庭先の枯れ木を眺めながら、父親が私に、いつになく神妙に神妙を重ねた顔をして、話してきたのを覚えている。といっても、その時父親は既に齢八十を超え、私は五十を過ぎていた。親子というには少し憚りのある年であり、年の差だった。
「……お前には、これから、息子としてではなく、慈信房善鸞として話をする」
「はい」
「如信とともに坂東、東国に向かい、同朋を助けてやってほしい。もう一度、本願の芯というものを示してきてほしい。阿弥陀だけ、それだけだと」
「私が……」
「いいか。息子として話とらんと言ってるだろう。善鸞」
枯れ木の根元には枯れた草や萎んだ花が地にへばり付き、夕焼けにあたって枯れ木の影はどんどん伸びていった。父は私に息子として話していないといっても、そう前置きする時点で話には大きなくさびがあり、そして私自身が父の話を「父の話」として聞いていた。決して、人々が縋る愚禿親鸞の話、などとは。決して、阿弥陀の話、などとは。非僧非俗という父は、非父非師であった。そして私自身、息子の如信にもそう接さざるを得なかった。
「善鸞。返事をしないか。行きたくないのか」
「私のようなもので、坂東の同朋達を導けるでしょうか」
私は、心にもない憂いの表情で、父に向き合った。実際、東国の門徒たちに様々な異議が生まれ、混乱も生じていることは知っていた。
「導け、などとは言っておらん! 示せ、ということだ」
私は、語気を強める父にただ頭を下げた。父に私の愚禿がどう見えているかわからない。
「これも阿弥陀様の本願のためだ、行ってくれるな、善鸞」
「はい……」
~~~
長い旅路の末、坂東、そして鎌倉に近づくに連れ、書状を送り送りしていた道すがらの地域から多くの門徒たちが我々の姿を見に現れた。門徒の家を借り、付近の門徒たちが集まってくる。しかし、その門徒たちの表情は皆、私が父に浮かべたような憂いの顔をしていた。彼らは父が来ると思っていたらしい。私が、一通り父から授かったままのことを語り、門徒たちは、一通りそれを聞いて、拝む。質疑があり、心に阿弥陀仏を浮かべるべきか否かなどと聞かれる。私はそれは重要なことではないという。阿弥陀仏は悪人をも救うのかと聞かれる。私は救うという。救われるなら悪を為していいのかと聞かれる。私はそれは愚問であり世の煩いをあえてなすべきではないという。門徒の顔は前と変わらない。私も前と変わらない。そのようなことを三、四軒と繰り返し、ある日、川を越えて木の下で休憩しているとき、私は如信に語り掛けた。
「如信。この旅をどう思う」
「父よ、旅ではないと思います。これは阿弥陀様の道を歩いているのです」
私は如信から目を逸らした。息子は、息子ではなかった。彼は私を超えて父――彼から見れば祖父――親鸞に影響を受けていた。私は如信にどう言葉を掛けようか悩んだが、如信は目をつむり、合掌して口の中でもごもごと唱え始めた。私は、それが出来なかった。父がそれをしている間、私は父になにも出来ないのだし、息子がそれをしている間、私は息子になにも……。
「如信」
「ぶ……ぶ……ぶ……」
私は息子につぶやきかけた言葉をしまい、元来た川の方角、西国の方を眺めた。その川べりに、みずぼらしい乞食の様な男がいて、川に入っては粗末な木の棒で魚らしきものを採っていた。私がそれを眺めていると、如信もそれに気づいたようで、立ち上がって川の方に降りて行った。私もそれに後から続いた。
「漁師さんですか」
如信がそう語り掛けると、ぼさぼさの髪の間で目を光らせた男は奇妙な笑い声をあげ、答えずに魚か何かを口に押し込んで食べていた。
「どんな方でも阿弥陀仏様は……!?」
よく見ると、彼が食べているのは明らかに水死体の足の一部だった。彼は魚ではなく水死体を取って食べていたのだ。乞食の様な男は、我々に背を向け、そして、下痢した。如信は驚いて私の方に視線をやった。しかし私は何も答えられない。その乞食の向こうで、漁師らしき数人の男が、顔をしかめながら我々に手を振って、離れる様に合図をしていた。私は顔面蒼白の如信の手を引いて、川べりを上がった。ふと最後に振り向くと、漁師たちは乞食の様な男に魚を与えていた。
~~~
大勢の人々が、私に似たような質問を何度も繰り返す。救われるのか。その確信はどこから来るのか。こうすると良いのか、悪いのか。
「皆さん。こう、例えば何回念仏をすればよいとか、何を思い浮かべればよいという人の行いを、阿弥陀様は分け隔てたりはしません。いいですか。救われるんじゃない、救われているんです」
私が両手を広げて、一文一文強く語り掛けた。何人か強くうなずいた者がいて、嗚呼分かったかと思った次の瞬間、あちこちから男女の声が飛んだ。
「でも、一回唱えるだけで救われるなんて」
「おい、そう言うやつは救われてねえんだ、お前」
「親鸞様がいうと安心するんだが、善鸞さんだとなあ」
いつまでもいつまでも不毛なことが続いていた。如信は私と別れさらに北に向かった。父からは、何度も消息を訪ねる文が届いた。かつて父も訪れた鹿島の門徒に会いに行った時、彼らは神宮の護符を身に着け、明らかに本願を外れた独自の祈祷を編み出していた。私は辞めさせるように何度も伝えたが、鹿島を離れる時でも何人かの門徒は平然とそれを持って、そして笑顔で私を見送っていた。
ある日、説法とも作業ともいえないことを終えた私の元に、一人の男が訪ねてきた。
「坊さん。私が聞きたいのは……世にある全ての教えは、最初は弱きもののため、純粋なもののためとして始まり、そしてなぜか必ず腐ってしまう。それはなぜか。そしてあなた方はそうならないと思っているのかです」
「何が言いたいのですか」
「あなた方が救う・救われるといっている教えが、干支を何まわりかした頃には、これこれは救わない・救われないという教えにならないのか。という確信があるのかです」
「そのような後のことを考えるのではなく、今、あなたが、後生の一大事について阿弥陀様に縋るということが……」
「私は今まで、ここを訪れる坊さん皆に聞いてきました。こんな辺鄙なところにも来られるとは有難い。しかし誰も、本当のことを話してくれない。あなたも」
「私は本当のことを話して……いいですか。あなたのその心配もまとめて、阿弥陀様が……」
「救う救われてる救ってやる以前に、何故、救われないし救われなければならぬという六道の諸々が出てくるんです? なぜ、こう……こうなる?」
「それは、え、そんな所から話を……ちょっと」
男は頭を振り、そして少し頭を下げて、私の話を聞かずに出て行った。そのあとすぐ、場を用意してくれた門徒が、ハタキを持ってきた。
「善鸞様とはいえ、とんでもない方を上げたね……」
「とんでもない? 今来た男は?」
「あれは巫女がここらへんでヤリ捨てて産み捨ててったガキが長生きした奴です。牛一というひねくれもんです。社の雑務をしております」
男が座っていた所を執拗に拭くその手つきを眺めていると、門徒は大きな笑みを浮かべてこちらを拝んだ。
「あいつは気にせんでいいんです。ああいうやつがいると、阿弥陀さんを疑ったりして迷惑かける奴が出る」
私はその時、いろいろなことを思い出した。場にまだ隙間があるのに、外にいた者達。あの河原にいた者。京では見なかった人々。ただ一つの教えを伝えているにもかかわらずすぐに不安になり、争いに至る者ども。しかし、その答えは我々人間道の因果だけなのだろうか。
~~~
「秘、事? 今、なんと」
「もう一度言おうか。皆の師匠の、親鸞様の……わが父の皆に教えた伝えは、表の伝えだ。より早く救いに至る裏の秘事がある」
私が集めた各地の門徒代表たちが、顔を見合わせた。見るからに驚いている者もいる。
「真の教えは、阿弥陀仏という方すら必要としないのだ。これまでの教えは萎める花、腐った魚だ。本当の教えは土にあり、海にあるのだ」
何人かの門徒はうなずき、また別の門徒たちは眉間をひそめてひそひそと話をし始めた。そうだ、この瞬間ですら、分裂が起きている。私は一際大きな声を出した。
「よいか、もう、分かれる必要がないのだ。騒ぐ必要がないのだ。嘆く必要がないのだ」
「親鸞様のいう、表の、阿弥陀様の救いとどう違うのですか」
「表の教えはすぐにお前たち、そして私も含めて争いを生む。裏の教えは……それ、で、良いのだ。これ、で、良いのだ。つまり、どうでも良いのだ。六道は一道だ」
門徒たちは唖然として、控えめに言っても拒否反応を示す者もいたが、また頷く者もいた。だが私は、そう頷くにしてもそれは私が袈裟を着ているからだと知っていた。私は袈裟を急に脱ぎ、褌一つになった。
「これだよ。本当の教えは。何をするにしても阿弥陀如来と親鸞様のご機嫌伺いをするような教えになる前に……救う救われるより前に……他力でも自力でもなく……」
父である親鸞は、坂東の人々をイロハで救った。私は別のヒフミで救う。それで良いではないか。父はそのために私を送ったのだ。そうだ。そうなのだ……。
~~~
私は、父の親鸞から義絶された。義絶状を回された付近の門徒たちが私の居所に集まり、最初は「どういうことか」と敬語であったが次第に口汚くなり私を非難した。私はもう一度、袈裟を脱ぎ、肩にかけて皆の前に進み出た。今度は、あの褌一丁になるにしても神妙になったこの間の光景はなく、大勢の嘲りの声が響く。如信や妻がここにいたら私をどう思うだろうか。こんな年にもなって、何も出来なかった父と夫を。しかし如信には如信の教えがある。何発か石が飛んで、体に当たった。ただ気が済むまで叫んだり睨んだりする門徒たちの間を、私は父の書いた名号だけを持ちゆっくりと抜けていった。男の嘲り声や女の金切り声が遠ざかっていく。そして、私の後を何人かがついてきた。私は手を合わせ、ただ前へと進んだ。
~~~
私はもう自分の年も良く分からない。馬に乗り、引いては寄せる波打ち際を眺めながら、ただ後ろに続く数十人の者たちの笑い声を聞いていた。あの時私を問い詰めた牛一もいる。信じようが信じまいが祈る祈祷師がいる。かつていや今も春を売りながら占う巫女たちもいる。誰とでも寝る狂女もいる。業病の者がいる。全身が真っ黒な者もいる。満足に口がきけないが愛嬌のある白痴たちもいる。子どもとしか和合出来ない者がいる。かつて追剥や殺人を行っていた者もいる。飢えに飢えて最後は糞尿にまで口にしたり先に餓死した子の肉を食べて生き延びた流浪の者がいる。牛や馬の死体を処理しそれだけで蔑まれていた者もいる。他にも得体が知れんといわれる者たちがいる。私は馬の上でただ両手を合わせて唱えた。
「それでいい、これでいい、それでいい、これでいい……南無阿弥陀仏……」
多くの者たちが笑いながら、海に向かって思い思いの言葉で拝んでいた。その時、一人の祈祷師が走り寄ってきた。
「おうい、漸乱さん。あの、あんたに所縁のある覚如さんが山向こうで病気になってるとよ」
覚如。確か私の妹の覚信尼の孫だったかで、とっくに亡くなった我が父親鸞の足跡を辿っていると、風の噂で聞いていた。私は皆を連れ、覚如を見舞いに行くことにした。父の名号を首に下げ、念仏を唱えながら。これでよいことを示すために。
Fujiki 投稿者 | 2023-05-17 23:37
数々の爆発と世界の終わりを経てJuan.Bがついにたどり着いた境地。いいじゃないか。この作者の作品には一本筋が通っている。
ヨゴロウザ 投稿者 | 2023-05-20 00:01
インドに行った時に、河原で死体を焼いているカースト的には最下層の人が実にいい笑顔をしていたのを見て、苦の世界を全肯定しているかに見えるこの人はゴータマ・ブッダよりも上の認識を持っているのではないかと思ったという話をよくしていた先生を思い出しました。ゴミみたいな存在になるという事と宇宙そのものになるという事は同じなのだという話も。先生は信じてなくてもいいし意味も分からなくていいし殺人犯でもいい、念仏してれば救われるのだというような事を言ってネットの片隅でプチ炎上していましたが、自分もそれが本当なのかもしれないと思います。ただ、自分はとくに極楽往生を望まないので、ああした話もまさに馬の耳に念仏だったのかなと、いまは悔恨と懐かしさと、しかし変わらぬ敬意をもって先生を思い出します。
大猫 投稿者 | 2023-05-20 23:37
これは一人の男が偉大な父を超えようとする物語、と読んでいいのかしら。あるいは画一的教義に嫌気がさして、自由を求めた男の話か?
それにしては闘争心が感じられず、代わりに静かな諦念と悲しみが漂ってきます。父との関係を築くのを諦めた男、そして父を崇拝する我が子とも切れざるを得なかった男の話、と読みました。それでも家族を思いやる気持ちを捨てていない。
いかなる心境でこの物語を紡いだのか、聞いてみたいところです。
松尾模糊 編集者 | 2023-05-21 00:08
まさかの親鸞親子とは恐れ入りました。しかも史実とは。面白いですね。父親がダメなのも考えものですが、偉大すぎるのもキツイですよね。
河野沢雉 投稿者 | 2023-05-21 00:41
偉大すぎる父をもつ息子は苦労するね。
身の回りを見ても例外なくそうだ。
曾根崎十三 投稿者 | 2023-05-21 11:18
すごく「宗教」に向き合ってるなぁと思いました。造詣が深い。おふざけではないうんこも出てきましたし、なんというか、この分量でスケールが大きいし、かと言って不足があるようにも感じさせない。
でも、葛藤もあるし「信じてない宗教」でもないような。
春風亭どれみ 投稿者 | 2023-05-21 11:24
悟りの境地ですねえ。Juanさんのゆく場所と書くものに驚かされてばかりです。これでいいのだ
諏訪靖彦 投稿者 | 2023-05-21 13:07
ホアンさんはたまにこういったエモい作品を書くので油断なりません。史実がどうであったかわかりませんが読ませる内容でした。
波野發作 投稿者 | 2023-05-21 16:39
うわっはははもどかーんもなく、きっちり締められてしまってもうどうしていいかわからないけど、これからはこういう重厚な作品がウェイトを増すのだろうか。しかしそう思わせておいてギャッとやられる可能性もあり、油断はできないのだ
小林TKG 投稿者 | 2023-05-21 16:42
海に向かって思い思いの言葉で拝んでいたっていうのがいいですね。本当に。とても。この世は一切が無常なのだから、それでいいじゃない。別にねえ。
退会したユーザー ゲスト | 2023-05-21 19:15
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