魔法使いの死と回る円盤

合評会2020年03月応募作品

松尾模糊

小説

4,243文字

ウディ・アレンの『マジック・イン・ムーンライト』とシルビアン・ショメの『イリュージョニスト』をもとに書きました。『マジック~』は南フランスの女占い師のインチキを見破るためにイギリスのマジシャンが占い師のもとを訪れるも互いに惹かれ合うロマンス。『イリュージョニスト』はフランスの売れない手品師がイギリスの片田舎で貧しい少女に出会い一緒に興行を回るアニメーション。3月合評会、お題「フランス映画」応募作。

魔法使いの訃報を知ったのは、わたしの誕生日が明ける直前のことだった。奇しくも記念すべき日がちょうど彼の命日となり、わたしにとってこの日は歓喜と悲哀が入り混じる奇妙な一日に変わってしまった。歓喜と言っても、齢三十を超えてからわたしは普段と変わらぬ様に誕生日を過ごしている。この日もその例に違わず、主であるアルカ様の反逆者リストに載った者たちを上位者から順に消して回り、ノルマである半数を消す仕事を終えて帰宅の途に就き、空想京新聞を開いて東幻獣園に二百年ぶりに収監されたというドラゴンの記事を読みながら自分で誕生祝いに買った幻想ビールを煽っていた。そして、寝る前に習慣でチェックしている新聞の見開き裏に記載された“本日の死亡者リスト”に彼、アンドル・メテオリュの名前を見つけたのだった。わたしは瓶に残ったビールを飲み干してからもう一度、その名前と職業・魔法使いという文字列を確認し、彼が間違いなくわたしの知っているあの偉大な魔法使いであることを確信する。空になったビール瓶をテーブルの上に置く手が震え、ビール瓶が倒れてテーブルの下に落ちぐるりと回った。静かに回る瓶を眺めていると彼の記憶が呼び起こされた。彼を初めてこの目で見たのは十二、三年前のことだった――

「姪っ子が騙されてるみたいなんだ。どうか目を覚まさせてくれないか」空想京で月一度開かれる啓蒙党の党大会に出席したわたしに、党員で幼馴染でもあるハントが相談を持ち掛けてきたことがきっかけだ。

「魔法?」なんでも海を越えた対岸のシルビアン国に嫁いだ彼の姉メルの十八になる娘ココが婚約した男が魔法を使い、人々を惑わせていてココもその魔法によって騙されているというのだ。というのも、メルは未亡人で夫だった男はシルビアン国の富豪であり、その莫大な遺産目当てに違いないとハントはふんでいた。

「魔法なんて存在するものか、あってもイリュージョンが関の山だ」

わたしはアンドルというその男の化けの皮を剥がすために海を渡った。帆船のデッキで一度クラーケンの触手がさほど離れていない海面に浮き出ているのを見て不安になったが、どうにか無事に港に着いた。港でハントが手配してくれた馬車に乗り、メルの親族がバカンスで訪れているという南部地方のカルタポンネに到着したのはその日の夕刻過ぎだった。メルの夫が所有していたという、なだらかな丘の上に建つ古城は夕日を浴び、かつてシルビアン国を支配していたカメル帝国の栄枯盛衰を物語るようだ。丘を登り、彼らが滞在する元兵舎を改装した別荘の前で御者に礼を言い、三枚の銀貨を渡して馬車を降りた。門の前にハントが立って花火草を吸っていた。赤紫色に暗くなり始めた空に瞬く星と彼の花火草が散らす火の粉が相まって、わたしはハントが魔法使いではないかと空見した。

「やあ、長旅ご苦労だったな。どうだいシルビアンの片田舎は?」ハントは花火草を足元に投げ捨てて火を足先でもみ消した。

「ああ。思ったより楽しめたよ、都市にはない景観だ」わたしはシルクハットを脱いで脇に抱えた。

「それなら良かった。さ、インチキ野郎に挨拶しに行こう」ハントに従いわたしは別荘に入った。白いアーチ型の両開きの扉を閉めると、豪華なシャンデリアが目立つ吹き抜けの螺旋階段からドレスアップしたメルとココ、そして彼女たちに続いて腰辺りまで伸びた長髪と少し膨らんだ腹部にかかるくらいまで伸ばした髭でむさくるしい初老の男が降りて来た。

「あらあら、よくいらっしゃいましたね。あのハントと悪さばかりしてたトマスがこんなに立派になって。娘のココ、それから……」

「アンドル・メテオリュと申します。ココさんと婚約させて頂いています」黄色いドレスを華奢な身体にまとったココが顔を赤らめて俯く隣で男は深々と頭を下げた。

「ああ、あなたが。啓蒙党でアルカ代議士の秘書官をしているトマスです。なんでも魔法をお使いになられるとか?」

「……魔法?」アンドルは長い髪を右耳の後ろにかけて怪訝な顔をした。

「さ、お腹もお空きでしょう。ちょうどケンタウルスのパイ包みを運ばせたところですのよ」すかさず、わたしとアンドルの険悪になりそうな間に入ったメルに促されてわたしとハントは二階にある大広間に用意されたディナーの席に着いた。こんがりと焼き上がったパイに包まれた少し赤身の残るミディアムレアのケンタウルス肉、その横に添えられたワインソースがわたしの食欲をそそった。わたしたちは使用人たちがグラスに注いだ五十年ものの夢見心地ワインで乾杯した。半世紀をかけて熟された芳醇な夢の味とほど良いケンタウルスの脂ののった肉汁とパイの香ばしさが口の中で入り混じり、至福のあまりわたしは思わず本来の目的を見失いかけた。

「ところで、お二人はどこで知り合ったのですか?」

わたしはナプキンで口元を拭いながら気を取り直した。

「この人、アンドルが空想京で毎月開いているパーティーに友達が連れて行ってくれて。そこで一方的に私が好きになったの。それから毎月通って、思い切って私がこの人に話しかけて」

「空想京で? アンドル氏はカリスタ人なのか?」

「そうです。ココと知り合って、もともと空想京でやってたパーティーをカルタポンネでやるようになったんですよ」アンドルはグラスをグイと傾けて、夢見心地ワインを飲み干した。

「そうだ! 叔父さんたちもいらっしゃいよ、これから古城でパーティーをやるの」夢見心地ワインでしおらしさをすっかり失ったココが満面の笑みで夢見心地ワインのボトルを使用人から奪い取り、わたしたちのグラスに注ぎながら叫んだ。

「おい、ココ、ちょっと飲みすぎじゃないのか」ハントが窘める横でわたしは「面白い。アンドル氏の魔法の正体が今夜明かされるわけですな」と微笑みながらも鋭い眼光をアンドルに向けた。

「魔法と言えば、トマスさんは空想京で次々と犯罪者を消し去っていると聞きましたよ。それこそ魔法のように、何ひとつの痕跡もなく消し去ると」アンドルはケンタウルスの肉を口に運びながらわたしの目を真っすぐに見返した。

「あれは幻影ですよ。イリュージョン。犯罪者のレッテルを貼られると空想京では生きていけませんからね。存在自体を消して新たな人生をどこかで送ってもらうわけです。わたしの功績は上がり、犯罪者は新しい人生を手に入れる……Win-Winですよ」

それは本当だった。党役員の前から消えた人々はハントの類まれなる整形術で別人として第二の生を受けていた。

「それなら、僕の仕事も人々を幸福にする魔法のようなものかもしれませんね」アンドルは目尻にしわを寄せてココが注いだ夢見心地ワインを口に運んだ。

 

月明かりの下で幽玄な趣をうかがわせる古城の門の前に長い人々の列ができていた。それはさながら城主であるヴァンパイアに仕えるアンデッドたちのように見える。アンドルに従い、わたしたちはその列を飛ばして関係者入り口から筋骨隆々の男のボディーチェックを受けて城の中に入った。高い城壁を抜けて、尖塔の下に広がる中庭はピンクの照明が庭全体を怪しく照らす異空間の様相を呈していた。

「こりゃ、密教か何かじゃないか」ハントは眉をひそめてわたしに耳打ちした。その横で夢心地ワインですっかりでき上っていたメルとココは、腕を組んで簡素な紙コップに幻想ビールや曖昧ハイを注いで売る露店へとふらつきながら向かっていた。アンドルは中庭に設けられた小高いステージに上がり、黒いバッグから円盤を取り出してステージ上の奇天烈な機械の上に乗せた。それからアーチ状の奇妙な耳当てを右耳にくっつけて円盤を機械の上でこすり始めた。すると、腹の奥を揺さぶる重低音がその場に鳴り響き、集まった人々が手を上げて身体を揺さぶり始めた。さらに頭上からシャワーを浴びるように硬質な、しかしどこか懐かしいメロディが降り注ぎ重低音と重なり合って全身を包み込み恍惚とした気分が訪れた。

「こ、これは……」わたしはいつの間にか意味も分からぬままステップを踏んでいた。

「ダンスミュージックです、音楽!」ステージ上に立つアンドルを眩しく眺めるわたしの耳元でココが叫んだ。「音楽?」聞き返すわたしにココは首を縦に振って手足をバタバタさせていた。ハントは紙コップの口から幻想ビールをまき散らしながら屈強な男たち二人に両腕を掴まれ中庭の外に連れ出されていた。そんな状況でもニヤニヤと笑みを浮かべたハントの顔を見て、わたしは声を上げて笑ってしまった。それは魔法だった。アンドルは誰もが魂の抜けたような顔で体を揺するピースフルな空間を一瞬にして創り出した。

「あの円盤は何なんだ?」わたしは翌日アンドルに聞いた。

レコードヴァイナルです。僕の生きていた世界から持って来たんですよ、こっちはミキサーとターンテーブル、それからヘッドフォン」アンドルの部屋に置かれた奇妙な機器を彼は説明してくれた。

「生きていた世界?」わたしはアンドルのその言葉に引っかかった。

「うーん……それは説明できないな。その記憶も曖昧になってるし」

「いや、もしかして君は……わたしも違う世界で生きていた記憶があるんだ」

「え? あなたも?」

「ああ。わたしの場合は人を黒い箱の中に入れて消滅させるものでね。今の仕事もその記憶が大いに役に立ってる」

「そうですか。消えた人たちは一体どこに?」

「どこにも行っちゃいないさ。あれは幻影、イリュージョンだからね」

「じゃあ、この世界では何をしても平気ですね」アンドルは悪戯っぽく笑った――

帰国したわたしはアンドルを魔法使いとしてアルカ様に紹介した。党大会でも何度か彼を招いてパーティーを実演してもらったこともある。アンドルは記憶の世界の断片を語り合えた唯一の友人だった。わたしはあの踊る人々の姿を前にステージ上で目を細めるアンドルの顔を思い出し、幻想ビールの瓶を窓から見える青く輝く恒星に向けて掲げた。

 

This story for Andrew Weatherall.アンドリュー・ウェザーオールに捧ぐ。

 

【参考】『マジック・イン・ムーンライト』(Magic in the Moonlight、2014年)監督・脚本;ウディ・アレン、出演:コリン・ファース、エマ・ストーンほか
『イリュージョニスト』( L’Illusionniste,The Illusionist、2010年)監督・脚色:シルヴァン・ショメ、脚本:ジャック・タチ

 

2020年3月8日公開

© 2020 松尾模糊

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"魔法使いの死と回る円盤"へのコメント 6

  • 投稿者 | 2020-03-25 23:06

    どうもファンタジー系小説が苦手なので読むのに少々戸惑いましたが、率直に感想を書かせて頂きます。
    まず、魔法使いの訃報のシーンは必要だったのでしょうか? 私にはこのシーンが後の本文に繋がりがなく、不必要だったのではないかと思います。
    主人公の私(トマス)はただアンドルの事を「偉大な魔法使い」としか言及していません。このシーンが必要ならば、もっとアンドルの偉大さを明記するべきでしょう。このままではアンドルは「ただの魔法使い」です。

    最後に。トマスとアンドルが同じ境遇だったというオチは嫌いではありませんし、情景描写は良いなと思いました。

  • 投稿者 | 2020-03-27 22:45

    「空想京」「花火草」「幻想ビール」などの不思議なものがある異次元の世界のもとで、「魔法」だけがインチキなものとして位置づけられていることに少し不自然さを感じました。異次元の世界の住人が身体を揺さぶることのできるこの世の音楽ってどんなものだろうと興味を引かれました。

  • 投稿者 | 2020-03-28 22:24

    ファンタジー小説かと思ってそのつもりで読み進めていると、最後に落とし穴がありましたね。アイディアは良いと思いますが、世界観をまとめるには枚数が少なすぎる気がしました。ちょっと混乱しました。
    富豪の未亡人のメルと娘のココ、ケンタウルス肉のパイ包みに夢心地ワインなど、、魅惑的な名前が次々に繰り出され、次に何が起こるのかと期待しましたがやや不発な感じですね。やはり豊かな発想をこの枚数では表現しきれなかったのでは。

  • 投稿者 | 2020-03-29 10:43

    世界観が特異で最初「なんじゃこりゃ?」と思ったが、ヴァイヌルでグルーヴしはじめるあたりで完全にヤクのキマッたヒッピー的世界なのだと了解した。これはシラフで読んではいけない作品なのかも。ピース!

    ドラゴンやらクラーケンやらが出てくるファンタジー的設定だと、どうしても魔法も当然あるんじゃないのと思ってしまうので、「魔法なんて存在するものか」という展開が逆にピンとこなかった。余談だが、ケンタウルス肉は想像するとすごく共喰い感があった。

  • 投稿者 | 2020-03-29 11:27

    面白く読みました。こういう世界観のお話大好きです。作者もおそらく書いている間楽しかっただろうなと思いながら、楽しんで読みました。
    >「こりゃ、密教か何かじゃないか」ハントは眉をひそめてわたしに耳打ちした。
    の部分、思わずくすっとしました。たしかにフェスって何も知らされずに見たら密教っぽさがありますよね。音楽の作り出した”ピースフル”な空間でみんなが体を揺らす場面もすごく素敵に描かれていて、「ここに行ってみたい」と思わせてくれる世界の小説を読むのは楽しいなと心底思いました。余談ですが自分もケンタウルス肉にはどこかカニバリズムを連想させられて「おぉ……」となりました。ケンタウルス……。

  • 編集者 | 2020-03-29 20:01

    最初は少し戸惑ったが、読み終えるととても面白い作品だった。この世界に一度行ってみたい(?)気もする。音楽よりそれが流れる場を綺麗に描けていて、そこに入りたくなる力があった。この世界では魔法が別の呼び方をされてる、と言う訳でもないのか。ケンタウルス肉、俺は良いや……。

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