サイラス・リード自伝

合評会2023年07月応募作品

河野沢雉

小説

4,000文字

合評会2023年7月参加作品。カリスマIT起業家の自伝的小説。汚い話にはしたくないなあと思っていましたが普通に汚い話になりました。閲覧注意。

俺はサイラス・リード。パイナップル社のCEOだ。

シアトル・コンベンションセンターのメインホール控室でスタイリストにメイクと衣装のチェックを受けている。隣室ではスタッフが我が社の最新デバイス「3S」の最終調整を行っている。革新的なウェアラブル情報端末である3SはSilas Stooled in Seattle(サイラスがシアトルで大便した)から命名された。これは、二年前に俺がシアトルでプエルトリコ系マフィアの借金取りから逃げていたとき、たまたまトイレに隠れていたらそこでデバイスの基本的なアイデアを思いついたという経緯からきている。当時の俺は売る物売る物すべてハズレで、会社の運転資金も底をつき、銀行も金を貸してくれず、ろくでもない組織から高利で金を借り、もう死ぬしかないと思っていた。

そこへ降ってきたのはまさに天啓としか言いようのないイノベーションで、俺はその日のうちにデバイスのコンセプトをまとめ、翌日にはシリコンバレーのベンチャーキャピタルを数社回って開発資金を集めた。

「いやこの発想はなかった。実に画期的だ。大ヒットは請け合うよ」

百戦錬磨のシリコンバレーVCの担当者が太鼓判を押すのだから間違いない。俺は今度こそ大成功の確信をもって、開発に勤しんだ。

3Sのプレス発表を今日に決めてから会場を押さえ、急ピッチでリファレンスデザインの端末を完成させた。といっても開発は順風満帆というわけにはいかなかった。なぜならデバイスのOSがBronzというまったく新しい言語でコーディングされており、ノウハウの蓄積に乏しかったからだ。この言語はRustなどと同じく所有権と呼ばれる概念でメモリ管理を行っており、メモリリークと無縁という長所がある上にガベージコレクションが不要で実行時のオーバーヘッドが少ない。

我が社が3Sの開発にBronzを採用したのは、俺の恋人でパイナップル社の共同経営者でもあるステフィー・カラバウがBronzエンジニアであったことと無関係ではない。ステフィーは控えめに言って天才だった。MITを首席で卒業し、大手自動車メーカーで自動運転システムの開発チームに職を得たが、組織が官僚的で自由度がないのを嫌い退職した。その後はフリーのプロジェクトマネジャーのような立場で複数のスタートアップに参画し、実績を重ねた。パイナップル社の仕事はほとんどバイトみたいなもんだ。そんな超優秀なステフィーに二束三文で来てもらってるのだから彼女の注文は最大限に聞くしかない。その注文の一つが、Bronzの採用だったというわけだ。

 

「君の瞳に、乾杯」

昨日の夜、俺たちは3S発表の前祝いにシアトル一のレストラン「シックス・セブン」でディナーをした。港の見える夜景を背後に、ステフィーは風になびく黒髪を押さえながら、俺の杯を受けた。

「今日はあまり食べない方がいいわよ」

「俺は最高の気分なのさ」

ホタテのハーブグリルとブイヤベースを立て続けに口に運びながら、俺はワインを呷った。

「3SはSteffie in Six Sevenだ。君は美しい」

「ばかね」

ステフィーは食事にはあまり手をつけず、ソフトドリンクばかりを飲んだ。折角の料理を残すのも勿体ないので俺は彼女が食べなかった分をほとんどすべて平らげた。やはりシックス・セブンの料理は最高だ。

「3Sは完璧よ。私が出来ることは全部やったから。あとは明日のプレゼン次第よ」

「任せておけ、俺の、そして君にとっても人生最高の日にしてみせるさ」

俺は口の中に広がる複雑な味と脂の香りをワインに混ぜて喉に流し込んだ。

 

どう考えても食べ過ぎた。そして飲み過ぎた。

「サイラス、時間だぞ」

CMOであり、このプレス発表会を統括しているセスが俺を呼びに来た。

「わかった」

俺は額に滲む脂汗を手のひらで拭いながら、答えた。

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

少しお節介が過ぎるのがセスの気に入らないところだ。俺は手振りだけで問題ない、と告げるとメインホールへ続く通路を歩いた。CTOのシドニーが追いすがりながらプレゼン用の3Sを渡してくる。

「すべて問題ありません。万が一の時はバックアップ端末を私が袖で持っていますので」

「そいつが要らないことを祈ろう」

「ですね」

シドニーがウィンクする。中年にさしかかりだらしない身体をしたおばさんのくせに、いちいち俺に色目を遣ってくるのがキモい。

俺は3Sを受け取ると、炭素繊維強化プラスチックで一体形成したその滑らかなボディを指でなぞって感触を確かめた。

メインホールのステージ袖まで来たところで、俺の額の脂汗は無数の玉のようになって貼りついていた。下腹に違和感を覚えるが、気にしている余裕はない。なあに、プレゼンなどものの三十分足らずで終わる。それまで痩せ我慢していればいいんだ。

「OP入りまーす」

イベントのオープニングムービーが始まる。セスのチームが作ったムービーは最高にクールだった。進行管理の合図で俺はステージに進み出る。手には高々と3Sを掲げて。フラッシュの集中砲火を浴びる。

俺はヘッドセットの位置を微調整して、おもむろに話し始めた。

「皆さん、パイナップル社は本日、全く新しいウェアラブル情報端末を発表します。眼鏡グラス型? 腕時計ウォッチ型? あなたは常に盗難に怯えながらそれらを携帯するでしょう。体内埋め込み型? 機種変更の度に、身体にメスを入れたい人はどうぞ!」

会場から苦笑が漏れる。笑いを取れたことに少しだけ安堵するが、下腹部の痛みはもうそんな気休めで何とかなるレベルではなくなっていた。俺は全身から汗を噴き出しながら続ける。

「皆さんはご存知ですか、一億個の神経細胞を持つ臓器を。これは全臓器の中で脳に次ぐ二番目の数です。さらにこの臓器は単独で自律神経ネットワークを構築しており、脳からの指令がなくても感知・運動さらには思考や判断さえ可能と言われています。また、独自の神経系で脳との情報交換も行っており、まさに『第二の脳』と呼ぶに相応しい」

水を打ったように静まり返る会場内。俺の頭蓋骨には、強烈な腹痛に耐えるため心拍数の上がった自分の鼓動音だけが響いていた。

観客に背を向け、再び3Sを高く掲げるのが合図だった。リモートコントロールでベルトに内蔵されたサーボが動作する音が聞こえたかと思うと、外れたバックルごと俺のズボンがフロアに落ちた。アンダーパンツは穿いていない。俺の尻がさらけ出される。

「Yuck!」

「○ね!」

ブーイングは想定内だ。3Sのデモが始まれば、彼ら観客たちは忽ちこのデバイスに魅了されるだろう。

「そうです、この進化したウェアラブル情報端末は、『第二の脳』たる腸に装着ウェアーするのです!」

俺は観客に背を向けたまま、脚を大きく開いて上半身を前に屈めた。観客たちには俺の肛門が露わになっているはずだ。もちろん当該部位の拡大ライブ映像がステージ上の壁面スクリーンに映し出されている。

そして俺は、右手に持った3Sを自分の肛門に押し当て、ゆっくりと押し込んだ。

「オゥフ」

変な息が俺の口から漏れ、ヘッドセットのマイクに風となって吹きかかる。

今や、3Sは俺の直腸で神経繊維検出モードに移行していた。十分な数の神経繊維をつかむと、今度は脳相関通信モードに遷移する。大腸神経系を経由して、脳との直接通信を可能にするモードだ。この間、痛みや不快感などは一切ない。腸内壁には痛覚神経がないからだ。

一連のプロセスには三分程度かかる。その間に腹痛は耐え難いまでになり、俺の膝はがくがくと震え始めた。デモが終わるまでもてばいい。そう思っていた俺の楽観は呆気なく打ち砕かれた。

急激に催した便意を、俺は抑えられず、やばいと感じたときはもう遅かった。俺の尻からは水様の便が噴水のように吹き出し、ステージ上にぶちまけられた。モード移行中だった3Sはその圧倒的な奔流に押し流され、便にまみれてフロアに転がった。俺の肛門の拡大映像にオーバーレイして映し出されている3Sのステータス表示がエラーに変わる。

袖の方からパニクったシドニーがバックアップ端末を持って駆け寄ってくる。だが照明の絞られたステージ上で彼女は俺の便がどこまで広がっているか判らなかったらしい。水たまりいや便だまりに踏み込んでしまったシドニーは、カートゥーンみたいに一回転してすっ転んだ。Sydney Slipped on Stageだ。

そのシドニーを助けようと駆け寄るセス。だが俺の排泄物の臭いを嗅いで、奴は一定以下の距離まで近づけない。鼻をつまんで苦しそうに言った。

「うわっ、ひでえ」

Seth Shouted Sucksってわけだ。俺は脱力し、その場にへたり込んだ。会場はパニックだろうが、俺にはもうそれを顧みる余裕もない。

ただ、ステージの反対側の袖で、ステフィーが柱に寄りかかって可笑しそうに笑っているのだけは、よく見えた。

「何が、そんなに、おかしいんだ……」

自分の排泄物にまみれながら、俺は小さく呟いた。

 

3Sのコンセプトはパロアルトにある新興メーカーに譲渡した。ハードウェアの設計書とOSのソースコード、一切の出願中特許権を売った金で俺は会社を清算し、スタッフの転職先も世話した。

ステフィーは今でも俺の恋人だ。彼女は糞まみれの俺でも愛してくれてるし、前述の新興メーカーにCTOのポジションを用意してもらい、今後も3S(もちろん、糞まみれになってしまった名前は変えられてしまうけれども)開発に携わるそうだ。名実ともにBronzで最も成功した人物になるだろう。3Sへの期待から、そのメーカーはNYSEで連日のストップ高を叩き出している。

Bronzにメモリリークはない。リークしたのは俺の肛門だけってわけだ。はは。

ステフィーは今度は俺に、ナノマシンの開発スタートアップをやってみないかと持ちかけてきている。もちろん俺はやるつもりだ。

2023年6月15日公開

© 2023 河野沢雉

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"サイラス・リード自伝"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2023-07-29 12:29

    ハードSFっぽい単語が並べられているけれど、内容はプレゼント最中に脱糞した男の話でギャップがとてもよかったです。ウェアブル端末がいく進化しても生理現象にはかなわないってことかしら。脱糞後ステフィーが見捨てなかったのもよかったです。

  • 投稿者 | 2023-07-29 12:59

    うおー!
    こんなのが読みたかったの。スマートでクールでスタイリッシュな下痢物語。3Sにちなんだダジャレの連発も英語でやればかっちょいい!
    そう、セレブビンボー人の区別なく襲ってくるのが下痢です。
    腸内ウェアラブル端末3Sの具体的な性能をもっと知りたいです。下痢の到達時間を正確に予測してくれるのではと思いました。ぜひ枚数増やして再発表してください。

  • 投稿者 | 2023-07-29 15:30

    セレブもS、と書きかけて違うことに気付きました。Cですね。
    読んでる最中から少し先の展開が読める、予定調和に向けてのうんこでした。腸に付けるウェアラブル……! 考えるだけで便意をもよおしそうです。
    そして、肛門大公開大放水とは! 主人公が危ない性癖に目覚めないか心配になりました。

  • 投稿者 | 2023-07-29 23:55

    アメリカにはエリザベス・ホームズとかビリー・マクファーランドとか詐欺師以外の何者でもない起業家もいたようですが、なんかそういううさんくさい起業家のカリカチュア的なものとして読みました。今回も沢雉さんの得意なジャンルなのだと思いますが、だんだんと沢雉さんの手の内と言いますか、どういう風に物語を作っているかが見えてきたように思えて興味深く勉強になりました。

    ちなみに下痢事前告知アプリというのは確か実在します。ホームステイ中にゲビった(下痢をちびった)日本人青年が開発したもので、意外にも海外で人気だそうです。下痢ラ(突然襲来する下痢)に悩まされる人が多いのは万国共通のようです。
     

  • 投稿者 | 2023-07-31 15:24

    大変軽妙な話でよかったと思います。小気味いいというか。
    後はもうとりあえず、ステフィーが好いてくれてるんだったいいよねえー。

  • 投稿者 | 2023-07-31 16:11

    What is a Supreme Strange Story! ストーリー構造がモロ被りで非常に心苦しいですが、敬愛する沢雉先生とのカブリなので嬉しい限りです。エレクトロニクスかバイオテックかの勝負ですな(なんでや

  • 投稿者 | 2023-07-31 17:55

     社運をかけたプレゼンの場で下痢と腹痛。丁寧に描かれているが、展開や結末が「でしょうね」という印象で、できれば驚きや意外性を見せてほしかった。
     前段の説明過多な部分や恋人女性との会食は、プレゼンの場面を描く中で上手くはさみ込むようにすれば作品自体がすっきり整った構成になったと思う。

  • 投稿者 | 2023-07-31 18:16

    アメリカン・ドリームと下痢をうまく混ぜた作品。ステフィー、あんたはいいやつだ……!

  • 編集者 | 2023-07-31 19:36

    新製品を世に放つエネルギーも、下痢のエネルギーも、一緒なのではないか?我々はゲイツやジョブスの下痢エネルギーに興奮していたのかも知れない。世界は口から肛門までの一本の管を満足させるために出来ている…

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