初陣

応募作品

松尾模糊

小説

3,271文字

『瓢軍談五十四場』歌川芳艶 「猿之助初陣に伊藤日向守を討つ」
1月合評会テーマ「初〇〇」「〇〇初め」「〇〇始め」応募作。今人気の講談と、受験という現代の“初陣”を掛けて書きました。

昔から初物というと、縁起のいいものとされてきたものです。初物を食べると寿命が七十五日延びるというのは、中国の五行説やら、江戸時代の死刑囚に最後に望むものを食べさせる慣習から当時の罪人が手に入らない次の時期の初物を所望して何とか刑の執行を先送りしようと試みたことから来ているなど諸説あるそうです。幸先を良いものにしたいという願望は人の性というものなんでしょう、武士の「初陣」というものもその例外ではありません。武家の当主は息子たちの初陣を勝ち戦に出すことで、そのご利益にあやかれるように努めていたと言います。さて、皆さんご存知、太閤、豊臣秀吉の初陣は彼が木下藤吉郎と名乗り、今川義元の家臣、遠江国とおとうみのくに頭陀寺城主ずだじじょうしゅ・松下之綱ゆきつなに仕えていた時分でございました――高座の上で赤い着物姿のマミ、今は講談師・神田紅蘭こうらんが釈台を張り扇でバンバンと調子を取って『太閤記』の「初陣」を滔々とうとうと語り始めた。

 

「コウダンシ?」
「講談師。落語で寄席ってあるやん。あんなん。本当は寄席っていうのは、落語だけやなくて、講談とか浪曲ろうきょくとかいろんな演芸があるんやけど『笑点』とかで落語家が有名になったからマイナーやってん。最近は神田伯山がテレビに出とったから、また注目されとるけど。神田……松之丞、知っとるやんな?」
「滝沢カレンと一緒にテレビ出てる人?」
「そうそう」
「あんなとぼけた感じやけど、神田松鯉しょうりって人間国宝の弟子の出世頭なんやから凄いんよ」
「へえ」
「あ、興味ないんやろ? まあそうやんな……ババアみたいなこと言ってゴメンな」
「ババアってw自分責め過ぎでしょ」

マミは幼馴染で、高校を中退してそのまま弟子入りする為に上京した。それから二年弱、彼女はわたしに宣言した通り東京で夢の舞台に立った。「親がうるさくてさ、夜間の高校に行きながら見習いやってたからかなり時間かかったけど、やっとミサトに観てもらえる日が来たよ」と書かれた手書きのハガキとチケットが入った封書が先日届いた。大学受験でちょうど東京へ行く日程だったので、わたしは彼女の舞台を観に行くことにした。古臭くて狭いところで観客席もコロナ対策で一席ずつ空いているガランとした印象だったけれど、堂々と張り扇を叩いて幾分か大人びた彼女は凛として眩しかった。二年で彼女が歩んだ人生とわたしの歩んだそれは、早さも重みも全然違くて彼女との距離が果てしなく遠く感じられた。

 

 

舞台袖の御簾内みすうちにいる大夫さんたちの後ろから観客席を覗いた。こんな状況で初舞台を迎えるなんて去年の今頃は考えてもいなかったな。縁起の良さも何もあったもんじゃないな、全く。ツイてねーなあ。大夫さんがチンチロリンと「石段」の出囃子を奏で始めた。母方のばあちゃんが初舞台のお祝いにと買ってくれた、赤い織物に牡丹の紋様があしらわれた着物のかけ衿を正して背筋を伸ばすと、不思議とどんよりとした不安はどこかへと消えた。そこからはミサトと最後に行ったカラオケで彼女と一緒に歌った「サイレントマジョリティー」が頭の中に流れて、東京に荷物一つで神田家の門を叩いたあの硬い感覚が蘇り、張り扇で頭をはたかれながら日中夜稽古に明け暮れて来た日々や、ホスト崩れの男にヤリ逃げされたクソみたいな思い出やらが走馬灯のように浮かんでは消えて、いつの間にか釈台の前で頭を下げていた。パラパラという拍手の音に送られてあたしの初舞台は終わった。幸先の良いものとはとても言えないけど、やり切った。足取りも軽く感じた。
楽屋に戻ると出番を控えた神田竹鯛ちくちょうが火鉢に手を当てながら、煙管をふかしていた。
「師匠! お目汚し失礼しました!」
「新年明けの初舞台で『初陣』なんてのは、クドいったらしょうがないね。まあ、まくらは悪くなかったよ。がんばんな」痩せこけた針金のような身体からは想像できないくらい鋭い眼光と威厳を放つ老人は煙管の火皿をコツンと火鉢の縁に当て灰を落とし、煙管を羽織りの裏袖に入れてから立ちあがり、楽屋を出た。
「ありがとうございます! 精進します」まだまだ遠く感じるその背中に向かって頭を下げた。ミサトは観てくれたのかな。一応楽屋にも入れるようにリストに入れといたけど……こんな状況じゃ来ないか、そうだよね。

 

 

ひんやりとした空気が肌を刺した。わたしはダッフルコートのフードを被ってよく分からない街路を歩き出した。マミが眩しくて、自分の状況が悔しすぎて、何より心のどこかで彼女のことをバカにしてた自分が許せなくて、今のままじゃ会えない、そう思った。どのくらい歩いたのか分からなかったけれど、足の裏に鈍痛を感じて顔を上げた。傾く夕日の光を浴びて煌めく運河が見えた。ひとまず運河に向かって歩いた。遠くからは煌めいて見えた河面も近くで見ると、深緑に濁って白い泡が立っている。こんなに寒い中をランニングウェアひとつで細い女性が走り去っていった。ダウンベストを着せられたダックスフントが老婆とちょこちょこ歩いている。わたしは石でできたモニュメントのようなものに腰かけた。ダッフルコートの上からでも冷たさが伝わって来た。波がコンクリートの壁面にたぷりとぶつかる音が絶え間なく聞こえている。大きな橋の向こうに陽の光を反射するガラス張りのビル群が広がっていた。この大きな都市でマミはひたすらに高座に上がるためにがむしゃらに稽古して来たんだなあ。気が抜けるとすぐに涙が止まらなくなった。わたしはリュックからポケットティッシュを出してはなを思いっきり噛んだ。少しスッキリした。わたしも頑張らなきゃ。ポケットからスマホを取り出すと事前に知らされていたマミの番号から何回か着信履歴があった。わたしは一度目を閉じてから予約したホテルの最寄り駅をネットで調べて、GoogleMapのアプリを開いて立ち上がった。

 

「受験票を呈示してから、こちらで検温してくださーい」スーツ姿の若い男性が拡声器で学生服や私服姿の受験生に向かって声を掛けている。校門の前に立てられたテントの下でパンツスーツの若い女性に受験票を見せて、検温器を額に当てられた。PCRは受けてきたけれど、わたしは体温三十五度くらいで微熱でも三十六度くらいにしか上がらないし大丈夫なのかなと思いつつ、ひとまず検温をクリアして試験会場を指し示す張り紙を見ながら構内を歩いた。
「方丈記を書いたのは?」「鴨長明!」「せーいかい」友達同士で問題を出し合いながら最後のあがきをしている男子たちを横目にわたしは歩を速めた。
「こちらの消毒液で消毒してから入室してくださーい」教室の前でマスク姿のおじさんが受験生ひとり一人に声を掛けていた。席は一つずつ空けられて、席の横に透明のプラスティック製衝立が設置されていた。受験票と一緒に鉛筆と鉛筆研ぎ、消しゴムを机の上に置いた。日本史の参考書をパラパラと捲りながら復讐して開始時間を待った。疎らだった受験生たちも、わたしの高校の三倍はあろうかという教室に揃うとそれなりの人数になった。解答用紙のあとに問題用紙となる冊子が一部ずつ配られた。くぐもった開始のチャイムが聞こえて「始め!」と試験管が号令すると同時に冊子がパラパラと捲られる音が響いた。

2021年1月10日公開

© 2021 松尾模糊

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実験的 講談 青春

"初陣"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2021-01-21 06:25

    サイレントマジョリティーっていうのが良かったです。良かったと思います。あれのおかげで、ぐっと身近になったというか。身近だけど、でもやっぱり大変な世界というか。元は同じ場所だったはずなのに分かれて伸びる枝の様な感じになったというか。なんかそう感じがありました。あったと思います。

  • ゲスト | 2021-01-21 18:00

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  • 投稿者 | 2021-01-21 22:22

    わたしのマミに対する焦燥感や、試験前の緊張を高める描写がラストに梯子を外すためのフリとして機能している、というような印象を受けました。講談の『初陣』の内容が確認できていないので、どのような関連があるのか気になりました。

  • 投稿者 | 2021-01-22 20:23

    面白い趣向です。入試問題内に人物が入り込んでいるのも楽しかった。

    寄席で聞く講談は本来、演目を演じさえすればいいのでしょうが、古文をふんだんに使うからただでさえ難しいところに、落語と同じようにマクラやサゲが重要視されるし、落語と違って笑わせればよいというものでもないしで、若い演者にはかなり大変だと思います。マミの覚悟のほどを感じます。
    人と違う道を歩むマミが、ミサトにだけは晴れの姿を見てほしいという気持ちはかなり一方通行的な友情で、一方ミサトがマミの成長ぶりを目にして自分の卑小さを悔しく思うあたりもすごくリアリティがあります。

    それぞれの初陣で大手柄を上げられるようにと祈らずにはいられません。

  • 投稿者 | 2021-01-23 21:49

    「受験票を呈示してから~」に出てくる「わたし」はミサトではなくて別の受験生なのかなあと思いました。2ページ目の試験問題を導入するのは斬新だなあと思いました。

  • 投稿者 | 2021-01-24 12:43

    んんっ、ページがわかれてる? と思って2ページ目に行ったらまさかの試験問題。意表を突かれて面白かった。私は問題を間違えた。くやしかった。女の子同士の物語はさわやかでステキ。リストに入れとくだけじゃなくてちゃんと終わったら楽屋に来いと指示しないと来ないよね。じれったくてかわいいな。

  • 投稿者 | 2021-01-24 18:03

    あ、二ページ目気がつかなかったです。

    講談師と受験生の対比でお話を進めているのだけど、途中どっちがどっちの視点よと混乱してしまったり。
    ナンバリングした方が解りやすかったかもしれませんね。

  • 投稿者 | 2021-01-24 19:02

    視点が結構往復してるなと思いつつも、プロとして一歩先を進んだ友人に対する焦燥感と、マミの思いやりとが対比してて非常に好感が持てました。
    (問題は結局カンニングしてしまいました

  • 投稿者 | 2021-01-25 08:26

    時間軸視点が目まぐるしく変わる百合物語。少々混乱しましたが、最後の飛び道具にやられました。ページを使ったメタ仕掛け、今度パクらせてもらおう。

  • 投稿者 | 2021-01-25 10:41

    視点人物を変えるときは何か工夫してもらえると嬉しい。ん?ミスかな?と誤解して印象が下がってしまうからです。まあ今回最高評価なんですけど

  • 投稿者 | 2021-01-25 14:42

    改ページ機能があるというのを初めて知りました(笑)
    試験問題の答えは考える前にすぐググってしまったヘタレです。
    女講談師といえば最近神田茜さんの書くものがなかなか面白くて考えさせるので気になっています。

  • 編集者 | 2021-01-25 15:32

    落語に比べても講談にはあまり縁が無いのだが、青春、初陣と絡めて面白く読めた。月並みだが改ページの工夫が面白い。

  • 投稿者 | 2021-01-25 18:45

    入試問題風のオチは今まさに旬の時期でもあるので、面白かったです。2ページがあるのを最初見逃した自分が言うのもなんですが。単純に好きなタイプのお話。松鯉先生の講談は弟子にしてスーパースターの伯山先生とはまた驚くほど対照的で鷹揚な語り口で、「ああ、こんな風に時が流れる講談もあるのだなあ」と浅草で感動した記憶があります。

    • 投稿者 | 2021-01-25 18:54

      あと、貞友先生、貞鏡先生……女流の方が数多輝いている、講談界に対するエールというか、アオハルモノというか、講談版『赤めだか』的なポジティブなものを感じました

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