やみのなかの住まい

かくおとこ(第7話)

応募作品

吉田柚葉

小説

3,948文字

合評会参加作です。普通の家庭が欲しかった人の話です。たぶんそんな感じです。

感染性胃腸炎をわずらって一週間ほど家でやすんでいた。

やすむと言っても、一日のうち、ベッドの上で平穏にすごせる時間は希少だった。たいてい私は、トイレにいた。ざるになった胃に、身もこころも支配されていた。

ほとんど水さえ口にしていないのに、便はいくらでも出た。水の上に水が落ちる音を立てて、便はいくらでも出た。

見ると、きまってそれは、墨の色をしているのだった。で、たまごのくさったにおいがするのだから、私が厭世的な気持になるのは、無理からぬことである。

 光が頭痛にさわるので、家の中は、まっくらにしていた。寝室からトイレまで、私はやみの中を往復しつづけた。つねに私は、まえかがみの姿勢だった。低いトンネルをくぐるけしきだ。

 ぬけた、と感じたのは、教え子からのLINEを確認したのと、ほとんど同時だった。

 その日は、本来なら大学の講義があった。三日前から休講の連絡は出しているはずだったが、そういうものを見る学生ではなかった。私の体調を気づかうのもそこそこに、私のGメールに長編のつづきを送ったとの報告がつづられていた。

 私は、つみほろぼしのつもりで、すぐにGメールを確認した。そうして、添付されていたワードのファイルをひらき、プリントアウトした。

 小説は、くらいトンネルをすすんでいた。

 地の文で、とりとめもなく、暗中問答じみた心理描写がつづいていた。主人公の女は、じぶんの腹にやどした命に謝罪していた。それが人間になるまえに処理するほかないじぶんののっぴきならない人生をのろっていた。社会をのろっていた。男をのろい、親をのろっていた。

 私は、先週よりあらたに書き足された頁に、おおきく「×」をつけた。学生が長編に着手しはじめてから、何度目かの指示だった。

 めずらしく私は、学生のLINEにメッセージををかえした。

「気づかいありがとう。ところで、送ってくれた小説の件ですが、今週書いたところは、もういちどよく考えてから書いた方が良いと思う。急がず、一週間でも二週間でも寝かせておけば、物語が発酵してくるかもよ。」

 なかなか既読がつかなかった。おそらく、アルバイトに行ったのだろう。なんとはなしに私は、LINEのトーク画面をながめた。だいたいが、ファミリーレストランでまちあわせるためのものだった。何時にしますか。二十二時頃にしましょう。今日、お時間大丈夫ですか。では、二十二時頃でよろしいでしょうか。……

 学生のアイコンをタップしてみた。ホーム画面があらわれる。さらにアイコンをタップする。アイコンの全貌があらわれた。

 アイコンは、学生本人のバストアップ写真である。たれた眉の下は、ちょっと斜視っぽくて、外視覚からのびる鼻筋は、定規でもあてたごとくである。髪はみじかく、くわえて天然パーマ気味なので、写真だけ見ると、野放図にそだてられた少年のたたずまいだ。だがじっさいにしっかりと女なのである。

2019年12月29日公開

作品集『かくおとこ』第7話 (全14話)

かくおとこ

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© 2019 吉田柚葉

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リアリズム文学 純文学

"やみのなかの住まい"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2020-01-21 11:51

    かくおとこシリーズの1ピースで合評を刺しに来たのに気づいたのが中盤から。本作を読解するにはコンテクストが足りない。あとでシリーズ全作を読まねばならぬ。全体に言葉遣いが妙なのはたぶん仕込みだろう。あぶないあぶない。

  • 投稿者 | 2020-01-24 00:22

    結婚指輪が落ちたのは、「私」の体の不調を表しているだけでなく、妻に対する気持ちが離れたことも表しているのかなと思いました。妻のLINEのメッセージは、彼女が一歩前進したサインのようにも捉えられそうだけれど、「私」はそうは感じていないので、教え子のほうに気持ちが向いているのだろうと思いました。

  • 投稿者 | 2020-01-24 14:05

    文章は古風な感じなところに「LINE」という文字が出てくるところ、そこに違和感があった。あと、「できない」妻の話も宙ぶらりんで、女子高生の話も瓦解しているように感じる。「普通」要素が読み取ることができずであった。

  • 投稿者 | 2020-01-25 11:07

    言葉遣いや漢字の表記に至るまで作者のこだわりが徹底されており、読んでいて息苦しくなってくるくらい全編を通して緊張感を保った文章になっている。大学での仕事と破綻ぎみの家庭生活を二本柱で描いている点、過剰なまでに抑制のきいた語り口はジョン・ウィリアムズの『ストーナー』にかなり似ていると感じた。

  • 投稿者 | 2020-01-25 13:50

    漢字で表記すれば読みやすいのにと思う単語かちらちらと、それが何かの意味を持っているのかと勘繰るも、そういえば前回の合評会作品もそうだったなと思う意に至り、これが吉田さんのアジなのかと。表記についてはさておき、文章はとてつもなくうまく、節々で感心すること頻り。
    作品内容が今回の合評会のテーマに沿っているかと言えば、やや弱いかしら。

  • 投稿者 | 2020-01-26 10:58

    僕はだいたい便秘と下痢を繰り返しているのですがそれを墨みたいと思ったことがなかったので新鮮でした。蒲団という小説を想起しました。

  • 投稿者 | 2020-01-26 12:45

    近代的な語り口は、今となっては逆に新鮮に思えて破滅派らしさを感じました。ひとつストーカーらしき男までも書生のような台詞を発していたところに違和感を感じました。桑田佳祐の歌詞論は面白いと思います。

  • 投稿者 | 2020-01-26 23:10

    BGMに『逢いたくなった時に君はここにいない』を流してるんじゃないかってくらい、言い訳がましくみみっちくセンチメンタルな主人公。あと、その青年、ホントにストーカーなんですかね。

  • 編集者 | 2020-01-27 14:24

    登場人物の妙については他の人が皆書いてしまった。桑田佳祐と日本文学との関連性は、桑田佳祐の歌詞も日本文学も大体日本語で書かれている点に注目できます。

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