龍神

かきすて(第40話)

吉田柚葉

小説

1,979文字

ついに四十作目です。ようやくこれだけ溜まりました。

昼すぎに目ざめて、水をのみ、ちょっと机にむかったが、一文字もすすまず、きのう書いた原稿をなんどか読みかえしているうちに、小説ぜんたいがひどくぶさいくなものに感ぜられ、そのぶさいくからのがれるために、マンションを出た。

外は、暑かった。

昨夜さんぽに出たときは、すこし肌寒く、だから秋の入口にたったつもりだったが、ひと夜を越えると、見えぬ巨人の巨大な腕でいたずらに夏におしもどされたけはいで、「人生、そうあまくないぞ」という遠い日の父のことばが、まだぼくを支配しつづけている。

電車に乗った。奈良駅まで行って、おりた。

ふらちにも、夏が、ぼくを追いかけてきた。

奈良公園をぶらついた。木陰で鹿が二匹よりそってねむっているのをしばらく見ていた。なごやかなここちになりかけると、とたん、書きかけの小説のことが思い出され、ちんぷな書き出しや、じっかんのこもっていないセリフ、なげやりなものがたり展開が、ぼくを折檻した。

うで時計を見ると、まだ十五時だった。夜になればなんとかなる、そんな気がした。夜中に書いて、朝読みかえすと、まるでだめなのはいつものことだが、書きすすめているときの感覚と、しらふになったときの感覚のどちらがじっさいにほんとうなのか、いざ仕上がってだれかに読ませてみるまで、わからない。夜の感覚がただしいこともあるし、昼の感覚がただしいこともある。だから、とにかく夜をまつのは、そんなにもまちがったことではないのだ。

鬱が、停滞する。

空が、ぬけて青い。

猿沢池まで下った。むかし、ここに龍がおりたったという。天皇は十五代くらいまで龍の御姿をなさっていたらしいが、そうすると、この池におりたったのは、またちがう種族の龍なのだろうか。

龍には、三本指と六本指の二種類があるとのことだ。

豊臣秀吉は六本指だったらしい。かれの出生はいろいろと言われており、「秀吉の出生、元これ貴にあらず」とあったり、あるいはまたその反対の説もある。天下人と言われるにんげんが龍となれば、これはロマンがあるようで、また、なにかおそろしくもある。

龍が龍のすがたで人まえにあらわれることは、さいきんではあまり聞かない。にんげんのすがたでくらしているのだろう、と思えば、ここを往来するひとびとの中に、ひとりくらいは龍がいてもおかしくない。

もうそうがふくらむ。しぜん、あたまの中で一篇の小説ができあがる。

これを、ただ、文字に起こせばよいのだ。

池のまえにはスターバックスコーヒーがある。リュックサックの中にノートパソコンをいれてきたので、アイスコーヒーをのみながら、キーボードをたたいた。しかし、小説は、思うように成らない。もうそうの中の物語は、文字に起こすとき、すでにその鮮度をうしなっていた。

それは、こんなものがたりだ。

秀吉はじつは龍神であり、現代にまだ生きている。時代のときどきで、暗躍したり、あるいは平民のふりをしてみたり、おおむねはじぶんの思うとおりに日本をうごかしてきたが、生まれて千年経ち、元号は令和にかわり、生きることにすっかり厭きてしまった。龍神にとり、厭きるということは死ぬということだ。

秀吉は死がこわくなかった。肉体が死んでも、命はつきない。ただ輪廻転生がつづくだけだということをかれは知っていたのだ。

秀吉はじぶんが肉体を持って生きた千年を思いおこした。その千年は、血ぬられた歴史であった。じぶんでひとを殺したこともあるし、部下たちにひとを殺させたことも数知れなかった。殺して、殺して、殺した。宇宙の法則に則れば、来世以降、秀吉は、かれが現世で殺したぶんだけ、だれかに殺されつづけるのであった。

それは、ぜったいにさけられないことだ。どの宇宙のどの銀河に転生しようとも、たとえこの地球の物理法則とまったく異なる物理法則をもつ惑星に転生しようとも、この因果応報からはどうしてものがれられないのだ。

死のしゅんかん、殺されるために生まれかわることの甘美さに、秀吉はつつまれた。……

書きあがったとして、こうした小説は、文壇では評価されない。それは、すでに過去の作品で実証済みであった。

ぼくは、この小説のほんの十パーセントほどを書いて、ファイルを保存もせずに消した。

窓のむこうはもうくらやみだった。

スターバックスコーヒーを出ると、またも秋の入口であった。

池のちかくに、老人がひとり立っていた。おおきなきんちゃく袋をせおっている。

ちかづくと、ぶつぶつとなにかつぶやいている。

「ひきかえすことはできんよ」

というのだけ、聞きとれた。

奈良駅まであるいた。

ホームにひとはなかった。

ベンチにすわって電車をまった。ふあんていなベンチのために、ちょっとした体重の移動できしむ音をたてた。

ながい時間がすぎた。マンションにもどって、書きかけの小説のつづきを書けるものか、そればかりが気になり、動悸がおさまらなかった。

2021年9月25日公開

作品集『かきすて』第40話 (全41話)

© 2021 吉田柚葉

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