みゆたん。

応募作品

鈴木沢雉

小説

3,818文字

合評会2021年3月参加作品。ポルノとモータースポーツの華麗なる融合。

「聞かないの?」

「え?」

圭くんはケータイに手を伸ばして農場のメンテナンスを始めていた。ゲームの舞台はリアルの季節と連動しているらしく、一面の雪景色だった。圭くんのアバターは「みゆたん」と名付けられていて、どうやら後戯をおざなりにしてまでソシャゲに没頭する罪悪感を薄めるために私の名前を使っているらしい。

「私さっき話があるって言ったじゃん。そしたら後で聞くって勝手にエッチ始めて……」

「あ、そだっけ。で、何?」

これだから男ってのは、と嘆息しかけて思いとどまった。本人の意識していない癖をことさらあげつらって、無駄に空気を悪くするのはエネルギーの浪費だ。

「この春から、異動になりそうなの。素材開発には変わりないんだけど、次のはタイヤ」

「へぇ」

圭くんは一面のキャベツ畑に水と肥料をせっせと施しながら、気のない返事をした。私がそのまま黙っていると、やがて画面のタップをやめてケータイを置いた。

「えっ、じゃあ美優さ」とベッドのヘッドボードの上に並べられた箱の列に目を遣る。「こういうサンプルもう貰えなくなるの?」

「たぶんね。由紀恵に頼めば、たまには持って帰れるかも知れないけど」

「そっかあ」いかにも残念そうな声。

他に聞くことないのかよ。心配するのはそこか、と私は圭くんに背を向けて布団を胸に引き寄せた。と、圭くんは後ろから私を抱きすくめてきた。怒張した圭くんのものが背中に当たる。もう復活したのか。

「次これがいいや」

圭くんはヘッドボードまさぐった。手に取ったのは開発中の試作品、極薄微香まるでしてないみたいフィール三号だった。私は慌ててその手を押しとどめた。

「今日は危険日だからそれはだめ。まだ強度足りないかものやつだから」

圭くんは不満そうな顔をした。私は宥めるように上目遣いで訴えかける。

「それは今度試そうよ。ね」

 

あれから圭くんとは異動の話をしていない。圭くんが訊いてこないというのもあるが、私も正直言って迷っていたからだ。

「いいなあ美優は。ついに避妊具チームから脱出か」

由紀恵がアイスラテの中を泳ぐ氷を執拗にストローで追い回しながら言った。

「別に脱出とか思ってないよ。まだ決まったわけじゃないし」

「いいんよ、遠慮なんかしなくても。美優は優秀なんだから、新天地で頑張りな」

本心を言ってるんだけどな、と思って伝わらなさに絶望する。

「だから遠慮なんかしてないって。由紀恵と代わってもいいくらいよ」

「無理無理、私英語できないし」

由紀恵が手を振って渋い顔をする。ま、英語以前の問題で由紀恵には無理なんだけど。私は身も蓋もない事実をアイスティーと一緒に飲み込む。片や駅弁大学の学部卒。私は東工大の修士を首席で出た。自慢するわけではないが、差は歴然だ。

「圭介くんはどうするの?」由紀恵はいきなり核心を突いてきた。こういう下世話な話だけは鋭い。「WRC世界ラリー選手権のタイヤ供給チームに帯同するとなったら、シーズン中は世界一周行脚でしょ」

「んーまだそこまで話してない……」

「えー! ありえない」由紀恵は目を丸くする。

「まあゆっくりね」

「圭介くんだって」由紀恵はいつの間にか氷を追うのを止めていた。「自分の彼女がコンドーム作ってるっていうより、タイヤ作ってるっていった方が他人に紹介しやすいでしょ。ほら、私たち親戚や合コン相手の前でも仕事内容ひた隠しにしなきゃじゃん」

圭くんはそういう人じゃない。と思う。圭くんの考えをはっきりと聞いたことはないけど。まあ、開発中のコンドームを試したいだけで私と付き合ってるってのもワンチャンあるかも知れない。

それはそれでいい。変に腫れ物に触れるような扱いをされるよりはずっとマシだ。

「圭くんとは……きちんと話してみるよ」

「それがいいよ」

言い方は気に入らないが、由紀恵の意見を無碍にはできない。圭くんとは、由紀恵がセッティングした合コンで知り合ったのだし。

 

異動の話を圭くんに告げると、圭くんは訊いてきた。

「それはもう、決定?」

なんだか不満そうな言い方だったので、私は慎重に言葉を選んで答えた。

「うん、出張は増えるけど、平均すれば月に一週間くらいだし。いいよね」

圭くんは心ここにあらずといった様子で「ふうん」と呟いた。

異動日を待つ間、二人の生活に特段変化はなかった。二人とも普通に仕事をして、週に二回会って、私が持ち帰ったコンドームのサンプルを使ってエッチをする。

「あ、今なんか」

異変に気付いたのは私がどこか冷めているからだろうか。夢中になっていればわずかな感触の変化なんてわからないはずだから。

「え」

圭くんは陰茎を引き抜いた。破れたコンドームがぼろ切れのようにその根元からぶらりんと垂れ下がっている。

「やっぱりだめだね。四号も失敗か」

「萎えるなあもう」

圭くんのものは言葉とは裏腹に固くいきり立ったままだ。

「やっぱ普通のにしよう」

市販品に取り替えて、圭くんは再び私に覆い被さってきた。

「美優がWRCなんてうけるよね。モータースポーツなんて縁もゆかりもなかったろ」

「圭、くんは、詳しい、の」圭くんの腰の動きに合わせて私の言葉が途切れる。

「だって俺一番ほしい車ってスバルのWRXだもん」

何周遅れなんだ、と私は思った。WRXは今売ってない。

「車の、ことなら、俺が、教えて、やるよ」

圭くんは囁きながらイッた。教えてやる? ブチルゴムとラテックスの違いも分からないのに? 私は思わず失笑を洩らす。

「そんなに良かった?」

私の反応を、喜びの表現だと勘違いした圭くんが真顔で訊いてくる。

「うん」

私は圭くんの首に腕を巻き付けてキスをした。ほどなく圭くんは復活して二回戦目が始まった。

 

避妊具チームを去る日が近づき、残務整理が佳境に入った。

その日は引き継ぎのために残業をこなし、気付けば日付が変わっていた。やっとこさ春めいてきた季節も逆戻りで、底冷えがした。もう一仕事してから帰ろうと休憩室で仮眠をとり、デスクに戻ったら頭がぼうっとしてきた。なんとか目の前のパソコンに意識を集中させようとするが、今度は目が回ったようにクラクラする。

こんなんじゃダメだ、カフェインを入れてシャキッとしよう、と思ってキャンティーンでコーヒーを淹れる。そして沸き立つコーヒーの湯気を鼻から吸った途端、猛烈な悪寒におそわれた。

「!?」

思わずその場にしゃがみ込む。普通じゃない。急に冷え込むなか慣れない残業をしたせいで風邪でもひいてしまったかも知れない。お腹が空きすぎたせいかな、と思って夜食用に冷蔵庫にしまっていたサンドイッチを取り出すが、まるで食欲が湧かない。むしろ喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてきて、口元を押さえる。

とにかく帰ろう。こんな大事なときに風邪なんて洒落にならない。私はサンドイッチとコーヒーを捨てて仕事をそこそこに帰宅した。

家に帰って寝ても、具合は良くならなかった。それどころか不快感は増すばかりで、朝を迎える頃には堪え難いまでになっていた。

「風邪ひいたかも」

圭くんにLINEする。どうせまたキャベツ畑の「みゆたん」をタップして遊んでるのだろう、と思っていたら、圭くんは食べ物や飲み物や風邪薬を買い込んで押しかけてきた。

食べ物や飲み物は気持ち悪くてまったく口に入れる気が起きなかった。水さえ飲み込むのが苦しくて薬を服用できない。圭くんに悪いなと思いながらも、私にできるのはベッドの上で呻き苦しむことだけだった。

しばらく悶々としていると、暇だったのだろうか、圭くんは部屋の隅でスマホの上に背を丸めてキャベツ畑の世話を始めた。その広い背中を眺めていたとき、私の手が無意識に自分の下腹部に触れた。

電気が走ったような衝撃に、全身がこわばる。

「あ、今なんか」

「萎えるなあもう」

破れたコンドーム。ぬらぬらと光る圭くんの陰茎。市販品のコンドームを付け直して圭くんはイッた。と、私は思っていた。

思えば異動の話をする度に、圭くんは不満そうな態度を示していた。目的が私自身であれ、私が持ち帰る試作品のコンドームであれ、私の異動を阻止しようと考えることだって十分にあり得る。

冗談じゃない、このタイミングで妊娠なんて、すべて台無しじゃないか。

私は脂汗をにじませながら、部屋の隅にうずくまる圭くんを見やった。いいや、圭くんに限ってそんなことするか? そもそもこの気持ち悪さだって悪阻と決まったわけではない。大騒ぎした挙げ句にただの風邪だったなんて目も当てられない。

「……圭くん」

私は声を絞り出した。こうなったらきちんと事実を確認しないと。同時に圭くんの反応を見れば、圭くんの意図がわかるかもしれない。

「お願いがあるの。薬局行って、妊娠検査薬買ってきてくれない?」

あ、うん。と返事をして圭くんは上着を羽織り、出ていった。その態度からは何の感情も読み取れなかった。

 

いつの間にか眠っていたらしい。目を開けると、心配そうに私の顔を覗き込む圭くんと目が合った。その表情を見て、私は自分の間違いに思い至った。やっぱり圭くんがそんなことをするわけがない。

「ごめん、圭くん。私疑っちゃった」

申し訳ない気持ちでいっぱいの私の声は震えていた。圭くんは探るような様子で私の顔を窺っていたが、やがてにっこりと笑った。

「何を疑ったか知らないけど、美優は俺のものだからね」

立ち上がった圭くんは下半身に何も穿いていない。そそり立つ陰茎には極薄無香なにもないフィール五号が装着されていた。

2021年3月21日公開

© 2021 鈴木沢雉

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"みゆたん。"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2021-03-27 21:51

    それで妊娠してたんですかどうなんですか、と詰め寄りたくなるラストシーンです。
    モータースポーツとポルノの融合というので期待しましたが、融合していたのはみゆたんと圭くんの身体の方でしたね。コンドームがただで使えるから付き合うと言う男なんているかな、と思いましたが、それはそれで不思議ちゃんな感じが面白いです。

  • 投稿者 | 2021-03-28 14:21

    気持ち悪い!

    最初からまず気持ち悪いですね。面白かったです。ソシャゲのアバターの名前を彼女の名前にするとか。まずそれ。すごく気持ち悪い!んで、すごく面白いですね。ソシャゲしないからわからないんですけども、でも意外といるかもそういうやつ。女の人はしなそうだけど、男の人って彼女の名前とか付けるかも。やべえ。

    圭くんやべえ。

    そんでそういうやつに限って、最後。最後よね。女性が思ってる以上に男の人っていうのは気持ち悪いんですよ。ええ。そして女性の事を見てるんでしょう多分。そう言うもんですよ。やべえ。

  • 投稿者 | 2021-03-28 19:03

    コンドーム目当てでつき合っているというよりも、圭介にとって美優が自らの手の中にあるという事実が大事で、サンプルのコンドームを使ってセックスをするという行為が偏執狂的な所有の手段になっている気がします。ソシャゲのアバターを彼女の名前にしているのは、ゲームの中で彼女を飼っているという感覚なのではないでしょうか。

  • 投稿者 | 2021-03-29 00:06

    小説世界には、よく「不思議ちゃん」なんて子がいたりしますが、こっちは、サンプルとして自社のコンドームを使う美優よりも、車が好きという割には……な答えをしたり、ソシャゲに「みゆたん」なんて名付けていたりする圭介が、「コイツ、不思議くんだ」となりました。
    深読みしてしまいそうだけれども、逆に特に何も意識せずに、そういう行動をしているのか、いやはや

  • 投稿者 | 2021-03-29 12:09

    現代社会って怖いなー。辛辣な人物批評のわりにはセフレ同然に利用されているだけの美優も、美優から内心無知を馬鹿にされている圭介も、露骨な学歴差別を受けていることにも気づかず美優に仲良く接して合コンまでセッティングした由紀恵もあわれ。いさぎよく縁を切るのがお互いのためなのに、彼らはどこまでも表層で親密さを演じ続けていくのだろう。めっちゃ後味の悪い思いをさせてくれたので、星5つ!

  • 編集者 | 2021-03-29 12:10

    モータースポーツとそんな絡め方が出来るのか、と驚いた。登場人物の不思議さは他の方が書いてる通りだが、彼らの人生そのものがモーター仕掛けなのかもしれない。面白い作品だった。

  • 投稿者 | 2021-03-29 13:50

    それぞれがどうしようもない感じでも、時折見せる優しさが救いのように見えて、やっぱりどうしようもない感じが人間らしくて良かったです。ゴム→タイヤという絡め方も秀逸でした。

  • 投稿者 | 2021-03-29 15:23

    アイキャッチ画像は鈴木さんお手製かしら、相変わらずうまいですね。最初コンドームを作っている会社がWRCのタイヤを供給しているのが面白く、そんなことないよなと思ってましたが、研究開発であれば他社と協力して開発することもあるよなと納得しました。
    ソシャゲのキャラクターに彼女の名前を付けたり「美優は俺のものだからね」と言う男をキモいと思ったのは私だけじゃないようで安心しました。

  • 投稿者 | 2021-03-29 19:06

    破滅派で描かれる男性像は例外なくクソでクズぞろいなので、もはや清々しいほどですが、圭介氏もなかなかの底辺クンなのでホッとしています。

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