創作試論:「誤配」がもたらす資本主義下のコンテンツを照らす光

松尾模糊

エセー

6,064文字

敬愛するあずまんの思想を借りて、創作と資本主義について考えました。合評会で創作について議論があった時からずっと考えていたことを、ひとまず文字化してみました。

小説投稿サイト「カクヨム」は今年4月、「Web小説を書く人が直接収益を得られる環境作り」を行うことを告知した。kakuyomu.jpここで掲示されたのは二つのシステムだ。一つは作品に広告を付け、作者にその利益をPV(ページビュー)に応じて還元するもの。アドセンスによる広告収入は現在のウェブ媒体でオーソドックスな収益システムだ。こちらは今年秋頃に導入される予定。

正直、このシステムについて、これが本当に作者と読者双方にとって良い形なのか私自身は懐疑的である。というのも、ここで評価されるのはPV=数だけだからである。これは、古くはテレビの視聴率から、インターネットの広告収入を主にしたアフィリエイトサイトなどに見られるメディアの動向に顕著だが、著名人のスキャンダルばかりが取り上げられる情報番組しかり、炎上案件をただただ煽っていくまとめサイトしかり、結局、中身よりもその話題性やタブー性(議論を呼ぶ題材)だけが取り沙汰されて次の週には忘れ去られてしまうような、全く普遍性のない流動的なフワフワとしたものが乱立することが見て取れるからである。

もう一つのシステムは作者に読者が金銭を直接支払う、いわゆる投げ銭方式だ。こちらはnoteなどが記事を一部有料化したり、月額でまとめて何本かの記事を閲覧できたりする仕組みがありカクヨムでも検討していくという。上に述べたように、こちらのシステムの方が私としては信頼感のあるものである。もちろん、結局多く読まれなければまともな収益に繋がることは難しく、先の課題は残るだろう。

小説投稿サイト「小説家になろう」も結局、サイトを訪れる客層に好まれる異世界系だけが無限にループされる体になった(カクヨムにもすでにこの傾向が見られる)ことから見ても現在のコンテンツが持つ課題は明らかだろう。これは読者だけの問題ではなく、編集者の怠慢でもある。SNSで多くのフォロワーを持つインフルエンサーや、芸能人やアイドルによる執筆ラッシュ、ただ数字を安易に求めた結果、その思想やポテンシャルを掘り起こす様な地味な作業は敬遠されている。これは出版業界の不況で人員不足や無名の新人が全く読まれない現状がもたらした負の連鎖でもあるだろう。しかし、この状況こそが、ベストセラー作家の韓国ヘイトや、Wikipediaをそのままコピペしたような著作をそのまま世に出したような編集者が「売れてから物を言え」と言うような言説を許してしまうようになったのではないか。ものを売るのは、営業の仕事である。クリエイターが営業を担わないといけなくなると、私は大きな支障がクリエイターに及ぶことを懸念する。というのも、クリエイターの思想と資本主義の思想は根本的に違うからだ。

作家・思想家である東浩紀は、『ゲンロンβ32』で「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について 観光客の哲学の余白に・番外編」と題したエッセイの中で、美術家で美術批評家である黒瀬陽平の著作『情報社会の情念』に登場する「運営の思想」と「制作の思想」の対立を用いて以下の様に語っている。

「運営の思想」は、SNSや動画投稿サイトにおいて、コンテンツの投稿や生成を最大化するように仕組みを整える、文字どおり「運営」の発想を意味している。他方で「制作の思想」は、そのような仕掛けに抵抗しつつ、あるいはそれを利用しつつ、独自の作品を作ろうとするクリエイターの試みを意味している(黒瀬はこのような明確な定義を与えていないが)。ひとことでいえば、運営の思想とは、プラットフォームのほうがコンテンツよりも優位だと考える立場のことで、制作の思想とは、コンテンツのほうがプラットフォームよりも優位だと捉える立場のことである。運営の思想とは、要は商品開発の思想であり、資本主義の思想のことである。現代は運営の思想が優位な時代だが、しかしそれだけでは、文化「産業」は栄えても文化そのものは痩せ細る。なぜならば、プラットフォームからすれば、コンテンツはあくまでも代替可能で交換可能な「商品」でしかないからである。(中略)現代ではクリエイター志望者は無数にいる。しかしプラットフォームは少数しかない。クリエイターは数少ないプラットフォームに殺到するほかないが、プラットフォームのほうは、運営の言うことを聞くクリエイターをいくらでも市場から調達することができる。結果として、市場では、大衆が求めるものばかりが増殖し、コンテンツの多様性は消える。

創作物と作者

 

ここで、創作物と作者の関係性について考える。2019年4月に俳優でミュージシャンのピエール瀧がコカイン使用の容疑で逮捕された際、電気グルーヴが所属するソニーミュージックレーベルズは彼らの過去作に及ぶ全作品を販売・配信停止、在庫回収という方針を示した。www.denkigroove.com

これに対し、措置の撤回を求めて署名活動を行う社会学者の永田夏来らが4月15日、都内で記者会見を開き、ソニー・ミュージックレーベルズに、集まった6万4000件を超える署名を提出した。一度世に出た「作品」を作者と切り離して評価すべきかどうかという問題が改めて立ち上がったわけだ。私自身は作者と作品の評価は基本的に分けられるべきだと考える。なので、今回の場合もピエール瀧は刑法的な罰則を受けることでその罪を償うべきで、彼の参加した作品が回収されるという、社会的制裁を受ける必然性はないと思う。よく引き合いに出されるのはThe BeatlesやThe Rolling Stonesで彼らは実際に薬物で逮捕された過去を持っている。違法薬物以外で言うと、佐川一政やジョン・ゲイシーなど殺人事件の犯人だってその作品は高く評価されているという事実がある。grapee.jp

しかし、ここで絶対に間違ってはならないのは犯罪を犯した異常者が必ずしも優れた作品を残せるとは限らないということだ。記憶に新しいのは、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件の加害者、酒鬼薔薇聖斗と名乗り、2名を殺害し3名に重軽傷を負わせた犯人――当時未成年だった為、少年法に基づきプライバシーが守られた――が元少年Aとしてその事件から社会復帰までを振り返る自伝的エッセイ『絶歌』を発売したことで大きな議論となった。彼はホームページも開設しており(現在は閉鎖)その自己陶酔的で自慰に満ちた表現が垣間見えたわけだが、佐藤一政や澁澤龍彦などを尊敬する人物として掲げており、彼らに対する憧れとして犯罪行為に走った極めて自己中心的で観念的で実体のない思想がただダラダラと書きなぐられた同書は話題性意外に論じられる点はなく、彼自身も第二の佐川一政には当然なれなかった。作者の評価はやはりその作品によって決まることは、このことからも明らかだろう。

以前、破滅派の合評会で人生における「恥部」について話を聞く機会があった。私小説では自身の体験談をそのまま小説として昇華した、ノンフィクションに近い創作となるわけだが、小説を書く上でプライベートな体験、両親の離婚や虐待、異常な性体験、犯罪行為などが大きく寄与するのか、もしも小説が面白くなるのならば、自身の家族でも犠牲にすることができるのか、といったことでちょっとした論争となった。私は上に述べたように作者自身と作品は切り離されるべきで、フィクションはその想像力や構成、表現力によって昇華されるものであり、その上で実体験も多少なりとも影響すると考える。なので、もしも何かを犠牲にすることで作品が面白くなるならば犠牲にするべきだと思う。しかし、それは最終的なエッセンスにしかならないと思っている。つまり、壮絶な人生を送ってきた者だけにしか壮絶な物語は書けないのか、と言えば元少年Aの例を見れば違うし、取材を丹念に行えばリアリティーの部分は十分にカバーできる。では、聖人君子で公務員みたいな人物が機知に富んだ物語を書けるのかと言えば、それはそれで甚だ疑問である。結局、作品に懸ける想い、動機、過程、積み重ねられた研鑽、時代性など多くの要素が集合した結晶が作品としての評価として繋がるわけで、そういう意味でやはり人生を賭したものでなければ良作は決して産まれない。だが、その評価は資本主義的な評価とは別である必要がある。

芥川龍之介は初期には歴史物など生活とは違う次元での創作が主だったが、晩年には極めて自伝的な「大導寺信輔の半生」など大きく作風が変わった。彼が自死する前に妻に宛てた遺書で「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」が彼の死を決意させた理由として挙げていたことは有名だ。文壇である程度地位を得た彼が、プロレタリア文学が勃興した当時ブルジョア作家として批判を受けていたことにも大きな影響を受けていたのではないか。アメリカのロックバンドAerosmithなどに影響を受けた、1990年代のハードロック界隈や猟銃自殺したNirvanaのカート・コバーンなどメインストリームのミュージシャンがドラッグや派手な私生活でスキャンダラスな生活を送っていたシーンで、イギリスを代表するロックバンド、Radioheadのフロントマンであるトム・ヨークは『Kid A』という2000年代を代表する名盤を制作したその時期に、音楽誌『rockin’ on』のインタビューでロックなんて退屈だと述べ、「ロック・ミュージシャンはみんな家に帰って、生活を取り戻すべきだよ」と語っている。

「誤配」がもたらす光

 

創作物はどう評価されるべきなのか。コンテンツが資本主義社会の中で生き抜くにはまずその消費について考えなければならない。『新記号論 脳とメディアが出会うとき』で、フランス文学者、メディア情報学者の石田英敬はアメリカ型資本主義の成立について説明する。

消費を生産することができるようになった資本主義であるわけです。そこで、プールのある芝生つきの白い家で、ふたりの子どもと可愛い奥さんがいて車でパパが会社から帰ってくるような「アメリカ式生活American way of life」の夢がエンドレスに生み出され、そうやって、生産と消費の資本主義のサイクルを無限循環させることができるようになったわけです。

さらに、20世紀の資本主義社会では生産と消費の一つのサイクルが飽和すると恐慌が起こると考えるマルクスの理解がこの無限サイクルによって成り立たないと言い、これが冷戦の終結、マルクス主義者の敗北につながったと石田は語る。そして、彼は「消費をもっと理解することからしか、つぎの社会へのオルタナティブはない」と訴える。

イギリスの作家、文化批評家、k-punkとして知られているブロガーのマーク・フィッシャーは、2017年に自らの手でその生涯を終えた。『資本主義リアリズム』でも明らかにしたように資本主義への対抗軸を模索していたわけだが、東が体現しようとしている彼の哲学はきっとマークを救い得たと思っている。東は先に述べた『ゲンロンβ32』で以下のように二つの思想の対立を乗り越える考えを示している。

必要なのは、資本主義に対して、外部を求めるのではなく、むしろその内部を「変形」することではないか。(中略)ぼくたちの「商品」にはもうひとつの側面がある。ぼくたちはそこにつねに、等価交換以上のなにか、購入者が事前に欲望=予想していたものとは異なる経験を忍び込ませるように試みている。(中略)ゲンロンは、商品を売りながらも、つねにそのなかに余剰を忍び込ませている。そして、その余剰によって、購入者を等価交換の外部へと誘っている。これは、言い換えれば、等価交換を意図的に「失敗」させるということでもある。購入者は、ゲンロンの商品を買うときに、少なからぬ確率で、最初に欲望=予測していたものとは違うなにかを受け取ってしまう。だからそれは「失敗」である。けれども同時に、それは、べつの視点から見れば、購入者の欲望=予測が「変形」され、新たな創造性の回路が開かれるということでもある。つまりは、ぼくの考えでは、制作の思想は、運営の思想の外部に静的に存在するのではなく、その失敗においてこそ動的に可能になる。ぼくはしばしばそれを「誤配」と呼んでいる。

つまり、創作物に対して人々が期待、「欲望」するものとは違う何かをそこに埋め込むことができることが大事となるのではないか。そして、それを見出す視点が肝となってくる。それは編集者や批評家が担うもので、これが高く評価されること、「誤配」が新たなる資本主義の中を「変形」させる価値観を生み出す大きなうねりとなるだろう。それこそが資本主義下でコンテンツが「制作の思想」を保ったまま生き残れる対抗軸となるのではないか。東はこう仮定し、彼の哲学をゲンロンの運営という形で実践した。彼自身は昨年末に代表を退いたが、彼の哲学は新代表となった、ロシア文学者の上田洋子の下で受け継がれていくだろう。

マークと東が出会っていれば、悲劇は回避できたのではないだろうか。現実は残酷だとはよく言うが人間が救われるには、やはり“資本主義的リアリズム”だけでは足りない。マークの師でもあったイギリスの哲学者ニック・ランドが唱えた、救いを資本主義の外部に求める「加速主義」もマークを救えなかった。ニックは2012年にネット上に「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」なるテキストを発表しているが、やはり暗闇は人々を引きずり込む危うさを孕んでいる。私は東が唱える「誤配」、彼の体現する哲学がいつか人々を照らす新たな光となることを信じている。

 

参考文献

 

情報社会の情念 クリエイティブの条件を問う (NHKブックス)

情報社会の情念 クリエイティブの条件を問う (NHKブックス)

  • 作者: 黒瀬陽平
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

ゲンロンβ32

ゲンロンβ32

  • 作者: 東浩紀,沼野恭子,土居伸彰,吉田寛,吉田雅史
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2018/12/28
  • メディア: Kindle版

 

絶歌

絶歌

  • 作者: 元少年A
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2015/06/11
  • メディア: 単行本

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

  • 作者: 芥川龍之介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/12/15
  • メディア: 文庫

 

RADIOHEAD (rockin’on BOOKS)

RADIOHEAD (rockin’on BOOKS)

  • 作者: ロッキングオン編集部
  • 出版社/メーカー: ロッキングオン
  • 発売日: 2012/04/01
  • メディア: 単行本

 

新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)

新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)

  • 作者: 石田英敬,東浩紀
  • 出版社/メーカー: ゲンロン
  • 発売日: 2019/03/04
  • メディア: 単行本

 

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム

  • 作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉
  • 出版社/メーカー: 堀之内出版
  • 発売日: 2018/02/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

2019年5月5日公開 (初出 https://blurmatsuo.hatenablog.com/

© 2019 松尾模糊

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