共感の生き物

文章があるだけ。(第4話)

吉田柚葉

小説

2,944文字

新しい年になりましたが、特に何も思うことはないです。

はおっているパーカーで眼鏡のレンズを拭くと、むしろ白いよごれがひろがった。リュックサックのなかに眼鏡拭きがあるのを思い出した。だが、思うにさいきん、僕の眼鏡拭きはよごれをおとす力が劣化しているのだ。眼鏡拭きを洗濯するという話はきいたことがない。ならば買いかえどきということだろうか。そう言えば、いつからつかっている眼鏡拭きかもわからない。高校の三年間で眼鏡拭きを買ったという記憶がないので、中学の春休みに眼鏡を買いかえた際にケースについてきたものをずっとつかっているのかもしれない。そんなことをかんがえていると講義の終了をつげるチャイムが鳴った。きょうの大学はこれでおわりだ。

外に出ると、あたりはすでにすこし暗い。十六時すぎ。昼飯をたべそこねていたので駅ちかくのイオンモールまであるくことにした。大学の坂をおりていくと、靴下がさがってくるのを感じた。それで、なんども上にひっぱるはめになった。思えば、きのうもこんなことをやっていた。何足かある靴下のうち、すくなくとも二足はのびきっているのだ。ぼくのもっている靴下はどれも無地のもので、見分けがつかず、どれがその「ハズレ」なのか、履いてしばらくあるいてみないとわからない。だから、外に出るときは、これがハズレじゃなければいいな、と思いながら玄関のドアをあける。

……買おう。眼鏡拭きも靴下も。

イオンモールにつくとまずダイソーにはいった。眼鏡拭きも靴下もあった。謎のブランドの缶コーヒーが二本で百円だったのでそれも購入した。

トイレの個室で靴下を履きかえて、トイレを出た。「おっ」思わず声が出る。靴を買いかえたときのように、地面をふんだときの弾力がたのもしい。百円の靴下でこんなに感動できるとは。とつじょとしてきょうという一日がかがやきだした。

フードコートについた。サーティーワンとマクドナルドはあるが、生焼けの感があるハンバーグを出す店とか、やけに高いかつ丼屋とか、全体的にイマイチなラインナップだ。去年はペッパーランチやすき屋があったのだが、いつのまにか撤退していた。しかたなく、ハンバーグをたべた。冷えている。というより、あたたまっていない。ただし米はうまい。べらぼうにうまい。みずみずしさがあって、ひとつぶひとつぶがひかっている。まさか良い米をつかっているとも思えないし、炊くのが驚異的にうまい店員がいるのだろうか。謎だ。

食後、思い出して眼鏡のレンズを拭いた。新品の眼鏡拭きだと、スッとよごれが落ちる。半信半疑だったが、やはり眼鏡拭きにはよごれが蓄積されていくのだ。

スマートフォンを出して、靴下と眼鏡拭きの感動をXに投稿する。ほとんどだれもフォロワーのいないアカウントだ。閲覧用につくって、まだ三回しかポストしていない。メモの役割すらはたしていない。しょうじき、使い方がよくわからないのだ。

そのまましばらくXをながめる。「百日後にモラハラ夫と別れるネコ」という、「いかにも」な絵柄のマンガがながれてくる。おそらく実体験なのだと思うが、それをいちいちマンガにするモチベーションにピンとこない。「女は共感の生き物」とはよくきくことだが、こういうグロテスクな表現物をふいに目にすると、ようやく「そういうことなんだろうなあ」と腑に落ちる。

 

平日の夕方のフードコートは閑散としている。朝だと老人がマクドナルドのコーヒー片手に新聞をひろげたり文庫本をひらいたりしているし、お昼どきには休日でもないのに女子高生が跋扈しているのだが、夕方はだれのためのばしょでもなくなる。

コーヒーがのみたくなったので、マクドナルドで注文した。うすくてのみやすいが、それが「うまい」ということなのかわからない。うかつに「うまい」と言ってはいけない感じがする。「のみやすいからねえ」とだれに言うわけでもない言い訳が口にでそうになる。

「おい、成田」

背後からききなじみのある声がした。ふりむくと、ラーメンの入ったうつわの置かれたトレイを両手で持っている辻本がそこに立っていた。「飯くおうぜ」

「ちょうどたべおえたところだよ」

「じゃあおれがラーメンすするのを見ててくれ」

と言って目のまえにドンと腰かけた。そしてすぐにズルズルと麺をすすり出す。

「昼飯くいそびれたか」

と僕はきいた。

「そうだな……」

辻本はいいかげんに返事をして、「きょうのクソむかつくやつシリーズ!」とテンション高く言った。「図書館でマックひろげてるやつがいたんだけどさ、キーボードをたたく音がいちいちうるせえんだよ」

僕は苦笑する。

「マジでうるせえのよ。カタカタカタカタ……で、ターンッだ。死ねと思って」

腹いせのごとく、辻本はラーメンを爆音ですすった。「あいつ、つぎ会ったらただじゃおかねえ」

「おまえ、図書館に何しに行ったんだよ」

図書館で辻本を見かけたことなどいちどもない。

「昼寝だよ」

「そんなことやってるのか、おまえ」

さすがに引いた。「ふだんから図書館でめいわくかけてるのは、おまえの方だぞ」挙句、友だちのまえでバカみたいにラーメンすすって。

「だから、おれだって反省したよ。つぎからはしない」

あきらかにテンションが下がった。「だから、今回だけはおれに共感してくれ」

「共感ね……」

僕はコーヒーをのんだ。「女って『共感の生き物』らしいぞ」

「らしいな」

テンションが下がったまま、きょうみなさげに辻本が同意する。「なんだったかな……さいきんツイッターで見たんだけど……」

「Xな」

「なんだったか、電車の中でジジイが暴れてるんだよ。なんか、赤ちゃんがうるさいとかなんとか……」

辻本は僕の指摘をむしして、つづける。

「お母さんにむかって、『おまえが甘やかすからダメなんだ』とか、『死ねブス』とか……、で、お母さんが、『これ撮らせてもらいますね』って言ってスマホをジジイに向けるんだけど『勝手にしろ、おれは何も悪くない』って、ずっと強気なわけ」

「なんかそれ見たことある気がするな」

「で、まあ、ジジイがやべえのはやべえんだけど、なんかその、『撮らせてもらいますね』に、おれなんかはカチンとくるんだよ」

「おまえが?」

「そう、おれが。ようは、世間に叩いてもらおうって算段なわけだろ」

「まあな」

辻本の言わんとすることがわからんではなかった。赤ちゃんの泣き声を不快に感じてその親に苦情を投げるジジイの態度はなるほど常識外れだし、そのことばも過剰だが、ボールを投げる方向に納得はできる。対して、そのジジイに言い返したりその場を離れたりせず、たんたんとスマホをジジイにむける母親の態度には、「共感の生き物」という、じぶんとは異なる種の生態を感じざるを得ない。ひるがえって、スマートフォンのカメラをこちらにむけられて、ブチ切れるじぶんの未来が見えるようだ。

「共感がほしいってのは、強者への甘えだな」

と辻本はまとめた。「目のまえのやつとか、インターネットをとおして、『一般』という、強大なものにじぶんを肯定してもらおうとしてるんだ」

「なるほど」

「それはそれとして、マジで図書館のやつむかつくけどな」

「わかったよ」

テーブルに置いたスマートフォンがふるえた。見ると、Xに通知がきていた。さっきのポストにだれかから「いいね」がきたらしい。

 

2024年1月2日公開

作品集『文章があるだけ。』第4話 (全5話)

© 2024 吉田柚葉

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