すみれがねついてからも夜はながい。
ココアを淹れて書斎で文庫本をひらいた。『ヘミングウェイ全短篇』のさいごの巻である。どの短篇のどの頁を読んでも、兵士たちが戦地でさまざまのぐちをこぼしているばかりで、筋らしい筋はみえない。むかしからこの手の小説はにがてだった。そもそも活字がにがてだった。
二時間ほどかけて百五十頁ほど読み、しおりをはさんだ。時計は二十二時をすこしすぎたところで、とうぜん、ねむけはまだこない。
目をつむって私は、首都高速をくるまでとばす妄想にふけった。車内にはふるい音楽が鳴っていて、助手席には登紀子がすわっている。じっさいにそれが実現しないのは、すみれがいるからであり、登紀子がいないからである。
目をあけてテーブルにおかれたじぶんの右手に視線をおとすと、それがこきざみにふるえてみえた。焦点があうと、みまちがいであるとわかった。
こういうみまちがいは、心臓にわるい。また禁断症状がでたのかとおもうと、人生最悪のときにひきもどされる心地がして、いまある生活も過去のじぶんにのみこまれてしまうのではないかとひたすらにこわくなる。
雨音がした。風がまどをたたいた。やがて、どこかに雷がおちた。
部屋のドアがひらいた。
「パパ」
すみれだった。
「すみれ……、おきちゃったか」
私はすみれをだきかかえた。
「ご本よんでたの」
「そうだよ」
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