島田君の話をしよう

合評会2024年01月応募作品

河野沢雉

小説

4,480文字

合評会2024年1月参加作品。あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。勘の良い方は島田君のモデルがすぐ判るかと思います。サイコパスと言えば彼です。鉄板です。でもそれだけでは終わらないのが本作です。

島田君は小学校の同級生で、一人っ子だったからか、いつも三人姉妹の私を羨ましがっていた。特に姉のノリコには並々ならぬ思いがあったようで、ノリコの写真をくれと執拗にせがんできた。結局私はその要求をはねつけたのだが、理由は覚えていない。単に気持ち悪かったからか、姉に伺いを立てて断られたからか、あるいはどうして私じゃなくノリコなのかという嫉妬にかられたのか。理由はいくらでも考えられるが、今となっては定かではない。

姉がだめだと判ると、今度は妹のサヤに入れあげ始めた。サヤはわりと大柄な姉二人に比べるとちっちゃくてかわいくて、男の子は好きなんだろうな、と思った。島田君はサヤの写真も欲しがった。私はその要請を断ったのだが、「欲しいのなら本人に言え」という言葉を真に受けたのか、島田君はサヤへの直談判に及んだ。

しかし後で妹から話を聞くと、島田君はサヤに「ナナの写真をくれ」と言い放った。つまり私の写真を所望したそうだ。ふざけんな、と怒り心頭に発した私は島田君を締め上げてやろうと息巻いて学校へ行った。ずかずかと島田君の席に行き、胸ぐらを掴まんばかりの勢いで言った。

「欲しいんなら直接私に言え」

そう言って私の写真を叩きつけた。三年の林間学校で撮った、過去一写りの良い写真だった。

 

島田君は猫背で脚を引きずるような独特の歩き方をした。ある日私の席へやって来て、言った。

「ナナの姉ちゃんってさ、来年中学校でそ。部活なにやんの?」

ノリコは中学校では吹奏楽をやりたいと言っていたから、そう伝えた。島田君は「ふうん」としきりに頷きながら、猫背を見せて去っていった。

それから一週間くらいして、島田君は嬉々として報告してきた。

「俺、メダカ飼い始めたんだ」

どういう風の吹き回しだろう。

「金魚とか亀も考えたんだけどさ、メダカって西日本と東日本で種類違ったり、一匹何千円もする品種もいるんだって。研究するなら奥が深い方がいいと思って」

研究とは大袈裟だな、と思ったが、その年の夏休みが終わり、廊下にみんなの自由研究が展示された。ふと島田君の自由研究が目に留まる。「メダカの観察記録」と題されたそれは画用紙八枚の表裏にわたる力作だった。一ページ目にはこうあった。

 

メダカの名前

ノリコ……お姉さん。水そうのリーダー。

ナナ……オス。強い。

サヤ……いちばん小さい。すぐ死にそう。

 

他人の姉妹の名前を勝手に付けて、しかも私はオスって何なの。

ページをめくる。ノリコは夏休みの間に百個以上の卵を産んだらしい。そのうちの半分が孵り、さらにその半分が生き残って成長中なのだそうだ。

最後のページ、まとめのコメントを締めくくる一節に、私は混乱した。

「人間のノリコは何を飼うのだろう。いっしょに研究してみたい」

人間のノリコって姉のことか? 姉が何かを飼うなんて聞いた覚えがない。私は震える手で「メダカの観察記録」を閉じた。

 

ペットといえば、私は小さい頃から犬猫にアレルギーがあったので、どちらも飼えなかった。私が生き物を飼いたいと言うと、母はメダカや金魚や亀をすすめてきたが、私はそのどれにも興味がなかった。ペットなんて、毛が生えててモフモフしてて、時々鳴くのがいいんじゃないか。

それでハムスターを飼った。母とペットショップに行き、軽く二時間ほど迷った末、ジャンガリアンハムスターを買ってもらった。マロンと名付けて毎日世話をした。

ハムスターは二、三年しか生きないと聞いていたので、近いうちにお別れが来るのだとは覚悟していた。だけど飼い始めてわずか三か月、最初の冬を迎えたとき、無情にも別れはやってきた。十二月初めのある朝、マロンはケージの中で動かなくなっていた。

私はマロンを庭のシマトネリコの根元に埋めた。それからしばらくは、学校でも授業中や休み時間や給食の時間にふとマロンのことを思い出しては涙を流した。

「なんで泣いてんの?」

最初に私に声をかけてきたのは、よりにもよって島田君だった。マロンが死んだ経緯を話すと、島田君は少し考えるような素振りをしてから、言った。

「それ、死んだんじゃなくて、寒くなったから冬眠しただけじゃね?」

つまり私はマロンを生き埋めにしたのだ。生き埋めという表現を使ったのは私じゃない。島田君だ。

「大丈夫、野生でもないハムスターが冬眠したら、どのみち死ぬことが多いから。ナナがとどめを刺したってだけで、結果は同じだよ」

私はそれでワッと泣き出した。みんなが集まってきて大丈夫? どうしたの? と口々に尋ねてくる。激しく嗚咽する私は何も答えられない。みんなに慰められて泣き止む頃には、島田君は他の女子のところでカービィのゲームの話で盛り上がっていた。

 

ほどなくして、島田君の一連の不可解な言動に通底する理由が、わかった。

ノリコが吹奏楽を始めるという私の話を聞いて、島田君は「水槽学」と勘違いしたのだ。水槽で飼う生き物を研究するのだと思った島田君は、甲斐甲斐しくも姉と共通の趣味を持つべく水槽学に傾倒し始めたのである。

壮大なる勘違いに気付いたときの島田君の動揺ときたら、なかなか深刻であった。思い詰めた顔でアメリカザリガニを捕まえてきて水槽に放ち、ノリコもサヤも、ノリコの子供たちも悉く捕食させてしまった。ナナがザリガニの餌食にならなかったのは、その頃には既に鬼籍に入っていたからである。「メダカの観察記録」によれば、

 

八月二十七日

ナナの元気がない。おなかがへっこんで、エサもあまり食べていないみたいだ。

 

八月二十九日

ナナが死んだ。ごはんにかけるしらす・・・みたいな色になって水そうの底に沈んでいた。

 

小さくてすぐ死にそうだったサヤを押しのけて、真っ先に逝ってしまったナナ。同じナナとして私は同情を禁じ得なかった。

一方で、結果論ではあるが、ザリガニの巨大なハサミに捕らえられ、生きたまま頭から齧られる運命を思えば早々にその命を全うしたナナはまだ幸せだったかもしれない。

 

私は庭のシマトネリコの下に立つマロンの墓の隣に、ナナの墓標を立てた。そこにナナは眠っていないが、しらす・・・になってしまったナナを弔うのは私しかいないと思った。

事情を知らない母が「ナナのはか」を発見して驚愕したのは言うまでもない。私はいちいち島田君の勘違いだとか夏休みの自由研究だとかを順を追って説明するのも面倒で、「私が死んだらここに葬って」とだけ母に告げた。

ちなみに私はその頃まだマロンが冬眠していて、春になったら土を掘ってひょっこり出てくるんじゃないかと思っていたから、マロンの墓は出来るだけそっとしておいた。

匂いを嗅ぎつけた猛禽類や野犬やキツネや蛇がやってきたら面倒だ。野生のハムスターは天敵が多くて大変だな、と思った。

二月の終わりくらいだったと思う。マロンの墓に起きている異変に気付いたのは、母を手伝って庭の掃除をしていた時だった。ふと墓を見ると、真新しい土がその上に盛り上がっている。もしやマロンが目覚めたか、と思ったが、未だ外界は厳寒である。いま冬眠から目覚めたところで死が待つのみだ。

野犬か野良猫が掘り返そうとしているのかも知れない。心配になった私は、学校の支給タブレットで毎晩庭の様子をインターバル撮影した。

夜闇の中に写っていたのは人間だった。暗くてはっきりとは判らないけれど、受け口で絶壁のシルエットや特徴のある歩き方は紛れもなく島田君だった。

島田君は、三日に一度くらいのペースでやって来て、マロンの墓を掘り起こしてはまた埋め戻して帰っていった。

近所のガキの仕業とはいえ、一応住居侵入にあたるので母が島田君の親を通じて島田君を家に呼びつけた。母、私、そして姉と妹に詰められた島田君は、何故か嬉しそうだった。

「他人の家の庭に勝手に入って、墓を掘り返すなんて、どういう料簡?」

島田君は悪びれる様子もなく「やっぱまずかったですか」と言う。今にも掴みかかろうとする私を引き止めて、母が「まずいに決まってるじゃない」と言った。

それに対する島田君の反応には、家族全員開いた口が塞がらなかった

「じゃあ次は皆さんに言ってからやります」

 

 

姉のノリコが旦那と別れたと聞いたときには、さもありなんという感想しか持てなかった。四歳の娘と二歳の息子を連れて嫁ぎ先から逃げるように出てきた姉は、大変ながらもどこかせいせいした様子で、実家の仏間に大の字に寝転がって「あーもうどうでもええわ」と誰にともなく発した言葉をそのまま天井に投げつけていた。

そして仏壇の上の長押に居並ぶじいちゃんやばあちゃんの隣から見下ろしているサヤのしけた顔を見やって、「あんたは早く逝って正解だったよ」と嘯いた。

そうだろうか。私はノリコよりも遅く結婚したが、早々に離縁されて出戻ってきた。婚家は悪いところではなかったが、どうしても旦那とソリが合わなかった。このままでは旦那の精神が参ってしまうということで、体よく追い出されたのだ。別れ際には良くしてもらった義父母にさえ散々に言われたが、それでも死んだ方がましだとは思わなかった。

メダカのきょうだいと違い、人間のサヤは身体の大きさに比例して生命力が弱かった。二十歳そこそこで難しい病を得、あっけなく他界した。浴びるほど酒を飲み、たばこを呑んでもいっこうに身体を壊す気配のない私だけど、決して代わってあげようとは思わなかった。

 

島田君が訪れてきたのは、姉が出戻ってから一週間ほど経った頃だ。高校卒業以来だから、十五年振りくらいになる。

彼は十五年前と変わらない受け口と絶壁と、脚を引きずるような歩き方でいきなり玄関先に現れた。

「島田君? どうしたの」

「いや、ノリコさんが帰ってきたと聞いて」

こいつはまだ姉に拘っているらしい。兎に角あがれ、と私は島田君を家に招じ入れた。

母が出かけていたので、私がお茶を淹れた。居間ではノリコの子供たちがぎゃあぎゃあ騒いでいる。ノリコは今朝方台所の戸棚に日本酒の一升瓶を発見し、父に無断でしこたまかっ喰らって今は二階のかつての子供部屋で正体なく寝ていた。

「しけた顔ね」

私はまとわりついてくる子供たちを蹴散らしながら、言った。島田君は隣の仏間に並ぶ遺影の末席に小さく佇むサヤの写真を見上げ、なんとも寂寞とした顔をした。その澄んだ瞳は涙ぐんでさえいた。

「可哀想に」

湯呑みから立ちのぼる湯気を見つめながら呟く島田君に、私は酷く苛立ちを覚えた。

「死んだやつなんか今さらどうなるわけでもないだろ。それよりノリコなら二階で酔い潰れて寝てるから今ならやれるぜ」

島田君は憎しみを湛えた目で私を睨んだ。いいよ、その目だよ、私が見たいのは。

子供たちは相変わらずぎゃあぎゃあ騒いでいる。島田君は懐から一葉の写真を取り出して、卓袱台に置いた。

「これ、返すよ」

小学生の時、あげた写真だった。林間学校のワンシーンで、私は仏頂面をしている。私はなぜあの時、これを過去一写りの良い写真だと思ったのか、全くわからなかった。

2024年1月9日公開

© 2024 河野沢雉

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"島田君の話をしよう"へのコメント 15

  • 投稿者 | 2024-01-12 00:39

    千年くらい生きてみないと仕方が無いんじゃないかなぁと思うね。文字の配置が素晴らしいので読んでみる気になった。よろしく。

    • 投稿者 | 2024-01-12 19:23

      コメントありがとうございます。千年生きたらそれはそれで色々とこじらせそうですね。でもどんな風景が見えるのか気になります。

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-19 21:02

    読んだ後に背筋の凍るような、それでいて胃酸がこみあげるような気持ち悪さがしばらく残りました。こんな友達欲しくない……。もし間違っていたら申し訳ありませんが、島田君のモデルってサザエさんの堀川君でしょうか? 

    • 投稿者 | 2024-01-20 01:09

      さすがです。正解です。

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-20 14:34

    自由研究のメダカにクラスメイト女子とその姉妹の名前を付けて、挙げ句発表までするあたり、主人公は完全に破滅しています。小学生でそれはもう運命です。こういう引力が破滅派なのかと。ところが二章ではナナさん(メダカの名前で知らされるなんて……)のほうが破滅してしまっている。運命力を発揮した自由研究に影響されるようにノリコは子どもを作るが、死んだはずのナナは生き、現実ではサヤが死んでいる。(本当にナナは「生きている」と言えるかは分かりませんが、)そうやって運命を破り捨てられたから、主人公はまともになれたんだって思いました。やっぱり人の運命は作家が握っていますよね?

  • 編集者 | 2024-01-25 09:45

    時に無垢さが残酷に思えるのは、社会が歪んでいるからかもしれないと思うこともあります。堀川くんがモデルだとはわかりませんでしたが、今作は幼い時から大人になったときにサイコパス感が逆転する構造が見事だと思いました。

  • 投稿者 | 2024-01-26 10:31

    サザエさんの堀川くんですよね?と思いましたがインターネットで噂されてるのしか知らないんですよね……。本物の堀川くんを私はまだ知らない。
    今回は、誰がまともなんだ? まともってなんだ? これはサイコパスなのか? そもそもサイコパスって? と考えさせるられる話が多いですね。特に沢雉さんの話は構成がおもしろくて良かったです。

  • 投稿者 | 2024-01-26 16:39

    みなさん、もう言及されてますが、あ、堀川君だ、となりました。
    あやつの未来はどんな人間になってるのでしょうね

  • 投稿者 | 2024-01-27 00:13

    登場人物の異常さというよりは、自分としては小学生時代の人間関係が成人後もまだ継続している、その地元の呪縛みたいなものの方にぞっとするものがありました。自分はそういう環境ではなかったので。なのでサイコパスを書いた作品と言うよりは、そういう腐れ縁的な、いつまでもくっついてきて切れない嫌な人間関係の話として読ませていただきました。

  • 投稿者 | 2024-01-27 10:04

    島田くんは異常なのですが、どこか明るく天然なところが憎めず魅了されました。また、彼はアクションを起こし続ける人でもあるため終始目が離せません。これからどんな老人になっていくのか楽しみです。

  • 投稿者 | 2024-01-27 11:15

    素敵なキャラクター島田君。嫌悪感あるけれど、愛着をつい抱いてしまう。

  • 投稿者 | 2024-01-27 11:36

    水槽学!
    ここで笑いのツボに入ってしまい、後ろを読むのに難儀しました。
    子供の頃のエピソードは本当に子供の視点で描かれていてすごいと思いました。シマトネリコの雲のような白い花の下の小さなお墓を想像しました。

    大人になってからナナちゃんの方がサイコパス的ですね。家族の物語、姉妹の物語として読んでも楽しめます。

  • 投稿者 | 2024-01-28 02:13

    サザエさんにサイコパスが出るんですか。すごいですね。
    メダカの水槽にザリガニを投下するのが激熱です。胸アツです。かっこいいです。動揺してたとはいえ。

  • 投稿者 | 2024-01-28 11:35

    島田君は不器用だけどいい奴ですね。ハムスターが生きてるかもしれないと思って確認に来るし。サイコパスはナナだったんですね。旦那が参ってしまった原因もそこにあったと。

  • 投稿者 | 2024-01-29 00:13

     少女期から大人になるまでの間にはみんないろいろあるだろうから、そうすんなりと話が連続するものだろうかと感じた。場面転換も掌編にしては多く、ごちゃついた印象を受けた。島田がノリコに執着する理由を示してほしかった。作者の都合で妹を病死させた感じがした。でも内容は面白く、着地点も上手い。終わりよければすべてよしってことで、いろいろといちゃもんをつけたことはご容赦を。

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