無明

文章があるだけ。(第1話)

吉田柚葉

小説

3,859文字

不動産営業のひとがつぎつぎと辞めていく話です。

中島隼人(二十五歳)からの引継ぎに「福井涼アマゾンギフト券一万円」という項があった。アマゾンギフト券は街頭アンケートの謝礼である。年収等の基準をみたしたアンケート参加者に後日手わたしするきまりになっている。その際に分譲マンションの営業をかけるのが真の目的だが、中島が事務所にもどってから福井に電話で詳細をかくにんしたところ、勤続年数がまだ三か月程度であることが発覚した。中島は「勤続年数が三年たつころにまた連絡する。それまでアマゾンギフト券はまもっておく」と約束したという。だが、それから三か月後、中島の方が退職した。福井のアンケート報酬としてのアマゾンギフト券を「まもる」しごとは、このほど中途採用で入社してきた敷島さくら(二十五歳)へと引継がれた。

ところが、敷島は三か月もたなかった。「文系転職だと、営業は避けられない」という転職エージェントのことばをうのみにして、こともあろうに不動産営業なんぞいう煉獄に飛び込んだ敷島はやはり無謀であった。新卒で入った大企業で受付嬢を三年つづけ、じぶんは「人」が好きなのだと勘ちがいしたのが運の尽きだった。かのじょの診断書に記載された病名は「うつ病」。適応障害がうんぬんと記されたその診断書は、しかし、会社に提出されることはなかった。敷島は無断欠勤をつづけ、そのためにクビになった。退職届にはしっかり「一身上の都合」と書かされた。

敷島のあとを継いだのは小針純也(四十三歳)である。この会社に転職するまで営業一本で二〇年やってきたというかれは、じっさいの感情にかかわらず、いかなるときもはりついたような笑顔をつくることができた。小針はさいしょ、充実していた。口八丁手八丁の営業技術はさらに洗練をきわめ、ことあるごとに年下の同僚へとくりだす嫌味も、しっかりと相手のモチベーションをダダ下げた。だがその間にも、いつか棄てたはずの良心がガンのかたちをとってかれの大腸をしずかにむしばみつづけていた。腹を下すことが増えたくらいのことで病院にかかるのはバカらしいと思いつつ、虫のしらせにしたがい、たわむれに検査を受けたところ、すでにしてステージ4。医師には余命二か月と宣告されたが、治療はことわった。「わたしがついてる」という妻のことばに十五年ぶりにうつくしい涙をながした小針は、それで魂まですっかりぬけきって宣告どおり二か月で死んだ。死に顔は、くだんのはりついた笑顔であった。

つぎは、坂口健司(三十八歳)である。坂口は福井の安否をかくにんするためにかれの携帯に電話を入れたゆいいつのにんげんであった。「まだいまの会社におつとめでしょうか」という問いに対して福井は「あー、はい」とだけこたえた。その声色から、アマゾンギフト券一万円というエサになんらの食指もうごいていないのがありありと読みとれた。分譲マンションというぎらぎらの大魚を釣るに、アマゾンギフト券は、そもそもしょぼい。この戦法は、だから、勢いが命なのだ。熱が冷めぬうちに、すくなくとも街頭アンケートから一週間以内に場をセッティングせねば意味がない。冷静になった福井は、坂口の悪魔のささやきを華麗にかわし、ギフト券だけぶんどってその場をたち去るだろう。あまつさえ、坂口の会社の金で、福井の最寄り駅ちかくのガストでミックスグリルなんぞただ食いして、そのまま家に直行、きもちよく昼寝……、そんな未来がありありと見えた。まったくばかばかしい。こっちは慈善事業でやっているのではない。この件は自然消滅にしようと坂口は判断した。一年後、坂口は、通りを横殴りにつっきってきたセダンに轢かれて即死した。

ところで、年収二〇〇〇万円の会社員、福井涼とはどんな男なのか。さる高貴なひとの血筋であることはたしかであるらしいのだが、詳細は本人も知らないし、そのことを知らされたのも二十代をなかばもすぎたころであった。中流階級の家庭でぬくぬくそだち、まあまあの大学を出てふらふらしていたところに、ある日とつぜん、黒服の男があらわれた。黒服はみずからを指して福井を「まもる」そんざいであると紹介し、福井にはその血筋にミソがつかないようなポストを用意してあるとかたった。だれもが知る企業の、メタバースに関する一部門の長が、そのポストであった。黒服の話は、それが格好いいと思っているのかしらないが、いちいちもってまわった言い回しで、けっきょくのところ福井がいったい何者であるのか、漠としてわからなかった。ただ、福井の「なぜ」に対して、キメ台詞のごとく発せられる、「それは必然だからです」という黒服の断定に、端的に言って福井はしびれた。げんだいの貴種流離譚はこうしてうごきだしたのであった。

坂口がのこした引継ぎもなにもないゆえに、佐藤花(二十六歳)はむしろ入念に生前の坂口のしごとをかくにんした。このきまじめさゆえに、高貴なお方のアマゾンギフト券はまたしてもまもられた。しかるに佐藤は一年後のいまごろに、福井に連絡をいれるひつようがあった。かのじょは、ただまじめであるのみならず、優秀だった。新卒からこの会社につとめつづけて、ようやくこのまえ社内の小さな賞をひとつとった。上司の村田茂(四十六歳)にからだをゆるした翌週であった。それまでいくつ契約をとってきても歯牙にもかけられなかったのが、飲み会の席で押し切られて、連れていかれたホテルの一室、どういう趣味だか、お尻の穴に油ぎったオッサンの黒ずんだ鼻さきをぐりぐりとおしこまれたすぐあとのできごとであったから、佐藤は傷ついた以上にバカらしくなり、田舎にかえることにした。かのじょはのちに「暗黒営業女子」というマンガでSNSをすこしだけ沸かすことになる。

さて、つぎは井森愛(三十二歳)である。井森は佐藤が入社した当初からの世話係であり、佐藤の退社にいたく傷心していた。佐藤は理由をなにも言わなかったが、井森の観察眼はすべてを見ぬいていた。村田のクソオヤジとさしちがえるのを本望として、村田をさぐること三か月、井森はついに村田が着服した一二〇万円のそんざいにたどりついた。村田は即日解雇された。井森は秘密裡にうごいたが、かのじょがやったのだといううわさは、またたくまに社内にひろがった。井森はしだいに肩身がせまくなり退社を余儀なくされた。しかるに、一片の悔いなし。おりしも、五年同棲した彼氏から銀にかがやく指輪をわたされたところであった。

「まじめな佐藤らしい」と、引継ぎの際に井森をほほえませた、「福井涼アマゾンギフト券一万円」死守のしごとは、こんどもきちんと引継がれる。中途採用ではいってきた金本純(二十八歳)は、一週間後が最終出社日だという年上の女性のことをすぐに好きになった。運命のであい。井森もまた、金本にあらがいがたく惹かれていた。しかし村田を屠った井森には相応のプライドがあり、さいごの一線を越えることなく、おだやかに会社を去ることに成功した。ウェディングロードへとあゆみをすすめる井森の背中に一抹のさびしさをかんじながらも、金本はあせってはいなかった。LINEアカウント。これがあるかぎりまだ逆転の可能性はあると金本はしんじていたのだ。げんにふたりの逢瀬はたびたび起った。からだの関係はなく、あくまでプラトニックなのが、金本のうまいところである。しかし、しょうじきなところ、金本には決め手がないだけであった。ベッドにさそってしまうとすべてが瓦解する。そんな恐怖はむしろ金本にとり恋愛の興奮を引起した。しかるに、指さえふれることがゆるされぬふたりの逢瀬……、金本の日々の充実は、しごとのサボりのうえにあった。重度の恋愛脳である金本は、それで受験を失敗したし、就職も失敗した。こんどはしごとを失敗したわけである。営業にいくと言ってアンケートのひとつもとってこない金本をいつまでも置いておくほどの度量は会社にはない。ある日の朝礼終了後、綿ほどにかるい金本の頭を、上司である古川智樹(三十四歳)はその拳でゴツンとやった。このゴツンが、金本にとりなによりの現実であった。おまえはクビだバカ野郎。その怒声はほとんど身体にひびいて金本に過去の受験の失敗や就職の失敗をただちに思い起こさせた。夢から覚めるときは、いつもなにかをうしなうときである。金がなければ恋愛ごっこもできないことを重々承知していた金本は、おどろくべき切替のはやさで、豚小屋のごとき期間工の社宅にみずからをぶちこみ、単純作業の無限地獄のなかで恋愛脳という生来の悪病の寛解をまった。

さて、問題はアマゾンギフト券である。福井がついに勤続三年をむかえたそのときに、かれにアマゾンギフト券をうけわたすにんげんはなかった。福井は三年まえよりさらに重要なポストをあたえられ、かれがたずさわっている、バーチャル世界にまるまる地球を再現するというたくらみも、おおむね完成を見ていた。第二の地球と名づけられたそこには、もちろん、かれが売りつけられる予定であったところの分譲マンションのすがたもあった。もう十年もすれば人類の大半はこちらの地球に引越してくる算段である。肉体を捨て、零と一の世界のさいしょの住人となる覚悟をきめた福井は、にんげんとしてのさいごの晩餐に、ガストのミックスグリルをえらんだ。研究所を出たのが二十三時で、要はそのじかんにひらいている店がガストだけだったのでしかたなく……、というのが真相であるが、後世のひとびとはやたらとそこに深読みの余地を見出した。

2023年12月10日公開

作品集『文章があるだけ。』第1話 (全5話)

© 2023 吉田柚葉

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"無明"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2023-12-10 12:39

    タイトルと内容・文体からして、これは石川淳ですね? 現代風オマージュ作品になっていて面白かったです。バーチャル世界の地球もやはり浄土ではなく無明世界なのでしょうかね。

    • 投稿者 | 2023-12-10 12:51

      お読みいただきありがとうございます。仰るとおり石川淳です。無明はずいぶん昔に読んで、読み返そうとしたのですが本が見つからず、こんなんだったかなと思って書きました。

      著者
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