なにもない男

かきすて(第39話)

吉田柚葉

小説

1,606文字

なにもない男の話です。何もなくても生きてます。

ゆれた。

重いまぶたをあけると、おじさんがのぞき込んでいた。制服をきたおじさんだ。その両うでの力がおれの両肩にかかっている。
「お客さん、もう終着駅だよ」

おじさんの口臭がとんでくる。
「はい」

とおれは言った。
「だいじょうぶ、もう電車ないよ」
「ここがもより駅なので」

そう言って、おれは電車をでた。

出口がわからなかった。だが、もより駅と言ったてまえ、どこにいけばそとに出られるのか、だれかに訊くのははばかられた。

しばらく駅内を徘徊し、改札を見つけた。カード乗車券のチャージ残額が心配だったが、足りた。のこり七十円になった。

タクシーをひろった。財布の中をかくにんしたら、五百円しかなかった。だが、乗ってしまったものはしかたがなかった。
「もしかして芸人さん」

と運転手が言った。
「はい」

とおれは言った。
「だと思いましたよ。けっこうね、私、芸人さんを乗せるんですよ」

声はあかるかった。

芸人に好意的な運転手なら、もしかしたら無賃乗車もゆるしてくれるのではないかと、夢ごこちに思った。

だがその後、運転手の話が、ふおんな方向にすすんだ。いわく、いちど、芸人に無銭乗車をされた。目的地につき、ドアをあけてやった瞬間に、そとへと駆け出して行き、けっきょく、逃げきられてしまった。

おもむろに運転手がラジオの音量をあげた。
「いまラジオでしゃべってる、このひとですよ」

おれがせわになっている先輩だった。

このまま、タクシーが爆発すればよいと思った。

おれは、タクシーにのり込んだそのときにもどりたかった。運転手がエンジンをかけると同時に、くるまの内部にしかけられた爆弾が作動し、運転手とおれは地獄の業火に焼かれる。それでおわりだ。

こういう想像のもとは、どこにあるのだろうと、やけに粒子の粗いやみを窓からのぞきながら、おれは記憶をたぐりよせた。おそらく、小学生のころに親父といっしょに見た、マーティンスコセッシの映画だ。ひとがゴミのように死ぬことよりも、くるまの爆発が強烈で、怖かった。いまとなっては、そんな死に方が、やけに甘美に感じられる。

タクシーはすすむ。そして、おれの知る夜のけしきに出る。

ついにおれのアパートについた。おれは金のない旨を運転手につたえた。とたん、車内に暴力のけはいがひろがった。かのじょがいる、とおれは言った。それから、あんまり唐突すぎたと思いなおし、家に金がある、とことばを足した。いっしょにへやまでついてきてくれていい、とつづけた。運転手はそこまでしないが、金をはらうまでいつまでもここでまっていると言った。

おれはマンションのじぶんの部屋にはいり、ねむっているナオミをたたきおこした。

事情を説明すると、わたしがはらいにいく、と冷めた声で言った。
「いや、いいよ。お金だけくれればおれがはらうから」
「運転手さんにあやまらないとだめでしょ」

とナオミはきかなかった。
「アパートの下にとまってるのね」

かくにんして、ナオミは部屋を出ていった。

おれはベッドによこになった。たすかったと思った。

目ざめると、すでにナオミはいなかった。むし暑い昼間だった。スマートフォンを見ると、マネージャーからメッセージが来ていた。

川田さんが体調不良とのことなので、今日のライブは欠席で良いですか?

とのことだった。おれは、すこしだけ、じぶんひとりで舞台に立つことをかんがえた。できるはずがなかった。

欠席でお願いします。

と返信した。

きんじょを散歩した。公園にはいり、子どもたちがあそぶのをながめた。

なんとなく、厭な夢を見た記憶があった。ナオミに刺される夢だ。夢の中で、おれは死んだ。

先月、じっさいに、刺された。致命傷になりかねないいきおいだったが、間一髪でかのじょの手くびをつかみ、しかし、皮一枚、刺さった。

死ぬか、結婚するか、えらべ。

ナオミは、血走った目でおれをにらみつけて、そう言った。おれは、結婚をえらんだ。
「アイスクリームが食べたい」

ふと、そう思った。

2021年9月20日公開

作品集『かきすて』第39話 (全41話)

© 2021 吉田柚葉

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