ここ二、三年ばかり、何をするにもやる気が起こらない。
頼まれていた原稿は締め切りに間に合わず、返信が必要なメールも返すあてのない債務のようにたまっている。先日は卒業した教え子と会う予定だったのに風邪だと嘘をついてキャンセルしてしまった。以前ゼミで卒論指導を担当したその学生は現在アメリカの大学院でスタインベックについての博士論文を書いている。彼が島に帰ってくるのは十年ぶりだった。
大事な約束を反故にしてしまうたびに、自分はなんてダメな人間だろうと思えてくる。教壇に立ってものを教える資格などあるはずもない。最近は講義準備にも身が入らず、昔書いた講義ノートをつっかえつっかえ読みあげるのが精いっぱい。新しい論文のアイデアを出そうにもすぐに気が散ってしまい、朝ベッドから体を起こすのさえつらい。もはや学部から重要な仕事を任されることは一切なく、ゼミ生たちは口ひげをたくわえた容貌にかこつけて私を「ミスター・ポテトヘッド」と陰で呼び、馬鹿にしている。
こんな無能な人間などいなくなったほうが世の中のためだ。死は危険な誘惑のように心をとりこにし、存在のひそやかな抹消が私の唯一の生きる希望になった。さっそく病気療養の名目で長期休暇を取り、身辺の整理をはじめた。家具はリサイクル店に引き取ってもらい、蔵書は束にして古本屋に持っていく。着古した洋服のたぐいはゴミに出す。さいわい家族はいないので、あとには何も残さずに済むだろう。
洋書の棚を整理していると、背の焼けたペーパーバックの小説が出てきた。はじめて最後まで読み通した英語の本。高校生のころ、仲本という若い英語教師に夏休みのあいだに読んでみろと勧められてもらったものである。米兵が読み捨てた古本をただ同然で手に入れてきたのだろう。当時から表紙はすれてくたびれていた。パラパラとめくると仲本先生がひっきりなしに吸っていたタバコのにおいがした。
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