中島 この春から大学で小説の講義を始めたんです。
横沢 小説というのは、つまり小説?
中島 (笑)。そうです、「書く」ということを教えてます。
横沢 僕なんかだとね、そういうのは教えられるのかなあ、と思っちゃうんだよね。
中島 そう仰ると思ってました(笑)。
横沢 あなたが教鞭を取っているくらいだから、けだし偏差値の高い大学だとは思うけど(笑)、しかし、そういう偏差値的なものとは別に、全く「書けない」学生が一定数いるでしょう。
中島 いますね。
横沢 そういう学生に対しては、どう指導してるの?
中島 そのうち講義に来なくなります(笑)。
横沢 「書く」ことに見切りをつけるのか。罪だね。
中島 いや、客員教授の講義だし、単位を取るのが楽そうに見えたのでしょう……。で、実際は違った、と。
横沢 つまりは、そこなんだよな。最終的にはどうやって学生を評価するの?
中島 基本的には出席点ですね。あんまり休むと単位を落とす。
横沢 そりゃ良い。
中島 先生はやっぱり、そういう「評価」を好まれないのですか。
横沢 というか、どんぐりの背比べじゃない(笑)。
中島 (笑)。それについて僕の立場では何も言えません。
横沢 ヨーイドンで書き出したような人たちを、たかだか半年で、優良可に振り分けるというのは、どうもね……。
中島 上手い子もいますよ。
横沢 文章が?
中島 そう。そういうときは、ちょっと怖いなあと思いますね。こちらとしても、褒めるしかない。
横沢 うん。それが良いと思う。スケベ根性を出して、こうした方が良いとか、ああした方が良いとか、そういうのは言っちゃいけませんよ。それは五年経ってからだ。
中島 本当にそう思います。ただ、五年経つとその学生はもう大学にはいない(笑)。
横沢 何言ってんだ。一生付き合うんですよ(笑)。そりゃ義務だよ。
三年前の対談である。
かくのごとく、先生はこの話題にはげしい反応をしめしている。が、対談の現場では、先生はもっとつれなかった。じっさいの会話をかんぜんに再現することはできないが、だいたい、次のようなものだったと記憶している。
中島 この春から大学で小説の講義を始めたんです。
横沢 小説ってのは、書く方?
中島 はい。
横沢 そりゃダメだよ。なんでそんなことするの。
中島 第一には、コレ(お金)のためです(笑)。
横沢 そうか。だったら仕方ないですね。
だが、いざ書き起こしがまわってくると、やけに熱っぽく「私」にからんでくるかたちに直されていたのであった。対談当日から草稿に赤を入れるまでの期間に、いったい、どんなこころ変わりが先生に生じたのであろうか。
そのことについて、先生に訊ねることはかなわない。この対談が雑誌に載った翌年に他界されたからだ。御年六十五歳。映画館のトイレでの突然死である。そのときに先生が何の映画を見ていたかは公表されていないが、おそらく、はやりもののアクション映画だったと思われる。俗っぽさを失っては作家ではない、とは、先生がよく仰っていたことだ。……
さて、ほんじつ四十五回目の誕生日をむかえた私は、ひとり、きんじょのファミリーレストランでやすいケーキをたべていた。
去年の末に体調をくずし、実家にかえった妻は、もう四ヵ月も私たちの家にもどっていない。その間私は、コンビニに行き、ファミレスに行き、スーパーに総菜を買いもとめ、やすい命をたもっていた。それでも誕生日をむかえられたことに、意外の感をいだいた。と同時に、二度と妻がかえってくることはないと確信した。
ケーキをたいらげると私は、グラスビールを注文した。そうして、それをなめながら、対談が載った文芸誌の頁をめくった。
小説が載っていた。
評論が載っていた。
書評が載っていた。
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