サティスファクションセンター(1)

サティスファクションセンター(第1話)

眞山大知

小説

13,505文字

『地球上すべての顧客の満足――サティスファクションに貢献する』というミッションを掲げる超巨大eコマース企業・ヘルメス。ヘルメスの日本法人に勤めるエンジニア・音羽芽衣は、東アジア最大を誇る物流倉庫・小田原サティスファクションセンターで働きながら人生に迷いだす――。運命に立ち向かうバリキャリの破滅劇!
(破滅派21号に寄稿しようと頑張ったのですが分量が削れなかったためこちらで投稿します。すみません)

LEDの青白い光が倉庫のコンクリート床を舐めるように照らす。灰色の床にはカーリングのストーン状のロボットたちが並ぶ。ロボットたちは頭上に毒々しいレモン色の棚を載せ、独裁国家の軍事パレードのように機敏に行進していた。

ロボットたちを愛おしく眺める。この棚出しロボットは会社の新しい仲間。わたしが生み出した、子どもたち。生産性が高くて頼もしく、人間の仕事を、尊厳を、無慈悲に食らいつくす怪物。

「いやあ。音羽さんのロボットは、しっかりヘルメスの仲間になりましたね」

ねっとりした高音の声が隣から聞こえた。視線を移すと、オペレーション技術開発部の朝川部長が唇を横に大きく伸ばしていた。会社のロゴ・スマイリーマークにそっくりだった。

ヘルメス――世界最大のeコマース企業。アメリカ西海岸・オレゴン州で創業し、ECサイト・ヘルメスドットコムを運営。世界三十五カ国の顧客へ約五〇億品目の商品を配送し、全世界で五〇〇〇億ドル、日本法人・ヘルメスジャパンで三兆円の売上を計上する超巨大企業だ。ヘルメスは『地球上すべての顧客の満足サティスファクションに貢献する』というミッションのもと、物流倉庫をサティスファクションセンターと呼び、わたしの開発したロボットは東アジア最大の規模を誇るこの小田原サティスファクションセンターに導入された。

「推薦状を書いてみるか。チームマネージャーになって、さらに貢献してもらいたい」

朝川部長は赤いベストを正した。

「大変恐縮です。会社の生産性向上に貢献できるよう一層努力します」と言って深々と頭を下げた。

これで平社員から管理職になれる。二十八歳での昇進は、同期入社の社員で最速だ。

「そうだ、音羽さん。あれを見てどう思う」

不機嫌そうな部長の声。頭を上げると、部長は工程へ指をさしていた。

ロボットが棚出し工程の端まで前進し、梱包工程へ到着。待ち構えた作業員が棚から雑巾を取り出した。緑のベストを着た作業員は、整った顔に似合わぬ虚ろな表情をさらし、ヘルメスのロゴが入った段ボールへ雑巾を詰めていた。

イライラする。どうせ新人の派遣だろが手つきが遅い。生産性の低い人間は心底嫌いだ。この作業のノルマは二秒以下なのに、あの緑は四秒もかけている。余計な二秒分に支払う給料が無駄だ。

朝川部長が露骨に舌を打った。

「遅っせえなあ。どこの派遣会社のヤツだよ。なあ、ここも自動化しようか。仲間を増やしたいだろ」

ヘルメスで『仲間』といえば正社員と会社の設備をさす。一方、緑のベストの派遣社員は仲間ではない。消耗品だ。要は雑巾と同じ。使えなくなったら容赦なく解雇。

「ええ。ノルマを達成できない人間は必要ありませんし」

「音羽さん、頑張ってくれよ。そうしたら戻るか」

朝川部長は脇のドアを開けた。ドアの向こう側は屋外だった。

部長とともに屋外へ出る。七月の中旬だがまだ梅雨が明けず、梅雨前線が活発になっているせいで雨と風が地面を激しく打ちつけていた。倉庫のすぐ側を流れる酒匂川は褐色の濁流が一面を覆い、泥の臭いが鼻につく。

歩道には傘をさした従業員たちが行き交う。右側の正社員用のレーンでは、赤のベストを着た部長たちは堂々と胸を張り、黄色のチームマネージャー、青の一般社員は楽しそうに談笑。一方、左側の非正規社員用のレーンを水色のアルバイトは暗い目をして歩き、そして緑の派遣社員はずっとうす黙り、スマホを観ながらうつむいていた。

人間が平等なんて嘘だ。少なくともこの会社には身分制がある。多様性に配慮したグローバル企業なんて大嘘。ここは軍隊だ。たとえ正社員でも、自分たちはアメリカ本社のCEOからしたらそれこそ雑巾に過ぎない。

それにしても雨に濡れたストッキングが肌にぴったりと張りついて気持ち悪い。

「部長、この歩道、屋内型にしませんか?」

「検討しておくよ。たぶん予算がないだろうけど」

諦めた。ヘルメスでは、検討という単語は「却下」と同じだ。

歩道を渡り切って、白い流線型の建物に着く。技術スタッフが集まるテクニカルセンターで、東アジア全域の倉庫、設備の設計から技術開発まで行っている。技術部門は品川のヘルメスジャパン本社や全国のサティスファクションセンターに散らばっていたが、一年前に経費削減のため全て小田原に集約された。

玄関を入ると、フロアには社員たちがロボットさながらの俊敏さで歩いていた。そのうちの一人、ライトグレーのスーツに青いベストを羽織った男が突然立ち止まりわたしたちを見てきた。同僚の沖宮瑛太だ。中途採用の沖宮とは小田原の高校で同級生。バスケ部に所属していた。昨年、日系の電機メーカーからヘルメスに転職し、故郷の小田原に帰ったという。

沖宮はわたしの青いベストを指さして近寄ると、やけに丁寧すぎる口調で話しかけた。

「音羽さん、昇進おめでとうございます。黄色になれていいですね。新卒入社の人間は昇進が早くて」

沖宮はガチガチに固めたオールバックのツーブロック。浅黒い肌、鷲鼻、白い歯。顔のパーツは生命力に溢れているのに、目だけが蛇のように冷酷。このギャップに惹かれる女が多いらしいがあまり好きでない。

「ありがとうございます。沖宮さん、わたしのように必死に努力すれば中途採用でももらえますよ?」

嘲るように言うと沖宮はへらへらと言い返した。

「新卒入社はみんな、遊び心がなくて困りますよ。口を開けば努力、チームワーク、コミュニケーション。もっと楽しんで仕事してほしいですね。あれ、朝川部長、びっしょびしょじゃないですか」

「雨が酷くてね。あ、そうだ、君がやってるテクニカルセンターの改装なんだけど……」

部長と沖宮が話しこみながら歩く。二人の姿は廊下の角を曲がると見えなくなった。

ため息をついた。入社してから舐められないよう全力で戦った。消えた仲間の数は途中で数えるのを止めた。そうして二十代で管理職になる夢を叶えた。なのに、まったく嬉しくない。なにかが足りない。まだまだ足りない。

ストッキングを替えようとロッカー室へ行った。ロッカー室の重い扉を開けると、無菌室のように殺風景な部屋にロッカーが墓のように冷たく並ぶ。自分のロッカーへ着くとストッキングを脱いだ。濡れたストッキングを絞る。だらだら水が滴り落ちる。

ふと、床の上に何かが金色に輝いていた。目を凝らす。光り輝く名刺だった。全面が金色の名刺には、小田原駅前・栄町のスナックの看板でしか見たことのない耽美なフォントで「奇跡少年東京 小田原支店・水無月咲夜」と書かれている。

――女性向け風俗か。男に金を払って性感マッサージを受ける。後輩の女子たちがハマっているらしい。興味が湧いて調べたこともあったが、結局一回も行かなかった。だけど、この名刺っていったい誰が落としたんだろう。わざとらしく、ロッカーの目の前に置かれたような気がする。とにかく視界に入れたくない。

名刺をどけようと足を載せた。黒いストッキングの足から名刺がはみ出て妖しく輝く。わたしの足元に自分の知らない世界がある。そう思った瞬間、急に心臓が高鳴った。

真面目一辺倒で生きるとやがてどん詰まる。生真面目な同期ほどすぐ会社を辞めていった。そうだ、遊びを覚えれば生産性向上につながるかもしれない。屈んで名刺を拾い上げ、書かれていた番号に電話をかけた。呼び出し音が鳴る。一回、二回。緊張で喉が乾く。三回目の呼び出し音が鳴った。その直後、スマホのスピーカーから柔らかい女性の声が聞こえた。

「はい、こちら、女性の夢を応援・奇跡少年東京です」

声を聞いて緊張がふっと途切れる。

「申し訳ありません。本当に突然ですが、今日の夜に小田原駅前まで来てくれる子っていますか? 薄幸の美少年、できれば弟タイプのイケメンを紹介してほしいんですが」

ふと出た好みの男のタイプに、自分でも笑ってしまいそうになる。夫の見た目がまさにそれなのだ。放っておけば、この世ではないどこかに消えてしまいそうなタイプ。その夫は出張で家にいない。同居する両親には「仕事のトラブル対応で職場に泊まった」と言えばいいだろう。

2024年5月1日公開

作品集『サティスファクションセンター』第1話 (全2話)

© 2024 眞山大知

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