平家の女とテキストの質

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第19話)

高橋文樹

エセー

6,412文字

「テキストの質」について語るとき、私たちはそれがなにを示しているのかについてあまり自覚していない。平家の女についての説明がそれを明らかにしてくれるだろう。

私の通っていた中学校に通う生徒は、その地域にある3つの小学校の出身だった。その中の一つは畑小学校と言った。もちろんはたという町にある小学校だからで、その名前から期待される通り、実際に田舎染みた町並みだった。蔵のある家や住宅街の中にあるだだっ広い畑、宮家がわざわざ訪れる神社など、これぞ田舎だと納得させられる風景が広がっていた。私のように戦後の新興住宅街に移り住んできた世帯の子供にとって、畑町の友人たちは少し田舎じみて見えた。

もう2つの小学校はそれぞれ花園小学校と検見川小学校という。花園町はいかにも新たにこさえた地名という感じだ。私の生まれた町は花園小学校の学区にある朝日ケ丘で、サザヱさんの舞台と同じ名前の虚構的な町だ。検見川は北大路魯山人がわざわざ「検見川の貝」と呼ぶような古くからある漁師町だが、その由来はもっと古い。その近くには花見川という川が流れているのだが、もともとは川の名前をとって花見川と呼ばれており、古くは華見川と書かれた。しかし、日蓮上人が巻き起こした法華経ブームの折、他所から来た僧侶が華見川はなみがわを気取って華見川けみがわと読んだらしい。畑という地名も元々は旗と書き、源頼朝が平氏打倒の旗揚げをした土地だからだそうである。そういう意味で、私は古い歴史を持つ2つの町の間にある新造の虚構で生まれたわけだ。

田舎町というのは苛烈な格差社会だ。畑町には広大な土地と蔵を持つ大地主もいたが、彼らの持つ小さい借家に住む根無し草デラシネのような人々もいた。借家といっても、平家が軒を連ねているだけで、屋根はトタン、一様に茶色く塗られた壁際にはプロパンガスが鎖で止められており、ひどいところは水色の風車が付いた煙突が突き出ていた。そう、まだ下水道が普及していない地域でボットン便所の匂いを逃してくれる臭突である。私が中学一年生のときに仲良くしていたSという友人はまさにそのデラシネの息子であり、悪い遊びをよく教えてくれた。彼は私と長い時間一緒にいたがったし、私も同じだった。それはおそらく、彼に父親がいなかったからだろう。私は彼と一緒にすごす時間を惜しむあまり、下校のさいに遠回りをして畑町を通って帰っていたほど仲が良かった。

Sは私よりはるかに小柄だったが、髪を脱色し、改造した制服——ドカンというやつだ——を着て、かかとの潰れたHARUTAのローファーを引きずっていた。ようするに私よりも大人びていた。そんな彼が教えてくれた遊びの一つに覗きがあった。彼の家にほど近く、そして彼の家に酷似した貧乏くさい平家、そこに若い女が住んでいて、ちょうど私たちが下校する時間にカーテンを開けっぱなしで着替えているのだ。

はじめはその部屋が見えるギリギリの角度まで移動して、ひゃっと逃げる程度だった。だが、Sは大胆だった。彼はいつも私より先を行った。

「あれさ、たぶん見せてるんだよ」

Sの言葉に私は驚いた。そんなことをする若い女がいるとは思わなかったのだ。2歳離れた私の姉は当時中3だったのだが、学校の廊下ですれ違ったとき、ちょうどブルマ姿で、ついついその姿を凝視したところ、「は、何見てんのよ?」と凄んでいた。姉が風呂に入っているときに私が脱衣所を使ったりすると、母に「文樹、わざとやってない?」と相談したりするのだ。わざわざ着替えをするところを覗かせる女がこの世に存在するということがあるわけはなかった。たぶん見せてるんだよ。Sの言葉は私の心に深く刻まれた。私は毎日Sと帰っていたが、毎日覗いていたわけではない。たまに——そう、3日に一度ぐらい——Sが「いく?」と聞くのだ。私はいつも「おう」と答えた。声は少し上ずっていただろうが。

そんなある日、Sは一緒に帰れないことになった。彼はバスケ部に所属していたが、ずっと幽霊部員だった。数日前、ついに退部届けを出したところ、上級生にシメられることになった。私は柔道をやっていたので、一緒にいってもいいと提案したのだが、彼は断った。

「俺の問題だから」

彼の言葉を聞いて、私は「あっそ」と答えた。そう、彼の問題なのだ。ならば仕方がない。私は家路を急いだ。そして、いつもとは違う、小学校のときに通いなれていたが最近めっきり通ることがなくなっていた道に差しかかった頃、ふと思い立った。いま、一人で平家の女を覗きに行くのはどうだろうか。私はそのアイデアに夢中になった。そのまま道を曲がらず、まっすぐ畑町を目指した。

平家は6軒ほどがまとまって石塀の中に並んでいた。石塀の角で待っていると、やはり女が着替え出した。仕事帰りなのかどうかはわからないが、いつも白いブラウスと紺か灰色のタイトスカートを履いていたので、私は彼女が銀行員だと踏んでいた。銀行は3時でしまる。だから、彼女はこんな時間に帰っているのだ、そう納得していた。彼女は着替えるとき、ルーチンを辿る。ブラウスを脱ぎ、それを壁のハンガーにかける。クリーニング屋でもらえる青い鉄製のハンガーだ。そして、タイトスカートを落とすと、それを足の親指と人差指でつまんで、後ろに蹴り上げて掴む。その後、スカートをパンパンと叩いて椅子にかける。続いて、パンストを両手でしごきながら脱ぐ。そして、ズロース姿になると、床にまるめてあるパジャマを拾い、それを着る。それで私達の覗きは終わるはずだった。だが、私の覗きは終わらなかった。

2015年8月27日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第19話 (全22話)

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© 2015 高橋文樹

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