千年果樹の投擲

月に鳴く(第13話)

松尾模糊

小説

3,904文字

千年間、ありとあらゆる果実を実らせる千年果樹の恵みをもとに運営されるジュース工場。工場長は今日も朝から工員たちを見守る。

その木にはありとあらゆる果物が実った。収穫を担う出稼ぎ労働者が絶えず訪れ、大、中、小、様々な高さの梯子を昇っては林檎、蜜柑、梨、葡萄、桃、柿、バナナ、さくらんぼ……と自由に実をつけるそれらを熟れた順にもいでいった。工場長はその様子を工場の前に立って眺めるのが好きだった。今日も忙しくなる。背負った籠をいっぱいにした彼らは梯子を下りて、銀貨と引き換えに籠を工場勤務者たちに渡す。正方形の木箱に、種類別に詰め込まれた果物が、木の下からベルトコンベアに乗って工場へと運ばれてくる。工場の中で勤務者たちが果物の皮をむき、それぞれのレーンへと振り分ける。バナナは簡単にむけるが、林檎や梨、桃の皮むきは大変だ。だから、林檎や梨は何人かで完全にむけるまでナイフを入れていく。皮をむかれた果物はプロセッサー機で粉々になり、不純物を取り除く濾過装置を経て果汁ジュースとなる。ベルトコンベアの上を流れる180mlのガラス瓶をロボットアームが掴んで果汁ジュースを中へと抽出し、アルミ蓋で密閉する。流れて来た瓶を種類ごとに仕分けして、果実のイラストが入ったラベルを勤務者たちが貼りつけてからクッション入りの段ボールに詰める。トラック運転手たちが工場の搬入口で荷台へと移し替えられるのを談笑して待っている。安全運転でな、ワレモノだから。彼らに声をかけて工場長はその姿を見送る。そうして工場長の一日は終わる。週五日、八時間、その繰り返し。ラベルの張り間違えから、発注ミス、トラックの事故、トラブルが起きるとその対応に追われるが、基本的にルーティンワークだ。きっちりと時間通りに仕事を終えると工場長は気分がいい。

 

木に果物が実っていない。

 

そう秘書が工場長室に駆け込んで言ったときには、頭が真っ白になった。なんだって? 工場長は秘書を置き去りにして部屋を出た。工場を出て、木の方を見ると大勢が木の下に集まっている。赤、黄、緑、紫、橙……虹色に彩られた果樹はその色を失っていた。工場長は出稼ぎや勤務者や運転手たちをかき分けて木の下に立った。熟れすぎて腐った果物が落ち、甘い匂いがたちこめる中を蜂や蠅などの羽虫が飛び回っていた。何が起きた? 両手で羽虫を払いのけながら果樹に触れると、焼けるように熱かった。アツっ! 病気か? 工場長は植物の医者を呼んで診察してもらった。医者は木肌に聴診器を当てて、目を閉じた。原因不明の病です。音楽を聞かせましょう。医者はそう言った。街から音楽隊がやって来た。音楽隊は果樹を半円に取り囲むように並ぶ。その後ろで工場長たちは固唾を飲んで見守る。指揮者が指揮棒を上げると、皆がいっせいに構えた。指揮棒の先を向けられたヴァイオリン奏者が弓を弦に当てる。ピアノ奏者が鍵盤をなぞる。クラリネット奏者が息を吹き込む。ドラム奏者がスティックでシンバルを叩く。サックス奏者が背中を反る。三時間にも及ぶ演奏会に人々は満足したが、果樹には何の反応もなかった。

 

恋の病だよ。

 

夕日が果樹の影を長く伸ばし、オレンジジュースにグレープジュースを混ぜ合わせるように空の色が変わる頃、一番星から降り立った旅人が言った。恋? 工場長は早くも次の星へと飛び立とうとしている旅人の後ろ姿に声をかけた。そう、恋。ちょうどここから見える、あの星に果樹園があるんだ。そこでは一本の木に一種類しか果物は実らない。その潔さと、一本木なところに彼女は惚れたのさ。旅人はそう言って飛び去った。果樹園……工場長はブルーベリーのような群青色が夜の闇に沈み始めた空で瞬く星を眺めた。

2023年5月4日公開

作品集『月に鳴く』第13話 (全16話)

月に鳴く

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© 2023 松尾模糊

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