灰は川に流してくれ

北千住ソシアルクラブ(第9話)

高橋文樹

小説

5,226文字

ひきこもりはそれまで一度も働いたことがなかったが、ついに仕事につこうとリヤカーをひきはじめる。

無力を装って金を借りたり、足蹴にされて平気な顔でいたり、土下座して舌を出したり、どうしようもない頑固さで友人を失ったり、とかくそうして生きてきたひきこもりだったから、河原での生活だって同じだった。ヒリつくのはどこでだって変わらない。

鉄のリヤカーを押しながら、その経路を諳記する。鉄が今後のためにもそうしろと言ったのだ。

「俺もよ、外回りやってたのよ。解る? 道覚えんのなんてよ、どうでもいいと思ってたけどよ、大事なんだよ」

「そうなんすか」

「車でよ、クレンザー売ってたことあんだ。迷っちまうからな。覚えてねえと。まあ、全然儲からなかったけどな」

「今はカーナビがあるんすよ」

鉄は引き手を持ったまま、首だけ振り向いた。うなじの肉がこんもりと寄って、黒い縞になった。

「そういうことじゃねえんだよ、そういうことじゃ。解る?」

ひきこもりはなんとも答えなかった。道を覚えるという言葉にそれ以上の意味があるのか。《ロックンロール》という言葉に込めた思いがもどかしいように、《道を覚える》も同じかもしれない。そう考えると、いかにも素敵な言葉に思えてくる。

河川敷を出て、西新井近くの工場街へ向かい、幾ばくにもならない鉄屑を拾い集めると、堀切橋近くの鉄屑屋まで戻った。全部で十キロ近い行程である。重くなったリヤカーをわざわざ引っ張らずとも、西新井の鉄屑屋に持ち込めばいいじゃないか。そう提案したが、鉄に言わせれば、それも解っていないことになるのだ。

分銅の傾きは思ったほどではなかった。鉄屑屋は銅線を買い叩き、鉄の顔が悲しそうに緩んだ。今、値が下がっているらしい。疲れがどっと足に絡んだのか、尻がぺたんとリヤカーに落ちる。鉄は呻くように言った。

「ちょっと、リヤカーここに置かしてもらってもいいですか」

鉄屑屋は倉庫の中を見渡し、厭々ながら許した。

「でも、早く来てくれよ。午後には出ちまうからさ」

「あい、すいません」

鉄はひきこもりを目で促した。隅田川に沿う墨堤通りまで出て、右に折れる。すぐに東武線の踏み切りにぶつかるので、そこを渡って商店街に入った。行き先は知れている。右手にあるタクシー会社のはす向かい、仕事を終えた運転手のために昼から営業している居酒屋である。

ジャンパーで装った男たちに紛れ、一目でそれと解るずたぼろの二人が酔いのぬかるみに溺れている。酔客たちは嫌な顔をするでもなく、二人を見なかった。久々の居酒屋に高揚したひきこもりは隣席の男に、お仕事大変ですね、と呼びかけたが、鉄に窘められた。ここでは飲んでいるんじゃない、飲ませてもらっているのだ。久方ぶりの冷奴を摘みながら、コップ酒を舐めるように飲んだ。甘味が鼻から脱け、ついでに自分語りまで漏れる。

「そういや、俺、すぐそこに住んでたんすよ」

「へえ、どこだ」

「東武線の線路があるじゃないっすか。で、越えると宅配便の集荷センターみたいなのありますよね」

「あの、トラックがたくさん駐まってるとこか」

「そうっすよ。その並びのちっさいマンションに住んでたんす。友達と」

「友達って、女か?」

2015年7月24日公開

作品集『北千住ソシアルクラブ』第9話 (全10話)

北千住ソシアルクラブ

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© 2015 高橋文樹

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