古くて80年代後半?)っぽい感じ。1970年半ばごろの田舎だったら、まだコンビニもファミレスも目新しくて日常の風景の一部って感じじゃないかも。スクールカーストやFランも、回想されている時代よりも後に一般的になった用語ではないだろうか。早期退職か?

    • 投稿者 | 2020-11-22 00:10

      Fujikiさん>ご指摘ありがとうございます! 時代設定を完全に誤っていました。後ほど修正いたします。

      著者
  • 投稿者 | 2020-11-21 16:07

    読み終えてから画像の「叫び」を見直すと本当に引き込まれそうでゾッとしました。神田さんの死の真相は何だったのか?なぜ主人公は連れていかれたのか?
    消化されないで終わりましたが、「叫び」の絵の恐ろしさゆえにあまり気になりません。うまい使い方です。 
    絵から昔の亡霊を呼び寄せてとり付かれてしまうお話、昔、テレビドラマにあってトラウマになるほど怖かったのですが、そんなことまで思い出しました。

  • ゲスト | 2020-11-21 18:19

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  • 投稿者 | 2020-11-21 19:50

    想像以上に「叫び」が溢れていて、それはずっと前から続いているんだろうと、そんな気がしました。
    ただ、「向こう側」は逆に静かそうなのが気になりました。

  • 投稿者 | 2020-11-21 22:18

    わたし=神田であってもそうでなくても成り立つ構造のように感じます。
    過去のノスタルジアに浸っていたわたしを、それが叫びとなって襲う展開に、一筋縄ではいかない今回のテーマの幅広さを感じさせられます。

  • 投稿者 | 2020-11-22 00:14

    「一緒に思いきり叫ばないか? スッキリするよ」という神田のセリフが青春ドラマで観るような快活な感じに聞こえて、それが逆に状況が分からずに困惑する「わたし」にとってはとても恐怖に感じることだろうなあと思いました。

  • 投稿者 | 2020-11-22 09:46

    「叫び」は特段怖いとも思っていなかったのですが、作品を読んでから見返すと、神田のいるあちらの世界に連れて行かれそうな不気味なものに思えました。
    神田の描かれ方が良いです。「神」が入っているのも雰囲気に合ってますね。神秘的というか。身近なのに妖しげというか。「異界の者」感が際立ちます。

  • 投稿者 | 2020-11-22 12:35

    松尾さん、すごく素敵な小説を書いてる、好きだなあと思って読んでいたら、最後にちゃんと破滅派してて思わず笑ってしまいました。たった一行でいっきに物語の方向性や雰囲気を変えていく力はいつもすごいと思います。良かったです。

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