燃える悪霊

巫女、帰郷ス。(第12話)

吉田柚葉

小説

2,351文字

最近はウーロン茶にワインを注いで飲んでます。

燃えている、街が。覆っている、煙が。空を。夜だ、いまは。炎で照らされた空が煙で覆われている。それを見ている、おれは。空の上から。なぜだ。どこだ、ここは。神の視点を得たようだ、おれは。そして。目覚めた、おれは。見ていたのだ、夢を。夢を見ていた。いまも視界の隅に炎がちらつく。赤がちらつく。この赤はなんだったか、おれはわすれかけている。わすれてもかまわない。なぜなら、夢だから。夢を記憶しておくことが、できない。おれは。その赤がなんだったのか。なんの赤だったのか。思い出そうとして、赤それ自体が燃え尽きて灰になる。灰に。灰に……。

となりには妻が眠っている。眠っている、妻が。となりで。やすらかに。死んだようにしずかに。しずかだ、妻は。死んでいるように、見える。まるで。

きょうは休日だ。休日は何をすればいいかわからない。もうどうしていいかわからない。わからない、どうしていいのか。頬をながれている、涙が。なぜだ。とまらない、涙が。

思い出した。死んでいるんだ、妻は。眠っているんじゃない、妻は。妻は死んでいる。なぜだ。殺したからだ、おれが。昨夜、おれが。絞めたのだ、首を。首を絞めて。衝動。衝動が来たのだ。でも、なぜ。手がしびれている。すごい力で絞めたのだ、首を。妻の首を。それで死んだのだ。なぜだ。そんな、それだけで、なぜ。なぜおれはそんなことを。なぜおれはそんなことをして、のうのうと眠りにつけるのだ。もしかしておれは夢の中で絞めたのか、首を。妻の首を。悪霊だ。憑かれたのだ、悪霊に。妻が仕事で祓ったという悪霊に、憑かれたのだ、おれが。まだ憑いている気がする。悪霊は、つぎに、燃やそうとしている、街を。夜に、街を。燃えやそうとしている。何を。なんの記憶だ、これは。もしかして、やってしまったのか、おれは。すでに、やったのか。火つけを。家の外はすでに焼野原になってしまっているのか。生きているのは、おれだけなのか。この街で。おれはピノキオとして、生かされているのか、悪霊に。悪霊に、まだ生かされている。ピノキオ。なんだ、それは。なぜおれはいま、ピノキオのことを考えたんだ。おれの意思で妻を殺したというのに。

そうだ。明確な殺意があった。殺意。ないか。殺意なんて。衝動。来たのだ、衝動が。悪霊なんじゃないか、衝動は。衝動は悪霊。やはりダメなのだ、祓うだけでは。させなくてはならないのだ、消滅。消滅させなくてはならない。まだ殺意の灰が、ある。じぶんのなかでくすぶっている。殺意が。悪意が。悪霊が、つまり。つまり悪霊が。悪意の悪霊が。赤い悪霊。赤。なんだ、赤って。赤がちらつく。視界の隅に炎がちらつく。燃えている、街が。

カーテンをあけた。いつもどおりの朝だ。となりのマンションが見える。青い空。覆っている、雲が。空を。朝だ、いまは。いつもどおりの朝だ。夜をぬけたのだ。あくびがでる。ながれる、涙が。涙がほほをつたう。洗面所で顔を洗う。涙が洗い流される。殺意が。殺意さえも。洗い流される。死がある。この家に。声がする。死があるぞ、この家には。だれの声だ。悪霊か。洗い流されていないのか、悪霊は。

寝室にもどる。妻が眠っている。眠っている、妻が。ときに寝息を立てて。立てている、寝息を。生きている。寝息を立てない、死体は。だが、なんだ。この手のしびれは。たしかにおれは妻の首を。ちかづいてみる、妻に。ふれてみる、手に。布団から出ている、手に。つめたい。はっきりつめたい。死んでいるのだ、やっぱり。なら寝息は。寝息はなんだった。寝息は……でも、いまはきこえない。幻聴だったのだろうか。呼ぶのは警察か、救急車か。救急車ののち、警察か。

スマートフォンにふれる。タップする、通話アプリのアイコンを。だれかに電話をかけるなんて、ずいぶんやってない気が、する。寝息が聞こえる。背後で。ふりむくと妻が眠っている。死んでない。死んでないなら、殺さなくてはならない。妻を。妻を殺さなくてはならない。なぜだ。殺したいからだ。悪霊が、憎んでいるのだ、妻を。悪霊はおれだ。だとするのならば妻を殺したいのは他ならぬおれだということになる。なぜだ。なぜ悪霊はおれなんだ。おれはだれだ。きょうは休日だ。休日だ、きょうは。休日。平日があるのか、おれには。おれは働いていない。いや、働いている。転職サポートが、おれのしごとだ。求職者にしごとを紹介する。企業に求職者を紹介する。ほんとうか。しているのか、ほんとうに。ずっとおれは働いていない。酒は。でも酒は、のむ。もともとのむ方ではなかった。それが、いつからかのむようになった。

いつからだ、のむようになったのは。死んでからだ。妻が。死んだ。妻が。なぜだ。妻はなぜ死んだ。殺されたのだ。通り魔に刺されたのだ、もう五年もまえに。おれだ。通り魔は。通り魔はおれだった。通り魔は悪霊だった。悪霊だったのだ、おれは。おれは、でも、しんじていない。悪霊なんて。悪霊なんて、そんなばかなこと、あり得ない。だから妻は単に刺された。刺したのは通り魔だ。おれじゃない。悪霊じゃない。だから妻がやっていることは、すべてふりだ。祓ったふり。存在しないものを祓ったりなんてできない。通り魔は、きっと、妻の因果応報だ。ふりをしつづけて、ふりに気づいた、いつかのクライアントだ。捕まっていない、通り魔は。通り魔はだれだかわかっていない。プロのしごとだとインターネットには書きこまれていた。あまり目立ちすぎた、妻は。妻はあまり目立ちすぎたのだと。だから殺されたのだと。見せしめだと。だれへのだ。だれへの見せしめなのだ。だから焼かれた。家を。家ごとすべて。見せしめとして。そう。だから。

この部屋にはだれもいない。おれも。悪霊も。もちろん妻も。

2023年11月24日公開

作品集『巫女、帰郷ス。』第12話 (全29話)

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© 2023 吉田柚葉

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