ムラ

かきすて(第14話)

吉田柚葉

小説

3,826文字

YOASOBIに曲にしてもらうべく書きました。

ムラを出て東京に来て五年になるか十年になるか、ともすれば百年ほどもたつかに思われたがげんじつに奇子は二十代であった、しかしかのじょにとりこの五年だか十年の月日は百年にひとしく、かのじょの記憶のなかにあるムラも同様にこの百年をとおりすぎやがてその時間のおもみにおしつぶされるように消えてしまった、ムラがいつ消えたのかは奇子のあずかりしらぬことでありムラからたとしえもなくとおくはなれた巨大なあまりに巨大な街である東京のしっぽのような土地でしごとに忙殺される日々をおくるかのじょがある日の晩なんの気のまよいかインターネットでムラのなまえを検索にかけたところそんな土地は存在しないとの答にいきついたのだった、奇子があたりまえに呼んでいたムラのなまえがそのムラの村民のなかでだけ通用するものであり正確な地名ではないという可能性はいかにもありそうなことであったが奇子はそれ以外にムラのなまえをしらなかったしじぶんたちが呼んでいたムラのなまえが正確なものではなくべつにほんとうのなまえがあるとすればそれはもうじぶんのうまれそだったムラと同じムラだとは言えない、ならばあのムラはいったいなんだったのだろうと思うとムラへの不信感がじぶん自身への不信感へとつながってゆきその夜、奇子はなかなか寝つけなかった、朝方ちかくになってからようやっとあさい眠りにつきやけに長い夢を見た、ムラの夢だ、ムラにいるはずの両親やムラで世話になったあの人やムラで嫌われていたあの人やムラで想いをよせていたうつくしい少年も登場する夢であったが目覚めるとただムラの夢を見たという燃えがらのようなわびしい感覚だけがのこりたゆたう燃え殻のけむりにとりつかれるごとく奇子は無気力になり一ヵ月か一年かしてかのじょはしごとをやめた、コピーをとったり電話越しに頭をさげたりするしごとだったがしばらくたつとどんなしごとだったかまるで思い出せなくなりそんなていどのはたらきしかしてこなかったのかと思えばかなしくもありせつなくもあったがかなしさもせつなさもやはりすぐにわすれた、かのじょはムラに帰ろう思ったが百年まえのあの日じぶんが何というなまえの駅から東京に旅立ったのか思い出すことができなかったしムラがどの都道府県にあるのかも思い出すことができなかったしそもそも日本だったかも今となっては判然としなかった、かのじょはムラの役場の電話番号をそらんじることができた、なにかあったときかならずたすけてくれるからとおさないころに両親からたたき込まれたのであった、奇子はムラの電話番号である九桁の数字をスマートフォンに打ちこんで発信した、すぐにゲンザイコノデンワバンゴウハツカワレテオリマセンという機械的な女性の声がきこえてきた、番号をかくにんしてもういちど発信するとこんどはつながった、男の声でモリオカですときこえた、ムラの役場の職員であればまずムラのなまえをつげるはずでありただモリオカですとだけいうのはおかしいがそれとて百年まえの常識であり記憶である、奇子があなたはどこのモリオカさんですかと問うと男はおれはただのモリオカだよと端然と答えた、奇子は肩をおとしそれから、それはすみませんでした、かけまちがったようですと謝罪して一ヵ月か一年ぶりに電話越しに頭を下げてすぐに電話をきった、それから何度かムラの役場に電話をかけたが二度とつながることはなかった、奇子はいくつかのやめやすいアルバイトをかけもちやりすごすように日々を生きた、本人は気づいていなかったがかのじょは三十代にさしかかっていた、その間ムラのことは思い出さなかった、すでに何年もまえから日本では九桁の電話番号はつかわれていないという情報をなにかのおりにたまたま得たときにじぶんがゆいいつ記憶している電話番号であるムラの役場の電話番号の数字を指おり数えてみてそれが九桁であることを知りかんぜんにじぶんとムラとの紐帯が切れてしまったことを奇子はしった、やがて元号が変わり一年だか十年だかがすぎて新型感染症が世界中に蔓延し景気がすこぶるわるくなり奇子のバイト先がことごとくつぶれた、奇子はSNSをつかって生活がくるしいという旨の内容を発信した、するとだれかが、生活保護をうければよいですよとおしえてくれた、どうすれば生活保護をうけられますかと問うと、役場にいけばよいですよと言われた、奇子はヤクバという音のひびきに甘美なものを感じ二百年まえにひきもどされた、ムラがあり両親がいてうつくしい少年がいた、ムラにはカミサマと呼ばれる老人がいて日照りのときにかれが祈ると雨がふった、おさないころの奇子が転んでひざをすりむいたときかれが患部に手をあてるとひとところに痛みは消えた、またムラには巨大な水車があり奇子はひがないちにちそれをながめてすごした、カミサマは奇子に、水車に感謝しなさいと言った、さらに何日かすぎてアパートのインターネット回線とガスがとまると奇子は東京のしっぽのような土地の役場に足をはこんだ、役場ではさまざまのかくにんをうけた、しらべられてはじめて知ったが奇子の銀行口座の貯金残高は二百円しかなかった、財布にはもう一円もなかった、ごはんとかどうしてたのと役場の男に訊かれて奇子はこまった、もう一ヵ月も半年も何も口にしていなかった、だがなんと言っても役場での質問なのであいまいな答をしてはならないと判断し、十三日間なにも食べてないですとこたえた、中途半端な数字の方がほんとうらしいと思っての十三という数字だった、役場の男は奇子に同情のことばをかけた、役場の男はこれからぼくがあなたの担当になりますと言って紙きれを奇子にわたした、紙きれには盛岡新之助とあった、モリオカというなまえをどこかで聞いた気がしたが奇子には思い出せなかった、盛岡は奇子の戸籍をしらべてくれた、奇子がうまれたのは、新潟県にある、聞いたことのないなまえの村だった、盛岡はスマートフォンでその村のなまえを検索し奇子に画像を見せた、奇子には見たことのないけしきだった、それから何日か何週間かは眠ってすごした、ある日のあさ目が覚めるとひどくからだがおもかったので病院にいったら新型感染症に感染していると医師につげられた、奇子はホテルの一室に隔離された、そこでもかのじょは眠ってすごした、ムラの夢は見なかった、何の夢も見なかった、たいくつなので目覚めながらにして夢を見ようとムラの記憶をたぐりよせたがもう両親の顔もうつくしい少年の顔も思い出せず目にうかぶのはただひとり盛岡だけだった、一週間か一ヵ月か一年かたってアパートにもどると、つながるようになったスマートフォンから盛岡に電話をかけた、モリオカですとすぐに盛岡が電話に出たので奇子は、抱いてと言った、一年か五年かたって、奇子は盛岡との子をうんだ、男の子だった、子のなまえは良平にした、ムラのうつくしい少年のなまえが良平だった気がしたからだったが盛岡にはそのことを言わなかった、ただ良平にしたいとだけ言うと盛岡は賛同した、子ができてから奇子の一日は一日ですぎるようになった、十八年がたち良平は家を出た、じぶんさがしの旅ということだった、空港で良平の乗る飛行機がはるか外国へととびたってゆくのをまぶしく見とどけながら奇子はだしぬけに時間がまきもどってゆくのを感じた、それは一年であり五年であり十年であり百年であった、やがて在りし日のムラがかのじょの眼前に飛びこんできた、男が畑をたがやしている、それはわかさのさかりに燃えるうつくしい青年である、奇子にはそれがカミサマだとすぐにわかった、ムラのひとびとからカミサマと呼ばれるようになるまえのカミサマだ、カミサマはじつは東京のにんげんだった、戦後のごたごたのなか東京のしっぽのような土地からころがるようにムラへとやってきたのだ、東京からやってきたという以外カミサマの過去はだれもしらない、戦地でどれだけの数のアメリカ兵を撃ち殺したかもムラのひとびとはだれもしらない、とうぜん奇子もしるはずがない、しかし東京からやってきたカミサマがその手ににぎりしめた鍬をふり上げ、荒れはてたムラの地面へとふり下ろしたその瞬間ムラは奇子の知るムラへとうまれ変わったのだった、やがておおつぶの雨がふって奇子がうまれ奇子がムラを出てさらに百年がたち、奇子は盛岡とむすばれ良平がうまれた、おとなになった良平は日本を出てロサンゼルスへとむかう、かれは世界中をまわってムラへとたどりつく、ムラには奇子の両親がいて少女の奇子がいる、奇子はムラのうつくしい少年に恋をしている、じっさいのところうつくしい少年のなまえは良平ではなかった、良平はムラの役場にいってムラの住民になる手つづきをおこなう、しばらくして良平はムラの畑に出た、鍬をにぎり鍬をふり上げ……、そのとき尻ポケットに入れたスマートフォンがふるえた、かくにんするとどこかで見たことのある番号だった、良平は電話に出る、モリオカですと良平が名のると、あなたはどこのモリオカさんですかと女性の声で問われた、聞いたことのある声だと思ったが気のせいかもしれなかった、おれはただのモリオカだよと変なことを言って、それはすみませんでした、かけまちがったようですと電話のむこうの女性に謝罪されて返すことばをさがしているうちにむこうから電話をきられた、良平の両足はムラの土を踏んでいる。

2021年1月16日公開

作品集『かきすて』第14話 (全40話)

かきすて

かきすては2話、14話、24話を無料で読むことができます。 続きはAmazonでご利用ください。

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© 2021 吉田柚葉

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