月神の深謀

月神の深謀(第3話)

松尾模糊

小説

5,313文字

カイルが自爆したビルには沙姫の父親が出張で訪れていた。ニュースで父の訃報を知り動揺する沙姫に何もできないボクは無力感に苛まれる。沙姫は父の亡骸を引き取りに母と共に中東へと向かい、そこで思わぬ人物と出会う。

 

瞼の向こうが桃色に光っている。いつの間にか眠りに落ちていたカイルを照らす朝日に気づき、彼は瞼から入る光に顔をしかめて目を擦った。そろそろ人々がこのビルに出社してくる時間だ。カイルはベストの佇まいを直し、立ち上がった。紐がきちんと繋がっているか改めて点検する。さえずる鳥の声がカイルの意志を鼓舞する。ワジアイド川の河口付近にそびえ立つガラス張りの高層ビルに吸い込まれるように、ぞろぞろと資本主義の為に信心を捨てた異教徒たちが彼ら自身の心身を削りながら、貨幣を稼ぐために巨大なビルに向かって俯き気味に歩いている。カイルはその隊列に向かってビルの陰から駆け出した。

「我こそが神の使徒なり!」カイルは叫んで紐を勢いよく引っ張った。

 

ズドゥーン

 

凄まじい爆発音と共に噴煙が上がり、カイルの身体は木っ端微塵に吹き飛んだ。腕や膝から下を失った人々のうめき声や悲鳴が朝のオフィス街に響き渡った。カイルの父は、日本の本社から視察に訪れた一行を会社へと案内している最中だった。彼の真後ろにいた望月和真の胸部に爆発で吹き飛んで来たコンクリートの欠片が直撃し、大量の血が彼のワイシャツを赤く染めていた。

「ミスター・モチヅキ! しっかりして下さい!!」

カイルの父は、その他にも大勢の人間が唸っている光景を見てわなわなと震えた。彼が跪き、望月和真の肩を揺すっているところに若い男の頭部が転がって来た。カイルの父はその頭部を見ないように一瞬顔を背けたが、見覚えのある面影が再び彼の視線をその頭部へと引き戻した。

「……カ……イ……ル……」

父の充血した両目から止めどなく涙があふれ、鼻孔から鼻水が垂れ冷静沈着な彼の表情はこれまでの人生で例のないほどにグシャグシャと崩れ、父は天を仰ぎ咆哮を上げた。

 

 

 

「ごめんねー」

沙姫はオフショルダーの黄色いワンピースに、控えめなヒールの付いた白いサンダルを履いていた。肩の上で切り揃えられたワンレンボブの髪はアッシュブラウンに染められていたが、日差しのせいで少し明るめに見えた。

「ううん。大丈夫。本読んでたから。あ、マンダラでいい?」

「うんうん。あたしも行ったことなかったから、ちょうど良かった」

綺麗に真ん中で分けられた前髪の間からのぞく柔和で明るい表情に僕は少しドギマギしながら、彼女に先立ってさくら通りへと向かった。店先のチキンバターカレーや巨大なナンやマトンなどが並ぶ写真の看板を通り抜け地下へと降りてインドレストラン、「マンダラ」の店内に入った。少し効き過ぎのエアコンで店内はひんやりとしていて、僕は少し背中をぶるっと震わせた。昼時ということもあって、店内は多くの人々で賑わっていた。僕はダブルカレーランチでチキンバターマサラとベジタブル(季節の野菜カレー)を、沙姫はナンとカレーとフルーツライタ(フルーツ入りヨーグルト)という内容のCランチセットでエッグ(ゆで玉子入りカレー)を注文した。丸い容器に独特のオレンジがかったチキンバターと濃い緑色のベジタブルがそれぞれ入った容器が二つとその二つの容器を合わせたよりも大きいナンが乗った大皿が僕の前に置かれた。続いて、藍色の容器にカットされたキウイとパイナップルとイチゴが乗ったヨーグルトの入ったものと半分に切られたゆで玉子が顔を覗かせているエッグとナンが乗った大皿が沙姫の前に置かれた。さっそく彼女はきれいな二重の目を輝かせてスマホで壮観なテーブルの眺めを撮影した。彼女がスマホをもう一度見て、ふと表情が変わった。

「……え?」

「ん? どうしたの?」

彼女は僕の質問には応えず、見たことのない険しい表情でしきりにスマホの液晶をスワイプし続けた。僕は何が起こっているのか全く見当がつかず困惑した。スマホを凝視していた彼女の目が潤み小さな鼻孔がひくひくと動き、薄い唇がわなわなと震え、大粒の涙がぼろぼろと両頬に落ち始めた。僕は動揺しながら「ちょ、ちょっと大丈夫?」と思わず席を立った。彼女は「ごめんなさい……」と涙を拭い、スマホを持ったままトイレへと立った。僕は椅子にへたり込み、スマホを取り出して青いアイコンをタッチしトレンドを確認すると、「イラクとシリアの国境付近で再び自爆テロ、日本人にも犠牲者」というニュースをロイター通信はじめ各報道が一斉に報じていた。僕は日本のニュース動画を再生した。

――今日未明起こった爆発テロの続報です。日本大使館の情報によると爆発テロの事件現場は日本企業の多数入ったオフィスビル付近で、当時居合わせた独立行政法人の石油・エネルギー資源機構の職員二名の死亡が確認されたとのことです。死亡したのは、東京都・港区の井川知宏さん、目黒区の望月和真さんで大使館では引き続き地元警察と連携し残りの安否不明者の捜索を続けていくとのことです。現地の――

僕はそこまでで動画を閉じてスマホをテーブルの上に置いた。目を腫らした沙姫が席に戻って来た。「ごめん……」彼女は再び肩を震わせた。彼女はそのまま店を飛び出した。僕は沙姫を追うこともできず、その場で茫然と立ち尽くしていた……脳裏に祖父の葬式での日蓮宗の念仏が聞こえてきた。あの時は意味の分からなかったその文字列が僕の胸を締め付ける感覚を与えていた。溢れる涙が止まらなかった。

 

 

 

王は宮殿に帰り着くと、そのまま寝室に向かい豪華絢爛なベッドの上に横になった。僧の首をはねる前に頭の中で響いた声がずっと離れず、王の気持ちを沈ませた……余が寂しい人だと? 高い所から降りれば理解される? 王である余がなぜ臣民の元に降りねばならぬのだ? 王とは頂点に君臨するものであろう。ええい、なぜあんな一介の僧の言うことなぞ気にしておるのだ。そもそもあれは幻聴だ。いくら悟りを啓こうとも、人間が直接頭の中に言葉を投げかけるなぞ、まやかしでしかないはず。そもそも僧は首をはねて余が自ら始末したのだ、普通の人間と同じように赤い血が流れておった……考えても仕方のないことだな、寝よう。王はぐるぐると頭の中で考え続けるのに疲れて深い眠りに落ちた。

王が目を開くと、あの菩提樹の前に居た。「……な?」口を開けたまま、王は菩提樹に近づいた。その下であの僧がひとり、首がついた状態で瞑想している。「夢か……」王は独り言ちて腰の辺りをまさぐった。聖剣シンの鞘が下がっていたので、再びその柄をグッと力を込めて握りしめて刀身を抜いた。川辺から反射する光に照らされてシンの美しい刀身がギラリと輝いた。

「一介の僧の分際で、いつまで余の心をかき乱すつもりだ!」

王は大きな声で叫びながら、シンを力強く僧の首元めがけて振り下ろした。王の視界が一瞬途絶え、次の瞬間、瞑想を続ける僧の膝元を仰ぎ見る視界が広がり王は混乱した。

 

すみません。わたしも人を救おうなどと、ただただ未熟でした。悟りを拓き、慢心したのでしょう……結局、あなたを救えなかった。

 

王の頭にあの忌々しい声が響き、彼は半狂乱で「うるさい! 煩い! 五月蠅い!」と唾を飛ばしながら喚いた。「貴様に何が分かるというのだ? 生まれながらに王として臣民の上に立ち、誰もが余の権力の前に跪き、目を合わせず、臣民は口を開けば生活苦の不満ばかり、余の孤独なぞただの気のせい、わがままとして口に出すことも憚られる。周りの者は己の保身で頭が一杯で、ただ余の言うことを何でも聞き入れるだけの操り人形のような連中ばかりで寝ても覚めても生きた心地のしないこの人生をこの世の誰が理解できようか!」

 

やっと本心を明かしましたね。それでいいのです。あなたも一人の人間でしかない。この宇宙の前で人はみな平等なのです。

 

王は僧を仰ぎ見、視線を傾けると、己の首のない身体が僧の前で跪き、両手を合わせている光景をその端に捉えた。

「こ、これは……」王が大きなベッドの上で目を覚ますと、彼の頬の上に一筋の涙が流れていた。

 

 

わたしは突然父が亡くなったという現実を受け入れられないまま、遺体を引き取りに母とイラクへと向かった。父はわたしが随分と幼いときからこの地を何度も訪れていて、わたしも小学六年生の時に一度だけ母と三人で来たことがある。その時は旅行気分で、いつも留守がちな父が働く姿を初めて目にできるとあって、子どもながらに期待に胸を膨らませていたことを覚えている。日本では聞いたことのない言語を話しながら現地の人たちと真剣な表情で話し合ったり、時に笑い合ったりしていた父の様子を眺めながらわたしは何だか誇らしげな反面、わたしにも見せないような表情を惜しげなく振りまいている父に少し不満を持ったことも事実だ。そんな乙女心が分からない父を三人で囲んだ夕食のテーブルで困らせたことも、タクシーの窓から見える果てしなく広がる砂漠が思い出させた。わたしはスマホをハンドバッグから取り出し、電源を入れた。バタバタしていたので海外で使える仕様にはしていなかった。最後に父から来たLINEは「帰ったらメシ食べに行こう」だった。

わたしは実家の近くにトリミングサロンをオープンしてから、実家から独立して二年付き合っていた元カレの真吾と同棲を始めた。でも二年後に真吾が浮気してわたしたちは別れた。真吾は浮気相手とは別の女性と去年結婚して、彼女は現在妊娠三ヶ月だそうだ。そういう男だった。わたしが真吾と結婚するものと思っていた父は、彼なりに私を慮ってわたしを高級店の夕食に誘ってくれていた。都内でミシュランの二つ星を持つ人気店の予約を取っていたみたいだった。わたしは涙が出そうになったので少し鼻を啜って、基行のトークルームに画面を切り替えた。彼とはマントラで父の情報を知って以来会っていない。わたしがあの時の謝罪と遺体を引き取りに行くことを知らせたら「気にしないで。道中気をつけて」という返事が返って来ていた。おわびにランチに誘わないと悪いだろうな……ぼんやりとそのチャットの文面を見つめながらすでに帰ってからのことを考えている薄情な自分が恐ろしくなった。隣の母をちらと横目で見ると、母は反対側の窓の外を眺めていた。長くウェーブのかかった髪を黒いバンスクリップでかっちりと後ろで纏めているその下からのぞく首筋がやけに細く感じた。

領事館の前ではたくさんのカメラが待ち構えていた。生まれて初めての体験にわたしたちは戸惑った。「今のお気持ちは?」「テロ犯に対して一言!」などの怒涛の質問に対し、わたしはただ「すみません……」と言って俯きながら建物に入った。領事館では背の高い豊かな黒髪をオールバックになでつけた黒いスーツ姿の男が「お悔やみ申し上げます」という言葉を発してから、極めて事務的に遺体安置所に移動してから遺体確認後、現地の火葬場で火葬してから遺骨を持ち帰るという流れを説明した。母も私も日本での手続きをもう一度聞かされただけだったので適当に相槌を打ちながら聞き流していた。

遺体安置所の一室で銀色の長いオーブンのような桶に収まっていた父の亡骸の肌は土色で青く、映画で見るゾンビのようでわたしは何だか全く現実味を感じなかった。鼻に詰められたガーゼの詰め物が気になったのもその一因かもしれない。隣で母が「……間違いありません」と一言述べると、突然膝から崩れ落ちて肩を震わせて泣き出した。わたしは慌てて、しゃがんで母の肩を抱き横から抱きしめた。母はその華奢な身体からは想像できないような力強さでわたしの腰に回した手をぎゅっと握りしめて、人目をはばからずわんわんと泣いた。こんな母の姿を見るのは初めてだった。

わたしたちは遺体が空輸される前に父が殺された場所に向かった。周囲に大きなガラス張りのビルが建ち並ぶ広場の一画で崩れ落ちた瓦礫を囲むように黄色いテープが張り巡らされていたが、それもところどころ剥がれて土煙にまみれていた。わたしたちがぼんやりとそこに立っていると、一人の女性が花束を瓦礫の前に置いた。目鼻立ちのはっきりとした額の狭い縮れた黒い髪を肩まで伸ばした、低い身長で恰幅の良いその女性はわたしたちの方を見て何やらこの国の言葉で話し掛けてきた。

「……すいません。英語しか話せないんです」とわたしが返すと、彼女は苦笑いを浮かべてただ「すみません、本当にとても申し訳ありません……」と突然、英語で謝りながらその場に泣き崩れた。わたしは「大丈夫ですか?」と話しかけたが、彼女は頭を地面に擦り付けて泣き続けた。おどおどとするわたしの横をすっと通り抜けて、母が「大丈夫。あなたは悪くない」と日本語で話しかけてその女性のもとに膝をつき、ひしと抱きしめた。ビル群の向こうに沈みゆく陽の光が二人を照らし、その影がわたしの足元に伸びていた。わたしはその光景に息を飲んだ。陽の光を受け、金色に光り輝く女性を抱きしめる母の姿はまるで聖母マリアのように慈愛に満ちていて、気づくとわたしの頬の上に大きな雫がこぼれ落ちていた。

 

(了)

2020年3月29日公開

作品集『月神の深謀』最終話 (全3話)

© 2020 松尾模糊

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