ばあちゃんが去年の末から入院している、内容の深刻さの割にいやに事務めいた一文が父からのLINEで送られてきた。は? どういうこと? 大丈夫なん? 思いついたままに返信したが、既読になっても返信がない。通話にしようかと迷っていると、コロナで面会もリモート。立てなくなったのでリハビリしている。と返信がきた。祖母はもともと片足が不自由で、右足を引きずるようにして杖をつきながら歩いていた。最後に会ったのは……三年前の夏だったので、思い浮かんだその姿は麻の薄い藍色をしたワンピースで白い麻のつば広帽子を被っていた。突然スマホが振動したので画面を見ると、ビデオ通話を要請する「父」という文字が映っていた。画面をスクロールすると、ずいぶんと後退した生え際の下で明かりを反射する父の額の半分と、その下に銀色の眼鏡の縁が映ってガサゴソと音が立っている。ああ、映っとるよ、お父さん、母の声がしてカメラがブレながら父の顔を捉えた。
「おい、聞こえるか?」
「聞こえとう」
「じゃあ、ばあちゃんに繋ぐけん」
「え!? なに? もう……」
いつもながら唐突な流れに驚きつつ身構える。映像の端で母が笑顔で手を振っているのが通行人を捉えたテレビカメラのように流れて、ノートパソコンが現れた。え? 繋ぐって、配信ではなく、物理的に? 嫌な予感と同時にパソコンの液晶画面の中に粗く8Bitで再現されたような白髪の老女がおばあちゃんですぅ、と聞き取りにくい声を上げていた。ただでさえ耳の遠い彼女に、この状況で会話など成り立つはずもない。だーいじょーうぶぅ?! と変なおじさんみたいなテンションで叫んだが、昼ご飯ば食べとったとよ。と祖母とはかみ合わず、とりあえず元気そうなことが分かっただけでも収穫として、会話をあきらめ、愛想笑いを浮かべた。
「ばあちゃんね、こん頃おじいちゃんの夢ばよう見ると。最後にニューヨークに海外旅行ができた、思い出みたいな夢。あん頃はねえ、ばあちゃんも杖つきながらでも歩けて、飛行機にも乗れて。今じゃ本当に夢みたいねえ」
祖父はわたしが小学四年生の時に脳腫瘍で亡くなった。生前に祖母と二人で行けなかった新婚旅行代わりと、祖父が祖母を連れて渡米したのは、祖父が入院する一年ほど前のことだった。最近でも祖母の枕元には、当時二人で自由の女神の前で撮った記念写真が写真立てに入れて置かれていた。わたしは当時彼らがアメリカに行くということに特別な感情は抱いていなかったが、周りはどうやら驚いていたらしい。祖父の三回忌の時、わたしの顔が祖父とそっくりであると遺影を眺めながら叔母が感慨深げに言って、祖父が戦時に特攻機を生産する工場で働いていたことを明かした。
「もし原爆が落ちとらんかったら、じいちゃんも特攻隊に志願して、おらんかったかもしれん」まるで原爆に祖父の命が救われたような言い様に、ずっと被爆者の体験談を学校の集会で聞かされてきたわたしは大きな戸惑いを覚えた。と同時に、なぜ祖父が敵国であったアメリカのニューヨークに人生最後の海外旅行地を選んだのか、永遠に直接語られる機会が失われたその理由を知りたいという気持ちが芽生えた。
「日本人が英語なんかば習ったって何になるとや? 日本語もロクに話せんとに」祖父はそんなことを口にして憚らない、グローバル社会などとは無縁な田舎の家父長的価値観が染みついた人だった。祖父の家に行くと、彼はいつも居間のテーブルの真ん中の定位置に座って煙草を吸っているか、お茶を飲んでいるかしていた。娘である母が台所で祖母と談笑している間、居間に残された幼いわたしと、二つ下の弟にどう接していいか、わからなかったのかもしれない。祖父は二人の脇の下をくすぐって笑わせることでコミュニケーションをとることしかできなかった。だから、わたしたちが居間のテーブルの周りを走り回って彼から逃げていたことくらいしか、良い思い出としての記憶はない。
「ばあちゃん、何でじいちゃんは最後にニューヨークに行ったと?」
「え?」
「なんで最後の旅行にニューヨークば選んだのかって」聞き取れていないらしい祖母を見て、母が大きな声でモニターに叫んだ。
「じいちゃんね、特攻隊の飛行機ば造る工場で働いとったとよ。最後の方は工員も特攻隊に志願して飛行機に乗りこんどったって。そいで、じいちゃんも志願しとったとさね。でも、その特攻一日前に終戦したと。もし一日違ったら、この世にじいちゃんもあんた達もおらんかった。やけん、その後じいちゃんは死んだつもりで働いたって。定年したら、気の抜けたって言いながら、じいちゃんが殺したかもしれんアメリカの兵隊たちは今なんしよっとやろかと、気になったらしかよ。突然ラジオで英会話ば練習しだしたとさ」
退会したユーザー ゲスト | 2022-03-22 22:20
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退会したユーザー ゲスト | 2022-03-26 09:31
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ヨゴロウザ 投稿者 | 2022-03-23 23:49
スマホの画面から始まって、起点となる玉音放送の場面へと遡り、また順を追って戻って来るこの時間の構造?がとても良いなと思いました。故意にでしょうが境界がぼかされているので少し読みづらくはあるのですが、凝縮された長い時間を感じます。
実は自分も今回、初夏の広々した郊外から家、さらにその中の一室という風に場所を縮めていってまた広い外にという構造で長い時間を詰め込みたかったのですが、途中で外出したり、一日の出来事で終わったり、エンディングも駆け足になったりで上手くできませんでした。
小林TKG 投稿者 | 2022-03-25 22:21
Twitter、Twitterだったかな。多分Twitterだったと思うんですけども、ある人がおじいさんに艦これをやりたいって言われたらしくて、戦争体験系のおじいさんで、艦これは船が女の子になってるゲームだから、ほんとにやるんですか?みたいに聞いたら、
「それだからやりたいんだ!」
みたいに言われたらしくて。そこにこう、なんというか哀愁というか、さわやか感動みたいのがあるんですけども。そういう話ですねこれは!
古戯都十全 投稿者 | 2022-03-25 22:51
重い戦時の記憶と長尺の時間がコンパクトにまとまっていると思います。
「殺したかもしれんアメリカの兵隊たちは今なんしよっとやろかと、気になった」という祖父の言葉は虚勢で、動物園で米兵にも家族がいたという事実に直面して心情が変化する、という風に読みましたが、それは祖父が自分自身の垢を落とすようなことだったのかなと感じました。
戦争という言葉がなかなか歴史になっていかない世の中の趨勢と照らし合わせて読みました。
大猫 投稿者 | 2022-03-26 15:21
視点と時間軸の切替がちょっと唐突に感じましたが、全体の流れに沿っていたので読みにくくはなかったです。戦時中から戦後の時間の動きとともに、じいちゃんの心の動きに付いて行けました。戦時中は敵国語であり、戦後生活に明け暮れている間はよその世界の言葉であった英語を、年老いてから学びなおし旅先で現地の人と会話する、「ラジオ英会話」のお題に沿った内容でした。
戦後、満州から運よく帰国できて、後に中国語を学びなおして、残留孤児の親探しの手伝いに奔走したという人が何人か知り合いにいました。(もう亡くなりましたが)
こういう物語はだんだんと遠い世界の話になって行くのでしょうね。
Fujiki 投稿者 | 2022-03-27 20:43
ラジオ英会話と玉音放送の並置による時間のシフトが鮮烈。たどたどしい英語に戦争の記憶の語りにくさを重ねている点も見事。方言のリアルさから、現代編の語り手はきっと作者の分身だろうと思って読んでいたら、途中で女性とわかって驚いた。女性目線の話を書くのは珍しいのではないか? 星五つ!
鈴木沢雉 投稿者 | 2022-03-28 05:06
まさかラジオ英会話と玉音放送をリンクさせるとは。グッドアイデアです。
長崎で特攻機を作っていたという話にものすごい既視感を覚えるのは気のせいでしょうか。松尾さんの出自に関連する実話かと想像します。
曾根崎十三 投稿者 | 2022-03-28 10:56
夏を感じました。白が太陽光で反射して全体的にぼやけるような夏。
ラジオ英会話、私はまず「ラジオ」のところでつまずいたのですが、「ラジオ英会話」の「ラジオ」の部分をしっかり生かされていて良かったです。
ばあちゃんはじいちゃんの回想をしながら死んでしまったのでしょうか? 「押し潰されるような沈黙」が急に現実に引き戻された感じで緊張感があります。
波野發作 投稿者 | 2022-03-28 17:39
同じテーマ、似たような文字数でありながらこの重厚感と深み。それに比して自作品のなんと軽薄なことかと大いに絶望した。
Juan.B 編集者 | 2022-03-28 20:38
毎回合評会のお題への応答が楽しみだが、「ラジオ英会話」も重厚な作品だった。登場人物それぞれの時の流れが重くのしかかる。