雪国にてあなたは

二十四のひとり(第24話)

応募作品

Fujiki

小説

4,000文字

作品集『二十四のひとり』収録作。合評会2018年05月(テーマ「現代ノワール」)応募作。

いつも雪が降っているの、と女が言う。虹色の粉雪がいたるところに舞っている。オレンジ色はセシウム、緑はストロンチウム、紫はプルトニウム。それは彼女の故郷から県を二つ挟んだこの街でも同じだという。

放射性物質が見えるわけないだろ。こんな遠くまで飛んできているはずもないし。それにもう何年も前のことじゃないか、とあなたはバーボンのグラスを傾けながら言う。あなたに見えるのは震災前と何も変わらない平穏で退屈ないつもの街並み。どこまでも広がる摩天楼の群れと闇に包まれた中央公園の緑地と星のない夜空。雪なんてどこにも見えない。目に見えないものを信じることなんて無理だ。でも本当のところはあなたにもわからない。見えないことが存在しないことの証明になりえるだろうか? あなたは心のどこかで常に自問している。

あなたは女を自宅のマンションに連れて帰る。泊まる場所のない女だった。眠りを忘れて充血した二つの大きな目があなたの部屋をおどおどと見まわす。来客の予定はなかったからひどく散らかっている。あなた自身では気づかないけれど、たぶん男の一人住まいにありがちな異臭もしている。あなたの妻はまだ小さな娘を連れて南のほうへ疎開したきりだ。「疎開」という言葉は妻が使った。戦争でもあるまいし。あなたはそう言って笑った。だが戦争だったのだ。妻は彼女にしか見えない戦争から娘を守ろうと半狂乱になって戦っていた。低線量がどうの内部被曝がどうのと毎日インターネットで仕入れた知識を振りかざす妻がいなくなり、正直あなたはほっとしていた。おそらく妻はもう戻ってこないだろう。いつか何の前ぶれもなく離婚届が郵送されてくるかもしれない。まあそれはそれで悪くない。妻子のいないシンプルで平和な生活にあなたは不自由を感じていない。あなたはとりあえず女をリビングのソファに座らせておき、写真立てに収めて壁際の本棚に飾ってある家族写真をさりげなく隠す。

2018年5月21日公開

作品集『二十四のひとり』最終話 (全24話)

二十四のひとり

二十四のひとりの全文は電子書籍でご覧頂けます。 続きはAmazonでご利用ください。

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© 2018 Fujiki

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ノワール

"雪国にてあなたは"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2018-05-23 20:04

    美しい文章と話だったと思います。テーマの扱い方も一番丁寧でした。切ない。
    文句なしの満点です。

  • 投稿者 | 2018-05-24 12:51

    もう名作ですね。これぞ「現代ノワール」です。このテーマを提案してよかった。満点をつけます。

  • 投稿者 | 2018-05-24 23:39

    たんたんとした筆致と、放射性物質の雪の表現とが組み合わさり、静かな、しかし何かが決定的に変わってしまった震災以後の世界を、見事に描いていると思いました。
    二人称の効果なのか、読後、自分がまだ半分小説の中にいるような、あるいは、現実の自分が希薄になってしまったかのような感覚に陥りました。ノワールについては僕の無知ゆえに判断できませんが、一つの小説として、素直に素晴らしいと感じました。

  • 投稿者 | 2018-05-26 00:17

    悲しみがしんしんと降り積もる男と女の交情。文章は詩のようで美しく、女の絶望と狂気が読む者の胸に迫ります。文句なしに満点、と言いたかったのですが、私にはいくつかの違和感が残りました。自分を貶めることでしか生きられない女とそれに引きずり込まれる男の美しくも救いのない物語が、東日本大震災を背景にする必要があったのかということです。

    「女の故郷から県二つ分離れた町」が舞台ですが、女の故郷が岩手で舞台は福島なのか、女の故郷が福島で舞台が東京なのか、男の妻子は放射能から逃れるために疎開したというから前者の方ではと思いながら読みました。そうすると津波で恋人を失った女が、放射能の雪にこだわる理由が分からなくなります。後者だとすると男の妻子が疎開した理由が分かりません。
    美しい放射能の雪の比喩が必然性があったものには思えず、雰囲気を出すために演出として書いたような印象を受けてしまい、それと大震災を結びつけるのには私にはどうしても抵抗がありました。美しく悲しい物語を紡ぎ出すには私にとってはあまりにも生々しく恐ろしいものだからです。

    誤解なきようお願いしますが、大震災を素材に使うことが不謹慎とか不適切だと言っているのではありません。知りたいのは物語を成立させるために必然性があるのかどうかだけです。あるいは私の読み方が偏っているのかもしれません。
    ただ私は、東日本大震災=津波=原発事故とのステレオタイプでこの小説が読まれるのがもったいないと思ったのです。

  • 投稿者 | 2018-05-26 15:19

    丁寧な説明ありがとうございます。
    せっかく作品があるのに、長い説明をさせることになり興を削いでしまいましたね。お詫び申し上げます。

    なるほど、私にも震災のトラウマが残っていて、素直に文章を読む目を曇らせていたのかもしれません。当時のこと、津波で亡くなった友人、家をなくした友人、福島第一原発へ夫を置いて娘と一緒に避難してきた友人のことを思い出してしまったりして、ちょっと冷静ではなかったかもしれません。地理関係の誤読はこれが原因と思います。男の居場所は福島だろうと思ったのです。でも摩天楼とかあるから東京かなとも思い、混乱してしまいました。
    ちなみに私自身は放射能の影響を否定しているわけでもないし、過度に恐れているわけでもありません。

    以下、いまさら無粋ですが、私の考えたことをお伝えします。

    ファム・ファタールとしての女の雪国(という地獄)に男たちが巻き込まれてゆく過程はよく分かりますし、引き寄せられるだけの孤独を持った男だからということも分かります。女が自分を罰するために「男に似た」男に近づいて破滅させる、それも分かります。
    けど、死者(喪失)と向き合わないために放射能の色のついた雪を降らす幻想は、(しつこいですが)美しいけれど私には観念的に思われました。

    ご説明にあった、「震災後の日本人のトラウマに対する反応」、「そういう心理を逆なでするために」についてですが、「ナショナリズム」とか「絆」とかの安易なキーワードにすがりついて、震災にきちんと向き合おうとしない態度を批判するために放射能色の雪が降りしきる幻想を書かれたのだろうか?とも思いました。

    まだ私の目が曇っているのかもしれません。

    いろんな素材を書いていればこういうこともあるということで、創作の意図をくみ取れず、誤読をしてしまったこと、どうかご寛恕ください。

    合評会とは別件ですが、御作の短編集も拝読しております。別途、感想など差し上げたいと思っていますが、誤読、思い違いはままあることなので、あらかじめお詫びしておきますね。

  • 投稿者 | 2018-05-26 16:14

    素晴らしいです。いちばんの高評価です。とても静かな筆致で、どうしようもない、どうにもならないせつなさに浸されました。一希さんも仰るとおり二人称で読者を巻き込むことにより疑似体験をさせる、しかもこの内容で、というのがもうすごいやられました。

  • 投稿者 | 2018-05-26 17:00

    まさに雪が降り積もっていくような詩的な文章で、独特の世界観に引き込んでいく完成された作品だという印象を持ちました。幻想的な絵画の中に取り残されたような読後感を味わいました。

  • 投稿者 | 2018-05-26 23:42

    二人称珍しいですね。珍しいですが話の雰囲気にマッチしていてとても良かったです。あれから七年たちますが今もまだ動き出せない感じが(雪の色はともあれ)雪の描写でより明確なイメージになっているように思われました

  • 投稿者 | 2018-05-29 04:19

    「雪国にて・・・」と「ノワール」と聞くと思わずモノクロームなイメージで身構えてしまうのですが、「オレンジ色はセシウム、緑はストロンチウム、紫はプルトニウム。」と色彩を散らべつつ、しかしその色は語り部でも「あなた」にも見えていはいない、結局色なんかないのかという不思議な感覚に陥りました。セリフをすべて地の文に封じることで時間軸の散漫さを均質に整えるのは流石の技術。

  • 編集者 | 2018-05-29 15:01

    流れているようで止まった時間、震災の数年後に岩手県宮古市で未だ癒されない惨状を見た時と同じ感覚を感じた。震災を機に取り返しのつかないことになってしまった女と男の関係はまさに現代のノワールだと思う。

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