毒素

応募作品

松尾模糊

小説

4,163文字

2019年3月合評会応募作品。テーマは「低カロリー高タンパク」ですが、低タンパク高カロリーで誤検索した結果、今話題の人工透析の問題にぶち当たったので破滅派色を出して書くことができました。

人間の身体を構成する約七割は水分だと言われていることは多くの人が知っているだろう。しかし、残りの三割について考えたことはあるだろうか? 約二割がタンパク質で、あとは脂肪がやや多く、残りをミネラル、糖質の成分が占める。ということは、いかに良質なタンパク質を取るか、ということが身体づくりにおいて重要になる。生体のタンパク質は、ほどんどの場合20種類のアミノ酸の組み合わせによって作られている。アミノ酸には体内で合成できるアミノ酸と合成できないアミノ酸とがあり、後者の体内で合成できないアミノ酸は、食品から必ず摂取しなければならないことから「必須アミノ酸」と呼ばれる。この必須アミノ酸の含有量がタンパク質の“質”と関係している。そして、必須アミノ酸を多く含有しているのが肉、魚、卵、大豆、乳製品の食物だ。これらの食物は主に動物性タンパク質であり、必然的にカロリーも高い。低カロリー高タンパク質な食物がダイエット食として謳われるのはこの為だ。逆にこのアミノ酸が少ない食物は野菜や米、小麦などに含まれる植物性タンパク質だ。人間が生きていく為一日に必要なカロリーは成人男性で平均2200kcal、女性で平均1800kcalだと言われている。人間はカロリーを食事によって得るわけだが、脂肪と糖質はエネルギーとして代謝された後、息や汗となって体外に放出されるのに対し、タンパク質はその他に毒素として分解される。この毒素を尿などに変換するのが腎臓の役割である。ところが、腎不全を患い腎臓の機能が低下すると、毒素が身体に溜まり様々な弊害が起こり最終的に死に至る。機能低下に陥った腎臓の代わりに人工的に毒素を吐き出す治療が人工透析であり、高価な機械を用い少なくない電気量を消費するこの治療が医療費を押し上げていると言い、メタボリック症候群など生活習慣が起因である患者に対し自業自得だと罵り、そんな奴らは死ねと説くHようなテレビコメンテーターも存在する。腎臓機能が低下した患者は「低タンパク質高カロリー」な食物を取るように心掛けなければならない。どういう食品かというと、1g=9kcalとタンパク質の倍以上の栄養価がある脂質を多く含む食品が一番手っ取り早い。だが、脂肪は体内に留まり易く中性脂肪の増加は高血圧症などの生活習慣病に繋がる。結局、国が認可した腎臓病食(特別用途食品)に頼らざるおえなくなるだろう。味気ない食品サンプルみたいなものを食って、病院に通い身体に管を通されて社会から非難の目を受けながら生きていくことに一体なんの意味があるのか。きっとそう思うようになるだろう。その前に人工透析をあらかじめ行わないという選択を下すのも、一つの生き方として推奨されてもいいのではないだろうか。私はそう考えた。

 

「どうします? 最終的に選ぶのは医者である私でもなく、あなたの家族でもなく、あなた自身です。だって、あなたの人生ですからね……言っておきますが、人工透析はかなり辛いですよ。石井さんの状態まで機能が低下した腎臓は移植しない限り回復は望めません。正直、日本で腎移植できるのはかなり稀ですし、そのわずかな希望で治療を続けるのはお勧めしません。費用も相当掛かりますから」
石井はおののいた。これまでのツケとは言え、まさか自分の身にこんな決断を迫られる日が来るなんて。全て酒や煙草に逃げてきたし、逃げ切れると思っていた。独立した耕太には来年初孫ができる、そんな時に自業自得で患った病の話などしたくはない。酒が入ると度々手が出る石井に呆れた妻は彼をとっくに見捨てた。サイン入りの離婚届が送りつけられているが未だに判を押せない。これまでの人生はいったい何だったんだろうか、回転椅子に腰かけた石井の痘痕あばたの目立つ頬に両目の涙腺から分泌された塩分を含む水滴が一筋の線となって流れた。
「少し……考えさせて下さい」
考えてどうにかなる問題ではないだろう。その間にも彼の身体には毒素が蓄積し静かに内側からあらゆる機能を破壊していくだけだ。それでも、今の石井が口から発することのできた言葉はそれだけだった。
私は患者の頬にキラリと光るものを見つめ、少し大胸筋の下あたりがざわついた。しかし、この国の医療の末端を担う医師として情になど流されることがあってはならない。いや、彼に同情の余地はない。完全に生活習慣病だ。きっと酒や煙草をやって健康なんて省みなかったのだろう。患者のカルテを眺めながら私は冷静さを取り戻した。
「分かりました。でも、なるべく早く決断して下さい。ご家族への説明は私からしますので、必要ならお申し付けください」
担当医の能面のような表情から出た事務的な台詞は石井の耳には届かず、ただ曖昧な笑みを浮かべて頷いた。家族とは何だろうか。そう言えば、親父もアル中で石井の幼い頃にはへべれけとなった親父が彼の寝室に押し入り、その物音に身体を硬直させながら目を閉じて眠ったフリをしてやり過ごしたものだ。親父は彼の肩を両手で揺さぶり、それを追いかけてきた母親が必死になって止めていた。そんな母親を罵倒する親父の声に耳を塞ぎながら「あんな大人にはなるまい」と誓ったはずなのに、この様だ。血は争えないとはよく言ったものだなと石井は病院のロビーで苦笑いした。

 

「先生、人工透析は受けません」
「そうですか。よく決断されましたね。では、これから投薬と食事療法で頑張っていきましょう」

石井の言葉に、担当医は爽やかな笑顔で応えた。石井は受付で診断書を受け取り、清々しい気持ちで病院を出た。

一週間後に、救急車で運ばれた石井は人工透析を希望した。私は患者の意志の弱さに侮蔑の目を向けた。
「そうですか……。分かりました。ご家族の方には?」
「ああ、妻とは別居していて、息子は来年頭には父親になるので、わたし一人で決めました」

石井の言葉を受け、私は正義の執行を決断した。
「石井さん、ちょっとお話しましょう」

そう言って屋上に彼を連れ出した。点滴スタンドと並行しながら、ゆっくりと歩く薄緑色の入院寝間着一枚羽織った彼の背中は弱々しく、ちょっとした風にもさらわれて飛んで行くのではないかと思われた。そんなか弱い患者の姿に私は大いに優越感を覚え、高鳴る心臓が送り出す興奮の血潮の飛沫を全身に感じた。一物は怒張し白衣の上に下半身の隆起を象る影が映った。私は白衣のポケットからゴム手袋を取り出し、ゆっくりとはめた。そして傾きかける夕陽を眺めるか弱き堕天使を再び空へ帰す為にその背中に走り寄り股座から右腕を掛けて、左腕で襟首を掴んで柵の向こうに彼を放り投げた。「あー」と遠くなる天使の声を聞き私の隆起したペニスの先端から大量の精子が放出された。私はタンパク質を多分に含む精液で濡れた下半身に多少寒気を感じながらスマホで一一〇番通報した。
「大変です、患者さんが屋上から飛び降りました!」
すぐに石井は緊急治療室に運ばれたが、すでに心肺停止状態で欠落した頭部からは大量の血液が流れていて手の施しようがなかった。警察は初め私を疑ったが、主治医としてカルテを提示し「人工透析を拒んで家族とも絶縁状態で自殺もほのめかしていた」という証言を取ると早くから他殺の線を捨て、自殺として事件を処理した。

石井の死体確認のため呼ばれた耕太は、半分頭部を失った無残な亡骸に餌付きながらそれが変わり果てた父であることを認めた。

「それで……何で父は自殺なんか」

石井と最後に会った人物として、私は警察に話したことをそのまま耕太に伝えた。

「そうですか」とだけ言って、彼は虚ろな目を魂を失った骨肉の塊に向けていた。
「彼は最後まで病と闘った、立派な戦士でした。担当医として彼を誇りに思います。ただ、彼の蝕んだ心に気づくことができなかったのは、とても残念です。その点では力になれず申し訳ない」
「……いえ。アル中だった父の自業自得です。母に手を上げる父を何度殺してやろうかと思ったか」

彼の言葉に私は充足感を覚え、その肩をトントンと叩いた。

 

――続いて、昨年八月から都内のF病院で人工透析を行わず二十人の患者が死亡していた問題で東京都は立ち入り検査をおこなっていましたが、今日未明にF病院の医師の男に警察が重要参考人として事情を聴いていることが分かりました。警察は一連の死亡について医療過誤の疑いがあるとして慎重に捜査しているとのことです――
リビングのテレビから流れるニュースを聞き流しながら、耕太は二本目の500ml缶ビールを開けた。テーブルに置いたスマホの画面に「母」という字が映り振動する。耕太はスマホの画面をスワイプし電話を取る。
「あんた、今テレビ観とる?」
「ああ、ニュースだろ? F病院って父さんが飛び降りた病院だよな」
「そうよ。びっくりして。あの人も人工透析を断ったって言いよったけん……」
「あ? 母さん、父さんと話したと?」
「いや。あの人が伝言残してたとよ、死ぬ一週間前に」
「……そうね。じゃあ、父さんも殺されたかもしれんたい」
「そうやろか? どうしようか?」
「警察が何とかすったい」
「そうね。翔太は元気しとるね?」
「元気過ぎて困っとるたい」

耕太はテーブルの横でよちよち歩く翔太の首根っこを掴み膝の上に抱いた。キャハハと笑う翔太の声を電話越しに母に聞かせる。
「翔ちゃん! 何ばしよっとね?」

スマホから発せられる母の猫なで声に翔太はきょとんとして、またキャハハと笑う。
「あら、お義母かあさん。ご無沙汰してます」

妻の良子がガラスのボウルに盛ったポテトサラダをテーブルの上に置いて、スマホに向かってお辞儀する。耕太はキッと良子を睨み、顎をしゃくって残りの料理を早く持って来るように無言の圧を加えた。良子はビクッと身体を縮こまらせて台所に向かった。
「あら? 良子さん? お元気?」

スマホからの母の言葉に耕太が答える。
「ああ。あいつは元気だよ。今鍋に火ばかけとるけん、出られんとたい」
「そうね。子育てと家事の両立は大変やけんね。あんたもちゃんと手伝ってやらんばよ」
「分かっとるよ。じゃあ切るけんね」
耕太がビール缶を煽り、口元から零れたビールが膝の上の翔太の生えたての頭髪の上に落ちた。キャハハと翔太は笑い、耕太は息子の頭をくしゃくしゃと撫でた。

2019年3月11日公開

© 2019 松尾模糊

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"毒素"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2019-03-19 13:01

    意図なのかはわからないが、一人称で書いているのか、三人称で書いているのかごっちゃになっている部分があったり、唐突に登場した耕太が誰なのか、その初孫というのは、石井の孫のことではないのかなど、人物関係が少し読みづらかったようだが、全体としては、栄養素についての語りから、人工透析に関するやりとり、そして最後の耕太の家での方言を駆使した場面と、世界はさまざまな角度で見なければならないのだとばかりの構成で、何度か読んでいるうちに破滅的な面白さを感じてきました。

  • 投稿者 | 2019-03-21 12:41

    きちんとストーリーを考えた上で書かれた作品という印象です。
    導入部がやや冗長な感じを受けましたが、その回りくどい言い方によって医師が自らの正義を言い訳めいた執拗さで説明している感じを出そうとしているのかなと思いました。医師の正義と石井の業との二つの軸が混在している作品ですが、個人的には医師の正義への執着(狂気)のようなものの描写がもっとあればより破滅的だったのではないかなと思いました。

  • 投稿者 | 2019-03-21 14:23

    最後はホラーですよ、ホラー。カロリーよりもプリン体よりも怖いですよ。血ってなんなんですかね、生活習慣なんですかね?

  • 投稿者 | 2019-03-23 03:00

    「毒素」というタイトルも良いし、テーマがテーマなので、もっと長い枚数を使って欲しいなあと思いました。この短さでは難しい(物足りない)かなと思います。

  • 編集者 | 2019-03-23 19:05

    書き方が分かりづらい部分もあるが、ストーリーは恐ろしい。警官にはダーティー・ハリー病があり、医者には……何だろう、キリコ病とでも言うのがあるのだろうか。糖尿病のみならず、自業自得とされる病や迷信にとらわれる病は数々あるが、医者ですら(特に反精神医学等で暴れている某氏を見ると)正しい見識を持っているとは言えないのだと思わされる。中世は別に滅んでいないんだなあ。

  • 投稿者 | 2019-03-24 10:57

    まつおさんらしい、饒舌な語りとスピーディーな展開が気持ちよかったです。視点がころころ変わる感じも僕は面白く読みました。
    登場人物たちについて色々と語られているわりに、あまり人間らしさというか、意思みたいなものが見えなかったのが残念だったのですが、しかしだからこそ、ラストの展開にはぞくっとするような冷たいホラー感がよく表れていると思いました。ストーリー重視な小説構造と話の内容が合っていて、機械的な構造に貫かれ逃れられない世界を感じました。

  • 投稿者 | 2019-03-24 16:16

    すでに指摘があるように、人称が定まっていなくて、意図なのか、もし意図なのだとしたら何が狙いなのかと考えてしまいました。
    でも内容はタイムリーで、興味深く読みました。冒頭の説明的な文章を、物語に落とし込んで表現すればもっと良かったかも、とは思いました。
    個人的には、「酒とタバコ不摂生、自業自得!」といった箇所のたびにあっすみません、ほんとごめんなさいゆるしてください、と思いました(笑)
    ラストが秀逸です。「血は繰り返す」といったほのめかしがかなりうまく効いていて良かったです。

  • 投稿者 | 2019-03-24 22:41

    重症腎臓病患者に人工透析を辞退させた病院の話が話題になった直後のことで、時事ネタの活用の早さに驚きました。事実よりさらにエスカレートしたこんな医者がいたらたまりません。
    耕太やその母が石井の死因を怪しみながらも「ま、いっか」的にやり過ごすのも無惨。その耕太も同じ道をたどっているところを見せるのがまた残酷です。

    他の指摘にもある通り、石井の視点と医師の視点(駄洒落みたいですね)が予告なく入れ替わるのでちょっと混乱するところがありました。

  • 投稿者 | 2019-03-25 20:30

    治療方針の決断を迫る医師の言葉が怖いですね。一つの生き方というか押し付けですもんね。あんなことを言われたら、私なら別の病院で見てもらいます。破滅的医師を表現するならもっと振り切れても良かったかもしれません。それと、視点移動が多すぎて若干読みにくかったかなあ。

  • 投稿者 | 2019-03-26 01:33

    意図的なものではあるのだろうが、私は視点のぶれを読みにくさと感じ、その狙いもよく分からなかった。特に医師と石井の問診のシーンの最初では「私」が誰か明かされる前に「石井」の内面がつらつら語られ始めて完全につまずいた。初心者臭いというか、フィクションを書き慣れていない感じがする。

    耕太の夫婦生活を描いたラストでは耕太の内面に一切立ち入らないため、妻の行動がどうして彼をいら立たせるのか分からず、あまりピンとこなかった。石井のシーンでの「血は争えない」という説明にもあるとおり、酒乱のDV男の息子が酒乱のDV男になる内容を語りたいのは分かったが、どうしてそうなってしまうのか耕太の心理描写をとおして人間の物語として理解させてほしかった。

  • 投稿者 | 2019-03-26 09:38

    やはりこのお題は全力で発射する方向に走るべきだったと後悔しつつ、父子4代の呪いに思いを馳せておりました。

  • 投稿者 | 2019-03-26 11:36

    一人称と三人称の区別がわかりづらい、かつ前半が長すぎるように思いましたが、アル中の父を持った息子が連鎖のように妻に厳しく当たっているのは妙なリアリティがありました。あと、セリフがあんまり感情乗ってないので入りづらかったです。

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