幻憶都市

応募作品

松尾模糊

小説

4,004文字

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ 《『ローマの古代遺跡』(第2巻II)より:古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点》1756年刊 エッチング 町田市立国際版画美術館
クローン人体へのデータ乗り換えにより出産が不要になった世界で、原初的生き方を選んだ人々が暮らす保護区の話。7月度合評会「世界遺産」応募作。

中程まで刺さったダガーナイフから血が滴り落ちた。手応えのなさにカインは黒いセラミックの柄を離して、震える両手のひらを交互に眺めた。ばさりと老アダムは地面に屈むようにして倒れこんだ。
「アダム!」とセシルが叫んで駆け寄った。その後ろで老イヴは口に手を当ててしゃがみこんだ。なんでこうなった……カインは背中に彼らの視線を感じながら駆け出した。

 

赤煉瓦の積み上げられたバロック様式の建築物は遠くから見た時には気づかなかったが、近くで見ると蔦が至るところに這っていて、煉瓦のひび割れや欠けた箇所が目立つ。かつては栄華を極めたというTOKIOの入口は、その姿をもって栄枯盛衰を体現していた。手に持ったガイガーカウンターの数値は若干高めだが、ただちに人体に影響の出る範囲ではない。案内人の口座に謝礼の電子金貨を送金し、放射性物質遮断マスクを取り外した。
「ここからは同行できません。帰りはどうされます? 迎えに伺いますけど」案内人は携帯端末を確かめながら、腰に巻いたポシェットに仕舞った。
「いや、迎えは必要ない。ここに泊まって明日の朝戻る」
「正気ですか? 一、二時間ならともかく、丸一日もいたら体に障りますよ。野良人が襲ってこないとも限りませんし……」
「″野良人″って言い方は良くないな。『第三文明人』という学術的名称がある。わたしは彼らの研究者なんだよ、彼らの扱い方はよく心得ているさ。それにこの身体は、もうそろそろ取り替えようと思っていたんだ。予備の身体も念のために荷物に入っているから大丈夫」
「第三の人ね……誰のせいでこんな世界になったんだか、よく考えてくださいよ。第三だろうが、第四だろうが、うちらみたいな貧乏人には関係ないですよ。やつらが核戦争でダメにした、この土地にしがみついて生きてくしかねえんですから。そんなにポンポン身体を乗り換えれるような先生方には想像もできねえでしょうが」案内人は憎らし気に、わたしの圧縮した培養クローン人体が収まる自動トランクに視線を向けた。わたしだって政府の補助金なしには生活できないし、この研究に文字通り身を捧げているのだから、もっと高給取りでも身が足りないほどだ、という言葉を飲み込んで苦笑いを返した。しかし、この奥にはクローン人体への乗り換えを拒否して、自身の遺伝子を異なる生殖器官を有する個体間での性交渉を通し、さらにメスへの過度な身体的負担と危険を有する子宮内妊娠と分娩という原初的方法で残し続けている、たいへん興味深い我々のルーツに繋がる絶滅危惧種が暮らしている……そう思うと、彼の嫌味も大したことではない。
「じゃあ、明日、日が昇る前にここで待ってて下さい。どんな身体に変わってるか分からないんで、手持ちのライトを二回点滅させます。それに三回、ライトの点滅で応えて下さい」案内人はわたしの表情の変化を読み取ったのか、面白なさげにそう言って小型浮遊車に乗り込んだ。

 

「アダムとイヴは禁断の果実を口にした。創造主の怒りを買い、森を追放された二人は砂漠の地を彷徨い歩き、この地へと辿り着いた。創造主の子を孕んでいたイヴはアダムの見守る中、神の子をここで産んだのだ」老アダムは幼子たちを前に、TOKIOに伝わる民話を話し終えて、古く錆びれた薄緑色の金属でできたTOKIO生誕碑に軽く触れた。大きな球体の半分かそれ以上は土に埋まり、蔦や隣に聳える大きな杉の根の一部が絡まる先に魚の尾びれのような四角い部位がくっ付いている。カインは聞き飽きた作り話に目をるんるんと輝かせる幼子たちにかつての自分を重ねて、腹に熱くたぎるものを感じた。すべてが偽りであり、神など初めから存在しない。たまに訪れる妙な恰好をした人間を狩る度に、彼の疑念は確信へと変わった。彼らの持ち込む物は実に興味深いものばかりだった。見たことのない絵柄の羅列が印字された紙束、複雑怪奇で細かい様々な形質のものが詰まった板状の機器、鉄の格子と大きな布で組み立てる家……そして、ついにカインたちの言語を話す男が現れた。動き回る箱と共に森を歩く男を威嚇する矢を放ったが、男は「話をしよう」とカインたちの言語を空に向かって叫んだ。カインは驚きのあまり尻もちをつき、その際に地面の小枝を折ってしまった。カインは腰に下げた黒曜石のナイフを手に取って木の陰に身を潜めた。「怖がることはない。君たちの話を聞きに来ただけだ」落ち葉や小枝を踏みしめる音が近づいてくる。カインはぎりぎりに近づくのを待った。
「さあ、話を……」
大きな影が動いた瞬間に、筋骨たくましいオス型の個体がわたしに体当たりしてきた。そのまま馬乗りになった彼(と呼ぶのが適当だと判断した)は、わたしに突き立てた石器ナイフの先端が超軽量防弾インナーによって欠けたのを見た目を見開き、後ろへ飛びのいた。ひるんだ彼に向けて、わたしはホルダーから緊縛ネット発射銃を抜いて引き金を引いた。研究対象の生け捕りという、想定以上の成果にわたしは内心歓喜して笑い声を上げそうになった。地べたで毛虫のように上半身と下半身をくねらせる彼のネットにフックを引っ掛けて、自動トランクに引きずらせながらわたしは彼らの言語で話しかけ続けたが、彼はただ目を閉じてじたばた動くこともやめてしまった。
「その昔、わたしたちにも性差があった。だけど、オス型個体……男性中心的な社会形成の下でその他の性を持つ人々が虐げられていた。男性の優位性は身体能力と低リスクな生殖機能で担保されていたと言っていい。そこで、我々はこの二つの平等化を成し遂げるために人体のクローン生成と意識の移植に挑み、神の領域を踏破することに成功したんだ」男はそう言って、カインを引きずる箱の上にある凹凸を押した。箱はギュイーンと大そうな音を鳴らして二つに割れた。中から透明な箱を取り出して、回転式の白い蓋を取り外す。中から薄茶色の泡立つ何かが急激に噴き出してきた。
「セックス……性行為はライセンス制となった。妊娠出産が不要になったわけだからね。男性はパイプカットされて、性行為教室で厳しい指導を受け、その上で高額なライセンス料と更新料を払える者だけが性行為を許された。今は肉体的な快楽は誰も興味をもっていないし、他個体の意識をジャックする″ジャックイン″が流行りつつある。こいつは法整備が間に合ってなくて危険なんだ……とにかく、あの時に十分な資産を有しなかった原理主義者たちがこの地に流れ、過激化して核戦争の火種となった。今では完全に忘れられた少数民族として政府の管理の下、表向きは保護されているってところかな……」
茶色い湯煙のようなものが風に流されると、褐色の肌で痩せた身体の女性が一糸まとわぬ姿で現れた。カインは驚きながらも、今しかチャンスはないと黒曜石ナイフの刃で切り目を細かく入れたナイロン糸を引きちぎって男に跳びかかった。男の腰の後ろに収められたダガーナイフを手に取って、男の喉元を切り裂いた。飛び散る血を顔面に浴びながら、カインは今度こそ男の死を疑わなかった。

 

死……ぬのか? これが……いや、メモリを……バックアップしたデータを新しい身体に移せば済む話だ。誰が? 声が出ない。声帯ごと切られてしまった。クソっ!
新しい身体がオス型個体の背後に霞んで見える。初期状態なら日常会話程度なら可能だが、人命救助やこちらの意図を組む高度な能力はわたしのメモリを移さなければ無理だ。
男は耳の穴に右人差し指を突っ込んで、中から銀色に光る極小の円盤を取り出しながら絶命した。カインは訝し気に右手に乗ったそれをつまんで眺めた。なぜこんな異物を耳の中に詰め込んでいたのか? 装飾品なら身体の外に身に着けるものだ。彼らは中に入れ込む慣習があるのだろうか? カインは考えるのが面倒になり、それを草むらに放り投げた。
「こんにちは。初期設定を完了しました。データの引継ぎをおこなってください」背後で女が急に喋りだしたので、カインは素早く身を翻してナイフを構えた。
「こんにちは。初期設定を完了しました。データの引継ぎをおこなってください」女は表情一つ変えずににこやかに両手を広げている。カインは彼女の美しさに一瞬見とれてしまい、頭を振った。男の荷物を漁って、着物らしきものを取り出して女に差し出した。
「こんにちは。初期設定を完了しました。データの引継ぎをおこなってください」女はずっと何かをしゃべり続けている。仕方なくカインは彼女に着物らしきものをどうにか無理やり着せた。女はその間もずっと喋っていた。

 

カインが連れて来た女を見て、老アダムは「ルシフェルだ! 悪魔の化身である」と彼女を焼き殺すことを命じた。老アダムの長男であるセシルがその役を担った。十字に組まれた丸太に女を縛り付けて、燃えやすい乾燥した小枝と藁がその下に集められた。
「火を放て」老アダムの一声でセシルが手にした火を投げ入れた瞬間に、カインは走り出した。まっすぐに老アダムの腹部にダガーナイフを突き立てた。もう後戻りはできない。黒曜石のナイフで女の縄を解いて彼女の手を引き、駆け出した。

深い闇が白く明けて橙色の光が木々の合間を照らし出す頃には、死者の国に通じると言われているTOKIOの門までカインは辿り着いていた。門の外は静かだった。霧に覆われた瓦礫の向こうから低く唸るような音が聞こえる。空を飛ぶ大きな箱が彼らに近づいてきた。
「新しい肉体はべっぴんさんかい? いいご身分だ」空に浮かぶ箱から小柄な男が現れた。
「野良……第三文明人は連れていけないぜ、いくら先生でも絶滅危惧種は持ち出せないよ。国際規約違反だ」小柄な男は狼狽した顔をカインと女に向けた。
カインは男を殴り飛ばして、空に浮かぶ箱に女を抱えて乗り込んだ。ふらつきながら小型浮遊車は霧の晴れ始めた廃墟へと消えた。

2022年7月10日公開

© 2022 松尾模糊

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"幻憶都市"へのコメント 16

  • 投稿者 | 2022-07-13 18:10

    ディストピアな世界観がよく表現されています。
    未来ではこんな事が起きるのかもしれない、という未来への恐怖心という物も感じられました。

  • 投稿者 | 2022-07-17 21:40

    拝読しました。
    退廃的な雰囲気に強く惹きつけられました。
    最後の一文、「ふらつきながら小型浮遊車は霧の晴れ始めた廃墟へと消えた。」がとてもよかったです。

  • 投稿者 | 2022-07-20 08:06

    マンオブスティールの映画の中でも、自然出産みたいなのが数年ぶりみたいな、そうして生まれたのがカルエル、スーパーマンっていうのがありましたけども、なんかあれですよね。進みすぎると逆行してる感じに見えることってありますよね。焼き殺すとか、小柄な男の人の口ぶりとか、なんか、ただでもとにかくこういうの書けるのいいなあ。

  • 投稿者 | 2022-07-20 23:46

    視点人物の移り変わりが激しすぎて読みにくく感じるところもありましたが、ちょっと『すばらしい新世界』を思わせる内容で面白かったです。

    意識をデータとしてクローン人体に移植するというのはどういう理論になっているのだろうか、それは一人の人間が複数の「自分」を持つことも可能になるのか、「ジャックイン」なるものが可能であるなら一つの体に複数の意識も共存できるということか、移植前に肉体が死んだ「わたし」の意識が途切れたのなら、やはり意識とは脳ないしそれを代替する器官でのみ活動できて、それ自体の保存は効かないのか……など、自分たちの自己同一性をめぐって色々考えさせられました。はたしてデータに還元できる意識がそれなのか、自分はちょっとわからないです。

  • 投稿者 | 2022-07-21 09:49

    エイブラハムの宗教経典に出て来る登場人物からセカイ系ディストピア世界観(?)に「松尾さんたまに突拍子もない設定の話を書くなあ、前になろう系のファンタジーも書いていたし」と思いました。このまま人類が発展していくと性差というか性そのものが過去のものになると思っているで、興味深く読ませていただきました。

  • 投稿者 | 2022-07-22 00:14

    人間が世界遺産のようなものになるという笑うに笑えない恐ろしい世界観がよかったです。同時に、現代でも博物館に石器時代のヒトの想像図が展示されたりしていますが、感覚的にそれと似たようなことかなと思いました。
    ラストで案内人が「わたし」を識別できたということは、女がライトを三回点滅させたということでいいんでしょうか? もしそうであれば、「わたし」は死ぬ直前にジャックインに成功していたのかな、とも思いました。
    視点の目まぐるしい転換に何か意図があるのか気になりました。
    あと、アベルでなくてセシルなのはFF4からですかね。

  • 投稿者 | 2022-07-23 06:37

    前後の作品との落差で意識が遠のいてましたが、どうにか回復できました。小賢しい新人類を暴力で蹴散らす荒々しさが廃墟と化したTOKIOの風景にマッチしていてよかったです。世界遺産はまあたぶん世界が全部遺産になってるからよいですw ぼくも新人類の体が欲しいです。

  • 投稿者 | 2022-07-23 11:44

    こなれて抑制のきいた文体で、読みやすくて情景が自然に頭に浮かんできます。遠い未来の話が太古の神話とリンクする物語は珍しくはないのでしょうが、扉絵とともにクラシックな雰囲気が既視感を感じさせなくしていて素直に物語に入って行けました。
    何というか、萩尾望都のSF作品読んだみたいな印象でした。

  • 投稿者 | 2022-07-24 05:37

    世界観が手が込んでいてよい。わたしがカインに説明ゼリフで世界観を説明するが「ライセンス制」とか言われても何のこっちゃなので、カインでなくても躊躇なく殺してしまうはずだ。よい死亡フラグになっていると思う。「さあ、話を……」の前後で視点が変わるのが、意図的なのだろうがひっかかりを感じた。老アダム殺害のシーンを冒頭にも出して強調しているのはどうして?

  • 投稿者 | 2022-07-24 11:26

    核戦争後のディストピアにTOKIOとか第三文明人とかアダムとかイブとかカインとかネーミングがベタすぎて逆に新鮮でした。こういうやり方もあるんですね。結構視点の入れ替わりが激しくて二度読んでやっと理解しましたが、解ってしまえば気にならず、逆に物語に引き込まれました。

  • 投稿者 | 2022-07-24 12:55

     核戦争によって荒廃した近未来の、男女による交配ではなくクローン技術を利用した単体繁殖が主流になったという舞台設定の話だが、多視点を用いていることもあって、何度か読む作業が止まることになった。一場面一視点の原則を守らず多視点を用いることに何のメリットがあるのかと思う。新人賞の選考過程で多視点の応募作が「この人は小説の基本を判ってない」とされて落とされるのを何度見てきたことか。/掌編小説にしては場面数や登場人物数が無駄に多いところも感心しない。舞台背景の説明にそこそこの文字数を食う時点で長編小説向きの題材だろう。/お題との関連も薄い気がする。

  • 投稿者 | 2022-07-24 21:46

    最近の世相が要請してるよいなものなのかは定かではありませんが、生殖に関する未来、そこから着想を得たSF的な作品は体感的に増えてきたなあと思う中、「お、松尾さんが真正面から斬り込んだ!」と感嘆符が出ました。そして、クラシックなどこか懐かしい遺産的な未来の描写がまたいいあんばいです。

  • 投稿者 | 2022-07-25 01:19

    攻殻機動隊の最新作を彷彿とさせる世界観な感じがしました。
    短編のなかでここまで世界観を組み上げられるのはすごいと思いました。

  • 投稿者 | 2022-07-25 07:26

    セックス等のSF的な言い換えがとても面白いと思いました。普段SFは読まないのですが、SFもこういう風に現実の見方を変えるのだなあと実感させてもらえました。

  • 編集者 | 2022-07-25 11:23

    毎回、難しいお題との絡め方がしっかり考えられている。今回も世界遺産に対して果敢に闘争を挑んでいる。聖書的世界と終末の入り混じった未来セックス、大変そうだが、しぶとく生きて欲しい。

  • 投稿者 | 2022-07-25 18:12

    私がこういうかための文体が苦手なだけかもしれませんが、視点の移り変わりが若干読みにくかったです。
    めっちゃSFですごいなー、となりました。
    荒廃した世界ですが、ここから壮大な話が始まりそうなワクワク感を覚えるラストでした。

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