赤羽桃源郷

中野Q子

小説

7,543文字

素晴らしい赤羽を単なる言い訳にする堕落した女の話。書いてみてだけれど、短い小説とも、長いポエムとも思う。

 

【酔いどれ】

 

酒灼けの喉とヤニまみれの鼻腔で、脳味噌4ccの北改札東口駅前を闊歩する。皺の寄ったブラウスも、血色の悪いスッピンも誰も気にしない。きっと非合法よりも最高にキマる粗悪な甲類焼酎。道端のゲロを啄む鳩が一羽、二羽。倫理もクソもない(いや、クソな連中はしばしば見受けられる)喫煙空間の広大なこと。ここでは陽キャも隠キャも医者も患者も、リベラルもレイシストも飲んだくれる。みんながみんな、1番街で胃にたっぷり蓄えた酒と肴をカラオケにぶちまけて帰って行く。金を払ってゲロを運ぶだけの簡単なお仕事。24時間営業の135は商標登録済。陽光が虹彩を焦がす初夏の午前。商店街から肩を落としたサラリーマンが溢れてきて、私と入れ違いに社会に吸い込まれていく。公園でフリマが散らかって年増と子供の喧騒。来るもの拒まず去るもの追わず。酩酊を躊躇わず。ファックをお求めの方は荒川の向こうでどうぞ。160円払えば5分で西川口のラブホ街。溺れる馬鹿は祭り上げておけばいい。泳がせるのは視界だけでいい。転ぶのが嫌ならハイライトを蒸かせばいい。持ち物は皺寄った千円札と「どうとでもなれ」という気持ちだけでいい。履歴書は持ち込まないことだ。てめぇがマゾじゃないなら絶対。あたしは履歴書を持ってこの街に飛び込んだ。しらふには二度と戻れない。ここは最高に最低な桃源郷。赤羽。

 

 

【シメ】

 

月食が何度も何度も起こった。物凄いスピードで地球の周りを回っているのだ。他の天体も次第に暴れ出した。私は心底恐ろしくなって父に尋ねた。「地球滅びるのかなぁ」。頭が痛い。蛍光灯の明るいのがチカチカして頭が痛い。地球はまだ滅びない。これは夢だ。
瞼が目脂で開きにくく、腹筋が巧く使えない。腕と膝をフルに稼働して起き上がると、恋人がとなりでソシャゲを嗜んでいた。PS4でゲーム実況が一時停止中。恋人は偏食で酒も飲まない。代わりに私よりずっとヤニカスだ。だから本当にがりがりに痩せていて、灰皿にはいつも吸殻がギュウギュウに詰まっている。母性で乳が張るくらい愛おしい。あたしの恋人。
口の中のざらつきがどうにも不快で仕方がない。次いで汗のべたつきと、ブラジャーの食い込み、毛先の絡まり。混濁した頭。まずはタバコに火を灯す。粘膜で湿らせた煙を吸い込むと、全身にニコチンがしみ渡って指先が痺れた。一呼吸はき出す毎、視界の靄が吹っ飛んで晴れてゆく。
「おはよ」
「おはよ」
「『地球滅びるのかなぁ』」
「滅びると思った」
「寝言言うてたで。」
おぼろげな記憶をたどるとコマ送りの映像が因果の線を結ぶ。夜勤明けてそのまま三木さんたちと飲んでいたんだ。電車乗り継いで帰るのがあまりにダルいから、歩いて帰れる恋人のアパートに倒れ込んだ。酔ったアレで股がグッチャグチャで、恋人に覆い被さって「酒クッサ」と言われた覚えがある。生ビール、レモンサワーイッキ、日本酒二合、カルアミルク三杯であんなにヘロヘロ、こんなに頭痛。ロキソニンも逃げ出す頭痛。一杯300円の居酒屋は本当に容易くキマる。なんて手頃に買える不調だ。
「月が地球の周りをグルグル猛スピードで回って月食が繰り返し起こって、お父さんに聞いたやつだそれ。ごめんね」
「ええんやで」
「ホッタイモイジクルナ」
「もうちょいで0時」
「まじか、帰れないじゃん」
「泊まったらええよ」
「明日授業あるの、始発で帰る」
「おまえそう言って始発で帰れたことあるか?」
「ないです」
財布の中身を夢想した。
「最悪直接行く」
こうやってまた外食とゴミが増えるのだ。本当に最悪だな。タバコを丁寧に消して、これでなんとか帳消しにならないだろうか。
とりあえず自分の皮脂と歯垢が気持ち悪くて清潔を求めた。自分も汚いけれど、恋人の部屋もいつも通りだいぶ汚かった。絡まった髪に櫛を入れて、汚いついでに部屋のゴミを拾い集めてゴミ袋に突っ込み、コロコロをかけてそれも突っ込んだ。洗い物とペットボトルと洗濯物を仲間同士でまとめたらひとまず落ち着いた。
「みかこはえらいなぁ」
「職業病か、自己満かね。許せない汚部屋を許せる汚部屋にしてんだからワガママでしかないと思うよ」
風呂トイレ洗面台が一緒の三点式ユニットに脱衣場はなし。恋人の目の前に服を脱ぎ散らかしてかび臭いシャワーを浴び、裸のまま歯を磨いた。せっかくスッキリしたというのに、なんだか腸からニンニクとアルコールのにおいが鼻をつくようで凄く不快だ。自傷行為くらいリステリンで口をゆすぐ。おりものシートを交換し、下着とキャミソールだけを身に着けてベッドに戻ると、申し合わせたかのように胃が泣き喚いた。こちとら歯を磨いたんだよ。黙れ空腹。ここにある食材は乾麺とプロテインとサプリメントだけだと知っている。こんな深夜にウーバーイーツすらもう閉店だ。
「ちょっと歩いて松屋か富士そば食べない」
「食べない」
「じゃあいいや」
アイフォンに目を落とす。半ば無限に時間を浪費できるこのデバイスは、今のところ科学知の集大成だ。多くの人はバッキバキに割れているディスプレイを直す金が惜しい。私も恋人もそうだ。通い詰めた喫茶店は朝5時に開店。モーニングを食べたら一度帰って登校に丁度いい。右手でアラームは4時半。左手の手持ち無沙汰を埋めるタール17ミリが煙る。ギリギリ端まで吸っても空っぽの胃には煙が漂うだけ。さすが一本22.5円。洒落が利いてる。
「ゆうちゃん」
「どうした」
恋人の首筋に鼻を添わせて思いきり吸い込むと、全身の筋肉がぬるっと緩んだ。わたしは恋人の脇に丸まって、再び眠気に身を委ねた。
「いいにおい」
頭痛が消えた。そんな気がした。

 

 

【お通し】

 

初めてここに降りたのはバイトの面接に来たときだった。持ち込んだ履歴書は赤羽のカラオケ店にめでたく受理されたわけだ。履歴書のブスを愛嬌と謙虚で濁して、私は店長の「都合のいい女」になった。つまるところシフトの穴埋め要員だ。
上京して以来3年。もういい加減古参。機材にもだいぶ詳しくなった。得手不得手はそれはあるけれど、接客もゲロ掃除もお手のもの。グラスが割れた部屋は、床に這いつくばってひとかけらも残さないように掃除する。部屋中全部をライトで平行に照らして、光ったものは片っ端からガムテープで取っていく。使う人が絶対に怪我をしないように。あとは手で触れて最終確認。割れ物の処理は私が店で一番速くて美しい。そうでも思わないとやってられない。
ノックに振り返ると既にコボちゃんはいた。小汚い以外は新聞の四コマ漫画にそっくり。いつも顔が青いのは酒と夜勤と剃っても剃ってもなくならない髭のせいだ。上がりだよ、代わるよ。と口をパクパクさせる。
「お疲れ様です、でももう終わるんで」
手首のシチズンは既に夜中の3時を示している。こんな半端な時間に上がるのはおよそ私だけだ。フリーター勢を残してみんなが終電前に退勤していく。深夜の勤務になんら抵抗がない私は、終電前後の忙しく人手不足がちなこの時間帯に重宝されているらしい。
「引き継ぎ特にないです。あーでも、共有した通り上裸のお客様いるので、ホールは男の人のほうがいいかもしれないですね。」
「わかった俺がやる。おつ。」
「あとお願いします。」
コボちゃんはめちゃくちゃにやる気がないけど、妙に気張らないだけで責任は果たすちゃんとした大人だ。きっちり生きている人には三十手前のヤリチンにしか映らないだろうが、私は薬学部を挫折してフリーターをやっているこの正直な男のことがけっこう好きだった。安心して仕事を任せて帰る。「また今度一緒にタバコ吸おうな!」なんて言いつつ、帰る。いや、電車がないから帰れないのだけど。
この街は学生としての私にも、労働者としての私にも都合よかった。用事は足りる本屋があって、丁度いい服屋があって、素晴らしい美容師がいて、食べ物と酒に困らない。しかしそれらが起きるのは日が昇ってから。とはいっても私なら始発まで時間を潰すのも難しくはない。バイト先を後にする。駅前のジョナサンで2時間コースだ。レポート課題は毎週2000字。提出は明後日(みょうごにち)。
「いらっしゃいませ」と老紳士がにっこり。こんな時間に、お疲れ様です。サービス業の非正規雇用というのをしたことがない人間には到底わかるまい。この疲れた笑顔にも値段がついているのだ。笑顔だけじゃない。たらマヨポテトを揚げる手間にも、ドリンクバーのディスペンサーが清潔に保たれていることにも、椅子やテーブルが破損していないことにも、私が退店したあとの洗い物にも、あらゆることにコストがかかっている。それは大変な作業だ。時間もかかる。使う側の連中はきっと美しく偉大であったはずの動機なんぞ忘れてるだろう。私はそれを、千円札一枚とわずかな小銭限りで買うことができる。私の場合なら始発まで持て余した時間の充填と、レポートをするための集中力までついてくる。なんてお得な買い物だろう。おかげで『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がほんの少しわかった気がします。あと10分で電車が動き出す。ありがとう、ごちそうさまでした。
退勤後のナチュラルハイに宗教社会学の権威なんてブチかましたものだから、脳みその興奮と眼精疲労で目の前がチカチカして足取りも重い。一服してたら始発を逃した。電車に揺られてる間気絶してた。家についたら玄関でこけた。シャワーが済んで洗濯を干す頃には真上で太陽がかんかんで、あたしの頭もぎらぎらに冴えていた。疲れていても眠れない。眠りたくない。電車の中であれほど眠たかったのに。わけのわからないイメージの数々。人の頭が流れるレーン、不気味なthis manの顔、人の生え際に散る岩石が光る、赤い宝石がびっしり埋め込まれた白い枯れ木。それらが矢継ぎ早に閉じた瞼の裏に像を結ぶ。夢うつつが肌を逆撫でて、私を再び覚醒させる。しかし休まないことにはレポート提出が心配だもんで、私にできるのは布団を頭からかぶって耳鳴りに耳を塞ぐくらいだった。
授業は無事に寝坊した。プリンターがやけに混んでて量産型女子大生の群れにイライラ。あたしが寝坊したことを考慮しても、だいぶトロかった。

 

 

【乾杯】

 

大学と日勤と夜勤なんてやっていたら月のものが月に伴わないのは当たり前。要は月経不順。ばらっばらだ。男には想像できるだろうか。直腸を10センチ入ったところの睾丸側に、パンパンに血の詰まった水風船が入っている。しかもそれは筋繊維と神経でできている。無限に眠く、死んでもいいからセックスがしたくて、胃が口から飛び出て消化器がぜんぶ裏返ったとしても食べたい。気圧に脳みそまでねじ曲げられてズキズキ痛んで目がまわる。米粒一つに生命を感じて涙が出てくる。『星の王子様』があんまりに美しいから泣ける。ナイロン繊維と紙ナプキンの刺激で股がかゆすぎて、スケジュール帳に「自殺」って書くところだ。
まあそんな調子だから、私っていうのはもうまったく、言い逃れのしようがないくらい奇麗に浮気をかましたところだった。処女喪失よりもずっと血が出てまるで殺人現場だった。私は店長の「都合のいい女」をやった。
浮気帰りの深夜バスは運賃倍額。耳の穴でCoccoが叫ぶ。車窓の暗闇は非日常から日常への巻き戻し。時代はネットにも関わらず、視界はVHSの粗さで流れていく。川口の夜はもう真っ暗。赤羽はきっとまだ明るい。根拠のない胸騒ぎに襲われている。根拠のないものはこわい。だって私は居なくたっていいということだ。安直に死んでしまいたいと考えるには十分だ。

アルバイトなりに譲れないものはあったんだ。モラルもプライドも、それどころか持ち合わせすらない人間。どうしようもない人間。ここに来るのはそんなのばかりだけれど、私等はこの人たちに仕事を貰って食べてる。気持ちよく歌って叫んでもらって、私達はその邪魔をしないことだ。それで酒が買える。このビジネスが供給できる唯一のもの、その邪魔をするようなナメた接客は許さない。時給が発生する内は仕事に努める。サボるなんてもってのほかだ。だから私は店員でも客でもつとめてモラルを保ってそれを誇りに思っていた。
飲んで談笑するだろう皆。それで周囲に「うるせぇなぁ」と思われる。好きな人たちがただのうるせぇ市民になるのが嫌だった。うるせぇ市民にだけはそう思われたくなかった。どんなに楽しくても、酔っぱらっていても、静かに笑うように心掛けていた。連れにも静かにするように言っていた。みんなお互い様だ。世界のために命懸けで頑張ってる。頑張って頑張って、頑張った分だけ誰かに迷惑かけて辻褄合わせする。スカトロプレイじゃないか。私だけは迷惑かけない。人には綺麗なところしか見せない。頑張って頑張って、頑張った分だけ誰かにもっと好かれてもらうんだ。

 

 

【ほろ酔い】

 

珍しく中番のミッキーが夜勤入りして、店は今月一番の売り上げを記録した。土曜の夜の混沌は、ある程度秩序だてて早番にパスするまで一時間以上を要した。みんなクタクタで、鬱憤を胃にたっぷり蓄えている。みんなで安酒飲み明かすには最高のコンディションだ。135は24時間365日休みなし。散らかった店内。チープなメニュー。このご時世にタバコの煙がもくもく。褐色の肌のナイスガイが、いつでもつまみと居場所を用意してくれる。
ファーストオーダーでレモンサワーが三人、ハイボールが二人、常連のコボちゃんは一人で生ビール二杯と日本酒。お疲れさまー!と乾杯。無名の低品質なウイスキーと粗悪な甲類焼酎。酔いはみんなの疲労とすぐに共鳴して増幅した。さすが「千円でべろべろ」の赤羽。
今日の運営のハイライト。客トラブルと多すぎる納品としんどい休憩回し。社員の愚痴。性事情。みんな簡単にさらけ出す。井上くんなんか最初から飛ばしすぎて一時間でもう吐いてた。
「ちょっとボリューム落としましょ」
私は酔っぱらっていても、男性陣の多すぎる注文、みいなさんと私の百合絡み、私ら全員の笑い声なんかがお店と他の客に迷惑なことを感じ取っていた。ボリュームを落としたと言っても、他の人の感じた嫌な気持ちはなかったことにはならない。成程、毎度毎度の会計額が腑に落ちる。
「彼氏の手がエロくてしゃあないんすよ」
「わたしのこと撫で回したり中身引っ掻き回したその指18禁だよ外に出しちゃダメだよ!って」
注意した代わりに股の事情をフルスロットルでぶんまわしていたら泣けてきた。

 

「背中綺麗やなぁ」
「前から思うてたけど」
と、正座した膝の上で腰を振るあたしを見て恋人は言ってた。彼の指やくちびるが背中を伝うと涙が込み上げてきた。鼻腔から呻きが洩れた。安心が、呼吸を締め付けて苦しかった。私の心房だけが水の中に溶け残ったようだった。
思えば、昔からいつも緊張している。給食、家族と同じ寝室、つんつるてんの制服とすっぴん。自己分析とそれらしい自己PR。SNSのアイコン。いつもいつも、否定されることを考慮している。あらゆるプライバシーを公開用に仕立て直して、私は晒すことからいつでも逃げていた。それはいつしか私そのものになった。だからだろうか、公開する場がなければ、私は私であり得ない。こんなに他人が憎いのに。
酒を飲んでも吐くなんてできない。受け入れられても身を任せるなんてできない。嘔吐は起こらない。バケツを差し出してもらったところで、便器に連れて行ってもらったところで、吐けるものなんか食べちゃいないんだから。

「みっか泣いてない?」とウェイ系のミッキーが笑ってる。私はどうやらちょっと泣いてるらしい。「花粉症だよバーカ」で話題は簡単に花粉症へ。あーあ、ハイライトはこの火種ほっぺたに押しつけたら涙乾かしてくれるの?そんなことしなくてもヘラヘラしとけば乾いてくんだけど。チェイサー代わりのカルーアをぐいと流し込んだら、涙を引っ込めた代わりにおしっこしたくなってきた。

 

 

【二日酔い】

 

「みかこ、みかこ」
スーツの恋人があたしの頬をつついていて、嫌なことを思い出した。本日の講義はスーツにて参加必須。わたしのスーツは家だよ。ふざけんな。
「今何時だ」
デジタル時計はなんてわかりやすいこと。7時40分だ。喫茶店のモーニングは中止。
「行ってくるよ」
「1分待って、あたしも帰る」
顔を洗って服を着て、髪をとかしたら手櫛でわさわさ散らすだけでいい。そのために髪を切ったんだ。色付きリップは歩きながらだって塗れる。
「よし行こ」
玄関は狭いから順番に出よう。わたしの後に恋人。鍵をかける恋人。赤羽駅に向かって出発進行。
「帰るの」
「三限スーツだって思い出したから、二限は行かない。午後から行く。」
「なにしてんねん」
「二限はまだ休めるけど、三限は就活のアレがアレしてアレなの。」
「アレがアレしてアレね。」
さっぱりわからん、と言った様子。それでも流してくれるのが恋人の良いところだ。私にもスーツを着なければならない理由はさっぱりわからない。ついでに学歴主義もわからない。あたしがわからないことを、わからないことそのままに受け入れてくれる心。やっぱりあたしは恋人が大好きだった。
陽の光を思い切り拒絶してギラつく公園はこんな時間でも騒々しい。商店街を抜けて駅へ一直線に吸い込まれてゆく。24時間営業の135がさみしそう。繁忙商戦の足跡が目につく。要はゴミだらけだ。吸殻のポイ捨てが喫煙スペースを大胆に塗りつぶして不快。やはり道端のゲロを鳩が啄む。駅近郊は通勤ラッシュの名残。私もその跡を追い、あの愛おしい混沌は余りに遠い。私の足は改札前で歩みを止める。
「どうした」
「生理ナプキン買わなきゃ。買ってからでも間に合う。」
と、呼吸するようにひとくちのゲロを吐く。
「そっか。ちゃんと学校行くんやで。」
彼の背中を、ホームに向かって人波の中に消えていくまでずっと見ていた。あたしを差し止める秩序なんてものは、もうすっかり消えて残っていなかった。135へと踵を返す。
イラッシャイ、今日は一人?と、いつものナイスガイ。あたしは学校とか未来とかゆうちゃんへの罪悪感とか、今得たものたちの支払いを明日の私に全部任せることにした。再び混沌に身を委ねる。貪欲に。こわばりをとくためにこわばってきたのだ。今晩吐く分を今、胃に詰め込むのだ。果たして、戻ってこれるんだろうか。いや、食ったものに戻ってこられたら困っちゃうんだけど。

2021年10月15日公開

© 2021 中野Q子

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