涼介はこの十年間水槽の中で暮らしてきた。五歳のころに風呂場で溺れかけて以来、水の中から出たことは一度もない。泣きながらガラスを叩く母親が警官に連れていかれた場面は今でも夢で見ることがある。不注意から起こったただの事故だったと聞かされてきたが、彼が母親の姿を見たのはそれが最後だった。
水槽の中の生活は単調だった。ガラスの向こうに見えるのはブラインドの下りた白い壁の部屋。絶え間なく聞こえてくるのは、ポンプを動かすモーターの音と上部ノズルから落ちてくる水の音だけだ。時おり回診にやって来る主治医の狩俣先生とフィルター交換を担当する看護師以外、部屋を訪れる者はめったにいない。外から入る刺激が少ないと、目が覚めていてもまるで夢の続きを見ているような気がする。まどろむ意識の中で夢と現実の世界は不可分に交錯し、涼介は眠りの中でも水中を漂い、目を開けているあいだも過去の幻影が脳裏に浮かんだ。水槽の中にいるためか、何度も記憶に返ってくるのは水族館の光景だった。
いつのことだったか、涼介は母親と手をつないで暗い通路を歩いていた。通路の両側に並ぶ水槽からは薄い光が射している。母親に抱き上げられて水槽の一つを覗き込むと、無数の魚が流れに乗って同じ場所を回り続けていた。冷たいガラスにそっと唇を当てた瞬間、銀色に光る一尾の魚が不意にガラスに衝突した。ごとり、と硬い音がして魚は水底に沈んでいった。
重いまぶたを開くと、狩俣先生と看護師が並んで涼介の水槽の前に立っていた。
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