なにもない春

かきすて(第35話)

吉田柚葉

小説

2,072文字

今日もガストの治安はなかなかですが忘れ物を返してもらえたので、やっぱり日本は最高です。

滝川先生がろ紙とビーカーでコーヒーをいれてくれた。紙コップについで、ぼくと飯豊さんに手わたすと、滝川先生は、窓のそとに目をやって、
「春だね」

と、たしかきのうも言っていたことをくり返した。そとは小雨がふっていた。校庭のさくらがそれをうけて、いろっぽくちんもくしている。
「部員がふたりになってしまいましたね」

と飯豊さんが言った。

ぼくと飯豊さんはおなじタイミングでコーヒーをのんだ。ぼくはじぶんの顔がほてっている感じがしたので、それをふたりにさとられないために紙コップに手をのばしたのだった。となりから、飯豊さんのけはいがにおいたっていた。
「砂糖あるよ」

と滝川先生は言った。「持ってこようか」
「わたしはだいじょうぶです」
「ぼくもべつに……」

とぼくは言ったが、できれば砂糖がほしかった。
「すんません」

はいごから声がした。ふりむくと、少々からだに合っていない制服を着た、やけにりりしい眉毛の男子生徒が、理科室の入口にたっていた。
「ああ、見学。一年生かな」

と滝川先生は言った。男子生徒はうなずいた。
「いま、先生がコーヒーをいれてくれたのよ」

と飯豊さんが言った。男子生徒は滝川先生のとなりにすわった。それから、コーヒーのはいった紙コップを滝川先生からうけとった。
「せっかく来てくれたのにあれだけど、きょうの理科部の活動は、これをのむだけなんだ」

と滝川先生はあたまをぼりぼりかきながら言った。男子生徒は紙コップに口をつけて、
「おいしいです」

と、やけにかくばったイントネーションで言った。
「うちの部はエンジンがかかるのがおそくて。いざとなったらロボットもつくるんだけど、いまはまだコーヒーをのむだけなんだ」
「すごくのんびりした部活なのよ」

と飯豊さんがことばをそえた。
「そですかあ」

と男子生徒はいごこちわるそうに言った。
「ちょっとなまりがあるね」

なんでもなさそうに、滝川先生は言った。
「ああ、わかりますか……。おれ、大阪からこしてきたんです」
「ははあ」

と滝川先生はきょうみなさげに相槌をうった。こんなふうに、滝川先生はとつぜんに集中力がきれることがある。
「シティボーイなのね」

と飯豊さんはちょっととっぴなことを言った。
「いや、ほんと、田舎なんです。おれの住んでたとこは田舎です。ぜんぜんはなしにならない田舎で」
「すごくくさすね」

と言って、滝川先生はコーヒーに口をつけた。

しばらく、ちんもくがおりた。そとに宵闇がおりはじめた。滝川先生は、おもむろにたちあがって、アルコールランプをもってきて、テーブルにおいた。ポケットからライターをとり出して、火をつけた。
「なんの儀式ですか」

たえきれずにぼくは言った。飯豊さんがふきだした。
「理科だよ。理科部の活動ですよ」

と滝川先生はふくみ笑いをおしころして言った。見ると、男子生徒はとまどっていた。なにもかもがぎこちない空間だった。
「そういえばなまえを聞いてなかったね」
「野口です」
「ははあ、それはまた、宇宙にいきそうな……」

滝川先生はつまらないことを言った。野口くんはきまりわるそうに、わらった。
「すんません、なんか……。またこんど見学にきます」

と言って野口くんはたちあがった。
「ああ、そう。ああ……」

と滝川先生はあきらかにほっとしたふうだった。

野口くんはかえっていった。
「わるいことしたなあ」

滝川先生はそれなりにしょんぼりしていた。
「つぎはがんばりましょう」

飯豊さんはそう言った。

アルコールランプの青いほのおが、ゆきばもなくゆれていた。

しばらくして、おひらきになった。ぼくと飯豊さんはいっしょにかえることになった。と言っても、もより駅までだ。ほんの十分ほどのあいだだけだ。

飯豊さんはシンプルなビニール傘をさしている。雨で木々がさわぎ、たがいに声がとどきにくかった。
「どうなるのかなあ、理科部」

と飯豊さんは言った。ぼくは飯豊さんの顔が見れず、じぶんの足もとに目をやりながら、
「いざとなったらロボットつくるとおもうけど」

と変なことを言った。
「きょうの子、またきてくれるかなあ」

飯豊さんのそのことばに、ぼくはやけにショックをうけた。そんなひつようはないとわかっていたが、飯豊さんのあらゆる挙動が、ぼくにとっては、ひとしくいのちとりの一撃だった。

ことばをさがしているうちに、雨は弾丸になった。もう会話はむりだった。

駅についた。

飯豊さんは、
「またあしたね」

と言って傘をもっていないほうの手をふり、すぐにぼくに背をむけて、夜道をあるいていった。あした、ということばでほのかに空間がひろがり、しかし、やみにきえていく飯豊さんのせなかへと、だしぬけにしぼんでいくのを、ぼくは感じた。

駅にはいった。小屋みたいな駅だ。電車がくるまでは、まだもうすこしじかんがあった。ベンチにこしかけて、飯豊さんのおもかげをたぐりよせてみた。どうにも芒としていた。よくよくかんがえると、飯豊さんの顔をきちんと見れたことが、あまりなかった。ぼくからはなれていく、そのせなかが、すべてだった。

その夜はなかなかねつけなかった。たぶん、理科室でのんだコーヒーのせいだった。

2021年7月23日公開

作品集『かきすて』第35話 (全38話)

© 2021 吉田柚葉

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