ぼくらの一年戦争

破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品

河野沢雉

小説

8,419文字

ロスジェネ問題は根が深く原因が多岐にわたるため、全体像を把握するのは難しいものです。それだけに「○○で例えてくれ」というニーズはありそうなのでやってみました。

「だ、駄目だ。介入しては駄目だ。資産が溶けていく……あれは、憎しみの買いオペなんだ!」

安室那弥あむろなみ(五十歳・男)は代官山にほど近い児童遊園のベンチに座り、日本経済新聞の一面トップ記事を手の甲で叩きながら言った。新聞は安室自身が取っているのではなく、電車の網棚に置き去られていたものだ。実のところ安室は自分で新聞を取ったことがない。新聞なんかを購読するのは、中学生の頃アカ教師が天声人語を名文の代名詞と称してゴリ押ししてくるのを真に受けて、「新聞を、読まない人がいるのかしら?」としたり顔で言ってくる意識高い系の奴らだけだと思っている。

『日銀、連日の為替介入』

と、見出しには踊っている。日銀砲。誰が言い出したか、日銀が円建て国債や外貨準備の豊富な資金を無尽蔵に投入し、ヘッジファンドを粉砕するイメージが大艦巨砲主義の正統なる後継者であるネトウヨをはじめとする保守ネット論壇にいたく気に入られ、そう名付けられた。

ベビーカーを押した若いお母さんが児童遊園にやって来た。VERYの表紙から飛び出してきたような格好をしたお母さんは、安室が一人で毒づいているのを発見すると舌打ちをしてベビーカーを転回させ、もと来た道を帰っていった。

いつだってそうだ。日銀砲はお前らの敵をほふってはくれるが、決して俺たちの生活を守ってはくれない。お前らはいつだって、そうやって見て見ぬふりをする。公園にキモいおっさんがいればその公園には来なかったことにする。駅前にホームレスがいれば「誰か」がそこからどかしてくれると、当たり前に思っている。「誰か」は誰でもいい。駅員でも警察でもホームレス支援団体でもいい。とにかく自分たちの視界から消えてくれればいいのだ。

しかし、どかされたホームレスはこの世からいなくなるわけじゃない。どこか別の駅前や公園に移動するだけなのだ。そんなもの、問題の解決になっていない。

安室は長らくそいつを持論にし、ゆえにベーシックインカム論者であったが、ひろゆきがネットで全く同じことを言っているのを知って、あっさりとその主張をやめた。今を遡ること一年ほど前のことである。

「一年か……」

安室は独りごちた。彼が職を失い、嫁さんと娘にも逃げられ、慰謝料と年度遅れでやって来る納税にケツの毛まで毟られ、今にいたるまでおよそ一年弱。

せめて、狭くてもいいからマンションを買って持ち家に住んでおくべきだった。そうすれば空前の不動産高騰に乗じて手元に資金を残せたものを、『都内にマンションを買ってはいけない七つの理由』などという薄っぺらい本を信用したばかりに、賃貸で頑張ってきた安室に残されたのは、小学生の時に地元の模型店主催のプラモデルコンテストで最優秀賞を受賞したときの賞状と、娘がまだ可愛かった頃の写真だけである。

一年を長いと感じるか短いと感じるか。少なくとも、安室にとってそれはバブル崩壊に始まる失われた三十年の最後の一年に過ぎない。

忘れもしない、大学進学後間もなくだった。百科事典のように厚かったanやフロムAといったアルバイト求人誌がペラッペラになり、買い手市場となったアルバイトの時給は暴落した。アルバイトをやって稼いだ金で充実したキャンパスライフを送ろうとした目論見は脆くも潰えた。地味に苦労して大学を卒業しても、企業はアホみたいに採用を絞り、就職「超」氷河期という事態が現出した。同期の奴らが相次いで就職戦線途上で撃沈し、非正規労働・就職浪人・家事手伝い・ニートと壮絶な末路をたどるなか、安室は運良く中堅の専門商社に正社員の籍を置くことができた。

安室は同世代の中では間違いなく勝ち組といえた。

だがそれも、去年までの話。

安室はスマホを取り出した。SIMはとっくに解約した。いつもこうしてフリーWiFiを拾って使っている。

日銀が動いたとなると、麻布亭が何かしらコメントを出しているはずだ。麻布亭は「あざぶてい」ではなく「まふてい」と読む。

YouTubeの「まふていチャンネル」に上がっている新着動画を再生する。

「我が忠勇なるロスジェネたちよ。今やハゲタカファンドの半数が、我が日銀砲によって太平洋に消えた」

麻布亭は詰襟の学ランに白手袋、白襷といういでたちで、熱弁を振るっている。

「この輝きこそ、我らロスジェネの正義の証である。決定的打撃を受けたハゲタカファンドに、いかほどの資金力が残っていようと、それは既に、形骸である。あえて言おう、カスであると!」

麻布亭がロスジェネの反乱と称し、反政府運動を始めたのがちょうど一年前。その頃まだ正社員だった安室は運動に参加する同世代の負け組たちを冷ややかに見ていたが、今や自分がそっち側の人間だと認めざるを得ない。

だけど、自ら進んで運動に身を投じる気にはなれない。一生懸命は格好悪い。直接的な行動ではどうせ世の中は変えられない。安室たちは幼少のみぎりより、そんな空気に浸ってきた。

なのに麻布亭は不思議なことに、多数のロスジェネ世代を政治運動に駆り立てていった。数だけは多いが冷笑的で無気力なその特質のために団結して何かをするという能力が決定的に欠け、組織だって刃向かってこないのをいいことに、政治も社会もその存在を無視し続けてきたロスジェネ世代。それがここにきて急にまとまって行動し始めたのだ。

誰よりも驚いたのはロスジェネ自身であった。それが麻布亭の巧妙なメディア戦略によるものなのかは分からない。あるいは彼にヒトラーのような麻薬的なカリスマ性が具わっているのかも知れない。

「あなたはヒトラーの尻尾ですね」

以前、テレビの対談で左派論客にそう揶揄された麻布亭は涼しい顔で答えた。

「ま、勝ってみせます。ヒトラーの尻尾の戦いぶり、ご覧ください」

その言葉に偽りはなく、麻布亭の快進撃は続いた。各地でロスジェネ武装集団による一揆や打ち壊しが起こり、ここ一年で日本は物騒な国になった。尤も、女子供が昼間でも出歩けないというような物騒さではなく、あくまで大企業や役所、マスコミなど既得権益を背景にした富が物理的に保証されなくなった、という意味においてである。

もちろんこれはテロに相当する犯罪だから、捜査・公安当局は実行犯を手当たり次第に逮捕する。近ごろの留置所や刑務所はロスジェネ戦士で常に満杯状態である。だが、肝心の麻布亭は具体的に彼らを煽動しているわけではないので、告発しようにも幇助・教唆罪に問えない。

かくして麻布亭は今日もこうして「まふていチャンネル」でロスジェネの魂を鼓舞する動画を配信し続けている。

『速報:渋谷区の穴灰あなはい電機本社にて打ち壊し発生中』

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2023年10月15日公開

© 2023 河野沢雉

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