その老人はアハモに乗り替えたせいで居場所をうしなった。つぎに居場所を求めるとすれば病院だろうか。しかし老人には、あらたなコミュニティーに飛び込んでいく勇気がなかった。病院は身体に不調が出るまで待とう。行けばどうせ何か見つかるにきまっているが、老人は手遅れになるまで待つつもりだった。そうでなくても妻は医者に殺されたと老人は思っていた。殺されたいと思ったら、行こう。居場所はほかに探せばいい。
老人はきんじょの公園をあらたな居場所の候補とした。話し相手はまだいないが、ベンチに腰かけてしばらく空をながめていると、これはこれでわるくないと感じた。思えば、なぜおれは話し相手を欲していたのだろう。老人は若いころから、ひとと話すのが苦手だった。だれもかれも自分を傷つけてくる悪魔に見えたのだ。口に出す言葉は最小限に抑え、ために、しばしば人からはとっつきづらいとみなされ、あまつさえおびえられることもあった。だが、おびえていたのは若いころの老人の方だった。おびえつづけてやがて定年を迎えた。やがて妻が死に、老人はソフトバンクショップに居座り、ドコモショップに居座った。どうしてこうなったか、老人は自分でもその端緒が分からなかった。妻の死が関係しているというのは、だれでも思いつく説だが、それだけではないと思われた。そもそも老人は妻にさえおびえて暮らしていたのだ。
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