具体性欠くハードボイルドとはかけ離れた文章:労働について少し

越小夜啼女

エセー

2,510文字

就活中の女子大生が近頃考えていることをただ書き連ねました。労働を3つに分類し、足りない脳みそで少しばかり分析しています。分析と言うのもおこがましい。
読者の人生に役立つかどうかは甚だ疑問だ。
破滅派だし、読んでくださる物好きもいらっしゃるだろう。

 丁度良い具合にまどろんでいて、「何か書かねば」と感じた。白湯をザバスのシェイカーに入れて喉を湿らせ、閉じた窓際で椅子に腰掛けて煙草に火をつけるのが好きだ。画になる器ならもっといいかもしれない。白湯がアルコールなら尚更いいだろう。眠りに落ちかけていた中で西部邁の「喫煙文化研究会」の記事を見つけて、煙草を吸って何かカッコイイことでも書こう、老いも足蹴にするような男臭い言葉で書こう、そうしようと思い立った。
 かといって、煙草だとかあらゆるハードボイルドっぽい何かを持ち出してもハードボイルドな文章を書けるわけではない。特に書き残すようなカッコイイ記憶も近頃に思い当たらない。書けど書けど、ナヨナヨした女臭い文章で嫌になってしまう。女臭いのが嫌なわけではなくて、私の憧れとはあまりにかけ離れていることが嫌なのだと余計に注釈を付けておこう。まさに若い女でしかない私が考えねばならないことといえば、大学の学士をなんとか修めること、働くということの2つに尽きる。働くということについて書こうか。いつもの通り、具体性を欠くふわっとしたつまらないことを。つらつらと。

 さて、稼ぐための労働とは真に働くことだろうか(真に働くことだと最終的に結論付けるのは良い。考え始めることに意味がある。)。真に、というと紛らわしい。その定義から始めなければいけなくなる。だから「働くとは何か」と言おうか。労働には様々な分類があるけれど、私はこれを3つに分類しようと思う。
 まずは対価を要求する労働だ。一般的に「働く」という時に想像されるやつだ。雇われて賃金を保証されるという契約の元に、労働力を提供する物々交換だ。奴隷制度なんかもこれに当たるだろう。生かされるという対価を与えられる代わりに働く。しかし、これは余りに交換が対等でないことから推奨されない。そう、この意味の労働とは等価交換なのである。私は個人的に、これを「働く」とは言い難いと思うのだ。この場合私が行っているのは時間と労力を支払って明日の食い扶持を貰うことで、「働く」ことではない。なぜそう考えるかというと、以下2つの労働を知っているからである。
 次に、自分のための労働。これには自給自足の狩猟や農耕なんかが該当する。「お嫁さん」のこなす家事が家父長制的で時代遅れ、妻に不当だと批判されるのもこれが所以であろう。というのも、生きている以上食べなければならないし服や住まいは汚れる。それをなんとかするために料理や掃除に手を動かす。誰にも強要されない代わりに賃金も発生しないけれど、皆が必ず行わなければ成り立たない。家父長制ではこれを分担し、初めに話した等価交換の労働を夫が、自分のための労働を夫の分まで妻が行うわけだ。これを良い悪いと評価するのはまた別の機会に。
 三つ目の労働について話すには、宗教嫌いの日本人には少し馴染みのない話をしなければならない。まったく自分の利益にならず、完全に他者のために手を動かす労働だ。
 無償の愛、なんていう言葉を聞いたことがあるだろう。母親の愛として女を一般化する場合か、もしくはキリスト教哲学なんて学んでいると聞く言葉であるが。私は聖書を作者不明のエッセイくらいに読んでいて、ナザレのイエスを1人の人間として尊敬しているのだが、その所以はここにある。「重い皮膚病患者を癒す」というエピソードだ。重い皮膚病とはハンセン病のことだろうと言われている。彼が生きていた時代、この病はひどい差別の対象だった。感染すると考えられていたし、前世に罪をおかした証であるとか言われて、当たり前に忌避すべき病人であった。重い皮膚病患者は城壁都市の外に追いやられ、ゴミを漁って苦しい生活を送っていたというのだ。イエスは、誰にも相手にされない彼らの話をただ聞いて、寄り添って身の回りの世話をしたのだという。現代であれば私達は、ハンセン病が移らない病だと知っているし、差別がいけないことだと知っている。だからこのイエスの行動を軽く読み飛ばすかもしれない。
 しかしこれは、誰にでもできることではない。現代で皆様が当たり前のように忌避する人々に思いを馳せてみようではないか。家を持たず、決して清潔とは言えず、言葉が伝わっているか怪しい老人方を見て、皆様顔をしかめるではないか。私だって多少しかめる。そして悲しくなってくる。「ああはなりたくない」「なるべく近くに来ないでほしい」と思ってしまったことに気がついて。彼らのすべてがそうとは限らないが、統合失調症を患っていると彼らのようになることが多いと聞く。つまり彼らの中には、外的な要因で不当に忌避されている人が少なからずいるということだ。イエスは外的な要因で不当に忌避される人々に寄り添った。私にそんなことができるだろうか。

 労働を3つに分けてみたのであるが、どれが真に労働かなど問うことに意味があるのかは疑問の残るところだ。しかし最初に述べた等価交換の労働だけでは、人生は虚しいと言わざるを得ない。文量がかさむので端的に根拠を述べるなら、人は必ず死ぬからだ。
 もちろん、どんな行為にも3つめの労働(完全に無償で他者のための労働)としての在り方を見出すことは可能であろうと思う。一方で、どんなに高尚に見える行為が等価交換になってしまうことも大いにあり得る。例えば慈善活動が名誉のために行われるとか、親から子へのはたらきかけが支配のために行われるとか。
 何が言いたいかと言うと、私はイエスのようなことができなくて虚しいのだ。私は空虚になりたくないから3つめの労働をしたいのだ。人様に雇って頂こうという気が起きないのだ。かといって、その労働が私の空虚を取り除くために行われるとなれば、それは一気に自己本意なものに成り下がる。はてさて。

 こんな優柔不断でナヨナヨっとして、具体性を欠くつまらない文章をダラダラ書く気などなかったんだけれど。ハードボイルドに生きたい。聖人になれなくて苦悩するコーカソイドの男のように。「クソ食らえ」と酒を煽りながら生きたい。女として生を受けたことに感謝はしているけれど、男臭く生きれないものか。せめてそういう風に脚色できないものか。

 

2020年6月7日公開

© 2020 越小夜啼女

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