ビッグ・バン・ラヴァーズ

応募作品

藤城孝輔

小説

4,000文字

合評会2018年02月(テーマ「エロとホラー」)への応募作です。1万円もらえたらブックオフで108円の本を買って破滅派の読書会に備えます。

宏海が最も醜く見えるのはセックスの直後である。だらしなく弛緩した裸身は仰向けに横たわり、突き出た下腹を恥ずかしげもなく晒している。乱れた髪の毛は汗で顔に貼りつき、不承不承舐めまわした肌は唾液が乾いて変なにおいがする。濡れた陰毛を伝って愛液がシーツを汚すのを放っておいて、彼女はただ天井を見上げてふうふうと苦しそうな呼吸を繰り返すばかりだ。こんなおぞましい肉塊につい先ほどまで体を接触させていたと思うだけで、体の奥から喉元に苦味がこみあげてくる。洋平がすぐに背を向けて寝たふりをするのは、生理的嫌悪を悟られないようにするためだ。

排卵日の時期になると宏海はセックスを要求した。彼女の計画は三五歳までに一人っ子を産み、夫が定年を迎える前に必ず大学を卒業させることである。洋平が仕事を辞めない限り、計画に狂いが出る心配はない。洋平の勤務先が名の知れた総合商社であるという事実は、宏海がそもそも結婚を決めた大きな理由だったのだろう。だからこそ彼が脱サラして水中カメラマンの仕事に挑戦してみたいと言った時、彼女は顔を真っ赤にして反対したのだ。気がつけば、結婚前に買い集めた一眼レフや撮影機材は一つ残らずメルカリで処分されてしまっていた。

毎月、洋平は萎縮ぎみの自分自身を無理やり奮い立たせて種馬としての務めを果たした。宏海は夫を鼓舞するそぶりさえ見せず、死んだマグロの姿勢で指示を出すだけだ。うるさそうに目をつぶり、彼の顔を見ようともしない。どうやら結婚を境に彼女はいっさいの性的探究心を失ってしまったようだった。入試を突破した途端に参考書を捨てて読書すらしなくなる大学生にどこか似ていた。洋平は、かつての妻の媚態を脳裏に思い浮かべた。映画館の暗闇の中で口づけを求めてきた宏海。車の助手席に座り、運転中にズボンの中に手を入れてきた宏海。ヒ・ロ・ミ。その名前の響きを耳にするだけで以前は胸が高鳴ったものだ。おぼろげに打ち寄せては引いていく思い出だけが、彼が絶頂に到達するための唯一のよすがであった。

《ビッグ・バン》が起こったのは、洋平がいつものように宏海の太鼓腹の上で記憶の糸をたぐっている最中だった。彼女が「うぐぐ……ぐがぐが」と尋常ならざるうめき声をあげた時、洋平は二十代の宏海の真っ赤な乳首を頭の中に思い描きながら彼女の黒ずんだ乳首を吸っていた。様子が変だと思って胸から顔を離すと、普段は微動だにしない宏海の腹部が動き始めた。皮膚のすぐ下で、小魚くらいの大きさの塊がぴちぴちと跳ね回っている。洋平は体を引き離そうとしたが、収縮した膣がペニスの根元に吸いつき離れない。彼女は首をもたげて自分の腹に目を向け、動物園の猿みたいな叫び声をあげた。彼はペニスの根元を両手でつかんで引き抜こうともがきながらも、彼女の腹の内側を縦横無尽に暴れ回る塊から目を離せなかった。

塊はすぐに両腕で抱えられるサイズに成長し、さらに激しく腹の中で躍り狂った。パンパンに膨れ上がった腹の皮膚に赤い線が何本も走った。胴体は水風船に似た球体に変形し、今にもベッドから転がり落ちんばかりだ。宏海は白目をむいて意識を失った。汚水が下水管を走るような音がしてピンク色のあぶくが口と鼻の穴から吹き出した。皮膚がひび割れ、赤い肉が顔をのぞかせた。洋平は「あわわわわわわ」と言葉にならない声を発し、妻の子宮の中で失禁した。膣の締めつけは、ますますきつくなる一方だった。

パチン! という軽快な音とともに肉塊は破裂した。赤黒い断片が四方八方に飛び散った。視界が真っ赤に染まった。何も見えない。手の甲で顔を拭った洋平は、自分の目を疑った。

少女が一人、血だまりの中に横たわっていた。赤い肉の膜に覆われ、びしょ濡れでうずくまっている。抱き起こすと羽根のように軽く、天から遣わされた使者かと見まごうほどだ。年は十二、三歳くらいだろうか。なだらかな胸の丘陵の頂上には赤くて小さな乳首がつんと立ち、楽園の入口に大人びた陰影を与える茂みは花の咲き始めた乙女のものに他ならなかった。少女の右手は洋平のペニスをしっかりと握っていた。すっかり縮こまっていた雁首が白く可憐な五本の指の中で再び高らかと天を仰ぐのを見て彼は赤面した。

洋平は少女を小梅と名づけた。乳首の赤色が白い肌に映えるさまが日の丸弁当の梅干しを思い起こさせたからだ。梅干しの周りの飯粒がほんのり赤く染まるように、乳頭を取り巻く乳輪は淡いピンク色である。周囲にうっすらと生えた金色の産毛は、舌先で触れると甘美な味がした。洋平が《ビッグ・バン》と呼ぶことにした出来事の後、彼は長期休暇を取って小梅の体の開拓に没頭した。はじめ、彼女は入口をきつく閉ざし、洋平が小突くたびに「パパ、痛いよやめて!」と声をあげて泣いた。しかし何日かの試行錯誤の末、小梅は彼を楽園の奥まで受け入れられるようになった。ようやく彼女と体の芯でつながることができた瞬間、宏海の死に際しては泣くことさえ忘れていた洋平の目から涙の奔流があふれ出た。

小梅は宏海と違って好奇心旺盛であった。一度官能の味をおぼえた彼女は「パパ、もっと!」としきりにせがみ、次から次へと新しい体位を試しながら快感のツボを探り当てた。洋平はスマホのカメラを使って小梅の観察記録をつけるようになった。バクテリアから多細胞生物へ、さらには脊椎動物へと進化の歴史を駆け抜けるかのような速さであらゆるテクニックをおぼえた小梅は、スマホの画面の中でみるみる成長していった。そしてついには娼婦のようにまなざし一つで洋平を骨抜きにする技さえ身につけた。化粧を買い与えると彼女は無垢な少女から妖艶なニンフに変身した。

小梅を何度抱いても新鮮さが損なわれることはなかった。洋平の下半身は飽くことを知らず、彼の情炎はますます燃え盛るばかりだった。小梅は宏海から産まれた、つまり自分と小梅の間には血のつながりがあるかもしれない、という疑念はかえって彼の背徳心に油を注いだ。このまま人間の道徳を忘れ、この小悪魔と一緒に人でなしの国とやらに堕ちていくのも悪くない。《ビッグ・バン》以来、彼にとっては睦びあう二つの肉体以外の現実はもはや存在しなかった。スマホに溜まった未読メールの山も、汚れたシーツにくるんで冷蔵庫に放り込んだだけの宏海の残骸も、深海の暗闇に沈んだ遠い記憶でしかない。スマホに撮り溜めた小梅の写真を見返すことさえ稀であった。シャッターを切った瞬間、小梅の姿は過去に押し流されていく。洋平は写真に収めたどの姿よりも、目の前にいる現在の彼女を愛した。

二、三度、小梅は醜い子どもを産んだが、どの子も一年ももたずに死んでしまった。天の創造物と言っていいほど完璧な小梅とは異なり、彼女が産み落とした子どもはいびつで不完全な似姿でしかなかった。近親相姦のさがなのか、そうでなければ小梅の体がまだ幼いせいだろうか。洋平は気づいていなかったが、彼自身の体も盛りを過ぎて子種がつきにくくなっていた。集中力が続かなくなり、一度の絶頂から回復するのにも時間を要するようになった。頭には白髪が目立ち始め、固い物を食べるたびに歯のどこかしらに故障が出るようになった。

時が経つうちに、洋平はベッドの上から一歩も出なくなった。「出なくなった」という表現を本人は好むが、実際には「出られなくなった」という方が正確だろう。やせ衰えた筋肉は体重を支えきれず、起き上がることもままならない。いつしか小梅が買ってきた紙おむつに用を足すのが当たり前になった。食事は小梅が柔らかい料理を作って食べさせてくれる。こういう時、小梅は従順な良妻の顔になった。はじめはスプーンで一口ずつ食べさせていたが、何度か誤嚥して救急車を呼ぶ騒ぎになってからは胃瘻で直接食べ物を流し込むやり方に切り替わった。

「じゃじゃーん、今日はスッポンのおかゆだよ! パパにはもっと元気になってもらわなきゃ。わたし、もっともっとパパの子どもが欲しいんだ」

茶碗を手に、洋平の下半身の上に裸で馬乗りになって小梅はそう言った。精力のつく食事のおかげだろうか、体の衰えにもかかわらず男性機能だけは辛うじて健康である。昼夜を問わず小梅に子種を搾り取られ、洋平は電流の刺激で射精するウニのオスになったような思いがした。口に突っ込まれた金属棒に電流を通されると、ウニのオスは半死半生のまま延々と精液を垂れ流し続ける。彼は精液と一緒に記憶も、意志も、思考も体の外に流れ出ていくように感じた。体を弄ばれる間、彼はオルドビス紀の広大な海を夢に見ていた。フデイシの茂みの合間を三葉虫が這い回り、頭上を巨大なオウムガイが悠々と泳いでいく。楽園だ。洋平は波にたゆたう陽光を海底からじっと見上げる一匹のウニだった。

洋平は目を見開いて小梅の顔を見つめた。彼の上にまたがって上下に蠕動しているのは、彼の生気を吸い取って丸々と太った肉の塊だった。上気して汗をかき、呼吸がふうふうと荒い。どす黒い乳首が揺れている。骨と皮ばかりになったシミだらけの手を彼が伸ばすと、肉厚の掌がやさしく包み込んだ。

「パパ、いつまでも子どもだと思ってちゃダメよ。わたし、もう立派な大人なんだから。今度子どもができれば、きっとうまく育つはず」

「あ……ありがとう、宏海」

洋平が絞り出した声は乾いた唇をわずかに震わせて消えた。かすんだ目に映るのは、小梅とも宏海とも区別がつかないぼやけたイメージの女。どちらにしても同じことだろう。彼女は何かを話し続けていたが、海に潜って聞く音のようにくぐもって聞き取れない。洋平は目を閉じて、自分の子種がうまく受精するように祈った。彼女の望みが叶うことを彼は心から念願していた。創世の瞬間から絶え間なく続く生と死の連鎖に参与することは、彼に残された最後の誇りだった。

2018年2月15日公開

© 2018 藤城孝輔

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ホラー

"ビッグ・バン・ラヴァーズ"へのコメント 6

  • 投稿者 | 2018-02-16 20:12

    今回の合評会小説の中で一番エログロい内容に思えました。
    小梅が妖婦として光っています。文体も重厚でプロ作家が書いたのかと思う程でした。
    ただ《ビッグ・バン》というテクニカルタームが、安直なように感じました。
    全体的にとても良い純文学作品でした。一つ一つの表現が素晴らしい。

  • 投稿者 | 2018-02-17 00:55

    これは宏海の子宮の中で展開する物語なのでしょうか。子を産む道具となり果てた情けない我が身と見苦しい子産みマシンの妻。味気ないセックス。昔は惚れていた女の内部に棲みついて、妻の亜種のような幼女と睦合うも、小梅の小悪魔的な官能も結局は種馬の能力を引き出すための方便…
    男は子を産むための道具的な世界観は陳腐なものですが、そのためにこれほどまでの妄想を必要とする男なる生き物とは何なのだろうと思いました。エロとホラーというテーマを見事描いていると思います。

  • 投稿者 | 2018-02-21 21:44

    ビッグバンの瞬間にサキュバスにすり代わられて精魂尽き果てるまで吸い尽くされるということなのかと自分なりに定義してみましたが、小梅という名前が秀逸でレッド・スカルのようなものを想像してしまいました。セックスの直後にパートナーが醜く感じるというのは共感できました。男はダメな生物です。

  • 投稿者 | 2018-02-21 21:48

    藤城さんにしてはあまり筆が冴えてないな、と思ってしまいました。エロとホラー、というお題に対してお得意なはずの肉感の表現が乏しいように感じました。お話の流れもわりと非現実的で、それこそニンフに惑わされて男性側からそのあっという間の経過を描いたのか、というようにも取れましたがどうにも藤城さんがお持ちの独特なリアリティに欠ける気がしてしまいました。ファンタジー、とも言い切れない感じがまた歯がゆいです。しかしやはり随所に光る表現がありますね。

  • 投稿者 | 2018-02-22 14:25

    エロもホラーも兼ね備えている。セックス最中の本来「都合が悪い」感情描写も避けていないのがホラーに加点されている。ただビッグバンと呼ばれる強烈な現象が起きた割には二人の中で話が閉じすぎているように思う。ミニバン?

  • 編集長 | 2018-02-22 15:24

    おまわりさーん! 児童ポルノです!
    という冗談はさておき、村上龍的な細部描写がさえた良品であった。作者によるロリコンの才能(?)があれば、より冴えた作品になったように思う。

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