机に突っ伏していた私の肩を、誰かが揺らした。
「ルキオ、起きろよ、次は古文だぞ」
顔を上げると、クラスメイトの吉村がニヤつきながら私を見下ろしている。周りはざわついて、クラスの誰もが自分の用事を行っている、休み時間だ。私は前の授業を終えてからわずかな時間でも寝ていたのだ。
「古典さ、嫌いだろ」
「……俺が古典を嫌い、と言う訳じゃないが」
私の反論を無視して吉村は続けた。
「ハーフだもんな、古典イヤでも仕方ないよな、日本人の俺でもわかんねえし」
“ハーフ”と言う言葉に、私はもう何も感じる事は無かった。
「……」
「あの教師、多分昔“ガイジン”と嫌な思い出があって、お前に八当たりしてるんだよ」
「そうかな」
「何言われても受け流してりゃいいよ」
「あー、あ」
肯定的でも否定的でもない声を返しながら、私は吉村の向こうを見つめた。時計は既に授業開始の一分前を指して進んでいる。
「始まる」
「そうか」
吉村は自分の席に戻った。私も古典の準備をせざるを得なくなった。チャイムが鳴ると全員が席に着き、授業の準備を始める。
そして古典の教師、小西が入ってきた。顔だけ見れば、どこの会社や工場にでも居そうな、平凡な普通の日本人であった。
そして教師が号令をかけた。
「おい、起立」
学級委員などに言わせるのでなく、教師が自分で言っている。
「起立しろ、早く、オイ」
「……」
「礼」
教師は微動だにせず、生徒だけが頭を下げた。
「おい、ルキオ、お前頭下がってないだろ」
「……」
「もう一度やれ!礼」
「……」
「お前、アイノコだからって日本の礼に従わなくて良い訳じゃないんだからな、え、オイ」
「……そんな事思ってませんが……」
「もう良い、この前の授業は何をしたんだ、石村」
私の反論を無視し、石村と言う他の女子生徒に質問をした。
「え、ええと、古事記で……その……」
「内容だけで良い」
「神武天皇の東征で、その、長髄彦と対峙した場面……」
「まあそうだな、金色の鳶が神武天皇の弓に止まって、野蛮人の長脛彦たちの目を眩ませたと」
私は密かに長脛彦を応援していた。もちろん、この後彼らが討たれてしまうのは知っているし、神話にどうこう言うのも野暮なのは分っていたが、先住民のの土地や生活を神権的権威で奪おうとするそんな神武天皇一行に全く親近感は沸かなかった。
「神、そして天皇家の御威光に逆らう事は、それがどんな理由があろうと、天の意思に反すると言う事だから、もうこの野蛮人達は神武天皇に土地を譲るしか無いはずだった、だが長脛彦はそれに逆らってまだ戦おうとしたと」
頑張れ、長脛彦!
私は空しくも強く願った。長脛彦が神武天皇の首を切ってくれれば良い、それで侵略者は死に、一応の平和が……
「そしてこれはもうダメだと、そう考えた邇藝速日命は長脛彦を殺して、まあ後始末を他にも色々して、大和に平和が訪れる、今日はそう言う場面を読む、が……」
私の空しい妄想は当然崩れる。しかし妄想でもしなければこの授業をやってはいられなかった。
「おい、ルキオ」
「……はい」
「前週にやった、長脛彦に殺された、神武天皇のお兄さんの名前を言え」
「……五瀬命」
「そうか、まあ記憶だけは誰でも出来るからな、じゃあ何で神武天皇は一度撤退した」
「……ええと……戦況が良くなかったから」
「そんなのは当然だ!もっと詳しく書いてあるだろう!」
「……」
「アイノコだからって日本の古典を軽視して良い訳にはならねえぞ、え、オイ」
軽視はしていないし、むしろ登場人物を応援する位の親しみは有るのだが、長脛彦が好き等と言ったらまた怒り出すのだろうな、とかそんな事を考えながら、これもいつもの事だと思って私は黙っていた。周囲の視線は別になんてことは無い。
「太陽の神様の子孫が!太陽に向かう方角で!長脛彦を攻めたのがよくなかったと考えた!分るか」
「はい……」
どうしてこんなにどうでも良い理由で怒られるのだろう。ところで、多分皇居には太陽光発電は採用されないのだろう。
「……今日は資料として、音楽を聞かせる」
クラスの一同が前に注目した。教師は小さなCDウォークマンを取り出し、スピーカーを繋げた。
「昭和十五年、1940年、つまり皇紀2600年の式典の為に、北原白秋と言う有名な人が作った曲だ、海道東征と言う」
教師はCDウォークマンに、恐らく自分で焼いたCDを入れ、トラックを飛ばす。
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