『マイケル』は、マイケル・ジャクソンの死後すぐに発表された音楽アルバムである。プロデューサーにテディ・ライリーをすえ、マイケルの未発表デモ音源から十曲を厳選し、「商品になるよう」アレンジして一枚におさめたものなのだけれど、きょくどに加工されたかれの歌声をして「本人の声ではないのではないか」との議論がたびたびもちあがることとなった。じっさい、マイケルの姉であるラトーヤ・ジャクソンは「弟の声ではない」と熱っぽく主張しており、そうかとおもって該当の音源をしばらく聴いていると、なるほど、いつものマイケルの声ではない気がしてくる。「あれ?」と、違和感のしっぽらしきものが意識をかすめると、それをかきけすごとく、例の「ポウ!」というサンプリングされたさけび声が挿入されるけしきで、どうにもあやしい。
そういぶかりながらも楽曲じたいは良いものがおおいため愛聴盤としていたわけであるが、何年かまえ、『マイケル』をリリースしたレーベルが裁判で「マイケルの声ではない」と公式に発表したとのニュースがすこしだけ話題になったことがあった。原文にあたると、「万が一マイケルほんにんの声ではなかったとしても……」という発言がねじまがって日本につたわったということがわかった。
そう言っても、わたしはこれがマイケルの声ではないとかくしんしている。晩年のマイケルしゅうへんはキナくさいことがおおすぎるのである。あるいは、もっとまえからマイケルはべつじんと入れかわっていて、この音源の歌声こそがかれの声であるということも、あるかもしれない。そういうことがとうぜんのようにありうるのを、過去の記者経験から、わたしはしっていた。……
ことしも緊急事態宣言がゴールデンウィークを直撃した。午後八時以降は店をひらいてはならないというおふれが出て、街からひかりがきえた。
「いよいよおれもダメかもしれない」と、ふるくからの友人より連絡があったので、さっそく、会うことにした。場所はきんじょのスターバックスコーヒーで、午後一時にまちあわせることにした。わたしは約束の三時間まえにまちあわせ場所についた。コーヒー一杯を注文して席につくと、ノートパソコンをひらいて、しごとをすませることにした。知事のスピーチ原稿の代筆である。メールでおくられてきた資料には、「酒類の提供NGを特に強調」とある。おそらくワクチンにかんけいのあることだとおもわれた。これまでにおくられてきた資料の「特に強調」のぶぶんをかさねてそっと紙をすかしてみると、一箇の結論にいきつくのはあきらかであった。
まちあわせの時間から三十分ほどおくれて、友人はやってきた。目のしたの腫れはかくしようがなかった。
「渦中にようこそ」
とわたしは言った。
「わるいな、いそがしいだろうに」
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