枯木朽株

応募作品

松尾模糊

小説

4,004文字

≪ルクセンブルク公園のショパン記念碑≫ルソー 1909年 47×38cm 所蔵:エルミタージュ美術館
5月度合評会テーマ「ソビエト連邦」応募作。

満州の大連で巨大コンクリート船を建造する計画があった。わたしもそこに参画し、設計に携わった。全長六〇メートル、五千八〇〇トン、八〇〇馬力ディーゼル機関型式、全速一八ノット。しかし、物資の調達に難航している間に計画は頓挫した。八月六日に広島に新型爆弾が落ちたと噂が広まり、大連も標的になっているのではないかと、皆不安になっていた。その前から関東軍は劣勢で将校クラスはすでに引き揚げてしまっている、という帝国の敗戦が濃厚らしいという諦観のようなものが、わたしの勤務していた造船所に広がっていた。それにソ連の極東軍が国境近くに展開しているという情報もあったから、彼らが中立を破るんじゃないかと、皆気が気でなかった。予想通り、奴らは攻め込んできた。粗末な筏みたいな船で逃げ出す連中もいたが、翌日には死体になって岸に戻っているのを見て、わたしたちはとにかく南に逃げた。でも、ソ連を食い止めるはずの関東軍は逃げ惑うわたしたちなんかよりはるかに少なく、やせ細った少年みたいな頼りない奴らだった。当然、彼らは蟻んこのように蹴散らされて、わたしたちもすぐにソ連軍に捕まった。一五日にはポツダム宣言を受け入れて降伏したと聞いたし、ソ連軍の奴らは「トウキョウ・ダモイ」と言って、貨物列車にわたしたちを詰めこんだ。わたしたちはてっきりそれで東京に帰れると思っていた。でも違った。外からガチャリと鍵をかけるような音がして、閉じ込められたと気づいた時には遅かった。列車は止まることなく、コンテナの中は人がぎゅうぎゅうに押し込まれた中でもだんだんと肌寒さを感じるくらいに冷え込んできていた。どれくらい経ったのだろうか、寒すぎて目を覚ました時に列車は止まっているようだった。やがて、がちゃがちゃと外で音がしてコンテナの扉が開けられた。まぶしすぎて何も外の様子は見えなかったが、それは外が真っ白な雪に覆われているからだと機関銃で突っつかれながら外に出た瞬間にわかった。だまされたと思った。しかし、逃げ道はなかった。身ぐるみをはがされ、ぼろぼろの白い一枚布を裸の上に羽織っただけですきま風が絶え間なく吹きこむ丸太小屋の中に押し込まれた。わたしたちは折り重なるようにして眠った。翌朝は、味のしない茶色のスープだけが配られてすぐに農耕作業をさせられた。手は凍えてろくに動かないが、作業を止めると見張りの軍人が鞭打った。かならず帰れる、そう信じることでしか耐えられなかった。「きっと帰れる」そう言って、次の瞬間すわったまま死んでしまったやつもいた。死体はまとめて穴の中に放り込まれるだけだった。シベリアの凍てつく大地に土と雪をかぶって、幾人もの日本人が埋まったまま忘れ去られた。

そこまで話して、先生は黙って目を閉じた。先生に渡された設計図に改めて視線を落とすと、ここに慰霊の想いを込めているのではないかと思った。一九九二年、ソ連崩壊により閉鎖都市に指定されていたウラジオストクも解放された。その前年に姉妹都市となった新潟市とウラジオストクの間で記念碑を建てるという計画が持ち上がり、新潟市出身の先生の事務所に打診があった。先生はあまり乗り気でなかったが、先生と同窓だった当時の市長の懇願で重い腰を上げた。記念碑は、コンクリート造りのモニュメントで曲線を帯びた外殻の下に黒い棺のような黒曜石の石碑を配置するというものだった。しかし、ここに友好記念の文字が刻まれることには違和感を感じざるを得ない。「先生……」率直に意見しようとすると、先生は右手を上げてそれを制した。事務机から立ち上がってから、設計図を取り戻して机の上に置いて数字を書き足していった。

 

ウラジオストクには抑留者が建設に携わったと言われる建物がいくつか残っている。もともと日露戦争の開戦前まで多くの日本人が居住していて、今でも日本人街旧跡が観光地となっているほどにゆかりは深い。一七世紀ロシア建築の趣きを残すウラジオストク駅を出ると、レーニン像がすぐに立ちはだかる。そこから東に向かって歩くと、市街地に現れるスポーツ湾はビーチとして市民の憩いの場となっている。その隣にあるディモナ・スタジアムは抑留者によって建設されたと言われている。さらに南へ下ると公園があり、その片隅に記念碑は建てられた。当時すでに高齢だった先生に代わり、現場の指揮を任された。「こんな基礎じゃ崩れちまわねえか?」業者は日本語を話さない地元の人たちだったが、その怪訝な表情で何を言っているのか大体の見当はついた。とにかく、図面どおりに建てること。先生のいない現場では、設計図だけが彼の言葉であり、意思だった。外殻はセメントを型に流し込んで固めてから釣り上げて設置する方式を取った。外側をモルタルで塗る本来の六割ほどの強度は、曲線をより美しく表現するという体裁で強引に進めた。その下にはめ込まれた、黒曜石に「ウラジオストク・新潟市姉妹都市提携記念」の字が刻まれたのは竣工直前だった。除幕式には老体を押して先生も参加した。≪ウラジオストク・新潟姉妹都市提携記念碑≫には赤い布が被せられ、新潟市長とウラジオストク首長、自分も含む関係者と横一列に並んだ先生が記念碑の前に用意された壇上でテープカットを行うと同時に赤布が取り払われて、ウラジオストクの曇りがちだった空の下にその全貌を現した。記念碑は先生の最後の作品となった。除幕式から一年後に先生は胃癌のために亡くなった。あまりにも突然だった。ウラジオストクでの仕事を評価されて、新潟市の市民会館建設の仕事を任されて慌ただしかった自分は先生の訃報を現場で知った。すぐに京都の先生宅でおこなわれた葬儀に参列した。癌であることを知っていたのは奥さんだけで、同期の弟子たちは皆一様にただ驚きを隠せない様子だった。現場を自分に任せたのも恐らく先生自身がその死期を悟っていたからではないか、と今では思っている。

 

老朽化で記念碑の取り壊しが決定した際、日本のモダニズム建築で解体される建築物をデジタルアーカイブで残す事業を行っているという玉尾と名乗る男が事務所を訪ねてきた。玉尾は携帯端末を取り出してこれまでにVRで残してきた建築物の映像を指し示した。
「灰井先生は今、その独自の哲学に基づいた地元に根付く、“住まい”としての建築が再評価されています。ただ、老朽化と耐震の問題から疲弊する地方自治体の財政ではとても保存と改修工事を施すだけの費用を負担することが難しく、残念ながら半世紀以上を経た先生の作品は今後その多くは解体の道を逃れることはできないでしょう。しかし、この≪ウラジオストク・新潟姉妹都市提携記念碑≫をアーカイブとして残してその偉業を改めて評価すれば、今後その流れを変えることができるかもしれません」
玉井の熱弁に諭され、設計図と解体前の写真など記念碑の資料を渡した。玉井は完成したアーカイブ映像のリンクを送ってくれた。「現在の耐震基準からは考えられない造りですね。まるで壊れることを前提としているような脆弱さを感じます」玉井は電話口でそう言った。そう。先生は口にこそ出さなかったが、記念碑が崩れ落ち、ウラジオストクの土へと還ることまで想起していた。シベリアの凍土となった抑留の犠牲者たちと同じように。VRゴーグルを着けてリンクを開く。なんとも奇妙な感じだった。ついこの間、剥がれ落ちたコンクリートの下から錆びついた鉄筋が覗く記念碑を、解体されるその朽ち果てた姿を目に焼き付けて来たばかりなのに、VRゴーグルが映すのはまっさらな、ひび一つない完成当初のものだ。「これでいい」記念碑の除幕式でテープカットがなされたとき、集まった関係者の拍手にかき消されそうな小さな声で先生が呟いたのを思い出した。これでよかったのか……。VRゴーグルを外すと、軽くめまいがした。よくないな。先生が眼前にいた。「先生?」足元に目を遣って、幽霊でないことを確かめる。足はある。きみね、ヴァーチャルリアリティなんてものを何の抵抗もなく受け入れといて、幽体の存在を疑うとは何事かね? きみの記憶はあんなポリゴンで覆われつくされているとでも言うのかい? え? 石碑の上に崩れ落ちたコンクリート片も風化して砂粒と戻っていく。そこに草木が生い茂り、森がうまれる。草花を昆虫が食し、昆虫を鳥が食し、鳥を肉食獣が食し、肉食獣を人間が狩る。人間は森を切り開き、土を耕すんだ。そうして文明が産まれたんだろうが。やがて、隣り合う人間同士が殺しあって死体を埋めた。そして土の上にアスファルトが敷かれ、コンクリートが建った。やがてそのコンクリも朽ちていく……きみね、それが歴史だよ。あのシベリアの凍土には無数の日本人が埋まっていた。それはヴァーチャルに再現されないんだよ。永遠なんてないんだ。都合のいい記憶だけが残っていく。それが人類史だ。スターリンによってどれだけの政敵が抹消されたか、きみも知っているだろう。あの作品は土に還って完成する。それでいいんだ。あの設計図がわたしの遺志であったことは、誰よりきみがわかっているだろう。え? そう言って先生は消えた。

 

「どうしてですか? もう一度よく考えなおして下さい」玉井のしつこい電話よりも、よほど先生の幻影のほうが恐ろしかった。デジタルアーカイブの許可を取り消してからは、あんな恐ろしい体験は二度とない。代わりにこうして先生の思い出をノートに書き綴ることで、先生の偉業を残そうと出版社に掛け合っているが、この原稿は怪奇小説っぽいと、もっと建築史にそったルポかエッセイに書き直せ、といわれたボツ原稿である。あとがきなどに使えないかと残しておくことにした。しかし、日の目を見なかった場合は灰にしてから日本海に撒いてほしい。先生の記念碑が朽ちた大地を望むあの海へ。

2022年5月16日公開

© 2022 松尾模糊

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怪奇 純文学

"枯木朽株"へのコメント 11

  • 投稿者 | 2022-05-25 20:59

     設計士(建築士?)の先生がソ連軍の捕虜になったという冒頭部分で、読者の多くは「彼はどうなるんだろう」「無事に帰国できるのだろうか」「帰国できたとしてもどんな苦労があったのか」と知りたいことが出てくる。それに応えないまま何十年もの時間を飛び越えて記念碑を作る場面に移行してしまうと、読者は肩すかしを食らった気分になってしまうのではないか。/先生と、視点の主である弟子がどういう人物で関係性などが描かれていないので感情移入しづらい。そもそも長編小説の題材を掌編の中に押し込めているので伝えきれないことばかりという残念な結果になってしまっている。記念碑の老朽化が進んで取り壊しが始まったという状況下で、先生が過去の体験を回想したり話したりしつつ、やがて先生の意図が明らかになるという形で描けば、掌編にふさわしくほぼ一場面で描ききることができたと思うのだが。/掌編小説というのはいわば一枚のスナップ写真のような表現方法であり、どの部分を切り取って提示するかというセンスが問われているものと心得たい。/ちなみに私なら、過酷な収容所生活を送った先生がなぜ友好のモニュメント製作を引き受けたのかという謎を提示しておいて、実はそのモニュメントには「ソ連なんかくそ食らえ」というメッセージが暗号として隠されていたことが明らかに、みたいなオチにしたかな。

  • 投稿者 | 2022-05-26 23:38

    崩れ落ちることで完成する記念碑って現代アートみたいだなと思いましたが、それを作った先生の少し悲観的な歴史観に色々考えさせられました。
    それは少し単純に抽象化した形で言いなおすと人間が何をやろうが人間に何が起ころうが全部無意味だし、歴史の背後には虚無だけが本体としてでーんと居座ってるという思想だと思うのですが、まあ自分も理屈としてはそういう考えもあるよなあぐらいに思って真面目に考えないですけども、本当にそれが自分らの、大袈裟な言い方すると実存かもしれない訳ですよね。別にそれでもいいじゃないかという人もいると思いますが、この先生みたいに理屈として知るんじゃなくて実感した人というのはそれじゃ済まなくなるのだろうなと思います。本当は何につけそこから始めないといけないのだろうな、などと考えたものでした。

  • 投稿者 | 2022-05-27 09:05

    抑留者である先生がモニュメントの設計に携わった経緯や気持ちに迫る、サイコサスペンスとして読みました。語り手は一貫して先生の弟子である「わたし」ですが、師弟関係や玉井の描写で広がりのある物語になっていると思います。
    ただ、最後のメタフィクション展開は「原稿を焼いて日本海ヘ撒いて欲しい」を書きたかったがためのものと解しましたが、もっと他に処理の仕方がなかったかなあと思います。

  • 投稿者 | 2022-05-28 00:54

    たとえ記念碑のデジタルアーカイヴィングを断ったとしても、先生の語りを密度の高い文章で詳細に記述しているこのテクストそのものがアーカイヴ熱に冒されているのではないかなと思っていたら、ちゃんとオチがついていて安心した。記録からはこぼれ落ちる過去の記憶を拾おうとした意欲を評価したい。

    ただ、日本の戦争映画は「自分たちはこんな悲惨な目に遭った、これだけ苦労した」ってのばかりで〈敵〉がほとんど描かれてこなかった、という大島渚の評言をどうしても思い出してしまう。先生が恒久的なモニュメント化を拒んだ被害の記憶は、むしろ「都合のいい記憶」として動員されやすい性質をもっているのではないか?

  • 投稿者 | 2022-05-28 10:49

    先生のえ?が威圧的ですね。あれは威圧ですね。ああ、すいませんって思いました。はいはいすいませんすいませんって思いました。でも、前半の先生のなんか尊敬できる感じが、後半のあの幽体の先生で、なんかこう、ちょっとこう、尊敬値が減ったとでもいうのか。でも生きてる人を優先してほしいですよね。過去がどんだけだったのかとかあるだろうけどもさ。でも玉井さんだってがっかりしているよ。しんどいよおって思いました。面白かったです。

  • 投稿者 | 2022-05-28 12:51

    いくら口で『永遠』と言っても、物理的には永遠に存続し得ない芸術というものについて考えさせられます。西洋の芸術家たちが、『永遠』というとき、それはやはり物理的な話ではなく、魂のことであると、改めて思いました。

  • 投稿者 | 2022-05-28 22:30

    私には書けない話です。すごいですね。
    小林さんも仰ってますが、前半の寡黙な先生と幽霊の先生の饒舌さににギャップがありました。主人公が生み出した幻覚? 願望? そういう深読みもできる余韻をあえて残しているなら良いなと思いました。
    私の読み違えかもしれませんが、「遺作」は亡くなってから見つかった作品では? 記念碑ができた時は先生が生きていたのに遺作?と思いました。

    • 投稿者 | 2022-05-29 00:08

      ご指摘ごもっともです。結果的に最期の作品となったというので、遺作ではないですね。

      著者
  • 投稿者 | 2022-05-29 02:02

    難しくてわたしにはよく分かりませんでした。
    すみません。

  • 投稿者 | 2022-05-29 04:37

    満州かぶりかなと思ったのですが、軸足はそこではなく、「崩壊が仕込まれていたもの」としてソビエトとモニュメントをダブらせるなど、重厚な仕掛けがしてあるのではと邪推させられました。語り口が噛み締めるようで、実に渋い!良き。

  • 編集者 | 2022-05-29 11:02

    崩れ落ちる記念碑に込められていた思いに、歴史の重みを感じた。単に朽ち果てるのではないのだと。

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