サステイナブル・ライフ

合評会2022年01月応募作品、合評会優勝作品

河野沢雉

小説

3,855文字

2022年1月合評会参加作品。皆さんも地球と人類の未来に思いを馳せてみませんか。

外線一番が鳴る。

窓の外では深まった秋が枯れ葉を舞い散らせている。

微妙に昼休みに突入した時間にこの鳴り方はクレーム電話だな、と確信する。長くこの仕事を続けていると、同じ音のはずなのに、電話の用件によって呼び出し音の鳴り方まで違って聞こえるようになる。家でもセールスや詐欺電話がかかってくるとそれと分かるので、「あ、それ出なくていいよ」と家族に教えている。たまに僕を信用しない母が「○○さんからかかってくるはずなのよ」と言って受話器を取るのだが、出てみるとやはりセールス電話なので、その的中率に家族からは気味悪がられている。

「はい、○○市役所施設課です」

なるべく警戒心を表に出さないよう、機械の自動応答のように喋る。

「あなた、名前は?」

他人の名前を聞くなら先ず自分が名乗るべきだろう、という正論は置いといて、どう考えても可愛い女の声なのに喋っている内容が不躾だから台無しだ。

「はい、立原と申します」

「立原さん、おたくの駐輪場からの通用口、未だに蛍光管なんですけどどうなってるんですか?」

悪いのは市長だ。自らの指導力アピールのために市の施設をすべて白熱灯・蛍光灯からLEDに変更するとぶち上げて派手に市報で宣伝したものだから、変更されてない場所があるとこうして施設課にクレーム電話がかかってくる。

「あの通路はですね、特殊な配線をしてるので通常のバイパス工事ではLEDを取り付けられないんです。なので来年度の予算で工事費用を……」

「いいですか、立原さん、世の中はもうSDGsなんです。役所が率先して環境負荷を減らしていかないと、人類に未来はないんです」

この女、市役所職員の間でも有名なクレーマーで、毎日のように電話をかけてきては持続可能社会の実現のために長広舌を振るう。たしか名前を松野といった。

持続可能社会なんて知らんがな、と内心では思う。なんならSDGsを佐渡島さどがしまと読んで馬鹿にするくらい、個人的にも興味はない。

「そのくらい、現場の裁量でなんとかならないんですか? おたくのやる気がないだけじゃないんですか?」

「いえ、私どもは市民の皆様の大切な税金をお預かりして仕事をさせていただいている立場ですので、議会で決められたこと以外はできないんですよ」

「じゃ立原さんは市議会がウンコ食えって言ったら食うんですか? 死ねって言ったら死ぬんですか?」

可愛い女の声で言ってることが全然可愛くないのが逆に可愛げがあっていい。いや、いいわけねーだろ。

「とにかく松野様のおっしゃることは貴重なご意見として承りますので……」

「私名乗ってませんけど。なんで名前知ってんですか?」

しまった、と思うが時すでに遅し。

「おたく、個人情報の管理に問題あるんじゃないですか? ちょっと、今から苦情言いに行きます」

あ、まって、と言う間もなく電話は切られる。苦情ってどこに行くんだ、と慌てて市の公式サイトを調べてみる。こういう時でもないと市の公式サイトを見る機会はないので、勝手が分からず求める情報にたどり着くのに時間がかかる。個人情報の取扱に関する苦情窓口。市民課。一階。

 

一階へとダッシュした。

市民課の窓口の前で待ち構えるが、それらしい人の姿は見えない。しばらくして、窓口に向かって立原、立原と連呼している女に気づいた。SDGsを訴えるクレーマーというからアフロヘアでヒッピーみたいな格好をしたおばさんを想像していたが、なんとまあ小ぎれいで年の頃は十代といってもおかしくない女だった。

「松野さんですか。私が立原です」

「あ、見つけましたよ。さあ蛍光灯を交換してください」

「ですからお電話でお伝えしたとおり、今は交換できないんです」

「交換が出来ないなら、消しておけばいいじゃないですか」

常時消灯しても問題ない場所ではある。が、東日本大震災後の過剰な節電対策の折、消灯していた通用口でおばあさんが転倒して怪我をした。軽傷だったが、おばあさんの家族が当時付き添いをしていたデイサービス業者にクレームを入れ、デイサービス業者が市役所にクレームしてきた。それ以降、通用口は常時点灯と決まっている。

市長のせいで、市ではもう蛍光管を購入できない。つまり今ついてる蛍光管が切れればLEDしか買えないので工事してLEDに切り替えるか、工事できるまで消灯しておくしかないのだ。だが通用口の蛍光管はもう五年以上経つのに切れる気配がない。

それを説明すると、松野は我が意を得たとばかりに言った。

「じゃ私が消して差し上げます!」

松野は通用口に向かってダッシュする。僕は嫌な予感がして追いかけた。

通用口につくと、松野は持っていたバッグからみかんを取り出して投げ始める。みかんでも直撃すれば蛍光管を割るかもしれない。僕は松野を後ろから羽交い締めにし、近くにいた職員に警備員を呼ぶよう言った。人に危害を加えようというのではないから、警備員が来るまで放置しても構わなかったのだが、万一蛍光管を破損すれば立派な器物損壊罪が成り立つ。どうしてか、僕は松野の件を警察沙汰にはしたくなかった。

 

松野を警備員に引き渡すまでの間、僕の掌は綿シャツ一枚を隔てて華奢な松野の肩を押さえ続けた。みかんを拾って投げようとする度、松野の肩関節は滑らかに動き、軟骨の擦れる音まで伝わってくるようだった。松野が振り乱すチャコールブラウンの髪からはふわっとした石鹸のような匂いがして、僕は何度も羽交い締めを緩めそうになった。

松野が少女のような声で僕に罵声を浴びせると、震える喉と肺のうごきが松野の背中に接した僕の胸にダイレクトに響いてくる。あ、これ骨伝導ってやつか、と妙に冷静に思ってしまう。

何度かみかんを投げるうちにみかんの皮が破れ始め、石鹸の甘い匂いに柑橘の爽やかな香りが混じってくる。

「あー何やってんの」

相撲取りのような体型の警備員が現れてそう言ったとき、僕は自分が問われているのかと錯覚した。

確かに、僕は女の肩を抱いて、ぴったりと身体を沿わせて、何をやってるんだ。

次の日から、僕は毎日松野に会うようになった。

会って、地球と人類の未来について語り合った。討論もした。一緒に活動もした。

もともと、そっちの方の才能があったのだろう。ボランティアや篤志家をまとめあげ、素人のままごとにしか過ぎなかったSDGs活動をより現実的なものへ変えていった。スポンサーを集め、メディアに露出し、政治家にロビー活動をした。佐渡島でのチャリティーマラソンを企画し、環境に配慮した栽培方法で生産したみかんにブランドをつけて売った。髪型をアフロに変えてテレビ番組にゲスト出演もした。三流コメンテーターが「来年までにすべての光源をLED化? そんなことできたらウンコ食ってやるよ」と馬鹿にしてきたので、翌年ウンコを食わせてやった。残念ながらウンコを食っているシーンは本放送ではカットになった。

 

「松野さん、この部分、『私たちが世界です』はちょっとまずいんじゃないかなあ」

冬が近づいて、すきま風だらけの部屋は少し肌寒くなっていた。僕は松野と同棲して五年が経つのに、未だに松野のことを松野さんと呼んでいた。松野は僕のことを立原さんと呼んでいた。

「大丈夫かい? ぼうっとして。明日のパネルディスカッションの原稿、もう仕上げないと」

松野は面を伏せた。見れば手元の作業はさっきから止まったままだ。両手を机の上に乗せてさえいない。印刷所から段ボールいっぱいに詰められてきた栞にリボンを結びつける内職だ。

「立原さん」

松野は俯いたまま、両手を膝の上で白くなるほどきつく握りしめた。

「私、SDGs活動やめます」

「え」

どうして、という問いに、松野はついに答えなかった。ただ、やめる以上はもう僕とは一緒に居られないとか、仲間に迷惑をかけて申し訳ないとか、僕のことは本当に好きだったとか、そういうサイドストーリーばかりに言及した。

僕はしつこく理由を訊き続けたが、そのうち松野を問い詰めている自分がとてつもなく嫌な奴に思えてきて、アパートを飛び出した。五年間一緒に住んだアパートの階段を一歩下る毎に、ごんごんという音が太く鈍くなり、スローモーション画像の再生速度が次第に遅くなっていって心臓と一緒に止まってしまうのではないかと錯覚した。

蛍光灯にみかんを投げつける松野を羽交い締めにしたときから始まった僕の活動は、その晩秋の日に終わった。僕は波をかき分けて進む船のように、引きずる足で落ち葉の海を踏みしだきながらあてもなく歩いた。仕事を探さなければ、と思った。

僕は中くらいの貿易会社の事務職員として中途採用された。SDGs活動で鍛えた英語と書類処理能力がものを言った。

「立原さん、ランチ行きましょうよ」

同僚が席を立って誘ってくる。見れば、そいつの机ではモニターもデスクライトもつけっぱなしだった。

「ちょっとまだ出られそうにないから、ごめん」

同僚が出ていったあと、僕は彼のごみ箱を漁り始めた。まだ使える裏紙やちびた鉛筆が、捨てられていた。

市役所勤めで身に染みついた吝嗇癖はなおも健在だった。あの頃は余分な電気をつけっぱなしで席を立つと、必ず上役に見咎められ、注意された。まだ使える文房具があるのに、新しいものを買う稟議など絶対におりなかった。

外線が鳴り始めた。

僕は電話機に目をやった。この時間にこの鳴り方は間違いなく客からの怒りの電話だな、と直感した。僕は着信を聞かなかったことにして、モニターとデスクライトを消灯し、上着を手に取った。

 

2022年1月20日公開

© 2022 河野沢雉

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"サステイナブル・ライフ"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2022-01-25 09:20

     鈴木沢雉さんの「サステイナブル・ライフ」は、主人公の男性がたまたま知り合った女性と恋仲になり、二人で環境問題に取り組むが、やがて彼女から別れを告げられるという内容。/掌編小説は数分間から数時間、長くてもせいぜい数日間の時間枠の出来事としてまとめるのが基本であり、数か月、数年にまたがる話は基本的に長編の素材となる。そのため、本作の前半部分は小説としての基本が守られているが、後半部分はあらすじを読まされている感じになり、読者が作品世界を疑似体験することが難しくなっている。新人賞などに応募した場合、時間枠についての約束事を守ることは予選通過か落選するかの分かれ道になることが多いことを留意されたい。/女性は環境問題に敏感だという設定であるなら、食べ物(みかん)を粗末に扱ったり蛍光灯を壊そうとする行動は矛盾していないか。軽犯罪ではあるがテロ的行為に走ろうとする女性に主人公が恋愛感情を持ってしまうことについての納得できる理由が欲しい。

    (以下は他の投稿作品についての寸評です。参考になれば幸いです。)
     オニダルマオコゼさんの「蛍光灯を交換する女」は、女性探偵が知人である美術品泥棒から持ち込まれた高価な彫刻作品の消失事件について推理し真相を突き止める内容。/現代小説では一場面一視点が原則とされており、たとえ三人称スタイルであっても登場人物の誰かに視点を固定し、その人物が見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたことなどを描く形で進行させることがいわば約束事となっており、現代のほとんどのプロ作家はその手法を採用している。本作は旧式の作者の視点(あるいは神の視点)が使われているが、新人賞の予選などでは著しく不利になることを承知しておくべき。作者の視点は文章がどうしても説明臭くなり、作者の語り口調を通じて物語に触れることになるため又聞きのような形になってしまって臨場感にも欠けるという短所を抱えている。/話の途中でいったん過去に戻って事件発生時の状況が描かれ、再び現在に戻って、最後に後日談という四段階の構成だが、現在と過去を行ったり来たりする構成は読者にとってごちゃついた印象になり余計な負担をかけるため、たいがいの新人賞で低評価ポイントとなる。現在進行の会話劇の中で事件発生時の状況も伝えることはできたはず。小説現代のショートショートコンテスト入選作などを見ても明らかなように、掌編小説は一場面で描ききる工夫が求められている。/彫刻像の大きさや重さなどが示されていない。石柱に彫る、とあるので結構な重さであり、一人で運べるのかという問題も浮上する。また、彫刻が忽然と消えたという設定ならば、例えば塩や砂糖を固めてそっくりなレプリカを作りそれに水をかけて短時間のうちに溶かして消したのではないか、高性能のホログラム映像だったのではないか、見る角度によっては背景の壁に溶け込んで何もないと感じてしまう錯視トリックを取り入れた彫刻だったのではないかなど、さまざまな可能性を提示することで読者を楽しませるチャンスがあったように思うのだが。/問題の彫刻が億単位の値打ちがあるという設定であれば、保管場所には監視カメラや赤外線感知器が備わっていないと不自然。一般のマンションや企業でさえ顔認証や瞳の虹彩、手のひらの血管模様などを利用したセキュリティシステムが普通に採用されている時代である。警察の捜査状況にも触れておきたい。終盤、事件は窃盗未遂事件として収束したとあるが、持ち出したのであれば未遂ではなく既遂になるはず。
     西向小次郎さんの「仕事が済んだら、仕事だぜ。」は、蛍光灯を買うことを頼まれた男が手間賃の計算をしながら行動する話。/落語のような味わいがあり、視点や時間枠なども掌編小説の基本が守られているが、男が何者なのか、自転車で買いに行けば安く済んだのてはないか、この結末でオチになっているのかなど、詰めの甘さを気にする読者が多いはず。例えば、京好糖という地元の老舗菓子を買って来るよう頼まれたのを蛍光灯と勘違いしてしまったが、アクシデントが重なって結果的に京好糖を持ち帰ることになって丸く収まったなど、物語を面白くする方法がいろいろとあったはず。
     わくさんの「ビンスとのおもいで」は、高校時代のちょっと風変わりな同級生と再会したことがきっかけでつき合いが始まり、アパートに居候をさせ、互いに人生の目標を見出すが、アパートの取り壊しによって別れのときがやってくるという展開が主人公の独白によって語られる。/途中で友人ビンスの独特の人生観が提示されるため、読者はそれがオチにどう関係するのか、どういうふうに伏線回収がなされるのかと期待する。その期待を上回る着地点を用意できないのであれば思わせぶりな設定をしない方がいいのではないか。/いわゆるバディものを書く場合、相棒二人の立場や性格がまるっきり違う設定にするのが物語を面白くするための基本的手法。相棒二人が似たような立場で、性格もさほどメリハリがないとなると、どう展開させれば面白くなるのかプロでも頭を抱えるはず。すぐれたバディものの映画や小説がたくさん存在するので、意識して鑑賞すればいろいろと勉強になると思う。
     諏訪靖彦さんの「目覚める頃には」は、医療技術が発達した近未来でも治せない難病に陥った男が、治療法が確立される未来に期待して人工冬眠に入る話で、安定感があり、書き手の実力を感じる。/結末は複数の解釈が可能で、わざとそうしたのだろうとは思うが、読者のために、「本当はほとんど時間なんて経っていないのではないか?」「ドッキリか?」「詐欺か?」「本当はもう自分は死んでいて脳のデータだけがコンピューターに取り込まれて生きていると錯覚しているだけなのか?」などと主人公に逡巡させて複数の可能性を提示すれば、さらに読み応えが増したように思う。/前半途中でいったん過去に話が戻って発病時からの経過が語られるが、過去と現在を行ったり来たりする描き方は話がごちゃつくだけであまりメリットはない。発病したところから書き始め、時系列に従って進めた方が読者も物語世界を疑似体験しやすいはず。/いくつか散見されるややくどい表現、もってまわった表現をすっきりさせた上で着地点で一ひねりあれば、例えば小説現代のショートショートコンテストでも採用してもらえる水準だと思う。
     松尾模糊さんの「残光虫」は、蛍光灯が切れたのでLED照明に変えようと家電量販店を訪ねた男が、謎めいた店員から「その蛍光灯はまだ切れてません」と言われ、手に持っただけで光ったので唖然とさせられた上に、スタッフルームのロッカーが月へのトンネルになっていて……という一種のパラレルワールドもの。/短時間での出来事を時系列に従い最小限の登場人物で描くという、掌編小説の正しい書き方を理解している人で、結構な実力者。最後に明かされる月の光の真相もユニークで面白い。主人公が何者でどんな人生を送ってきたか、なぜ彼が月へと導かれたのか、謎の店員の正体は、などについて読者が納得する説明があるとさらに完成度の高い作品になったのではないか。例えば、店員をロン毛の女性にして、古めかしい言葉遣いをさせ、実は長年にわたってこっそり月と地球を行き来していたかぐや姫だった、そして彼女はついに竹取の翁の末裔を見つけて月に招待した、とかね。あと伏線として、家電量販店の名前をタケトリ電機にしておくとか。
     Fujikiさんの「世界が闇に包まれても」は、白内障で視界が悪くなり、息子から毒を盛られていると感じている資産家の老女が、若い頃パリに美術留学したときの当地での恋人との思い出を回想する内容。/掌編小説は短時間の出来事をできるだけ一場面で描くことが基本であり、本作は主人公の半生という長編小説の素材を掌編に詰め込んでいるため、全体的にあらすじを読まされている印象になってしまっている。掌編、短編、中編、長編の違いは基本的に物語の時間枠だということを留意されたい。掌編として描くのであれば、息子とのやりとりか、パリ時代のエピソードのうちのどれかに絞りたい。/現在から物語が始まり、少し過去の出来事、さらに半世紀ほど前の出来事、最後に再び現在という四段階の構成になっているが、時系列が前後すると読者にとってはごちゃついていて読みにくいというデメリットがあるだけでなく、主人公が結局はどうなったかが冒頭でバレてしまっているので「この後どうなるのだろう」という楽しみを奪うことにもなってしまう。長編小説であれば読者を飽きさせないための工夫として、現在と過去を行き来させる構成が効果を発揮することもあるが、掌編や短編ではデメリットしかないので、特別の理由がない限り、時系列に従って描くことをお勧めしたい(人気があるプロの作家さんたちの掌編や短編をランダムにチェックすればお判りいただけるはず)。
     なお、北川聖さんの「理想的な人生」、ヨゴロウザさんの「ある孤独死の風景」、古戯都十全さんの「あかりを求めて」、大猫さんの「浅草橋銀杏岡八幡神社の殺人」、小林TKGさんの「Luciola,Candela,and Огонёк」、波野發作さんの「Kick me again」は、400字詰原稿用紙5枚以上10枚以下(最大4000字)という規定が守られていないようで、またJuan.Bさんの「愛国講談「聖代奇談大助長州仇恋討」」は〆切りを過ぎてからの投稿のようで、選考対象として認めていいのかどうかという問題があり、コメントは差し控えます。

  • 投稿者 | 2022-01-25 18:00

    恋愛感情の発生については理由があまり書かれていないとは私も確かに思いました。
    けれど、そこを説明せずにぶっ飛ばしてしまうところが、この小説の魅力なんではないかなあと思いました。

  • 投稿者 | 2022-01-25 22:56

    理由不明のまま振られる、青春の1ページですね。
    三島がどこかで書いていましたが、駅のホームで知人に共産党に入らないか誘われ、躊躇しているうちに満員電車に乗ってうやむやになったけどあの時入ってたかもしれない、ある人の政治的立場はそんな些細な事で決まるようなものだとかいうのを思い出しました。まあ額面通り受け取っていいかわかりませんが。

    • 投稿者 | 2022-01-26 21:59

      何が何だか分からないうちにクスリとさせられたり、切なくさせられたりで、面白かったです。いきなり同棲したりするのも、そういう話しなんだな、と勝手に理解していました。
      SDGsを佐渡島と揶揄していた後に佐渡島が出てくるところが好きですね。
      クレーマーがかわいい、というのはギャップがあってそういう萌え(死語?)がありそうだなと思いました。

  • 投稿者 | 2022-01-28 17:27

    松野さんこわ!

    見た目が小ぎれいで、10代っぽくても怖い!怖いですねえ。無理。

    そんな怖い松野さん、毎日のようにクレームの電話をしてきて、SDGsって言って蛍光灯をミカンで割ろうとする松野さん。うんこも食べさせるし。

    でもそんな松野さんがある日、その情熱を全て使い果たしたのか、あるいは自身の理想の実現の困難を悟ったのか、もしくは単に現状の生活に嫌になったのか、SDGsをやめると言った時、私はほっとしました。良かったと思いました。

  • 投稿者 | 2022-01-29 14:58

    面白かったです。
    人が何かの活動にハマるのって思想に共感してというより、きっかけなんだろうなと思いました。松野さんが美しくなかったら器物破損未遂で追い出されて終わりですよね。
    前半の市役所施設課員としての行動やセリフがとてもリアルで足に地がついた感じがしました。後半部分は急に話が広がりすぎてちょっと唐突感ありですが、それもまた地道な公務員生活から急に第一線の活動家となった落差として楽しみました。

  • 投稿者 | 2022-01-29 19:29

    わはは、みかんを投げつける松野さんのハチャメチャぶりからまさかの一緒に活動する超展開。狙っているのだろうけれど突っ込みどころが満載でそれが面白くてげらげら笑いながら読ませて頂きました。こういった話も書けるんですね。

  • 投稿者 | 2022-01-29 20:56

    後半からの話のテンポや主人公の立場がころころと変わるのは、題名のサステイナブル・ライフと関係があるのかなと推察しました。
    人間よりは早く寿命がきてしまう蛍光灯に対して、職業や考え方を変えてでも持続可能的に生を紡いでいく人間のしぶとい姿が垣間見える気がします。
    以前はつけっぱなしにしていたデスクライトを消灯するラストの描写が響きました。

  • 投稿者 | 2022-01-30 10:45

    クレーム? みかん!? 同棲!!?? と、まったく先の読めない出たとこまかせな展開が楽しい。話が破綻しそうなすれすれでどうにかサステインしている感じ。松野が「僕のことは本当に好きだった」と別れ際に打ち明けたということは、5年のあいだ何もなくあくまで同志として一緒に暮らしていたという理解でよいか?

  • 投稿者 | 2022-01-31 00:29

    不思議なもので小説は最初の1ブロックでだいたい面白いか面白くないか見当がつく。これは面白いと確信して読んだが、やはり面白かった。持続可能な開発目標に関する活動が5年程度で理由もなく持続不能に陥るという痛快な皮肉は非常に面白いと思いました。ぼくも電話があったとき「あ、営業電話だな」と直感的にわかるのですが、よく考えたらここ5年ほど営業以外の電話がかかってきたことは一度もなかったです。

  • 編集者 | 2022-01-31 13:15

    とても読みやすくて面白い、掌編としても完成度の高い作品だと思います。鈴木さんは他業種男女の恋愛模様を描く作品が多い印象を受けますが、今回は強烈な出会いから、活動を共にして別れまで描いていて新鮮でした。出会いが強烈すぎたので、語り手の立原が戸惑ったように松野さんのSDGsへの熱意が消失したことや、立原への想いが見えなかったところは気になりました。立原の恋愛遍歴連作で公募いけそうです。

  • 編集者 | 2022-01-31 20:51

    学生運動が出会いの場になった様に、SDGSも出会いの場になるのだろうか。発想が面白かった。

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