撃墜

長崎 朝

小説

7,465文字

操縦士の後ろが、あなたの席です。シートベルトをお締めください。それでは、素敵なフライトを。
長崎朝『回文集』収録の、回文ナンバー44に付された読解部分の手記です。一応、回文も載せておきます。
「いつ期限、現にいない、過信、飛行良し、証拠品、視界内、人間撃墜(回文44)」

私は、一機撃墜されるごとに、この手記を記すことになっている。それが敵機であるのか、味方の飛行機であるのかよくわからない。なぜなら、そいつらはみんな同じ形と色をしていて、それぞれそっくりな墜ち方をしていくのだから。かくいう私も訳あって、同様の飛行機に乗り込んでいる。とはいっても確実に同じかどうか自信がない。搭乗する際に、はっきり機体を観察したわけでもないから、実のところ、自分の乗っている飛行機の形やペイントをちゃんと覚えているわけではないのだ。なんとなく、似た者どうし、という感覚がするだけだ。まあ、いずれ無事に帰還することができれば、それも確かめられるだろう。

操縦席の後ろに私のような記録係専用の狭い席があるのだが、一度手が滑ってペンをどこかに落としてしまい、足元のごたついたなかで、探し当てるのに骨を折った。その間に何機か撃墜されたかもしれない。だがそのまえにこの周りの整頓から始めたほうが良いように思う。まずはこの、私の爪先が先程からコツコツつついている金属製の黒い箱。何か大事な道具が入っているのかもしれないが、場所が悪い。はっきりいって邪魔なのだ。それからその右側に蛇のように這いつくばっているゴム製の黒いチューブ。これも、足先に絡みつくほど幅をきかせすぎているし、左の壁からぐじゃぐじゃに垂れ下がっているコード類も目障りで神経に障る。得体の知れない計器、小型トランク、文房具、古びたゴーグル、何枚かの写真、なぜこんなところに存在するのかよくわからないが女物の革手袋。無造作に、というより誰かが投げやりに積み重ね、立て掛け、ほったらかされたままの大量の書類やファイル。私は日常生活における収納術を多少とも心得ているつもりだ。片づけたいとは思っても、私自身がこの座席にベルトで縛りつけられているのだからなかなか難しい。しかも、飛行機はかなりの速度で飛行しつづけている。全体としては思っていたよりは静かだが、ときおり、ペンを手から落としてしまうくらいの振動や衝撃がやってくると、私は少し不安になる。

 

そろそろもう一度、私の目撃した記念すべき一機目の撃墜について記しておこう。

それは唐突にやってきた。私の視野には操縦士の頭と座席の背もたれが常に入っているので、実際は良好な眺めを確保されているとは言えないのだけれど、なんとか遠くのほうにその最初の一機を目でとらえることはできた。しかしそれが見えたと思った瞬間には、もう撃墜は終わっていた。その飛行機には左翼がなかった。つまり、私の目がとらえた時にはすでに、ということで、あたかもはじめからその姿だったかのように。そして90度真横に倒れてこちらに腹を見せて飛行していたのだ。もはや飛行とは言えないかもしれないが。

私はその飛行機がしばらく惰性で飛んで、黒煙を吐きながらくるくる回転して墜ちてゆくさまを想像した。だが次の瞬間、その飛行機はまるで糸が切れたようにストンと、そのままの格好で真下に沈んでいき、私の視界から消えた。おもちゃのトンボみたいだった。

疑問に感じたのは、はたしてあの飛行機を墜落に追いやったのは、私の乗っている飛行機なのかどうなのかということだった。なんとなく、そうは見えなかったのだ。見えない別の働きによって、その飛行機は撃墜されたように私には思えた。ということは、私の乗っているのは攻撃機ではないということになる。この飛行機はただの記録専用として飛ばされているのであって……。

 

このように当初、私は任務として、撃墜の様子を、それがどんな時に現れ、どんな墜ち方をしていったのか、一回一回記録してきた。ところが何度も何度も撃墜を目撃しても、それらのひとつひとつは代わり映えのしない、個性的なところなど少しもないものだった。だから最初の撃墜について、どこにも記念すべきところなどなかったのだ。

人間は、同じ光景を何度も見せられつづけると次第に飽きてくる。最初の撃墜は、これから延々と続いていくであろう絶望的な退屈さの、呪わしい幕開けだったのだ。でもいつか違うことが起こるかもしれない、あとどのくらいかで地上に戻れるかもしれない、そんなちっぽけな希望もまったく抱かないわけではない。

一枚の写真に目を向ける。キャビネ判くらいに引き伸ばされたその色あせた写真の中では、つば付きの帽子をかぶったひとりの女が微笑んでいる。ひとりの子供も笑っている。父親らしき人物が写っていないのがまだしもの救いだが、その写真は私に吐き気を催させる。私の嫌いなありきたりな家族写真の類いだ。もう一枚の写真にも目を向ける。暗いモノクロ写真で、画面が粗いために少し見ただけでは分かりづらいが、じっと見つめていると、その暗い粒子たちがゆっくり息を吹き返すように結合しはじめ、なにか意味のあるものを構成していくように見える。まだそれが何なのかわからない。だがそれは私をひきつける。じっと目を凝らしてみる。

 

もうこれで43機目だ。

空は晴れ、空気は澄み、見渡す限り遮るものなど存在しない無限の広がり。燦然と太陽光線を受けて、空気の粒がキラキラと目に見えるようだ。どの飛行機も、ほとんど同じように視界に現れ、いつのまにか撃墜は終わり、同じように音もなく雲の中、あるいは紺碧の大洋に向かって消えていく。数字だけを記していけばことは足りるのではという考えもある。眠たくなるほど、すべてはシンプルだ。次の撃墜は、目を閉じていたって数えることができるだろう。

ときどきこんな考えが浮かぶこともある。この広い空のどこかに、他にも私のような記録係がいるのではないか。いたところで、何かしらの意志疎通を図ることなんてできそうもないのだけれど。誰かにたずねてみたい衝動に駆られる。操縦士とは話すことができない。禁じられているわけではないが、私たちはヘッドフォンのようなものを装着させられているので、向こうの声も私の声も届かないだろう。だんだん苛立ちがつのってきて、私は前にある壁を蹴飛ばしてみた。なにも起こらない。右手の壁際に小さなスイッチやダイヤルが並んでいる。むやみにいじくってなにかトラブルが出るのは面倒だから控えていたけれど、こう退屈させられていては、もうどうにでもなれという気持ちになってくる。希望的観点に立ってみたら、もしかしたら外部との通信ツールのように見えなくもないし、見方によってはただのラジオのボタンにも思えてくる。そういえばほら、旅客機の座席にも、しょぼくれたラジオとしょぼくれた使い捨てのヘッドフォンが用意されているではないか。今だったら、どんなくだらない内容のラジオだろうと、片耳を傾ける気くらいにはなりそうだ。でもだとしたら、なぜ私はいままでこのボタンなりスイッチなりに触れてみようとしなかったのか。たんに気が向かなかったとか、他のことに気をとられていてそこまで気が回らなかったとか、決して気がついていなかったわけではないのに、何を躊躇っていたのだろう、興味本意で手を伸ばしても、子供のマッチ遊びくらいのことで済んでいただろうに。

いや、それはわからない。どこかの大統領は、核爆弾の遠隔発射スイッチをつねに自分の手の届くところに携帯しているという話もあるし、そんな物騒な話が事実なら、案外、記録係のこういった興味本意の身勝手な挙動によって、あの飛行機たちもよそとは関係なく、自ら墜落していっているのかもしれない。無害な一乗組員が、無害なラジオをいじろうとしたまでに。大火事の原因は子供の火遊びってこともある。でもまさか、そんなはずもあるまい。

 

44という数字はどこか記念的だ。少なくとも43よりは。

目の端で捉えたその44機目の撃墜は、今までと特に代わり映えしなかったにはしなかったのだが、なんとなく、その飛行機には感情が欠けているような気がした。もちろん私にだって、金属やら何やらの塊にすぎない「モノ」が、感情を持つことなどないのはわかっている。それに私は物や動物を必要以上に擬人化することも好まない。しかし愛車という言葉もあるように、人間の使う道具にはどことなく愛らしさや親近感を抱きうるし、当のそのもの自体がある種の温かみのようなものを持っているような気がすることは一般にあるだろう。ましてやあれらの飛行機には人間が乗りこみ、少なくとも堕ちる寸前までは操縦桿を握っていたのだ。温もりや情緒を感じるのは当然と言ったって問題あるまい。嘆きや恐怖や落胆や悲しみや、そういった感情を誰だって投影してしまうはずだ。

ところが、うまく説明できないのだけれど、その44機目の機体は感情を欠いた、極端に無機質なただの塊のように思え、撃墜されることについて何の感慨も抱いていないようだった。それはもはや、撃墜という言葉が不似合いなほど、ものごとの関係性が断ち切られた現象に見えた。このことが何を意味するのか、この変化は飛行機の側に理由があるのか、私の側にあるのか、すべてを取り巻くもっと大きなもの自体が変わりはじめているということなのか、それは私には理解できないことだが、途端に何か啓示めいたものが頭に浮かんだ。私はここでひとつの提案を持ちかける。一連の飛行機の撃墜がこうして淡々と、あまりにも記号的に続いていく以上、この先のすべての撃墜されるはずの飛行機たちをひとくくりに括弧の中へ押し込めて、それらにまとめて撃墜を掛け算すればよいのではないかと。これが、ひとつの解答だとしたら? 私が現在いるのは、あるひとつの問題のなかであるとしたら? 横目でスイッチを見てみる。答えを伝えるためのマイクのようなものは見当たらない。しばしの振動。便意。

どれくらいの時間、この飛行機は飛んでいるのだろう。もしこのフライトに、始まりも終わりもないのだとしたら、私のこの便意は否定されるべきものだ。この広大な上空には、隠れて用を足すような物陰もない。ゲームの主人公はトイレに行かない。だからこの飛行機は地上に還るのだ。私は始まりと終わりに挟まれたどこかにいるのだ。意味もなく、女物の革手袋を手に取る。かすかに香水の匂いが残っている。濡れた目で慈悲を乞いながら、同時に相手を見下して隙をうかがう野良犬のような匂い。腹痛がしだいにやわらぎ、なんとか危機を回避した。

書類だ! もう少し早く気づいてもよかったが、仕方がない。別のことで手一杯だったのだから。計器類やスイッチ関係のマニュアルがあるに違いない。もしかしたらこのミッション自体の概略だとか、詳細だとか、時間割だとか。でもそんなものは機密事項であるとしたら見つからないだろう。とにかくラジオ(仮)の説明書があるかどうか探してみよう。

パラパラとファイルをめくっていて驚いた。どうやらこれらの膨大な書類がほとんど丸ごと、ラジオ(仮)についての資料なのだ。もっともこれらの書類によると、このスイッチやダイヤルの並んだ機械はたんなる民放ラジオ受信機ではなく、さまざまな電波傍受のために改造された特殊装置らしい。

ラジオといえば、かつて大量生産されたエピノス社製のアンティークとも言える代物のひとつを私も所有していた。ダイヤルを回してチューニングするタイプで、木製の箱から流れ出る厚みのある音が気に入っていた。ラジオから流れる音楽に浸され、ゆっくりと時間の流れていく部屋でひとりで過ごすのが好きだった。ひとりで? そう、あいつはどこかへ行っちまった。コロを連れて。どちらかといえば、あいつに懐いていたのだから、それも当然といえば当然の話だ。いずれにせよ、私はひとりでいるほうが合っているのだ。人生の大半をひとりで過ごしてきた。それが45機目だ。この、取るに足りない私の半生が。

 

スイッチを操作してみた。無数の氷の結晶を吸い込んだみたいに、身体中に痛みが走る。とりわけ頭の中に。ヘッドフォンを構造的にソフトクリームへ変容させるほどの爆音が鳴る。反射的に私は目をつむり、脚をばたつかせて声を上げていた。手を伸ばしてスイッチをオフにする。残響が耳を塞いで、むしろ何も聞こえない。水中にいるみたいだ。

めまいがした。立ち直るまでに少なくとも1機は撃墜されただろう。脂汗が吹き出し、無性に喉が渇く。これで、ラジオを操作する気力も失ってしまった。音量を調節するボタンは、常識的に考えて、対になって存在するはずだ。しかし、そういったものは見当たらない。ダイヤルを調べたが、どれも「0」の位置を指し示していた。なにより、心膜を引き破るほどの爆音のせいで、私は、それ以前の私とは違う存在と化してしまった気がする。もはや、撃墜に対しても、何の興味も抱かなくなった。飛行場へ戻りたい、そんな、待ちわびた地上への帰還を願う気持ちも、もうどうでもよくなっている。

 

だが……47機目の垂直尾翼を見よ! 大きく黒いゴシック体の太字で、「み」と書いてあるではないか。息を吐ききって気持ちを落ち着かせる。撃墜の様子は目を閉じていたってわかるから、目を閉じて、思い出そうと努める。これまでの飛行機にも同様の文字が書かれていたとして、気がつかなかったということはありえない。あるいは、見飽きてしまってほとんど目を向けていなかったから、見逃してしまっていたのだろうか? いや、私はどちらかといえば真面目な記録係としての役割に徹してきたつもりだ。見逃したということはないだろう。

ではこの調子で48機目に注目してみよう!
……「そ」。

そ? み、そ。味噌? これは何かの暗号なのではないか、たとえば、新たな作戦が展開されるとか、帰還命令であるとか、とはいえ暗号の発信者が受信者に撃墜されなければならない理由は何だろう? だからこれは、われわれに向けられた暗号ではあるまい。単なる識別記号かもしれない。列車の車両によくあるような。そういえば、コロは電車が通過するのを見るのが好きだった。散歩の途中、川の土手の上から、鉄橋を電車が通るたびにそちらに目を向けて、電車が行き過ぎるのをじっと眺めて待っていた。今にしてみれば、そんなコロの後ろ姿を、私もじっと眺めて、待っていたという気がする。日々が、音を立てて行き過ぎ、ひとつの時代が終わりを告げるのを。私には、いつか自分がひとりきりになるだろうということがよくわかっていた。
……「し」。

み、そ、し。爆音の後遺症が完全には消えないながらも、顔がニヤつくのを抑えられない。ふん、大人をバカにしてはいけないよ。50機目に、「る」と書かれてなんていないことを、私は見抜いている。ひっかけ問題にしちゃあ、半端な出来だといわざるをえない。「み」と「そ」と「し」、基本的なEmイー・マイナーの構成音じゃないか。私はとっさにホ短調の楽曲を思い出そうとしてみる。ドヴォルザーク、ハイドン、ラフマニノフ、ブラームスの交響曲……。まあ、なんといっても、Emの交響曲の中で存在感を放っているのは、ドヴォルザークの交響曲第9番を置いてほかにないだろう。誰もが聞き覚えのある、あの第四楽章のフレーズ。第二楽章の、郷愁を誘うあのメロディ。しかしその第二楽章の主題も、最終楽章の緊迫した展開の中で再び取り上げられ、回想の困惑と不協和の中で荒々しさを覚え、ティンパニーは執拗に飛行機どもを撃墜し、やがてすべては激しく破りちぎられるようにして視界が開き、現れ出た新大陸の姿を前に、朱墨で、大きく、力強く据えられた句点が胸を打つ。紅いドット。このようにしてフィナーレを迎えた交響曲の余韻に浸っているさなか、どうやら、50機目の悠々たるお出ましのようだ。

「る」ではない、「る」ではない、「る」ではないはずなのだ! これは、音楽の問題だ。それに、「る」だろうと、そうでなかろうと、それがいったいなんだというのか。百歩譲って「る」だったとしよう。これまでに私は49歩譲ってきたわけだから、あと51歩譲りつづけたっていい。もうおしまいだ。「る」ではないのだ、いや、「る」でいい、頼むから「る」であってほしい、それが完結編だ、エンドロールでは、滑走路の縁から気の利いたアングルで、朝日の逆光を背景に、背筋を伸ばして悠然と歩き去っていく私の後ろ姿を映していることだろう。それでいい、それが「る」の意味だ。効果だ。

おお、「る」よ。私はおまえが好きだ。「る」、「る」、そばにいてほしい、ここからいなくなるな、おまえが私を置いて行くのなら、私は「り」を殺し、「れ」を飲み込んで窒息死してやろうと思う、そのくらい大切なのだ、おお、なんと流麗、なんと反重力、なんと流線型、おまえの揚力によって飛行機は飛ぶのだ、その、くるんとまるまった「る」の「る」っぽさこそがすべての原動力なのだ。
「くるくるまわる」……おお、「る」がたくさん入っているではないか! 落ち着くんだ、落ち着くんだ、落ち着くんだ……。
「るんるんな春の猿」馬鹿げてい「る」、馬鹿げてい「る」、「る」の現在形の末尾の「る」の現在進行形の末尾の「る」のあらゆる場所に遍在することの「る」性なるもの。「る」の集団的進撃を食い止めることはできない。世界は「る」で満たされるだろう。雨のように降りそそぐ、慈悲深き「る」の恩寵。

落ち着け、落ち着け、落ち着け。体勢を整えて目を凝らしてみる。50機目の飛行機が、少し旋回しはじめた。……そういえば、あのモノクロの粒子の粗い写真、あれはあいつの宿した胎児のエコー写真ではないか? まさか。ともかく、あいつではないにしても、どこかの、おそらくもう1枚の写真に写っていた女の? まさか。しかし、なぜか、そんな気がしてきてしまう。考えても仕方のないことは、これ以上考えないほうがいいだろう。まだ、本当の終わりまであとしばらくは、この飛行も続くようなのだから。そして、すべてカタがついたら、ゆっくり休暇をとろう。そのとき、考えたいと思うことは思う存分考えればいい。

窓の外の飛行機が真横を向いた。目をこすってもう一度見るなんて、そんな漫画めいたことはする必要もなかった。もう、それは撃墜されるほんの一瞬前のことだった。私ははっきりとこの目でそれを確認した。少なくとも二度は見た。その垂直尾翼には、黒いゴシック体の太字で、「お」と書いてあった。

2018年3月12日公開

© 2018 長崎 朝

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