レオパレスキャッスル小田原抹香町

眞山大知

小説

6,579文字

地方住み女装男子の生き様を描きました。なお、小田原市の生んだ私小説家・川崎長太郎氏にささやかながら挑んでみました。

 この家賃四万円のレオパレスは、パン工場の借り上げ住宅だった。パン工場の作業員たちが家畜のように押しこめられ、会社の稼働日の朝になると、作業員たちは濁った目をさらして、パン工場へと続く砂利の路地をぞろぞろ歩く。作業員たちは時折、思い出したかのように発情し、互いに繁殖を始めた。一〇一号室の、あんぱん工程の女は、相手が誰だか分からぬ子を孕んでいた。これで二人目だと聞いた。相手のいない独身の男は、突然失踪するか、もしくはなにかしらの政治思想にすがりついていた。工場の非稼働日には、ケーキ工程の男が軍歌を歌う野太い声が、レオパレスの薄い壁越しに隣から、屠畜場に連れて行かれる豚のように、悲しくも騒々しく響いてきた。
 パン工場は、家畜たちの労働力だけを信用し、モラルには期待していないのだろう。だから、この家畜小屋へ勝手に住み着いて六年が経ったいまも、なにもお咎めがなかった。
 原神をやりたくて、買ってもらったXiaomiのスマホ。現実逃避するために、一度きりの人生を、無駄に消費するには、ソシャゲは最適だった――まさに現代のアヘンだった。それに、なろうもいい。読んでいるだけ、書いているだけで俺TUEEEって安っぽい万能感が手に入る。
 スマホの画面から、なろうの投稿実行のボタンをタップした。指を画面から離すと、さらに安っぽい万能感と興奮が入り交じる、ブロン錠をオーバードーズした時の感覚が、男だか女だか訳の分からないカラダを、瞬く間に駆けめぐった。
 万年床のマットレスに倒れこむ。枕に顔を埋めると、菓子パン工程で働く、部屋の主の匂いが染みついていた。ショーツに収まりきらないペニスが、硬い床へ、マットレス越しに押しつけられ、痛みが走った。ホルモンで萎縮した、チョコボールよりも小さい睾丸では、マトモに雄としての機能を果たせるわけがなかった。かわりに、プラセンタを飲んで大きくした胸からは、男のカラダから絶対出ることのない母乳が出るようになっていた。
 ただ女の格好をするだけじゃ、男の家に転がりこめない。2010年代に女装AVが流行ってから、男たちの目が肥えた。顔にメスを入れたり、ホルモンを摂取したりして、馬鹿にならない費用をかけて、カラダをこまめにアップデートしていった。そうでもしないと、男から求められなくなる。生きる価値を、認めてもらえなくなる。
 枕から顔をあげる。歪んだアルミサッシの窓の外には、見ているだけで胃酸がこみあげてきそうな、曇り空が広がっていて、真緑で高さが数メートルほどの小山があった――蓮上院土塁。かつて北条氏が豊臣秀吉との合戦に備えて築いた、総構の痕跡だった。その土塁の一部は凹んでいた。空襲で、米軍が爆弾を投下し無惨にえぐられたのだ。土塁の隣には、トタン屋根の、黒ずんだ、平屋が密集していて、幅が一メートルもない路地が、平屋たちの間に、無理にねじこまれていた。戦後の赤線――「抹香町」が廃墟となり、そのまま遺棄されていた。平屋は、「旅館」や「病院」だった。脇の寺は、投げこみ寺だった。町の名は、レオパレスにもつけられていた。「レオパレスキャッスル小田原抹香町」なんてスタイリッシュな名前は、現実を、初心者の下手な化粧のようにべたべたと覆い隠していた。そして、抹香町の西側には市街地がのっぺりと広がり、地平線には、箱根山の、威圧的で角張った山々が、空を塞いでいた。
 これでも、令和だった。たとえ、新宿から電車を使えば一時間だといっても、人口二〇万人弱の、地方都市というのは、やはり、時が止まった田舎だった。
 こんな、家畜小屋のレオパレスに住み着く自分も、だいたい、ろくな人間でなかった。東北の、田舎の、旧制中学だったということを偉そうに自慢する高校にいたころに、女装を始めた。男として生きるからつらい。女になれば、惨めさと向き合わなくて済む。逃げだった。ネットで、欲求不満の男を漁る日々が始まった。
 いい成績をとれば親に愛される。出さなければ、凍えるような冷たい目でなじられる。孤独だったが、ヤンキーになる勇気も体力もなく、かといって、不登校になる横着さもなく、週末は、高速バスで仙台まで出てきて、逃げるように、夜の街に溶けこんだ。夜の街よりも、昼の社会のほうがよっぽど、まがい物に見えた。うさぎ小屋のように狭いホテルで、男たちは優しく抱いてくれた。だから死なないで済んだ。高校は、下から二十番目の成績で卒業した。ちょうど、祖父が亡くなった。遺産をもらい上京したが、入学した量産型私立東京〇〇大学では、金持ちで陽キャの同級生たちに、連れて行かれた、新小岩の鳥貴族で、「イントネーションが気色悪い」とからかわれ、居場所は大学のどこにも見つけられず、半年で大学を辞め、かといって、田舎に帰りたくもなく、オフパコで出会った社長に誘われ、秋葉原のペンシルビルの、ウェブコンテンツ制作会社に転がりこんだが、給料を払ってくれなかった。社長はその後すぐ結婚した。都合のいい愛人にされていたのだった。捨てられたあと、金を稼ぐため、派遣社員として、平塚の、日産車体の工場に勤め、検査工程でひたすら車体の品質確認を、目で見てチェックしていたが、高卒の正社員からは「大学へ行ったくせに」といびられた。理解のある彼くんが現れ、寮から夜逃げするまで、時間はかからなかった。その後は、彼くんの家に住み着いて、整形、豊胸、ホルモン治療をして、カラダを改造し、費用は、時折、他の男のオナホになって稼いでいた。――自称小説家の無職。生産性のない、うんこ製造機。それでも、みっともない、自分を生きるしかなかった。
 擦り切れたタオルケットを被る。マットレスの隣で、理解のある彼くんの清晃きよあきは、毛玉のついた、カーペットに中古のノートパソコンを直に置いて、キングスマンを観ていた。
「また観ているの」
 清晃に話しかける。画面のなかでは、レナード・スキナードのFree Birdの、切り裂くようなギターソロが流れるなか、アメリカの田舎の教会で、スパイと、信者たちが、半狂乱になって殺しあっていた。こめかみに銃を一発。頭に一発。ナイフで目を刺す。斧で首を撥ねる。ぶっとい杭を、喉に突き刺す。
「いいじゃん、知樹」
 清晃があくびすると、抱いてきた。清晃の腋臭が鼻に入る。酸っぱくて、獣のような匂いだった。
 清秋の短い髪には、緑のメッシュが数本入っている。直線的な眉。角張って鋭い目。醒めた瞳。紫がかった薄い唇。さらに密着した。足を絡めてキスをしてくる。細い舌がねちっこく動く。
 低くなったそばがら枕。大量のティッシュとコンドーム。カーペットにはストゼロとモンスターの空き缶が数本。業務用の角の、4Lボトル。読みかけのメイドラゴン。イケアのサメ。デスクの壊れた液タブ。フォトフレームの、思い切り引き裂かれた清晃の家族写真。
 ここが、ささやかな愛の巣だった。生きるに生きれず、死ぬに死ねず、ふたりとも、そんな中途半端な弱者男性だった。こんな末路がお似合いだった。
 清晃の祖父は、沼津の、市議会議長だった。父は、祖父の金をもとに、ボクシングの興行を始めたが、金遣いが粗く、金の使い道も、理解しておらず、ベンツを乗り回すくせに、清晃と、弟には、「大学へ行かせる意味がわからない」と吐き捨て、成績が優秀だった清晃を、高校卒業後に無理やり就職させた。清晃が二〇歳のとき、父は破産し、両親は離婚した。
 突然、隣の部屋から「大日本帝国万歳!」と叫ぶ声が聞こえた。清晃は、唇を離した。
「うるせえ!」
 清晃が壁を振り向いて怒鳴り返すと、パソコンの音量をあげた。部屋を、銃声が満たした。
「天皇陛下、万歳!」
「んだよ、馬鹿の一つ覚えみたいに叫ぶんじゃねーよ!」
清晃は立ち上がり、父に鍛えられたという蹴りを、壁に入れた。清晃が罵詈雑言を叫ぶと、声は突然ぴたりと止んだ。銃声は止まない。まだ、正午にもなっていなかった。

 

 

*     *     *

 

 

 レオパレスに一人きりになった。清晃は駅前のシーシャバーへ行った。どうせ朝方まで帰ってこないだろう。テーブルの上からチョコチップスティックを持ってきて食べる。
 マットレスに寝転がって、原神をしていたらいつのまにか夕闇が、空を染めあげていた。言い知れぬ、怖さを覚えた。Xで、男をひっかけることにした。
 こういうことをしても清晃は絶対に怒らなかった。人肌を感じないと、自分に価値のあるように思えず、どうしても、半狂乱になってしまい、清晃がそのたびに慌てふためくし、どうせ、メンヘラで頭も悪いから、生きるため、体を売るなんて当然のことに思っていた。厳格な、公務員の両親のかわりに、甘えさせてくれるなら、本当に、誰でもよかった。自己愛を満たしてくれるのは、囲んでくれる男の本数、、と、ドーパミンの分泌量。それに、二桁いけばいいほうの、なろうのpv数。
 窓のそばに、姿見があった。そこに映る自分は、さらさらの髪で、腕も肩も骨張っていない。この男と付き合いたい女はいないだろう。雄としての価値がない。そして、絶望的なまでに、頭がからっぽだった。
 なろうを確認。pv数は、二桁にすら行かなかった。世界が、崩れ去りそうな感覚に襲われる。床に転がる薬袋からチュールみたいな、青い飲み薬を取りだした。素早く開け、液体の薬を飲んで、Xにポスト。
〈安定剤飲んだ。頭の中ぐちゃぐちゃ。やだやだメンヘラ治らないよ〉
 ポストして、たった数秒で、おぢが、DMで、気遣ってくれた。
〈どうしたん? 話聞こうか?〉
 思わず、笑ってしまった。ChatGPTでももう少し、考えて文章を打ってくれるだろう。このおぢは、小田原城の堀のそばに住んでいた。おぢといっても、同い年だった。つい三ヶ月前に、小田原に来たという。おぢのXを見る。メディア欄の写真には、富士山麓でソロキャンプするおぢの、どこかの政治家からコピペしてきたような笑顔があった。
〈さみしい。えっちすりゅ?〉
 返事を打った。
〈うん♡〉
 おぢは即答した。
 かまってくれた。要らない人間じゃないんだ。陰鬱な気持ちが、少し晴れた。
 すぐさま化粧ポーチを開く。整然と並ぶ化粧品は、商売道具だった。コンシーラーが、いつの間にか少なくなっていた。返ったら、またアマゾンで買わなきゃいけない。
 丁寧に、じっくり時間をかけメイクし、地雷系のワンピを着飾る。分厚い、黒光りするヒールを履いて、玄関を出る。霧のような雨が、降りだしていた。黒の、フリルのついた傘をさした。ゴミ捨て場には、誰が捨てただろう、甲類焼酎のボトルが、二本も転がっていた。少なくても清晃のものではなかった。清晃が飲むのは角のボトルだから。
 乳剤塗装の、砂利が固められた道を歩く。雨が、舌をおろして小田原の街を舐めていた。町割は、北条氏がこの街を作った室町時代からあまり変わっていない。
 直線上の、碁盤の目状に張り巡らされた通りを進んで、直角に数回曲がると、お堀端通りについた。通りの脇に掘があり、その向こうには、小田原城が、白くライトアップされ、輝いていた。騒々しいほどの光量で照らされた小田原城から、長い傘を持った、外国人の観光客の男二人が、真っ青で、巨大なバックを背負って出てきた。二人は、堀にかかる、めがね橋を、堂々と手を繋ぎ渡っていた。羨ましいと思った。
 通りぞいに、小さな、それでいて洒落たマンションがあった。階段をあがり、おぢの部屋に向かった。チャイムを鳴らす。しばらくしてドアが開き、おぢが現れた。メガネ、黒く。すすけたスウェット。目を擦ると、「待ってた」とつぶやいた。
数回も会うと、男は気を許して、素が出てしまう。
 おぢは、手をそっと握ってくると、部屋にひきこんできた。
 リビングにはブラウン地のシャギーラグがひかれていた。真っ赤な革張りのソファには本が置かれていた。「ディープラーニングの理論と実装」という名の本は、なぜか表紙に、魚の、リアルなタッチの絵が書いてあった。おぢは、自動車メーカーの社員だった。もともと研究所のある愛甲石田に住んでいたが、企業城下町だったため、会社の知り合いと休日も顔を合わせる機会が多く、うんざりして、小田原に越してきたのだという。
 窓のそばには、デスクとゲーミングチェアが置かれていた。在宅勤務するときは、ここで仕事をするのだという。窓の外からは、小田原城の、白い光が差しこんでいた。
 ソファに座る。おぢは、後ろから肩をつっついてきた。
「なんか飲む?」
「スクリュードライバー」
「好きだねえ」
 おぢがねちっこく言うとキッチンへ向かった。冷凍庫から氷、棚からウォッカ、冷蔵庫からオレンジジュースを取りだす。素早い手つきでグラスに氷をいれると、ウォッカとオレンジジュースを混ぜ合わせた。おぢは、綻んだ顔をして戻ってくると、本を手に取った。一瞬、動きをとめると、本をどけて、ソファに座った。
「おまたせ」
 おぢはグラスを差しだした。手にとると、一気に飲み干した。体がふわふわとしてきた。
「最高なんだけど」
 おぢの体に手をまわす。おぢのカラダは、酒を飲んだあとのように温かった。
「また、こんな地雷系の服なんてきて」
 おぢは、スカートに手を差しこんできた。
 それから、くすぐったいセックスをした。スクリュードライバーの酔いはさらに回って、曖昧で、ふわふわした、酩酊感と、下半身の快楽が、世界を包みこんでいた。
 気がつくと、寝室のベッドの上にいた。裸で寝ていた。いたるところが、体液でまみれ、ヌルヌルしていた。乳首に触れ、指を見ると、微かに白い液体がついていた。母乳だった。時計を見ると、深夜の二時だった。
 シャワーを浴びようと寝室を出る。リビングを通ると、おぢは、ゲーミングチェアに座ってPCの画面をじっと見つめていた。脇には、深層学習の本が転がっていた。画面に映っていたのは、パンダのキャラクターだった。パンダは、つぶらな瞳を輝かせ、「社会と他人は変わらない。変われるのは自分だけ。みなさんも、人生を他人のせいにしないで、自分でできることをどんどんしてきましょう」と、まくしたてるような早口で説いた。おぢは、苦しそうな顔をして、画面を見ていた。
「そんな苦しい顔をして、勉強する必要ってあるの?」
 おぢの後ろ、ゲーミングチェア越しに、手を回して抱いた。
「会社に、見捨てられないために、頑張らなきゃいけないんだよ」
 おぢは、諦めきったようにつぶやいた。
 テーブルの脇に、社員証があった。写真のなかのおぢは、まだあどけない顔をしていた。おそらく、新入社員時代の写真だろう。
 社会に揉まれる人間にとって、心身と人権を会社に捧げても、社員証という、家畜の名札をぶら下げるということは、見捨てられる恐怖から逃れる手段なのかもしれない。もしかしたら、このおぢの成れの果ては、レオパレスの軍歌おじさんかもしれない。すがりつく対象が会社か日本か、自己愛の源泉が正社員か日本国民かの違いがあるだけで、おぢと軍歌おじさんは、そこまで違う人間でないと感じた。
 シャワーを浴びて着替えたあと、おぢが財布から、金を出してくれた。いつもより、チップを弾んでくれた。評価された。しばらく、死なずにいようと思った。

 

 

*     *     *

 

 

 レオパレスに帰ると、清晃がPCでジョーカーを観ていた。
「ただいま」
「いくらもらってきた?」
「三万」
「よかったじゃん」
 清晃は、業務用の4Lボトルから、角を、丸っこいグラスに注いだ。
「飲む?」
 清晃がグラスを差しだした。
「いいかな。もう飲みまくったし」
「そっか」
 清晃は少し残念そうに言うと、グラスに口をつけた。PCの画面のなかで、ジョーカーは、高笑いしながら、天を仰いでいた。
 清晃はいきなり抱いてきて、キスをした。酒が、口から流しこまれた。酔いが回る。口を離して文句を吐いた。
「酒はいいって言ったのに」
「いいじゃん、まんざらそうでもなさそうだし」
 清晃の目には、ほんの少し、うっとりとしていた。
「もう」
 清晃の頬を、軽く叩いて、万年床のタオルケットを被る。スマホを開いて、天気予報を見る。明日も雨が降るらしい。
 うとうとしてきた。目をつむる。寝ていたら、必ず明日が来る。おじのマンションにも、こんな家畜小屋のレオパレスにも。

2024年3月16日公開

© 2024 眞山大知

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