お医者さんごっこ

応募作品

鈴木沢雉

小説

4,739文字

冬になると思い出す、身を焼くようなあの甘酸い儀式の記憶。僕は淳(ジュン)。中学二年生。特技は書道。今年もお父さんの実家にやってきた。お年玉目当てというのは表向きの動機。誰にでも秘密はある。こんな僕にもだ。

長期予報で暖冬と言われていたその冬は、蓋を開けてみれば厳冬だった。

大人たちが紅白やRIZINを見ながら盛り上がっているのを尻目に、僕は誰も居ない二階の空き部屋でゲームをして過ごした。部屋には暖房がなくてすきま風だらけでひどく寒かったし、天井からぶら下がる蛍光灯は蛍光管かグローランプが切れているみたいで点灯しなかったけど、ミノムシみたいに毛布を被っていれば寒さは凌げたし照明はニンテンドーの液晶バックライトがあれば十分だった。

元旦、大人たちは浮腫んだ顔で起き出してきて酒臭い息で互いにおめでとうございますと挨拶を交わしている。僕は一人表へ出て、車のボンネットや風防にびっしり貼り付いた霜に指で字を書いて遊んだ。指はあっという間に悴んで、麻痺してしまった。感覚がなくなると、筆で字を書いているみたいで面白かった。

そのうち新たに一台車が入ってきた。ばかみたいに広いじいちゃんちの前庭は、四台の車でやっと満杯になった。四台目の車は横浜ナンバーの赤いハリアーで、運転席と助手席から降りてきたのはそれぞれ内村のおじさんと、うちのお父さんの姉にあたる幸子おばさんだった。後部座席の人影はなかなか出てこようとせず、おばさんが「さっちゃん早くしなさい」と声をかけてからようやく降りてきた。降りながらケータイを弄っていて目を上げようともしない。

内村早苗のことを、みんなはさっちゃんと呼ぶ。

僕は彼女の肩甲骨の上まで伸びた髪の毛、化粧っ気の増したちょっと勝ち気そうな顔、真冬なのに可愛さを優先した短いスカートを目の前にして、思わず目を伏せた。

「ジュンくんじゃないか、あけましておめでとう。また大きくなったねえ」

おじさんが相好を崩す。

「あけましておめでとうございます」僕は伏せた顔でさらに頭を下げ、それでもさっちゃんのことを目の端に捉えようとしたので、腰が曲がって頭が持ち上がらなくなったのに目だけは人を見ようとするおじいさんみたいな格好になった。

 

さっちゃんに会うのは三年ぶりだった。

去年はさっちゃんが高校受験だったので、年末年始に帰ってきたのは内村のおじさんと幸子おばさんだけだった。おととしは、僕が体調を崩して入院していたせいで、うちの家族は帰省をとりやめた。年に一回、正月に会うのさえすごく久し振りな感じがするのに、三年となるともう相手は別人といっていい。高校生になったさっちゃんは随分大人びて見えた。

僕の方は小学生から中学生になりはしたけど、ほとんど小便臭いガキに毛が生えたようなものだ。いや、比喩ではなく、僕のちんちんの周りには産毛よりも濃い体毛が生えてきたのだから、文字通り毛の生えた・・・・・子供というわけだ。

座敷で大人たちに混じって昆布巻きや栗きんとんを食べていると、向かいの席で内村一家も一緒におせちをつつき始めた。僕がさっちゃんのスカートから伸びる脚や髪をかき上げる仕草を盗み見る度に、さっちゃんと目が合ったような気がして(たぶん合っていたと思う)、慌てて視線を外すのを何度か繰り返したあとは、僕はさっちゃんの方をできるだけ見ないようにした。

意識しなければ不思議なもので、僕はさっちゃんの存在がちっとも気にならなくなった。お腹のほうも落ち着いたので、再び二階の空き部屋にこもってミノムシのように毛布にくるまり、心ゆくまでゲームを楽しもうとした。

 

一人の時間を存分に過ごせると思ったのは最初の三十分くらいだった。

どたどたと狭い階段を駆け上がってくる音がしたかと思うと、なんの断りもノックもなしにいきなり襖が全開になった。障子を閉め切って灯りもなかった薄暗い部屋に、乱暴な黄色い光がなだれ込んできた。

僕がまぶしさに目を細めて開いた襖を見やると、闖入者はずかずかと部屋に入ってきて僕の右手首をつかみ、有無を言わさず階下へと引きずっていった。なすすべもなく、階段で転ばないようについていくしかない僕は、左手に持ったニンテンドーを離さないようにと、ただそれだけを考えた。

僕の腕を引き、今は使われていない六畳間に放り込んだのはさっちゃんだった。僕はどうしてその部屋に連れていかれたのかということよりも、さっちゃんの少し冷たい、汗で湿り気を帯びた掌の感触の方に意識を奪われていた。骨ばった冷たい手で乱暴に引っぱられたというのに、何故か僕には妙に生暖かに感じられた。お母さん以外の女の人に触れられたのは、おととし入院していたときに看護師さんに清拭されて以来だったと思う。

「淳、あんた書道上手いんでしょ」

後ろ手に襖を閉めるなり、さっちゃんは言った。僕は部屋に放り入れられて膝をついた体勢だったので、彼女を見上げる格好になった。つい太ももに目がいってしまうと、さっちゃんはスカートの前を押さえた。

「うん、まあ、日本習字八段だし、都展で金賞とったこともある」僕は目を逸らして答える。

「はいはい、上手いんならいいよ。これになんか適当に書いて。そのへんにじいちゃんの筆とか硯あったでしょ」

と、さっちゃんは三枚判の半紙を畳の上に投げた。僕が呆然としていると、

「宿題。代わりにやってって言ってるの。私字下手だから」

僕はどうしていいかわからず、とりあえず半紙を拾い上げた。右手に丸まった半紙、左手にニンテンドーを持ってさっちゃんの前にひざまずいている。きっと誰かが見てもどんな状況なのか理解できないだろう。僕にもわからない。

「高校にもなって冬休みに書き初めの宿題あるとは思わんかったわ。ありえんっしょ」

僕はそれには答えず、右手の半紙を眺めた。

「なんて書けばいいの?」

「自由って言われてるから、なんか考えて書いてよ。適当に」

さっちゃんは面倒くさそうに言った。僕はうん、と答えるしかなかった。

「あと、わかってると思うけど、親にばれないように、隠れて書いてね」

それだけ言い残すと、彼女は振り返って六畳間を出ていった。振り返りざまにスカートがふわっと浮いた。細かいプリーツの広がる様が、巨大な獲物を飲み込むときに膨らむ蛇の腹を思わせた。

 

僕は二階の部屋にじいちゃんの筆と硯、墨、文鎮に何枚かの新聞広告を持って上がった。広告の一部を下敷代わりにしてさっちゃんの半紙を広げ、残りの広告を前に墨を摺りながら、さて何を書こうと考える。初日の出。いかにも小学生みたいだ。高校ならもうちょっと難しい題材がいいだろう。どうしよう。ふと、去年の都展で見た高校生の作品を思い出す。

――青雲之志

うん、これがいい。僕は新聞広告に下書きをした。納得のいく下書きを終えると、いよいよ半紙に向き合う。筆に墨を含ませて構えたところで、手が止まった。

「まてよ」

僕は思わず声に出す。きっと、上手すぎたらいけない。さっちゃんは自分でも字が下手だと言っていた。あまりに上手いと、友達も先生もすぐに代筆を疑うだろう。多少なりともさっちゃん本人の字に似せた方がいい。

僕は座敷に下りてさっちゃんの姿を探した。座敷には誰も居なかった。お勝手の方を覗くと、お母さんがばあちゃんを手伝って雑煮の支度をしていた。

「お母さん、さっちゃんは?」

僕が訊くと、お母さんは驚いたように振り返った。

「ああ、淳いたの? さっちゃんなら、家族で天祖さまに行ったわよ」

天祖さまというのはここいらでいちばん大きな神社で、じいちゃんちに帰って初詣といえば天祖さまに参るのが定番だった。

「さっちゃんに何か用?」

「いやなんでもない」

親にばれてはいけない。内村の親にも僕の親にもだ。「ちょっと書き初めの代筆のことで……」なんて口が裂けても言えない。

しかし困った。初詣ならしばらくは帰ってこないだろう。さっちゃんの字に似せるなら本人の字を手本にするのが一番なんだけど。

「淳ったら、いくつになっても遊んでもらたいのね」

「昔からさっちゃんさっちゃんって、いつも後ろを追っかけてたしねえ」

お勝手の方からお母さんとばあちゃんの会話が聞こえてくる。違う、そんなんじゃないんだけど、と思いながら僕はその場を離れ、前庭に向かった。

 

赤いハリアーはいなくなっていた。やはり家族で天祖さまへ行ったんだ。

僕は物置になっている離れへと向かった。昔はよく、さっちゃんと二人で離れにこもって遊んだ。そうやって二人で遊ばなくなったのはいつのことだろう。さっちゃんが中学生になったくらいからか。

僕は物置に山と積まれた木箱や段ボール、昔の農機具らしい機械の一部、古い雑誌や電話帳の束を乗り越えて奥へと入っていった。埃が層になってそれらの上に積み重なっており、色とりどりの記憶が息づいているはずの離れを、一様の灰色に塗り込めていた。

離れの一番奥に、白木の桟で嵩上げされた一角があった。さっちゃんと僕が遊んでいたとき、大人に絶対ばれてはいけないことは、ここでやった。

――親にばれないように、隠れて書いてね。

六畳間でさっちゃんがそう言うのを聞いたとき、僕は身体の中心がかっと熱くなるのを感じた。さっちゃんと二人だけで共有する秘密といって思い出すのは、ここでの遊び以外にない。

断熱材のむき出しになった壁を手で触れてみる。壁を伝い下りて白木の桟をたどる。僕の手の感触。かつてさっちゃんの内ももに触れた手の感触。さっちゃんの手が僕に触れた感触。骨ばって、少し湿った掌。

僕だって、さっちゃんにとって今の僕は冬休みの宿題を楽に終わらせる道具でしかないことは解っている。代筆の役目を完璧にこなしたところで、さっちゃんに感謝されることもなければ彼女の僕に対する感情や態度が変わることは決してないだろう。

それでも僕がさっちゃんに良くしようとするのは、僕には書道しかないから。それが役に立つのなら、僕は喜んで特技をさっちゃんのために使う。来年もじいちゃんの家に来られるとは限らない。生まれつきの身体のせいで、また急に入院しなければならなくなるかも知れない。病院には本物のお医者さんがいて、看護師に身体を触られる。でも、それはここで味わった生暖かさとは似ても似つかない。

僕の手が、固い物に触れた。埃を払ってみると、それはクッキー缶だった。

見覚えがあった。こじ開けてみるが、中には何も入っていない。缶の蓋に積もった埃を払ってみる。モン・サン・ミシェルだかノイシュヴァンシュタイン城だかの写真が印刷された蓋の上には、油性マジックで「おいしゃさんセット」と書かれていた。

 

冬休みが明けて、一週間くらい経った頃だろうか。さっちゃんから怒りの電話がかかってきた。最初から怒っていたわけではない。お母さんが電話に出て、僕に取り次ぐまでは大人しくて可愛らしい女子高生の声色を使っていたに違いない。

僕が電話に出ると、彼女は豹変した。

「お前のせいでとんだ恥かいたじゃねーか」

さっちゃんの筆跡を手に入れた僕は、書き初めの完璧な代筆を完成させたはずだった。上手すぎも下手すぎもしない、いかにもさっちゃんが書いたような作品。

「お前がちゃんと読み方教えないから、『あおぐものし』って読んでクラスじゅうに笑われたんだぞ」

「さっちゃん……」

僕は言葉を失った。あまりの剣幕に、読み方を教えなかった僕がやはり悪かったような気がしてくる。

「お前がさっちゃんって呼ぶな。きもい」

僕は生唾を飲み込んだ。青い毒薬が喉を伝い下りるようだった。

「だいたいじいちゃんちでも私のことジロジロ見やがって。首なしのくせにきもいんだよ」

さっちゃんは電話を切った。僕は亡霊のような顔をしながら洗面所に向かった。鏡を見ると、ダウン症特有の顔立ちをした僕がそこにいた。さっちゃんが首なしと言ったのはその顔立ちのことを指しているのだろう。

「はは、は……」

力ない笑いが僕の口からこぼれた。

2020年12月22日公開

© 2020 鈴木沢雉

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合評会2021年1月

"お医者さんごっこ"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2021-01-19 22:27

    題名が示すように全体が一つのプレイであるような入れ物になっていて、そこへ過去の記憶や、伏線としての比喩や、結果的にそうなってしまった淳の意図しない反撃など、色々な要素が入ってうまくまとまっているように感じます。
    なかなか苦いオチには何とも言えない気分になりますが、唸らされました。

  • ゲスト | 2021-01-20 18:29

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  • 投稿者 | 2021-01-21 06:11

    序盤からさっちゃんって言ってる、言われてるのはどうもあれでした。あぶねえんじゃねえかなって思ってました。言われたくないだろうなと。果たしてそうでした。そらそうだよなって思いました。ええ。

  • 投稿者 | 2021-01-21 21:15

    やるせないな、と。。

  • 投稿者 | 2021-01-22 21:26

    小さいころのお医者さんごっこはどんな遊びだったのだろうとあらぬ想像をしてしまいました。思春期の男の子のフィルターを通すと他愛もない子供の頃の遊びが、熱っぽくて暗い秘め事のように感じられてしまいます。
    それにしても残酷で痛烈な物語でした。正月に久しぶりに顔を見る親戚って、日常の中で最も非日常ですね。残酷さが際立ちます。

  • 投稿者 | 2021-01-23 21:34

    健気なまでにさっちゃんに尽くそうとする「僕」が最後まで報われず、なんだかとても切ない気持ちになりました。

  • 投稿者 | 2021-01-24 12:33

    面白いけど、それにしても、ひでー女だな。もっとお医者さんごっこのドキドキ感を長く詳細に書いてくれたら私も淳と一緒に勘違いできたかもしれないが、最初からイライラしっぱなしだった。リードで期待させたわりに、実際のお医者さんごっこシーンは意外とあっさり。ところで、このおうちはお盆はやらない派か?

  • 投稿者 | 2021-01-24 16:47

    タイトルに惹かれてドキドキしながら読み進めてラストにマジかと衝撃を受けました。何かの病気なのだなと思っていたらダウン症が出てきた。好みが分かれそうな作品でが私は好きです。

  • 投稿者 | 2021-01-24 18:09

    さっちゃんがあほで良いなあ。

  • 投稿者 | 2021-01-25 11:00

    今回医療ネタが多く(俺が言うのもなんだけど)あとノスタルジックなのも多く、その両取りなのかと思いきや

    全然違うやんけー

  • 投稿者 | 2021-01-25 12:34

    子どもは無邪気で残酷でもありますよね。さっちゃんの突飛な行動に初めは疑問符が付きましたが、最後のオチで納得しました。

  • 編集者 | 2021-01-25 18:47

    希薄な違和感とともに読み進めると、やはりと言うべきかのオチだった。
    ジュン!蔑まれて終るな!やっちまえ!……と言いたい所だがそんな終りが無いのが現実なのだと再確認させられる。

  • 投稿者 | 2021-01-25 19:02

    オチ、それは「さっちゃん」が悪い(笑)
    書初めの代筆を絡めて、ここまで淡い背徳感を醸した物語が書けるなんて、脱帽でした。

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