絶世の美女

絶世の美女(第3話)

吉田柚葉

小説

7,952文字

作品集のタイトルにつけてしまったので後付けで書きました。

「絶世の美女」ということばをさいごにみたりきいたりしたのは、はたしていつのことだったか。それがだれかに対しての惹句としてもちいられていたとするならばまさか令和のこのときにはふるめかしすぎるし平成のいつぞやではあるとおもうのだが、それにしてもふるめかしいだろう。ためしにGoogleで「絶世の美女」で検索してみると、画像に出てくるのはオードリー・ヘップバーンとか原節子とか吉永小百合といった女性たちで、どれも白黒写真のものばかりだ。「絶世の美女」はとうに死んだ表現なのである。

そんな死んだ表現の死にっぷりを十全にうけいれたうえでしかるべき文脈をえらんでねこだましのごとく不意打ち的に使用することで目が覚めるような峻烈な印象を読者にあたえる……、そんなエンバーミングじみた文章技法を華麗にあやつってこそ作家というものであり、この「絶世の美女」ということばに思いあたってからというもの私はそのしかるべき文脈をさぐりつづけていた。そういう「あえて」の不意打ち的文章手法で以て文章巧者の名で聞こえたところが私にはあって、処女作『帰りの列車』においてもっともおおくのひとから褒められた箇所は、「青い鳥」ということばをもちいた直喩のつかい方であった。だがいまおもえば「青い鳥」ということばのつかい方を過剰に褒められたのは作家的成長という意味では私にとりあまりよくなかった。文学的探求にきょうみをなくし、センスの良さにのみ拘泥する作家になったのだ。「絶世の美女」ということばを効果的に配置するという目的から逆算して文章を構成するといったあんばいで小説を書くものだから、しぜん、物語は貧弱になり内容は深みを欠いた。

平成のいわゆるゼロ年代であればその深みのなさをこそ肯定してくれる批評家もあらわれたやもしれぬが、音もなく時代はかわった。今日びただの美文家にむらがるのは自意識をこじらせたサブカル女だけである。なんのことはない、ただだれでもよいからひとからチヤホヤされたいという、めぐまれない学生時代の意趣返しの道具として小説をつかったむくいとでもいえばよいか、あるいはこの結果をふくめて当初の目的どおりなのだからむくいとさえいわずしらぬ顔をしてよろこんでおけばよいか、なんであれ私が文学に対してきわめてふまじめなのはまちがいがなかった。
「文学に対してただまじめなだけの作家よりよっぽど良いわよ」

などと言って私を肯定してみせるのは、由美子である。この女とはTwitterのDMでであってつきあいはじめた。その日私たちはきんじょの映画館で末期の肺がんと診断されたサラリーマンのさいごの百八十日をえがいたやけにしずかな映画をみてそのかえりに個人経営の喫茶店に寄ったのだった。店内では無名の女性歌手がうたう『ビリー・ジーン』がながれている。

それから由美子は、文学に対してただまじめなだけの作家のなまえをつらねてみせてこれらの作家に足りないのはじぶんが文章を書いているという自覚だ、と断じた。文学的にとって真の問題とは言えぬ内実ばかりをもとめ文体すなわちスタイルができあがっていない。しばしばスタイルすなわち表層が内実をしめすことがあるということをもっとしるべきだ。だいたいはそんな論であったが、そうすると私は、みずからのスタイルを確立した、文章を書くということに意識的な作家ということになる。だがそうではないことはだれよりもこの私がよくしるところだ。

それから私たちはかるいものをたべてちかくのラブホテルにはいった。することをしてラブホテルの入口で由美子とわかれた。由美子は私にじぶんの家をしられるのが厭らしく、おくろうかと提案してもことわられるのだ。

マンションにもどってキッチンで水をのむと家路を往くあいだにしらずしらずあたまのなかで一箇の短編小説を書きあげていたことに気がついた。こうしたことはよくあるのだがこれをそのまま文字に書き起こしたのではとても読めるものにならない。何日かほうっておいて発酵するのをまつのだ。それから自慢の美文で加工すると、サブカル女くらいならどうにかだますことができる作文になる。
「子どもだましというのともちがいますね、芸大生の女限定でだましているわけですから」

とは、私の長編小説を担当している、私よりひとまわり以上も歳下のわかい男性社員に言われたことだ。なんにちかまえのことだが、私たちはかれの会社の金で焼き鳥をつまんでいた。
「えらいもんで文壇のえらい先生がたは私の小説など評価しないよ」
「そりゃそうでしょう」

と男性社員はおおきくうなずいた。「いくらなんでもここまでのニセモノになにかの賞をあげるわけにはいきませんからね」

男性社員はまだそれほどのんだわけでもないのにすでに酔いがまわっていた。私はかれの頭をすこしこづいた。
「わっ、なにするんですか。うちの会社の金でメシ食ってるくせに」
「たしかに私の小説はニセモノだが」

とことばに出して、つまった。思いがけず声がふるえてしまったことにじぶんでおどろいたのだ。

「私がわかくてかわいらしい女性作家だったら、なにか賞をもらえると思わないか」

なんとかそう言った。
「言えてますね」と男性社員は同意した。「先生がわかくてエロくてかわいい女性だったら、ぼくだって編集部で全力で推しますよ。八百長でもなんでもして谷崎賞をあげます。王様のブランチで紹介させたって良い」
「私が絶世の美女だったら……」

と私はポツリと言った。だがそれは男性社員にはきこえていなかったようだ。もしきこえていたならば「うわ古っ。そんな手垢のついた古い表現ばかりつかうからダメなんですよ」などとバカにされていたはずだからだ……。

私は冷蔵庫からウイスキーの瓶をとりだしてなめた。ベッドのなかにはいってきょう見た映画のよくなかったところを思いかえしているうちにその記憶にかぶさってくるように男性社員のことばをおもいだし、しだいに怒りが煮えていった。けっきょく朝方になるまでねむりにつけなかった。

固定電話のベルの音で目覚めた。スマートフォンでじかんをかくにんするとまだ六時まえだった。すぐに、あいつか、と思った。
「おい」

第一声がそれだった。受話器のむこうの男が確定した。
「ひさしぶりだな」

と私は言った。もう三年ほどかかってこなかった電話だ。
「おまえがバカだから悪いんだ。あやまれ」

私は黙した。男はつづけた。
「おまえがこの世界で、この世界で、つまりこの戦場で、武器をとるでもなく、武器をとるでもなく、武器でもとるでもなく、銃をにぎるでもなく、銃をかまえるでもなく、かまえるでもなく……。それでなんの因果かうちの犬がずっと吠えてとまらないんだ、空からは公害が降るしな、公害が、公害がな、公害がだ、皮膚を焼く、喉も焼く、喉も、喉も……、なあ、わかるか、わかるよな」
「わかるよ」

と私は言った。

それからしばらくまったく要領を得ない男の演説がつづいた。そして、
「絶世の美女がだな……」

ときて、とたん、心臓をわしづかみにされたここちがした。ききまちがいかと思ったが、男は「絶世の、絶世の美女が、絶世の美女が、絶世の美女が、」といかれた詩人のようにくりかえした。私は電話をきった。そして電話線をぬいた。

男が私に電話をかけてくるきっかけになったのは三年半まえに私が書いた震災についてのエッセイだった。おまえは死者を冒涜していると男は言った。どうやって私の電話番号を知ったのかと問うと、おれとおまえの仲じゃないかと言われた。てっきりしりあいかと思ってなまえをきくと知らぬ名だった。どこで知りあったのかと問うと、おれとおまえの仲じゃないかとだめ推しされた。それからはどうどうめぐりだった。

電話は毎日かかってきた。男のはなすことは日に日に不明瞭になっていった。ことばとことばは意味の紐帯をうしない文法はどこかにおきざりにされた。迷宮にまよいこむというのではなくあたかも死体がくさるように男の訴えは溶解していった。そのことについて男にも自覚があるらしく、みずからの主張がうまく言語に変換されないことへの恐怖が電話ごしにつたわってきた。警察に相談してもどうせむだなので、朝の六時ごろにかかってくるのをよいことに目覚まし代わりにつかった。二ヵ月か三ヵ月かしてとつぜんに電話がかかってこなくなった。電話がかかってこなくなった日、私は目覚ましをうしなったために夕方ほどまでねむりつづけた。そのときの目覚めは人生最高のものだった。男は死んだのだ、と確信した。げんにきょうまた電話がかかってくるまではそのけはいすら感じさせなかった。それが急にまたはじまったのである。死んだはずの男が生きてかえってきたというよりもあの毎朝六時に電話がかかってきた日びにだしぬけに別のルートがしかれて世界線がいれかわったあげく、またなにかの拍子でもとの世界線へともどってきたというけはいであった。だからこの世界線ではひきつづきあの男のよまいごとを目覚ましにつかうことになるだろう。

それにしても気になるのは男が言った「絶世の美女」という語句である。男はめあての意味にむかってまさぐるようにしてことばをさがしその過程をすべて口に出すといったしゃべり方をするのだが、男がみずからの心の内奥にせまるなかで電車がポイントを切り替えるように私の心の内奥へとつながるということはあるのだろうか。「絶世の美女」ということばを男が言ったしゅんかん、ここのところ私がすっかりとり憑かれていることばに偶然にでくわしてしまったというよりも私の内側に男がはいりこんできたという侵害の暴力をつよく感じたのであった。そうして「絶世の、絶世の美女が、絶世の美女が、絶世の美女が、」とことばをくりかえすなかでいよいよ男が私の核心へとせまってくるのを感じ、私はにげるようにして電話をきった。そしてこれはダジャレでもないのだが、あたらしく連結された世界線をたちきるために電話線をぬいたのだ。

かつて我が家の電話線をぬいたことはなかった。電話がつながることによって男に私と話す手段(もっとも私はほとんどなにも口をはさまずうなずくだけだが)をあたえ、そのことによってほかの手段に目がむかないようにしていたところがあった。たとえば、私が電話にでないために男がマンションまで出むいてくる、といった事態をふせいでいたわけだ。だからこうして電話線をぬいたことによってある朝とつぜんに男がうちのインターホンを鳴らす、ということもありえない未来ではなくなった。そのとき私はどう対処するのだろうか。訴えに応じて玄関のドアをあける気もするし、おそれを成して警察を呼ぶという気もする。玄関のドアをあけて男と対峙して、その男の顔に私の顔を見る……、そんな未来がうかんだ。これはいかにも三流の作家が思いつきそうなことである。こんなくだらないイメージしかわかないようでは、そうやっていかれたじぶんと対峙した際に対消滅してしまえばそれは世界にとってよほどよいことに思える。

なんであれ男は規則ただしく毎朝六時ごろにだけ電話をかけてくるときまっている。きょうのぶんはおわったのだからつぎに電話がくるまでまる一日ある。その間に電話線をぬいておくか、またつなげておくかかんがえればよい。

ところで私は男からまいにち電話がかかっていたころはいったいどんな風に午前中のじかんをつかっていたのだろう。なんの予定もなくおきるひつようがない午前のあいだはねむりによって消費するときまっている。私の筆がのるのは夜も更けて日をまたいでからであり、なんとなればこんな混濁した頭では論理にかたむいた記述も耽美に酔った描写もものせそうにない。この午前中は三流の作家としての仮面を棄ててひとりの人間として生きのびるよりしかたないのである。

まずは朝食をとった。といって、冷蔵庫のなかにはきちんとした料理をするに足る食品なんぞあろうはずもなく、かろうじて見つかったのはたまごとハムだけで、しぜん目玉焼きをつくることとなった。ソースをきらし醤油もないが、賞味期限をきらしたコショウがあったのでそれでたべた。その後しばらくはじぶんが書いた本を読んだ。商品になっているだけの小説だった。だが私はむかしから商品になっているだけの小説が好きだった。八時をすぎたころ、スマートフォンの画面できょうが月曜日だということをかくにんして、いまから散歩にいかないかと蘭にLINEでメッセージをおくった。蘭は大学生なのだ。

すぐに「いいですよー」というメッセージがかえってきた。私たちはきんじょの公園でおちあった。蘭はどこかの国の街角を四角くくりぬいた写真がプリントされた白のTシャツにやわらかい材質の黒と緑の配色スカートといった服装で、頭は丸坊主だ。目は切長で上につりあがっていて、ツンととんがった唇は一文字にとじられているが、いつもなにかいいたげだ。これで私の小説が好きだ、と言われればそれはそれで納得するのだが、蘭は私の小説なんぞ読んだことがないという。それどころかこれまでの人生でわずかに読んだことがある小説は国語の教科書に載っているものだけだというから、さすがにすこし勘ぐりたくなる。学校で朝の読書時間があっただろう、あのときはどうしていたんだ、と問うと、国語便覧をながめていたというのだから筋金入りである。すこし発達障害の気がある。だが私はむかしからそういう女にやたらとそそられるのであった。
「絶世の美女のお出ましか」

と、かのじょよりすこし先に公園についていた私は、風になびくスカートをひきずるようにしながら、それでもピンと背筋をのばしてあるいてくる蘭にむかってそう言った。
「なんですか、それ」

と蘭は言った。
「絶世の美女だよ」
「ゼッセイノ美女」と蘭は反芻した。「ゼッセイノ、ってなんですか」

蘭は都内のそうわるくない私立大学にかよっているはずなのだが、知識のなかにスコーンと穴があいているところがあり、ことに言い回しとなると絶望的につうじない。そしてつうじなかった言い回しを因数分解してかのじょに教えようとすると、あんがいと説明に手こずることが多く、ことばをつかうとは、とか、ことばを理解するとは、といった大文字の哲学の沼のなかにあやうく片足をもっていかれそうになるのであった。
「ゼッセイノ、というのは絶対の絶に世の中の世と書くんだ。世にまたとないほどにすぐれている、という意味になるかな」
「それがわたしですか」
「そうだ」

と私はうなずいた。
「ありがとうございます」

蘭はすなおにそう言った。うれしくもなさそうだった。それは私のことばにうそを見たというより、じぶんの美に興味がないというふぜいであった。じっさいに興味がないのかは、もちろんわからないが。
「きょうは朝から活動しているんですね」

と蘭が言った。私たちは公園を出て郊外にはいり、みちをあるきだした。左右に似たような一戸建住宅がならび、はるかむこうまでつづいていた。
「そうだ。なにかめざめてしまって」
「ねむりがあさかったんですね」
「そうだね」
「もっとねむりたかったですか」

私はちょっとかんがえた。なにかとうぜんのこたえとして「ねむれるものならねむりたかったさ」と言いそうになったが、はたしてそれはほんとうだろうか。歳をとるごとに、ねむるということに淡白になっている気がする。ねむりたいとか、ねむらなくては、といったあせりは消え、ねむるために努力したりすることにあきてしまったのではないか。私が自由業だということをさしひいても、そこに関する執着がはなはだよわい。
「ねむりたくはなかったかもしれないね。ちょっと厭なことを思いだしてそれにとりつかれていたんだが、はやくに寝ついたところでそいつを夢に見てよほど厭なめざめを体験することになったかもしれない」
「だれかに厭なことを言われたんですか」
「私の方でも重々承知していたことなんだけどね。自覚のあることでも他人に言われるとなにか現実がおおきくゆがむようなショックをうける」
「その人のことをうらんでいるんですか」
「うらんでいる気がする」

と私が言ったところで蘭がたちどまった。自動販売機を見つけたのだ。
「缶コーヒーがのみたいです」

私はさいふから五百円玉をとりだしてかのじょにわたした。おなじもので良いから私のぶんも買ってくれ、とたのむと、ダメです、あなたはあなたがほしいものをじぶんでえらんでくださいと言われた。めんどうなので蘭とおなじものを買った。蘭は軽蔑の目を私にむけた。私は、これがのみたかったんだよと言い訳した。

それから一時間ほどあるいて個人経営の喫茶店にはいった。蘭はオレンジジュースとミートソーススパゲッティを注文した。私はコーヒーだけを注文したのだが、ミートソーススパゲッティについてきたちいさなサラダを蘭がいらないと言ったので、かのじょのかわりにたべることになった。蘭は箸をつかってずるずるとすすってたべた。私はほほえましく思ってながめた。「絶世の美女」のたべっぷりだなと思った。

会計をすませると喫茶店からいちばんちかい駅まであるいて、電車でわれわれの家のもより駅までもどった。そしてラブホテルにはいってだきあった。
「きみに言っても興味がないとは思うけど、私はわかいころとにかく自己顕示欲のつよいやつだったんだ」

シャワーからでてきたところの蘭にむかって私は言った。自己顕示欲ということばはついこのまえにおしえたのだが、あまりピンときていないようすだったので、「とにかくチヤホヤされたかったんだよ」とつけ加えた。そうですか、とやはり興味なさげに蘭が言った。
「本を出す、というのが私にとってはとにかく重要なことだったんだ。そのためには売れるものを書かなくちゃいけない。だがただ売れるだけのものを書くのは厭だったし、もっと言えばただ売れるだけの小説を書く才能もなかった。だからわかる人はわかる、というニッチなところをあらかじめねらって、戦略的に小説を書きはじめた」

私がはなしているあいだに蘭はバスタオルでからだをふいて、私のとなりにすべりこんできた。それから私のペニスをにぎって玩具にした。
「しかし、ほんとうにそれが小説を書きはじめたいちばんはじめだったか、自信がないんだ。書きたい、表現したいという欲求はなかったか。もっとピュアに、書くということ自体に熱中したことはなかったのだろうか」

蘭はおおきくなった私のペニスをしゃぶりだした。
「ないということはないと思うんだ。じっさい、しらずしらずのうちに頭のなかで小説を書いているということもあるんだ。これはいわゆる『物語がむこう側から来る』ということだと思う。だが、これをなんとしても文字に書き起こさなくてはならないという気はあまりしない……。たまたまどこかにチャンネルが合ってしまったという感覚なんだ。チャンネルが合うということは、どうなのだろうか、蘭にも経験があることかな」

と問うても蘭はこたえず一心不乱に私のペニスをしゃぶりつづけている。やがて私は射精した。

私の予想どおり、つぎの日から毎朝あの男から電話がきた。けっきょく私は電話線をさしたのだ。男は「絶世の美女」ということばに拘泥していた。男がくりだすきれぎれのことばを補完してつなぎあわせると、どうやら私は男から「絶世の美女」をうばいとったらしい。
「だったら、その絶世の美女というのをおまえにかえすよ」

ある日、そんな提案をしてみた。
「もうおそい。もう、もう、もう、おそい。おそい、おそい、おそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいもうおそい……」

男の言うことはもっともだった。

2022年5月14日公開

作品集『絶世の美女』第3話 (全4話)

© 2022 吉田柚葉

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