あき缶

かきすて(第33話)

吉田柚葉

小説

1,894文字

つまりなんなんだと言われても困るので聞かないでください。

深夜二十六時ごろ、交番でひとり、ワイヤレスイヤホンの右だけをつけてスマートフォンでおわらい動画をみていると、すみませーんというやけにかん高い声とともにアロハシャツをきた小太りの男がズカズカとはいってきた。またこいつか。

わたしはちょっと耳をさわるふうにさりげなくイヤホンをとり、制服の尻ポケットにかくした。それから、はいはいなんですかといかにもめんどうくさそうに言って、しらずしらず、じぶんの右手が男にのびていることに気がついた。男はまだ何も言っていない。だから男へとのびたわたしの右手はあきらかにふしぜんなわけだが、男はリレーのバトンをおしつけるごとく、なかみのはいっていない缶コーヒーをわたしににぎらせた。
「交番のまえにすてられとりましたわ。ほんま、ちゃんと見はっとかなあきまへんで」

はい、ありがとうございます、と言ってわたしは男に敬礼した。
「おまわりさんへの挑戦やでこれは。こういうのをナ……、こういうのからやで。バチーッと現場をおさえて、一回ちゃんとシメとかんとアカンちゃうん」

などと言い、男はまんぞくげにやみへと消えていった。

何度となくくりかえしたやりとりであった。ほかの警官が夜勤のときにこの男がくることはないらしく、内田に言わせると、「安田さん、目つけられてるんですよ」ということになる。ともあれ、いまのところは、「交番のまえにすてられていた」というあき缶をもちこんでくるにすぎず、言うならばそれだけである。もっとタチのわるい来客なんぞいくらでもいる。

缶をながめていると、内田がかえってきた。「自転車おりるととたんに暑いっすねえ」とつまらないことを言っている。
「缶をもってるということは、もしかして、またアイツですか」

わたしは苦笑してうなずいた。
「ぼくも一回そいつを見てみたいですけどねえ」
「たぶんおれがひとりになるところをみはからってるんだろうな」

わたしは缶をゴミ箱にすてた。

後日、男はまたやってきた。
「おまわりさん、ほんまはワシのことうたがってるんちゃいます」

ほんまもなにもあるものか、とおもったが、わたしはだまっていた。
「ほんでもナ、ワシナ、一回ナ、一回やで、犯人みたんよ。あのナ、犯人はナ、車のってんねん。黒ぬりの高そうな車や。で、窓からなげすててくんや。あれナ、ヤクザやおもうねん」
「なるほど」

とわたしは言った。
「とんでもないことやで。これは」

わたしがとりあわないことに脱力したのか、男はそんなふうにつぶやき、うなだれた感じで交番を出ていった。
それをさいごに男のすがたをみることはなかった。

五年ほどしてわたしは、或るふけつなふてぎわのために職をおわれた。あまくだりさきとして自動車学校の教官を紹介されたが、応じなかった。もう地もとには居場所がなかった。だが、ほかにいくところもなく、実家のじぶんのへやにこもってもんもんとする日がつづいた。

まよなかになると、きまって家をぬけ出した。マスクをするのがしぜんな世のなかでよかったとおもいながら、コンビニで缶ビールを買い、それをなめながら、街を徘徊した。この日は意味もなく気分が高揚していた。いつもならぜったいにちかづかない、わたしの元職場である交番のまえに立ってみた。なかに警官はいないとみえた。たわむれにこの缶を置いていこうかという気がおきた。そうして、五年もむかしの、あのアロハシャツの男のことがおもい出された。

とたん、はいごから、地獄の釜を炊くごとき爆音がきこえた。ふりかえるひまもなく、黒いくるまがわたしをおいぬいていった。しゅんかん、くるまから白い手がのびたのがみえた。手はすぐにひっこみ、くるまは、はるかむこうのやみへと、地ひびき打ってすいこまれていった。からん、というかるい音が耳におくれてきこえてきた。みると、目のまえにあき缶がころがっていた。

男はほんとうのことを言っていたのだ、というおどろきよりさきに、じぶんがいまやろうとした行為をさきこされたのに、なにやらきもちが急いた。ともあれ、五年もまえからくりかえしおこなわれていたことにさきこされたもなにもなかった。

それからまいにち、二十六時ごろになると、交番へと、ポイすて……、もといなげすてのようすをみにいった。火曜日と木曜日によくなげすてにくるらしいことがわかったが、だからといってなにかができるわけでもなかった。

すてられた缶はそのつどかくにんして自宅へともちかえった。コーヒーもあればコーラもあり、紅茶もあった。まいかい、みごとにバラバラだった。なんとなくすてることができず、へやにあき缶がたまっていった。

そのあき缶をながめてまいにちがすぎていった。

2021年7月17日公開

作品集『かきすて』第33話 (全41話)

© 2021 吉田柚葉

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