変身スタンダード

応募作品

松尾模糊

小説

3,039文字

普通、ふつう、フツウ…自分はノンケで偏差値や実家の経済力や家族の形態など、いわゆる一般的な環境で育ったと考えているので自分が普通だと思って生きて来たのですが、最近はよく分からなくなっています。こうやって老害化していくのかと思うと切ないですが、そういうものなのでしょう。1月合評会テーマ「普通」応募作。

見慣れない白い封筒が届いた。アパートの集合ポストから封筒と共に入っていた水道修理業者のマグネットステッカーを取り出してポストの下にある管理人が置いた段ボールのくず入れに捨てた。表に印字された自分の名前に少し違和感を覚えつつ、錆びれた外付けの階段を上って二階の角部屋の玄関先で裏に張られた金色の封かんシールを剥がして二つに折られた中紙を開くと時田彰吾の名前と並んで戸塚未帆という知らない女性らしき名前があった。結婚式の招待状というやつだ。「時田、結婚するのか」わたしはNIKEのエアフォース1を脱ぎながら頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。OUTDOORの黒いリュックをベッドの上に置いてMONCLERのダウンジャケットを脱いでから台所のシンクで手を洗い、口を濯いでから電気ケトルに水道水を入れて沸かした。

 

ズズズズズズズズズズボポボポボポポポ

 

「すげー音だな」台所でカルフォルニアに住んでいた時に学んだ極上のコーヒーを淹れてやると意気込む時田に冷やかしを込めて叫ぶように言った。「薬缶の甲高い悲鳴のような女々しい音よりマシだべ」時田はわたしの冷やかしには気づかずに、陶器のドリッパーを黒いコーヒーカップの上に置いて挽いたコーヒー豆をスプーンで掬っていた。コーヒーカップを押さえる左腕の筋と浮き出た手の甲の血管になぜかわたしの視線は捕らわれた。

「先公にはチクんなよ」中学生の時、昼休みに体育館裏に転がったサッカーボールを取りに行くと、左腕に煙草の火を押し付けている時田を取り囲んで囃し立てるバスケ部の連中がいた。あっという間にわたしを取り囲んで睨みを利かせる彼らを制して時田がわたしに初めてかけた言葉を思い出した。中学生の時からバスケットボール部のキャプテンで高校を卒業してカルフォルニアに語学留学してバスケットに打ち込んでいたのかと思っていたが、実際は現地での実力の差に早々バスケに見切りをつけ、スケボーやヒップホップにのめり込んでしっかりとかぶれて・・・・しまった時田に3年ぶりに再会したわたしは初めのうち戸惑っていたが、そんな周囲の目を気にもかけない自由奔放な彼の本質にずっと憧れていたわけで、加えて就職活動で辟易していたこともあり、時田が認知してくれなかった生物学上の代議士の父親に買い与えられたというマンションに入り浸るようになった。
「できたぞ!」細い切れ長の目を輝かせて時田は二つのコーヒーカップをガラス板のロウテーブルの上に置いた。湯気の立つ黒い液体に鼻を近づけるとコーヒー豆の香りが鼻孔を突き抜けた。「砂糖とミルクは無いの?」わたしは大人の香りに少し顔をしかめた。「あ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。ブラックに甘ったるいドーナツを齧るのが本場のスタンダードなんだよ」時田はわたしを鼻で笑い、新しく近所にオープンしたクリスピー・クリーム・ドーナツのストロベリーチョコスプリンクルの載った皿を差し出した。わたしは色鮮やかなチョコチップに手をべたつかせながらドーナツを頬張ってコーヒーで流し込んだ。揚げられたドーナツをコーティングするストロベリーチョコの上に更に重なるチョコチップのヘヴィな甘味をコーヒーの苦みが包み込んで、なんとも言えない旨味が口内に広がっていく。わたしは頬を緩めて「うまっ!」と目を見開いた。「だろ?」口元についたチョコチップを親指で拭いそれを舐めて笑いかける時田はとてもなまめかしく映った。わたしは思わず彼の唇に自分の唇を押し付けていた。想像したよりも柔らかな感触がわたしの唇に伝わった。「え?」わたしの両肩を時田が力強く突き飛ばした。わたしは尻餅をついて床にコーヒーをぶちまけた。緑のカーペットに茶色いシミが広がった。「……ごめん」「……いいから。ちょっと片づけたいから今日は……」わたしは時田の顔を見上げることができず、広がり続けるカーペットのシミを見つめていた。

沸騰したお湯でティーカップを濯いでからティーバックの入ったティーポッドにお湯を注ぐ。ほのかにダージリンの香りが台所に広がり、わたしのほろ苦い記憶の痛みを和らげた。あれから何度か時田には会ったが、当然ただ気まずさだけが募るだけで自然に会わなくなって十年近く経つ。「結婚してるのが普通だよな」わたしは独り言ちて紅茶を啜った。

「えっと……松永丈太郎さまでよろしかったでしょうか?」スーツが就活生のような印象を与える若い男性が戸惑いながら尋ねる。「ええ。松永です。こんなだけど、まだちゃんとぶら下がってるから大丈夫よ」わたしは赤いミニスカートの下あらわにした黒い革のロングブーツの上から覗く自慢の色白な太ももを叩いて紅を差した唇の間から短い舌を出して笑いかけた。見慣れた引き攣る笑顔をあとにわたしは臀部の筋肉に力を入れてモデルウォーキングで会場に入ってすぐの右端に用意された丸テーブルの席に座った。わたしのテーブルには知らない女性グループが4人座って、終始スマホで動画を撮りまくっていた。男性と一緒にしなかったのも時田の配慮だったのかもしれない。式はどこかで見たような退屈なものだった。観れたもんじゃない素人の集団芸のオンパレード、安っぽい演出と引くほど号泣する両家の両親、妙にギラつく安いスーツ姿の男たち、ここぞとばかりに着飾った娼婦のような女たち、高級素材を台無しにする濃い味付けの料理。花嫁の戸塚未帆だけがわたしにとって興味深い存在だった。彼女はこの寒い時期に不自然なほど日焼けしており、人生の晴れの舞台で化粧っ気ひとつない上にウェディングドレスではなくマリンブルーのビキニ姿で完全にボディビル大会のいで立ち、その筋肉は間違いなくビルダーのそれだったのだ。
「負けたわ」披露宴が終わり、新郎新婦に会場外で送り出される時にわたしは彼女に声をかけた。戸塚未帆は引き出物の入った青い紙袋をわたしに差し出した。その時に初めて隣にいた時田の顔をまともに見た。中肉中背で後退した頭髪の生え際も目立つ、タキシード姿でもごまかしきれないただの中年男性だった。わたしの中で美化されていただけなのかもしれないが、あの凛々しい面影は何ひとつ残っていなかった。「変わったね」「お前に言われたくないよ」「それもそうか」「やっぱり丈太郎は普通じゃないよな。ずっと思ってたけど」「今のご時世、スタンダードなんて無いよ」「……そうだな」隣でピンク色の歯茎をむき出しにして笑う筋肉花嫁はわたし達のあいまいな関係も知っているのだろうか。「お幸せに。未帆さん、あなたとならお友達になれそう」「ありがとうございます。松永さんの話は彰吾にいろいろ聞いてましたけど、私の想像と全然違いました! 私も松永さんとは仲良くなれそうです。よろしくお願いしますね」彼女はポニーテールにした、ほぼ金色の明るいウェーブのかかったセミロングの髪の生えた狭い額の下の薄い眉毛を少し寄せて、細い目をさらに線のようにした満面の笑みで小さな右手を差し出した。わたしはその手を握った。力強い握力と共に彼女の温かい体温が流れ込んでくるようだった。わたしの中で厚い氷に覆われたように動かなかった、忘れ去られた感情が熱を持ち氷が溶け出す音が聞こえたような気がした。

「こちらこそ、よろしく」わたしはラインストーンとパールをのせたピンクのネイルがきれいに見えるようにすっと左手を彼女の右手首の上に添えて彼女の細い目をじっと見つめた。

 

(了)

2020年1月12日公開

© 2020 松尾模糊

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"変身スタンダード"へのコメント 3

  • 投稿者 | 2020-01-21 12:12

    回想系作品の中ではピカイチではないかと思いました。素晴らしい。中盤でティーバッグとティーポットの濁点を取り違えるなど、心の動揺を微妙な演出で表現するなど実に芸が細かい。⭐️5です。

  • 投稿者 | 2020-01-22 12:16

    「忘れ去られた感情が熱を持ち氷が溶け出す音が聞こえたような」をはじめとする、松尾さんの「使い古された表現にふたたび命を吹き込む」行為に、ひそかに共感を抱いている。

  • 投稿者 | 2020-01-24 02:38

    戸塚さんの花嫁姿にインパクトを感じました。彼女はいったいどんな気持ちで式を迎えていたのだろうと思いました。新郎も彼女と同じような姿なら、よりいっそう素敵な式になったのではないかなあと思いました。

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