誕生日、バラが散る日

かきすて(第20話)

吉田柚葉

小説

1,401文字

こういうのあるから電車の運転手はキツイなあと思い書きました。

武田は電車運転士として地方鉄道に十五年間つとめ、計十二件にわたる人身事故をけいけんした。だがじっさいに警察から人身事故だとみとめられたのはそのうち十一件だけだった。さいごの一件、武田はたしかに線路に立つ黒いジャンパーを着た少年を見たし、車体の前方部がかれのからだに激突し、あたりいちめんに血が噴くのもその両目につよくやきついていた。武田の主張をうらづけるあまたの証言もあった。

少年の自殺をとめるために車の外に出ようとドアのロックをはずしたと話す男性もいたし、げんばには女性の嬌声もひびいていた。

しかし、あるのは「見た」という声ばかりで、肉片のひとつもなければ、噴いたはずの血の跡もなく、死体はどこからもみつからなかった。それらしい行方不明者の情報もなかった。

「電車にぶつかった衝撃でからだが吹っ飛び、死体はちかくのビルで発見されたらしい」

そんな冗談ともほんとうともつかないうわさがインターネット掲示板にひっそりと書かれるころ、武田は引退を決意した。

かれがその決断にふみきったのは、じぶんは幻覚を見てしまったのだという恐怖がひとつ、またもうひとつは、十一件にもおよぶ人身事故のけいけんから、ひとを轢きころすことへの罪悪感は消え、むしろ、めんどうをおこしてくれるなという怒りの方が先だつことに、人間として何か大切な感情をうしなってしまったのではないかとの感をつよくしたからだった。

最後の出勤日、職場の人間たちが、バラの花たばを用意してくれた。真紅にそまった花びらは、あのときたしかに少年のからだから噴いたと見えた大量の血液にひとしく思われた。後輩のわかい男から花たばをわたされ、じぶんの胸でそれが咲くのを感じ、武田はつよい虚無感におそわれたのであった。……

夕方だった。ふみきりがおりきった。警報機の音が鳴りつづけるなか、大型トラックの運転席で飯島はラジオからながれる交通情報に耳をそばだてつづけていた。ラジオはいまから飯島がむかおうとしている高速道路で渋滞が起こっていることをつげた。

飯島はコーヒーに口をつけた。きょうは妻の誕生日なのでなにか花でも買ってかえろうと思っていた。そういうものをよろこぶ女ではないが、せめて家では機嫌よくしておきたいと漠然と考えながら、ふと前方に目をやると、線路内に男がひとり立っているのが見えた。その手にはバラの花たばがにぎられている。

すでにして電車が男のすぐそこまで来ていた。飯島はとっさに目をそらした。

三時間後、飯島は帰宅していた。玄関先ででむかえてくれた妻に、かれはリンドウの花束をわたした。

「めずらしいこともあればあるものね」

と妻ははにかみながら言った。飯島はぎこちなくほほえんだ。

「わるいんだが、きょうは夕飯はいらないよ」

「体調がすぐれないの」

「いや、ちょっと寝不足なんだ。眠ればなおる」

とだけ言って飯島は洗面所にむかった。手を洗い、歯をみがき、ねむるための格好にきがえて二階の寝室にはいると、くらやみのなか、ベッドでよこになった。

「あれは見まちがいだったんだろうか」

そうつぶやき、目をとじた。飯島はまぶたのうらにバラの花束を見た。男のかおはうかばない。ただ、電車がとおりすぎ、バラが散ったと見えると、ふみきりがひらき、男はきえたのであった。

時計のはりが秒針をきざむ音がきこえる。ある瞬間、やけにながい一秒がきて、どこかからはいりこんできた警報機の音がやみを切った。

2021年1月31日公開

作品集『かきすて』第20話 (全40話)

© 2021 吉田柚葉

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