美和のコーヒーを流した

越小夜啼女

小説

3,623文字

女に、中でも能のない弱者に生まれついた私達は、いつも沸かしたつらみを流す場所を求めている

美和と会わなくなった。

何が変わったわけでもない。態度も笑顔も変わっていない。ただ互いに引き付けあったりせず、未だどちらもそれを咎めたりしないだけだ。

美和とは講義が一つだけ被っている。けれどそれは意気投合した後に知ることになる。春先、高校の友達が地元から私に突然連絡を寄越して、「綾香の大学にあたしの幼馴染も進学してたみたいなの。今度東京行ったとき紹介するから三人で会おうよ。」と言った。私の目に、美和は小柄で、小洒落ていて、いかにも魅力的な女の子に映った。実際男にももてるようだということは美和と話していくうちにわかってきたことだ。

会わなくなった、と言ってもそれはこの一週間程度のことだけれど、決して大げさではない。私達は知り合って仲良くなって以降、一日も欠かすことなく会うか電話かで話をしていたから、私は美和と会わなくなって空いた時間に違和感をおぼえた。私と美和が遊ぼうというとき、時間さえあればそれは成立する。美和と会話するのは最寄りから大学の道のりだったり、空きコマだったり、放課後だったりしたけれど、椅子とコーヒーがあれば万々歳と言ったところだ。私も美和もコーヒーが大好きだから、私達は好んで喫茶店やコーヒーショップを使って2時間でも3時間でも話していた。

 

その美和から突然電話があった 。私は久しぶりに会った恋人の部屋で眠っていて、着信で目を覚ました。

「もしもし?どうしたの突然」

「ごめんね、寝てた?ていうかもう11時だけど」

と、笑う。そして切り出す。

「今週末あたしの部屋来てお泊り会しない?」

「え、今週末?泊まり?ちょっと待って」

スケジュール帳とアイホンのカレンダーを見比べ、都合が合うことを確認する。なぜ?泊まり?

「大丈夫、あそぼ」

「やった、待ってる」

「でも急すぎでしょ笑うわ、どうしたの?」

「お泊りしたことないし、と思ってねー」

じゃあ金曜日、講義後にねー、と言って美和は電話を切った。また明日、学校で、ではない。

 

美和との会話は大部分が過去のことで占められている。私達はどちらも、話題になるうらみつらみを持て余していた。多くは男のことだ。

「渡辺には奥さんも子供もいるんだよ。」

ベローチェのカウンターで、美和は私に不倫を打ち明け、笑ってみせた。

「そうか、」

「落ち着いてるね、軽蔑しないの?」

しないわ、そんなの。と私は答える。

「特に理由になるわけじゃないけど、あたしの恋人にもあたしが知り得るだけで4人女がいるしね」

と、笑ってみせる。

「4人ていうのがまた生々しい数字だなぁ、」

と美和も少しだけ笑う。私も美和もそこそこに傷ついていて、「男というものにはもう愛想が尽きたよ」という素振りを見せていなければやっていられなくて、笑い飛ばしたかったのだ。高校の頃の話をし、下世話な話にもつれ込み、家族の愚痴を言い合ってその日は別れただろう。次の日も次の日もダラダラと話し続けていた。

「恋人にあたしだけを好きになってほしい。いつまでもどうでもいいうちの1人なんて、いやだ」

ある時私は打ち明けた。誰にもこんな弱音を吐いたことなんてなくて、自然と涙ぐんだ。「実はあたしも」と、美和も釣られて打ち明ける。

「いつもは笑けてきちゃうからあれだけど、本当はしんどい、奥さんと別れてほしいけど、そんなの絶対に無理で、」

と、泣いた。そして、こんな弱音を吐けるのは綾香だけだ、と言った。

そのとめどない会話がぴたりと止まった。お互いに知らないことはないと信じ、不安は全く無い。ただそのことに、私は違和感を抱いている。

 

金曜の夜、着替えとタオルとハミガキセットと少しの化粧品を詰めたトートバッグを普段使いのサコッシュに足して家を出た。講義を終えると映画を2本借り、コンビニで缶チューハイとスナック菓子を買って、待ち合わせ場所に向かうためにアイホンのマップを開いた。

あれ、美和は酒を飲むんだっけ、20歳になっていたんだっけ、

知り合ってからまだ半年しか経っていない。誕生日の話題が上ったことがないということに気がつく。借りた映画はホラーとミュージカルで、どちらも洋画。美和はこういうの観るんだっけ、

迎えに来た美和の顔を見て私は少しほっとした。

「初めて来るのに駅まで迎え行かないでごめんね」

いやいや、とビニール袋を下げた手で示す。

「そんなのいいよ、買ってきたけど、美和ハタチなんだっけ?お酒呑める?好き?あと流し観用に借りてきた、ごめんね、どっちも好きかわかんないけど」

美和もなんとなくほっとした様子で、呑めるし映画好きだよ、と笑顔で答えた。迎え入れられた美和の部屋は、少なくとも美和らしいとは感じない。去年の冬から出しているらしいこたつは実家から持ってきたらしく、部屋に対して少し余していた。

美和はミュージカル映画のほうを選んでプレイヤーに入れた。向かい合って電源をつけないこたつにあたって話し始めると、またとめどなく話すことができた。少し酔ったらしい美和は、唐突に切り出した。

「渡辺と別れたんだよね」

「え、」

あんなに好きだったのに、と、私も悲しくなる。

「女大抵、自分の彼氏が他の女とごはん行ったり手繋いだりちゅーしたりするだけで物凄く騒ぐじゃん。くだらない。あたしの好きな人は彼氏とか浮気とかいうレベルじゃないし。奥さんとは10年以上連れ添ってて、子供4人もいるんだよ。」

あ、綾香以外の大抵の女ね。と付け足す。

「もうやめた。しんどいだけだもん。」

美和は涙ぐんでもいないし、まぶたを腫らしてもいない。私は美和の気持ちを汲もうとしたけれど、なんだか初めてのような感覚を得て、そして驚くほど汲むことができなかった。美和はもう、渡辺とは一切会わないんだろうか。私に理解できたのは、それは一般的に「悲しい」とか「寂しい」とか、ネガティブな方向の感情なんだろうな、ということだけだ。美和の気持ちになって考えることなど、できた気にはどうしてもなれない。いくつも考えた末に、「そっか」とだけ言った。

「コーヒー飲む?」

美和が言う。

「うん」

流しに立った美和は電気ケトルのスイッチを入れて、ポットとマグカップ、猪口(おそらく)を取り出し、準備を進めながら再び話し始めた。

私は当然、インスタントの粉のコーヒーを使うのかと思ったのに、美和はコーヒーフィルターとドリッパーを出してきて、ポットにセットし、豆を挽いたらしい粉をそこにさらさらと入れた。

私は市販の、素人の入れるドリップコーヒーが嫌いなのだ。コーヒーは酸味が少なければ少ないほどおいしい。ブラックは専門店でしか頼まない。経験則だ。店のコーヒーが酸っぱければミルクを足したし、酸っぱいくらいなら缶コーヒーのほうがずっと美味しいし、家では粉を溶かすだけの苦い泥水のようなコーヒーを飲むのが当たり前だった。

「わざわざドリップするの?」

美和の話を遮ってしまったようだったけど、彼女は少し考えて、少し誇らしげに言った。

「そうだね、手間暇かけると気分的にもおいしいよ」

彼女はケトルの湯が沸くのを黙って待ち、まずはポットにドリップして、それから猪口とマグカップにコーヒーを注いだ。ひやりとした空間に白い湯気が立ちのぼる。いい香りのままのコーヒー殻を捨てて、あとは何もせずに猪口とマグカップを運んで、私にマグカップを差し出した。

「はい」

「ありがとう、いただきます」

美和はこたつに入って話を再開した。途中、猪口の中身を美味そうに啜った。私も一緒に一口啜って、やっぱりすっぱい、と思ってマグカップを置く。私は再び彼女の話の聞き役に徹することにした。

付け放しておいた映画が2周目か3周目に差し掛かった頃、美和の話はするすると終わっていった。話すことがなくなったんだろう。

卓上に突っ伏してしばらく映画を観ていると、エンドロールより先に、美和は寝息を立て始めた。手持ち無沙汰をどうにかしたくなってタバコに手を伸ばす。彼女が苦手かもしれないことが気にかかって、聞いたことがなかったことを思い出す。寝ているし、携帯灰皿がある。かまわないだろう。一本吸い終えて、手付かずの菓子とチューハイの空き缶を片付ける。美和を避けて卓上を布巾で拭い、器類も洗ってしまおうと両手にとる。猪口にはほんの少し、マグカップにはなみなみとコーヒーが残っている。

映画も停止してしまうと、静寂が耳に痛かった。蛇口を捻ると静寂がやわらぎ、蛇口を締めるとまた痛い。コーヒーを流し、器を洗い、すすぐ。

片付けを済ませて、彼女の向かいに改めて突っ伏す。深夜目が覚めたら美和を起こしてシャワーを借りよう。きっと何も話さず、スムーズに布団に入れるだろう。きっと朝遅くに起きて、日が昇りきる前に解散するだろう。次に美和に会う日はいつになるんだろう。

2018年11月21日公開

© 2018 越小夜啼女

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