家族映画

応募作品

多宇加世

小説

3,740文字

合評会2019年09月・お題「地元」応募作品です。
酒田大火。酒田市中町2丁目にあった映画館「グリーンハウス」のボイラー室から出火。

http://www.city.sakata.lg.jp/taika/index.html

あなただけが助かりましたと、病室で告げた警察の顔、私は蘇生後ぼんやりと応答しながら覚えていた。その彼が家へやってきた。

「お話をお聞かせ願えないかと思いまして」

と言うのだった。そして、

「実のところ今回お聞きしたいのは本来の業務から逸脱した事でして……、それなのにこうして女性一人のお宅へ来るのは誠に……」

白髪頭を掻きかき、そう恐縮そうにした。

「構いませんよ。どうぞあがってください」

彼を家へあげて、私は部屋に積まれた無数の荷造り箱から、一度は片づけた湯呑と薬鑵とカセットコンロを取り出し茶を淹れた。私ももう去る家だ。既にガスは止めていた。

「あいすみません。気になった点がありましたものですから、その。病院でもお聞きしたのですが、あなたとTさんが出会ったのは、あなたの故郷で、とのことでしたが」

「ええ、その通りです」

「それなのです。あなたの故郷の名と日付に引っかかりまして、資料でも調べてみたのですが、あの町で、その日というのは……」

私は隠さず答えることにした。

「ええ。〈大火〉の日です」

私の故郷は海のある小さな町だった。〈大火〉の発端は映画館のボイラーの故障による出火だった。その町特有の強い風が海から吹いていたため、炎は瞬く間に町の広範囲に延焼し、鎮火に十時間を要すものとなった。

「ずっとそれまで私は遠縁の家にいたんですが、その家も燃えました。復興に合わせてその家は建て直されのですが、その新しい家には余った女の私を置いておく部屋はありませんでした。それでTからこちらへ出てこないかと誘われたのです。仕事はTの下で副手をするような職を与えて貰いました。ただTは主に一人でフィールド・ワークをこなすようなことが常でしたので、講義のある時だけ、大学で事務手伝いをするくらいでしたが」

「そうですか。……失礼ついでですが、その〈大火〉の日Tさんとはどのようにして?」

「私たちは映画を観ていたんですよ」

「観ていた……?」

私は答えた、

「ええ。私とTは同じ映画を観ていたんですよ。〈大火〉の火を出した映画館はその時、上映中だったのですよ」

 

「では、Tさんはあの日助けられた恩義に報いてあなたをこの家に仮寓させたと?」

「ええ、私も頼るあてがなかったので」

「Tさんはどうして町にいたのでしょうか」

「その時も研究の現地調査だったようで。予定日よりも一日早く前乗りしたのは……、彼はいわゆる遊びが好きだったものですから」

「普段からのそういったことが、T夫人をTさんとお子さんとの心中へ追いこんだ理由の一つだったと私どもは、見ております。ただ、なぜその毒をもっての心中に、あなたまでが巻き込まれたのかはわかりませんが」

「……Tが映画館に立ち寄ったのは、単に時間をつぶすためだったと言っていました」

「あなたは?」

私は。私はいくつか嘘をつきました。

 

映画などほとんど観たことがなかった。けれどその作品だけは封切されて以来、毎晩工場へ通う道、電灯に照らされるポスターに何か惹かれるものがあった。その日、給金を親類に渡し、いつもなら両親の墓に花やらを供えるために使うはずの金を握り、そこへ向かっていた。いつもより風が強く、タブノキが揺れ、潮の香りが漂っていた。アーケード商店街の中にその映画館はあった。切符を買い、入場すると先客が一番後ろに座っていた。

上映時間まではもうすぐで、どうやら客はその男と私の二人きりのようだった。意外な気がした。なぜなら私の他にももっと、あのポスターに惹かれて来る客がいると思っていたからだった。私は中段あたりの一番端を選んで腰を掛けた。その時の私は、ずっと待ち望んでいた映画が観られるのだという幸福感をもって硬いシートに体を預けた。そして自然と深く長い息が出て思わず微笑んだ。と、

「この映画、好きなんだ」

声のほうへ振向くと男は煙草を吸っていた。独り言だろうか。だがそうではなかった。

「もう何回目だろう、……きみは?」

映画館で見知らぬ誰かと話すなんて、その時の私にとってはなにか厳かな儀式のように感じられ、やっとのことで声を発した、

「これが……、はじめてです」

しばらく沈黙が訪れたが私は男に問うた、

「封切したばかりなのに、もうそんなにご覧になったのですね」

「はははは。君は面白いことを言う。これはね、昔の再上映なんだよ。まさかこんなところで観られるとは思わなかったけれど」

「……そうだったんですか」

場内が暗くなっていく。上映時間が来たのだ。真っ暗な中、男の声がした、

「そう。そしてこれは家族の物語なんだよ」

 

私の心は少ししぼんだ。満員を当然のように思って来て、でも客は自分を含め二人で。そして映画はそれほど出来が良いとは言えないものだった。とても退屈なものだと捉えていた。私は興醒めしていた。後列に座るあの男が、この映画のどこが気に入りなのか理由が気になって仕方ない程だったのだ。

しかし一時間が経った頃だろうか。それは訪れた。

父を演じる役者がダイニングで椅子に座って新聞を読んでいる。母役の役者が台所のほうから来る。息子・娘に扮した子役二人が母に呼ばれ、視界の先、庭のほうから現れる。そして談笑する家族。そんなワンカットの長いシーンの最中にそれは起こったのだった。

そのショットの最中に、不意に一瞬、二人の子供がカメラに、こちらに、つまりは私に――、視線を合わせてほほ笑んだのだ。

通常なら撮り直しにでもなるだろう子供らの一瞥が、私をその食卓に招待した。

私は親が死んでからずっと、親類の家でも顔を下げたまま、他の者の顔を見ずに過ごしてきた。誰かの笑い声があがっても、それは私には無関係なことだった。しかし今、私は堂々と彼らを盗み見ることができているのだ。暗がりの中、その視線とぶつかった瞬間に、もう私はただ盗み見ているのではなかった。私もその、家族の一員になった気がしたのだった。あるいは、その子供の片方、その娘こそが小さい頃の私自身のような気がした。

私はそうしてスクリーンの表面の家族を観ていた。そしてこの談笑が永遠に続けばいいと思った。だがそのシーンで、この映画は中途に終わってしまった。

だからこそ私は一生忘れない。

「何か様子が変だぞ」

あの男が呟く声が聞こえた。

それでもまだ私は目が離せなかったが、すぐに、スクリーンの真ん中に黒く小さな点のようなものが浮かび始めた。それは丁度正面に座る父親の顔の辺りだった。一瞬、痣にも見えたそれはにわかに黒い穴になった。父の顔が溶けた。やがてそこから一筋の煙が立ち昇り始め、そして黒い穴は広がり、火がちろちろとその周辺を燃やしながら現れた。幸せそうに笑顔で食卓を囲んでいる家族は瞬く間に溶け出していき、そうして消えた――。そして場内では、何事もなかったように無人の家族の団欒の会話だけがスピーカーから流れ続けていた。スピーカーの回線はまだ生き続けていたのだ。目に見えない私の家族が笑っていた。私は立ち上がった。私もそこへ連れて行って! 強く願った。出来るならば。

轟音がした。振り返ると、男の頭上、天井からも炎が現れ、建材が落ちてきた。火の手は知らないあいだに、建物の内部を燃え進んできていたのだ。私は下敷きになった男を助けると、家族の会話を背にして共に外へ飛び出した。いただきます。いただきまあす。ねえ、お醤油とって。はい。ありがとう。うわあ、おいしいや。ほら、そんなに慌てるから。ねえ、食べ終わったらキャッチ・ボールしよう。もう暗いから駄目よ、また明日。縫いぐるみ遊びのほうがいいな。明日は晴れるかなあ。さあ、どうかしら。おかわり、ちょうだい。もう食べたの。私も、私も!――。

私たちが外へ出た時、炎は既に広がっていた。炎は一方向から吹く風に煽られ狭苦しいアーケード街のその中の酸素を食いながら、勢いを増し延焼に延焼を重ね、大蛇のように進んでいったのだ。私たちは炎に追いかけられるようにアーケード街から出た。頭上からは火の粉や煤が降り、あたりには強烈なきな臭さが漂っていた。警鐘があちらこちらで鳴らされていて、目や喉に痛みを覚えると同時に耳や、その他様々な感覚が麻痺を起こしそうだった。もう女の足では男を担いでは逃げ切れなさそうだと途方に暮れ天を仰いだその時、ある一帯の上空に薄くぼんやりしたものが見えた。まるでそれは巨大で白く透明な狐がそこ一帯を覆って伏せているような形に見え、そこにだけ火の粉も煤も舞っていないことに気がついた。意を決し力を振り絞り辿り着くとそこは小さな稲荷神社だった。境内に入るとそれまで火にあてられて熱っぽくなっていた肌がひんやりとした。鼻をつく臭さも薄れた。得体の知れない、だが確実な安堵感を覚え、私は男を座らせると手水舎で男にも柄杓で水を飲ませた。男は傷めたみずからの脚からこちらに視線を移し、こう言った、

「君もあの子らの視線に気づいたんだろ?」

私は答えなかった。

「俺があの映画が好きなのはね……」

「言わないで」

私は咄嗟に口づけし、男の言葉を封じた。もうわかっていたからだ。この男も私と同じなのだとわかったからだった。

 

 

 

 

 

 

2019年9月9日公開

© 2019 多宇加世

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