かいたおとこと石川淳

かくおとこ(第9話)

吉田柚葉

小説

7,244文字

いつも通り近所のスタバで書きました。お尻が痛くなりました。

 場所・都内近郊にあるスターバックスコーヒー。テーブル席に中年の作家が座っている。彼の手元にはコーヒーが並々と注がれたマグカップがある。

 

作家 いつもは雑談のために来るスタバだが、今日は違う。つい先日仕上げた短編小説――、三年ぶりだか五年ぶりだか、まあ、十年ぶりということはないだろう――、とにかくすごくひさしぶりに書いた短編小説の感想を担当編集者の島崎から聞くのだ。あのボンクラからまともな意見が聞けるとは思えんが、そのまともじゃない視点に、心を砕かれないとも限らない。ボツならボツで、一言、ボツと言ってくれさえすれば良いのだが、どうもあいつは、生殺しを楽しむところがある。それが嫌なのだが、まかり間違って採用ということもないことはないし……、ああ、落ち着かない。

 

 中年の作家よりは五歳は若いと見える、丸眼鏡をかけた男が来店してくる。作家は、その男に手を振る。丸眼鏡の男が作家に近づく。

 

丸眼鏡の男 先生、おひさしぶりです。

作家 ああ、ひさしぶり。と言っても、二ヵ月とか、そのくらいか。なんでも良いから、きみ、何か飲み物を買ってこいよ。(と言ってコーヒーに口をつける)

 

 丸眼鏡の男がうなずき、レジに消えていく。しばらくして、紙カップを持った男が作家のもとに戻って来る。

 

丸眼鏡の男 ソイラテにしました。

作家 なぜいちいち報告するんだ。きみが何を飲もうと私にはどうだって良い。いいから早く座りなさい。

丸眼鏡の男 よいしょっと。……なんというか、この感じ、ひさびさで緊張しますね。

作家 ひさびさというのは、二ヵ月ぶりのことを言っているのか? それとも、私が書いた小説について云々することを言っているのか?

丸眼鏡の男 もちろん先生が小説をお書きになったことを言っていますよ(カバンをあさって、A4サイズのコピー用紙の束を取り出し、テーブルの上に置く)。……さて、何から話しましょうか。

作家 とりあえず、それが雑誌に載るのかどうかだけ単刀直入に教えてくれ。ダメならダメと言ってくれ。良いか。一言、「ダメ」だけだぞ。

丸眼鏡の男 当然、これは採用ですよ。

作家 そうか。それは良かった。(コーヒーに口をつける)その言葉に嘘はないな。

丸眼鏡の男 先生との打ち合わせで、そんな嘘は吐きませんよ。先生に恨まれたら、何されるか判りませんから。

作家 何されるって、一体、私が何をするというんだ。私が非力で、文壇でも何の力もない小説家だということは、よく知っているだろう。……いや、もう、私は小説家でもなんでもないのかもしれない。一番最近書いた文章のタイトルを知っているか? 『文豪・桑田佳祐』だぞ。おおよそ誰も知らないような、昨日今日出来たばかりの音楽雑誌に書いた。

丸眼鏡の男 あの原稿に関する評判はよく聞いていますよ。それに、桑田佳祐だって捨てたもんじゃありません。紫綬褒章を受けてます。

作家 ああ、悪かったよ。別に桑田佳祐の悪口を言うつもりはないんだ。それに、悪口を言えるほど彼のことを知らない。「ダーリン、ダーリン」ってやつは、あれは桑田佳祐か?

丸眼鏡の男 それはミスターチルドレンですよ。『TSUNAMI』とごっちゃになってるんじゃないですか。

作家 『TSUNAMI』はミスターチルドレンじゃないのか。じゃあ、『HANABI』は、サザンで合ってるか?

丸眼鏡の男 それもミスターチルドレンですね。そんなんでよく桑田佳祐について書けましたね。尊敬しますよ。

作家 ああ、尊敬してくれ。君の前に座っているのは、偉大な作家なんだ。知らないことについてだって書ける。悪い作家だよ。

丸眼鏡の男 本題に入りましょう。まずこの小説のタイトル……、『ながめるおんな』というものですが、ひらがなにした意味がよく判りません。漢字じゃ駄目なんですか。

作家 おい、ふざけるなよ。ここで自分の書いた小説のタイトルについてプレゼンしなきゃいけないのか。

丸眼鏡の男 なぜ平仮名なのか、上からつっこまれたらぼくが困ります。

作家 それなら困っておけ。タイトルの説明を求められるなら、私はもう、こんな小説、お蔵入りでかまわない。

丸眼鏡の男 そうですか。でも、それじゃあ、ぼくが困ります。なんとしても、この小説を傑作ということにして、上に売り込まないと……。

作家 なんだ、「傑作ということにして」って。おまえ、私をバカにしているのか。

丸眼鏡の男 (慌てたように)いえいえ! 滅相もございません。間違いなくこれは傑作なのですが……。

作家 間違いなく傑作ということはないだろう。凡作なのは私だって判っている。それは君だって判っているだろう。腹を割って話してくれ。でないと、こうして向き合っている意味がない。

丸眼鏡の男 でしたら、凡作ということも、それは言い過ぎだと思います。確かに、傑作ということはありませんが。

作家 ああ! やっぱりだ! やっぱり傑作じゃないんだ。もう良い。帰る!(足元に置かれたカバンを手に取り、立ち上がる)

丸眼鏡の男 ちょっと、ちょっと。お待ちください。そんなヒステリックにならないで。

作家 なんだ「ヒステリック」って。私がいつ「ヒステリック」になった。「ヒステリック」というのは、病的な興奮を見せることを言うんだ。私は、ただ悲観的な態度を見せたにすぎない。語彙はきちんと選択しろ。

丸眼鏡の男 判りましたよ。とにかくお座りください。ほら、みんな見てますよ。

作家 (大人しく席に座る。コーヒーをがぶ飲みする)。

丸眼鏡の男 まったく。ぼくには充分「ヒステリック」に見えましたけどね。

作家 え? なんだって?

丸眼鏡の男 なんでもございません。じゃあもう、タイトルのことは良いです。

作家 あたりまえだ。どうしても引っ掛かるのなら、勝手に漢字に直しておいてくれ。

丸眼鏡の男 エ! 良いんですか。

作家 そんなものどうだって良い。私は、タイトルも最初の一行も、どうだって良いと思う派だ。タイトルなんぞ、英文でもひらがなでも構わないし、『朝 昼 晩』とか、そういったもので良い。そっちが勝手につけてくれても構わない。最初の一行が会話文から始まっても、別にそれはそれで良い。どうせそのあとズルズルつづいて行くんだ。所詮、冒頭なんて作品のイントロに過ぎない。

丸眼鏡の男 はいはい、判りましたよ。そんなヒス……、興奮しないでください。

作家 別に興奮はしていないよ。ただ、そういう、書き手を束縛するような無意味な迷信が嫌なだけだ。無意味な、「意味」が嫌なんだ。……そう、結局は「意味」だ。一事が万事、「意味」を持たせようとするから、そういう「束縛」が生まれるんだ。小説なんぞ、あんなもん、適当に書けば良いんだ。で、その分適当に読んでくれれば良い。

丸眼鏡の男 ……。でしたら、まず、タイトルは漢字に直すとしまして……。

作家 おい、漢字に直すのか。

丸眼鏡の男 ええ……。じゃあ、直しませんよ。

作家 どっちなんだ。直すのか、直さないのか。

丸眼鏡の男 もう、面倒くさいなあ。直しませんよ。

作家 直さないんだな。これ、大事なことだぞ。

丸眼鏡の男 もう、言ってることメチャクチャじゃないですか。一回落ち着いてください。もうコーヒーなくなってるじゃないですか。ぼくのソイラテ飲みますか。

作家 いらん、いらん。男の口がついたもんなんぞ飲むか。またコーヒーを買ってくる。(と言って立ち上がり、レジの方に消える)

 

 テーブル席に一人残された丸眼鏡の男。ため息をついて、頬杖をつく。

 

丸眼鏡の男 はあ。もとから面倒くさい人ではあるのだけど、今日は異常だな。ひさびさの小説完成で、何かホルモンバランスがおかしくなっているんじゃないか。ありゃ奥さんも出て行くわ。……や、今ピンと来たのだけれど、ひょっとすると、あの人、長らく奥さんと性交渉がなくて、ひさしぶりにやったら、気合いが空回りして、今のようなテンションになったんじゃないか。で、さんざん意味不明なことを言って、奥さんを辟易させた……ウゲッ。変な想像しちまった。ああ、早く忘れたい。

 

 中年の作家が戻って来る。手にはマグカップを持っている。

 

作家 待たせたね。じゃあ、本題に入ろうか。

丸眼鏡の男 えー、でしたらまず冒頭のところを見てみましょう。ここです。

 中島先生は小説を書いていない。それは明らかだ。

 もう何年も単行本を出していないし、文芸誌に短編のひとつも発表していない。いちおう、「文筆家」として、週に一度だか月に一度だか、地方新聞に書評を書いてはいるが、そこでとりあげるのは、おおよそ先生のこのみとはかけはなれた、ミステリー小説や、ハードボイルド小説のたぐいばかりで、筆が乗っていないのは、一読してすぐにわかる。先生がまだ「小説」に興味があるのかどうか、それすら判然としない。

作家 ああ! 改めて読むと、なんてくだらないのだろう! もう帰る!

丸眼鏡の男 ちょっと、ちょっと。待ってください。これはそんなに悪いものではありませんよ。「それは明らかだ」という一文は要らない気がしますが。

作家 はあ……。

丸眼鏡の男 だからまあ、ここは特に問題ありません。それより、ぼくがここから連想したのは、次のような文章です。(と言って、カバンから文庫本を取り出す。そして、ページをめくり、作家に見せる)

 国のかみは狩を好んだ。小鷹狩、大鷹狩、鹿狩、猪狩、日の吉凶をえらばず、ひたすら鳥けものの影に憑かれて、あまねく山野を駆けめぐり、生きものと見ればこれをあさりつくしたが、しかし小鳩にも小兎にも、この守の手ずからはなった矢さきにかかるような獲物はついぞ一度も無かった。そういっても、弓は衆にすぐれてつよきをひき、つねの的ならば百発あやまたず真中を射ぬく。しかるに、これが狩場となると、その百中の矢はどうしたことか、まさに獲物を射とおしたと見えながら、いつもいたずらに空を切った。ただ不思議なことに、あやうく矢をまぬかれたはずの鳥けものは、とたんにふっとかたちを消して、どこに翔りどこに走ったか、たれの目にもとまらない。いや、その矢までがどこの谷の底、どこの野のはてに落ちたのやら、かつて見つけ出されたためしは無い。

 ……石川淳の『紫苑物語』です。なんだかすごく似ている気がしませんか。

作家 似ているかな。そうは思わないが……。いや、しかし、何度か読み比べて見ると、確かに似ている気がする。(コーヒーに口をつける)

丸眼鏡の男 そうでしょう。

作家 だが、そんなの、文構造にいくつか類似が見られるくらいだ。私と石川淳じゃ、「呼吸」が全然違う。

丸眼鏡の男 と、言いますと?

作家 まず『紫苑物語』の冒頭、「国の守は狩を好んだ。」というものだが、「国」、「守」、「狩」、「好む」、で「K」の音が畳み掛けるように四つもつづいている。これがリズムになっている。対して私のへなちょこ文章だが、「中島先生は小説を書いていない。」というものだ。「中島」と「書いて」で、「K」の音が二つ、で、この二つの「K」の音の間に、「先生」と「小説」で、二つの「S」の音が挟まっており、すごく間延びしている。漢文派の石川淳に対して、私のはあくまで和文派だ。

丸眼鏡の男 うーん、なるほど……。

作家 それから後の文章を見ても、私のものは、冒頭の一文を補強する形の、言い訳めいた文章がつづいているだけだ。ただ、「書いていない」ということを説明しているにすぎない。対して石川のものには、安直な説明など一行もない。「これをあさりつくしたが」、で、まず「否定」。で、「そういっても、」で、さらに「否定」。直後の「しかるに」で、さらに否定。「ただ不思議なことに」で「否定」。「いや」、で「否定」だ。書いた先から、前の文章を打ち消していくけしきだ。この「否定」の構造が、文章全体に、地震めいた「歪み」をもたらし、それがダイナミズムになっている。こんな達人めいたこと、私には出来ない。

丸眼鏡の男 はいはい、判りました。すみません。ただ、普段からぼくは、なんとなく先生は石川淳のことを好きなんじゃないかなあ、と思ってて……。

作家 嫌いじゃないよ。『文学大概』なんて、家のトイレに置いてある。何度読んでもよく判らないが……。(コーヒーに口をつける)

丸眼鏡の男 なんというか、形而上的な私小説を書くところとか……。

作家 私には、石川淳ほどの方法論はないよ。つまり自覚的なところが案外少ない。とりあえず書いて、後で自分で読み返して、ああ、こういう方法で書いたんだな、と、自分で自分に言い訳する。こういう無意識は、石川には少ない。

丸眼鏡の男 でも、『文學大概』を読むと、石川も、先生がなさったような小説の書き方を推奨しているようですが。

作家 そうだ。一文書くと、その一文が次の一文を呼び寄せ、数珠繋ぎのように言葉が紡がれる。その集合体を石川は「小説」と呼び、批評家たちは、そんな石川の姿勢に、石川本人がよく使う、「精神の運動」という言葉をあてた。

丸眼鏡の男 「精神の運動」という言葉のダサさについては、何人か指摘していますね。

作家 卓越した言語センスを持った石川だったが、この「精神の運動」に関しては、なるほどダサい。それは間違いない。なんというか、「運動」というと、器械体操めいた、老人趣味的なニュアンスが想起せられる。

丸眼鏡の男 人と話していると、間違った表現の言葉を間違ったまま使う人がいますが、そういう人に限って、間違った表現の言葉を何度も連呼するんですよね。周囲の人間は、その人があんまり堂々としているものだから、指摘できない。

作家 間違った、と言えば、「精神の運動」という言葉だって、間違っている。書かれた言葉は「活字」であって、「精神」ではない。だから、石川の作品を評して、「見事な『精神の運動』の表出だ」というのは誤りなわけだよ。「精神の運動」は、あくまで、作品を書くときの作者の態度のことだけを指す。

丸眼鏡の男 でも、多くの批評家は、石川のあらゆる作品に対して、「見事な『精神の運動』の表出だ」と、そんな評を送っています。

作家 それが石川の文壇における戦い方でもあった。(コーヒーに口をつける)本人が「精神の運動」だと言っているのだから、要するに「精神の運動」なんだろう、と、そんな風に批評家連中に思わせ、口をふさぐことで、暗に作品を批判されることを避けていたわけだ。なるほど、この時、批判されるべきは、「精神の運動」という言葉で片づけ、つまりは何も評していないに等しい、批評家連中の方だ。実際、石川の小説を評するのはすごく難しい。先に見た『紫苑物語』の冒頭のように、「否定」、「否定」で、言葉が紡がれていくから、一体に、何を言いたいのかよく判らない。だが、石川本人が『文学大概』等で、「何を言いたいのかが判らない」ことを、一箇の小説の形として肯定しているのだから、無学な我々は、ああ、そういうものなのか、と、何を言いたいのかが判らない石川の文章をありがたがる。それが「石川淳」を読むということなのだと勘違いしてしまう。石川淳という、最後の「士大夫」を、ありがたがってしまう。

丸眼鏡の男 「士大夫」ですか。

作家 そう。「士大夫」だ。これも、石川が使った言葉ではあるのだけれど……。で、「精神の運動」も「士大夫」も、石川の文章中で一番最初に登場したのは、評論『森鴎外』の中だ。石川は、鴎外の執筆の姿勢を「精神の運動」だと言い、生涯にわたり学問をつづけた鴎外を「士大夫」だと言った。それらの言葉はしかし、本来は批評でもなんでもない。「知的アイコン」としての「森鴎外」にあてた、一種の「キャッチフレーズ」にすぎない。

丸眼鏡の男 そのキャッチフレーズが、いつのまにか、石川淳本人のキャッチフレーズにシフトして行ったわけですね。

作家 そうだ。で、実際に石川本人が、進んで自分を鴎外と重ねていたフシがある。「鴎外、荷風、石川淳」という系譜を引いた批評家がいたが、この、いわゆる「士大夫」の系譜は、つまり、「評しにくい」ということへの揶揄でもある。(コーヒーに口をつける)

丸眼鏡の男 なぜ「評しにくい」のでしょうか。

作家 一言で言えば、「士大夫」というのは、「偉そう」だからだ。「学」があって、「偉そう」な人に対しては、「学」がなくて、偉くもない我々からすると、「私が評するなんておこがましい……」という風に思ってしまう。ただ一言、「つまらない」という言葉さえ躊躇し、問答無用で神棚にまつってしまう。その神棚の名前は、「士大夫」だ。士大夫様だ。

丸眼鏡の男 「偉そう」……、それだけなのですか。

作家 そうだ。鴎外も荷風も石川も、その文章の「偉そう」さは、他に類を見ない。あれだけ「否定」で文章を構成する作家なんて、よほど「偉い」奴だろう。

丸眼鏡の男 ……はあ。ずいぶん話がズレましたね。

作家 ああ、本当だ! だが、きみが石川淳とか言い出したのが悪いんだ。ある種の人間にとって、石川淳とか吉田健一とか、どうしたって白熱してしまうテーマなんだ。

丸眼鏡の男 それは失礼しました。では、先生の書かれた小説に戻りましょうか。

作家 ああ、もう良いよ。煮るなり焼くなり、きみの方で好きにしてくれ。書いたものは、書いてしまったものだ。それに「しつけ」を与えるのは、きみの仕事であって、私の仕事ではない。……それより、ちょっとお手洗いに行ってくる。どうもコーヒーを飲みすぎたようだ。(席を立つ)

 

 丸眼鏡の男が、テーブルに一人残される。

 

丸眼鏡の男 先生は、石川淳のことを「偉そう」とかなんとか言ってたし、まあ、そういうところもあるんだろうけど、もっと、なんというか、「照れ屋」なところがあるんじゃないかなあ。繊細で、照れ屋。……それじゃあ、まるで先生のことじゃないか。ただ、先生には、石川淳みたいな、厚顔無恥に書き続ける図々しさが欠けているんだろう。まあ、先生にあんまり自信を持たれてもそれはそれで困るんだけど……。

2020年1月5日公開

作品集『かくおとこ』第9話 (全11話)

© 2020 吉田柚葉

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

散文 文芸評論 純文学

"かいたおとこと石川淳"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る