同時代ファック

合評会2023年09月応募作品

Juan.B

小説

3,579文字

住宅街から県道に合流する道を伺った時点で、ひどく嫌な予感がしていた。そして今や、道路には大量の車が溢れており、少しも進まない。あちこちでピッピッとクラクションが鳴り、時々窓から顔を覗かす人々のボヤキが聞こえた。私も苛立ちながら、背中を座席に預けた。渋滞の理由はわかっている。私はラジオをまた別の局に変えた。どの局も同じ話題で持ちきりだ。

『スクープ! アイドルの末田精子、うんこしていた!』

MCがくぐもった声で、事の次第を騒いでいる。超有名美少女アイドルの末田精子が、うんこしていたことが明らかになったのだ。そして報道が広まり詳細が明らかになると、全国三百万人のファンたちが各地で暴動を起こした。街中でうんこした派とうんこしてない派が衝突し、電車やバスも放火されたため、人々の通勤手段は途絶した。そして今もファンたちの騒乱は続き、都市では警官隊と衝突して地方ではゲリラ行為を続けている。日本人にこれほどのポテンシャルがあったとは驚きだ。

その時、助手席の窓がノックされた。車を持ってない同僚が、わざわざ車の間を縫って乗りに来たのだ。私は鍵を開けた。

「よくわかったねぇ、金田。待ち合わせ場所にも着かないから悪いなって思ってたが」

「いやいや、ありがとう。この道を通るってわかってたから」

車種と色とナンバーで割り出したらしい。助手席に乗り込んだ金田は、まだ暑い外を歩いてきたためか汗ばみ、ハンカチで顔中を拭いた。

「金田、もう聞いたか。末田精子がうんこしたって」

「信じられないよ。うんこしてたなんて、ありえない」

「でもアイドルだって人間なんだぜ」

「お前は末田うんこする派なのか? 末田のあんな綺麗な顔をみろよ。彼女が排泄するように見えるか?」

私は、ううむと唸りながら返答を濁した。ファンでなくても、これは重大問題だった。うんこするのか、うんこしないのか、それが問題だ。

「いや、でも、飯は食うんだし……」

「末田が食べた物は夢と希望に変換されて、世界に還元されるんだよ」

「うんこしないのは末田だけなのか? 例えば、演歌のゴロちゃんや、パンクバンドのザ・フルシチョフ……他のアイドルの、そうだな、草井満子が食うと?」

「うんこになるよ。それは別だ」

おやおや面倒だな、と思いながら、しばらく様子を伺うが、車列は進まない。

「金田、これじゃ会社いけねえよ。帰ろうにもなあ。暴動ってそんな凄いのか」

「末田がうんこするって嘘ついたメディアのせいだ」

「いや、バスに火をつける奴も……」

「よほど許せないんだろ。俺もサラリーマンでなければ……」

その時、にわかに周囲が騒がしくなった。窓を開けて周りを伺うと、街の方から煙があがり、前の方から人々がまばらに車の間をすり抜けて逃げてきている。

「ダメダメ! 行くな! うんこしない派が暴れてる!」

誰かがそう叫ぶのを聞き、周りの車から次々と人が降りて抜け出していく。その時、前の方でベンツに乗った男が、窓から手を出して車のドアを掌で叩きながら、嘲笑う様に叫んだ。

「うんこするに決まってんだろ! うんこー! 末田精子はうんこしまーす! うんこしないなんてバカだろ! う・ん・こ! う・ん・こ! さっさとう・ん・こ! ぶりぶり!」

なかなかリズムが良いので少し笑ってしまったが、次の瞬間、何人かの男女がさっとベンツに近寄り蹴ったりしたあげく、ベンツの男を引き摺り下ろした。

「うわっ、なんだ」

「あんたもう一回言ってみなさいよ!」

「言ってやるよ。うーんこ! うんこ! まーつーだーはーうんこしまーす! うんこうんこ! 馬鹿じゃないのかお前ら」

「キィィ!」

女が金切り声を上げながらベンツ男に襲い掛かり、更に何人かが加わってリンチを始めた。

「死ねっ! 精子ちゃんはうんこしないんだよォッ」

「おい、ヤバいぞ……」

そう言いながら助手席に振り向くと、助手席のドアは開いており金田はいなかった。もう一度前を見ると、金田はリンチに加わっていた。もはやどうにもならない、恐ろしいものを感じ、私は車を飛び出した!

「逃げろ! 家に帰れ! ファンクラブがくるぞ!」

誰かの叫びを聞きながら、しかしそのファンクラブも見分けもつかないまま争っていることを考える。どうなるのかわからない。逃げるしかない。

思うに、我々は政治的な訓練に乏しかったのだと思う。うんこするかしないかの科学的議論を行う前に、その土壌が無かったのだ。いざこうなると、何に頼れば良いのか。末田精子のうんこ以前と以後で世間がどう変わるのか。

 

その時、遠くに、自衛隊の戦車や装甲車が見えた。いわゆる治安出動の事態に至ってしまったのか? しかし手っ取り早く保護してもらうにはあそこしかない。私は自衛隊に近づいていった。

自衛官たちは、ヘルメットに「うんこ」と書かれた鉢巻を締め、ライフルをやや上に掲げながら、車の間を縫って迫ってくる。私はとりあえず一番近い自衛官に手を振って近寄り助けを求めた。

「た、助けてくれ!」

「……あなたは、末田精子はうんこする派か?」

この自衛官も何を言っているのか、と思いながら、私はただ、うんこする、と頷いた。

「そうですか。賢明でよろしい。自宅に帰ってください。しかし、末田精子はうんこするが、草井満子はうんこしない。分かりましたね」

へ、と私は一瞬固まったが、ただ頷くしかなかった。次の瞬間、どこかで叫び声があがり、自衛隊は即座に身構えた。私はただ恐れに震えて伏せるしかなかった。

「末田精子ちゃんはうんこしねぇーッ」

「威嚇射撃ーッ」

あちこちで銃声が響き、そして前の方で車から火の手が上がった。遠くで爆発音がする。私はただ車列を抜け出し、泣きながらどうにか家までたどり着いた。

 

数日後、末田精子うんこしない派は駆逐され、末田のライバルだった草井満子がメディアに君臨していた。テレビや新聞は図解付きで、末田精子が如何に醜悪なうんこをしていたか、そして草井満子は如何に素晴らしくうんこをしないかを詳細に解説した。曰く、末田精子は実際には臭くてぶっというんこをしていたが、草井満子は全てが唇に触れた瞬間、愛とふわふわ元素に変換される。草井満子がかつてテレビ番組で旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだのはバカだからではなく、人間の山あり谷ありの人生を深淵に現したため。あと草井満子は日本語を高度に改良したマンピー語を喋る。私は情報の渋滞の中で考えるのが面倒になり、それを受け入れた。

街中では、今日も自衛隊が、「草井満子はうんこしない」の鉢巻を締めて治安維持にあたっている。装甲車に備え付けられたスピーカーからは、草井満子が国家と国民の象徴であり国体そのものであることが幾度も喧伝された。彼女が、世界なのだと。

 

何日かして、私はまた渋滞に遭遇した。それは警察の検問による物だった。のろのろと車列は進み、私の車の順番が来た。警官が運転席の窓から、マンピー語で話しかけてくる。

「ハイハイポリピー。マンピーは末田クソピーがゲリピーをブリピーしたファクトをアグピー?」

「えー、あー、マンピーベリベリアグピー」

「草井マンピーは国体であり日本国統合の崇高な象徴であるホリピーなファクトをスーパーアグピー?」

「はい、あ、イェイイェイアグピーハッピーゴーゴー」

「ポリピーベリベリラブリンバイピー」

警官は笑顔で私の車を通した。それでもしばらく車列はノロノロと進む。会社に間に合うか、と、ふと横を見ると、道路脇に、囚人のような人々が等間隔で何十人も並んでいた。更によく見ると、それらは街路樹に今ちょうど続々と吊るされる所だったのだ。先を見ると、ある中古車販売店の前を除いて道沿いに生えている街路樹には、多くの即席死刑囚が吊るされていた。そして私は、斜め向こうの囚人が、金田であることに気付いた。脇の、草井満子ファンクラブと関係があるらしい執行官が叫ぶ。

「マンピーはギルピーでキルピーだからバイピー! そうすればワールドオールラブリン!」

「うるさい! 末田精子はうんこしない! 黙れ! 末田は俺たちにそんな変な言葉を……」

「末田クソピーのゲリピーブリピーパープリンは国体のマンモスエネミーだっピー!」

執行官が金田を吊るそうとしたその時、車の空いた窓越しに、私は金田と目があった。彼も気付いたのか、叫んでくる。

「……おい、お前! いずれお前もこの列に並ぶんだ! 俺は信念によって、お前は怠惰によってこの列に……」

「シャラッピー!」

執行官の叫びとともに、私は金田の最期の瞬間から目を離した。ラジオから草井満子のマンピー音頭が流れている。私は何がどうなったのか分からないまま、街路樹の方には目もくれず、ただ車列を眺めた。

「ファックピー……いや、ファッピーか……」

その時、ラジオから大きな声がした。

『スクープだピー! 草井満子が覚醒剤所持でラリピーのパリピー……』

2023年9月18日公開

© 2023 Juan.B

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.6 (7件の評価)

破滅チャートとは

"同時代ファック"へのコメント 7

  • 投稿者 | 2023-09-19 16:42

    久々になんて勝手な印象で勝手に書いていいのかわからないんですけども、久々にホアンさんのこういう話読めて泣きそうになった。泣きそうになりました。以前の合評会でたびたび、ホアンさんについてこういう話の名手みたいな。そういう風に話してる、方がいらして、その時の私はよくわからなかったけど、今回わかった。精子とか満子とかマンピー語とか、嬉しみさえあった。実家のような安心感。

  • 投稿者 | 2023-09-23 21:05

    面白い、最高!
    習近平にも読ませてあげたい。
    世の中のたいていの揉め事はうんこするしないの次元だったのだと大悟しました。

    • 投稿者 | 2023-09-23 22:14

      「うんこするのか、うんこしないのか、それが問題だ。」を読んだ瞬間、鈴木いづみの『エンドレスワルツ』に「速度が問題なのだ。音にしても言葉にしても」みたいなセリフだかアオリ文だかがあったのを思い出しました。それはともかく、うんこする・しないを延々と繰り返していて、この種のねばり強さが小説には必要だよなあとしみじみ思いました。傑作。

  • 投稿者 | 2023-09-25 17:25

    地獄みがすごい。声に出したい日本語のオンパレードに感服しました。ちなみにアイドルはうんこもおしっこもしません。代わりに金塊と聖水を下賜します。

  • 投稿者 | 2023-09-25 18:59

    「さっさと引っ越し、しばくぞ」とか「草井満子」とか「のりピーのシャブ事件」とかホアンさんらしいネタがちりばめられていて、面白く読ませてもらいました。草井満子を天皇に置き換えて読むとさらに面白いですね。

  • 投稿者 | 2023-09-25 19:12

    あえてうんこで行くとは!
    おしっこに走った(尿意的な意味ではなく)私と対極ですね。
    それにしてもひっどい名前ですね! 「草井」さんはよく出てくる気がするので全国の草井さんに謝罪を求められる日も遠くないと思います。
    直接的な天皇ネタじゃないハチャメチャが新鮮でした。

  • 投稿者 | 2023-09-25 19:26

     アイドルがうんこをするか否かの論争ががきっかけで全国各地で暴動が発生するという設定に無理があり、作品世界に浸れなかった。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る