祖母がケアハウスに入所した。三年ぶりに帰省すると、実家に伯母が上がりこんでいた。伯母はせっかちで、便所履きのような黄土色の外履きが玄関に転がっていてすぐに彼女がいると分かった。わたしが成人してから少なくとも一〇年以上、同じ外履きしか履いていない。ベージュという地味な色でも小さなリボンが装飾された自分のパンプスを脱ぐ前に伯母の外履きを揃えながら、同じ女性としてちょっとどうなのかと思わざるを得なかった。
「あらあ~! めずらしか。ショコちゃん――わたしは笙子なのでそう呼ばれる。中川翔子が有名になる前まではその呼び名に抵抗はなかったが、彼女がテレビに出だした頃はまだ高校に入る前で、誰かに会う度に漫画描いて、と言われて辟易していた。今はもうそんな親し気に呼ばれるのは地元か、本当に親しい間柄の友達と遊ぶときだけに限られるので気にしなくなった。――帰ってきたとね!」伯母はダイニングテーブルに座ったまま振り返って顔をくしゃくしゃにした。直接会ったのは、父方の祖母が亡くなった五年前の葬式以来だった。その時は白髪染めをするくらいには外見に気をつかっていたのだろう。今はすっかり白髪が頭皮を覆っていた。そのせいで祖母そっくりに見えた。母はキッチン側の席に腰を下ろし、父はダイニングに繋がる畳の居間に座ってテレビを観ていた。二人は軽く「おかえり」と言って、母は席を立ってお湯を沸かし始め、父は再び若手芸人が郊外を散策する画面に視線を戻した。
「ちょうど良かったたい。ケーキ食べなさんね」伯母は前にあった、銀紙と透明なケーキフィルム・シートにこびりついたケーキの残骸がのった小皿をよけて、ダイニングテーブルの真ん中に置かれた白い厚紙の箱を開いた。紫芋のモンブラン、いちごショートケーキ、デビルズケーキ、チーズケーキタルトがそれぞれ一つずつ入っていた。わたしはデビルズケーキを選んだ。
「手ば洗っておいで」母が箱の中からデビルズケーキを手に取って小皿にのせたのを確認して、わたしはトランクを居間に置いて、居間と反対に位置するバスルームと併設の洗面台に向かった。三〇を過ぎてから顔の皺が目立ってきた。マスクを常時着けるようになったことは、むしろありがたいとさえ思うほどに。リモートワークで化粧の習慣もなくなった。しかし流石に家族の前でもマスク姿というわけにはいかない。マスクを取って、顔に両手で掬った水を浴びせてから洗濯機の隣にある籐のチェストに詰め込まれたタオルを一枚取り出す。目尻を上にあげるようにして、もう一度、鏡台の前に立ってからリップクリームをかさついた唇の上に塗った。心なしか、若い頃の伯母に似ている気がした。まだ東京で事務員として働きながら都会生活を満喫していた、田舎育ちのわたしには輝いて見えたあの頃の伯母に。でも、今のわたしは都会で疲れ切っていて目尻の皺やほうれい線やたるんできたお腹まわりを気にするくたびれた女でしかない。彼女も実際にはそう感じていたのだろうか。ダイニングに戻ると、母が紅茶を入れてくれていた。わたしは伯母の斜め右側に、キッチン側に腰かける母と向かい合って座った。
「あんた、化粧もしとらんとね? みっともなか」母は顔をしかめた。
「べっぴんさんやけん、化粧なんて必要なかたい、ねえ」伯母は笑った。食べんね、と勧められてケーキフィルム・シートを剥がしてから小皿に添えられた二つに又割れした金色のフォークをデビルズケーキの先端部を切り取るように押し込んだ。上にのった薄く削られたチョコレートがはらはらと皿の上に落ちた。切り取った部分にフォークを突き立てて口に運ぶ。スポンジに沁みこんだカカオのほろ苦さと、口の中で溶ける薄切りチョコの甘さが口内に広がった。唇を舐めて、紅茶を啜る。ダージリンの香りが鼻から抜けた。ばあちゃんはどうなん? ひと息ついて、本来の目的を忘れないうちに聞いておこうとわたしは向かいの母に訊いた。うーん、まあ歩けるようにはなったんやけど……もう一人じゃ暮らせんかな。お兄ちゃんの家には安田のばあちゃんがおるしねえ。うちに来るかも聞いたけどね、たまに会えればよかって。ふーん、わたしは適当に頷きながらデビルズケーキを口に運んだ。
「もう大村のばあちゃんも九七やけんねえ。うちのばあちゃんも九〇まで生きたけど……」伯母はティーカップを傾けた。ケアハウスに入るのは母方の祖母で、母には長兄となる叔父がいるが彼の義母と一緒に暮らしているために同居は難しい状態だった。もともと片足を悪くしていた祖母だったが、いよいよ高齢で立てなくなって一時入院していた。リハビリでなんとか歩けるようになった退院後に、ケアハウスに入所することになった。あんたは帰ってこん気ね? あんたが帰ってきたら、ばあちゃんも一緒に住むって言うかもよ? 母はそう言って意地悪な笑みを浮かべた。これだから実家に帰るのは気が引ける。仕事があるけんね、わたしにも。そう言って、デビルズケーキを大きめに切り取った。結婚は? ヨシユキ? さんだっけ? あんたの彼氏。ああ。吉行ね……別れた。えっ! なんでね? 母は驚いた様子で目を見開いた。価値観の違いってやつかな……わたしはティーカップを空にして、ティーポットから二杯目を注いだ。
「まあ、今はいろんな生き方のあるけんね」伯母はケーキの銀紙を小さく折り畳みながら、遠くを見るように視線を居間の窓の方へ向けていた。伯母は独り身で、未婚である。わたしやもっと若い世代ならともかく、もう七〇近い彼女の世代にとって、それは――まして日本列島の端にある田舎なんかでは――とても珍しがられることだった。彼女が父方の家や親戚にどのように言われていたのか、想像するだけでも伯母に憐憫の目を向けざるを得なかった。かく言うわたし自身も、地元に帰る度に同級生たちの子ども達の成長を目にすると、自分がこのまま老いていく未来に不安しか感じない。吉行と自分に同じような未来があるとはどうしても思えなかった。それでも一人で生きていくよりはマシだ、そんな風に考えていることを彼は見抜いていたのかもしれない……。わたしの同僚がマッチングアプリで「デートの約束をした、良物件」と嬉々として見せてくれた、そのスマホ画面に写っていた吉行の左斜めを向いた、彼が一番自信を持っているのであろうプロフィール画像を目にした瞬間に全てが冷めてしまった。彼は部屋を出て行くときでさえ、振り返り気味に彼の右横顔を見せながら「幸せになれよ」と彼のナルシシズムを爆発させてわたしの元を去った。そういうところが嫌いだったと言ってやればよかった。その後、同僚から吉行の話は聞いていないので彼は完全にわたしの人生からいなくなった。ふと、伯母にもそういった過去があったのか気になった。「マキ姉――真紀恵という名から伯母をわたし達家族はそう呼んでいた――は、結婚とか考えた人とか居たん?」伯母は小さく折り畳んだ銀紙を再び広げたり、また折り畳んだりしていた手を休めてわたしを見た。結婚ねえ……お付き合いしとった人はおったよ。「へえ、そうなんだ」母がすぐに反応した。「どんな人やったん?」わたしも興味津々に聞いた。どんな人……やったかなあ。普通の人。「なに、普通の人って。公務員? マキ姉が働いとった会社って、教科書とか取り扱う出版関係のところだったよね。あ、わかった! 学校の先生だ」そうね。美術教師だった、取引先の。「へえ」母はダイニングテーブルの上の皿を片付けながら席を立ち、個包装されたスナックやミルクチョコの入った菓子籠と湯呑に入った緑茶を代わりに差し出した。「それで? なんで別れたの?」母のストレートすぎる質問に、わたしはちょっと、お母さん、と咎めるように言った。いいのよ、ショコちゃん。伯母は笑った。なんでだったかな……なんせもう何十年も前のことやけん。彼がやっぱり変わってたからかな、普通の人だと思ってたけど。初めはいい感じだったんよ、美術館デートとかしてさ。前川國男が設計した上野の《東京都美術館》、ル・コルビュジエの世界遺産になった《西洋美術館》。あの場所も今じゃレガシーって感じやけど、あの時のモダニズム建築はやっぱりお洒落やったんよ。そういうことも彼に全部教わったのね、美術だけじゃなくて。建築はかなり美術と近しいから、彼が詳しくても当然だったわけだけれど。彼が絵画や彫刻や建築のことを話すときは、とても輝いて見えた。今でも眩しく感じるほど。だから彼の話を隣で黙って聞いていても、退屈することはなかった。でも、それは彼自身が一介の美術教師であることに対する不満の表れでもあった。
ははっ、ははは! 父がテレビを観て笑っていた。「みんなも観らんか?」父の呼びかけにわたしは心の中で舌打ちした。
「アーティストになりたがっていたということ?」わたしの質問に伯母は深く頷いた。実際に作品も描いていたし、小さな個展もやっていたの。もちろん、厳しい世界だから彼の作品が日の目を見ることはなかった。
「どんな絵だったの?」彼は「風景画」と言ってたけど、完全に抽象的な何かだった。フランシス・ベーコンが五〇年代に、ベラスケスの《教皇インノケンティウスX世の肖像画》をもとに描いた《ベラスケスによる〈教皇インノケンティウスX世の肖像画〉後の習作》を、ドゥルーズが論じてフランスでは話題になっていた頃だった。ヨーロッパで絵画を学んだ彼もその影響下にあったと思う。ベーコンがエイゼンシュタインの《戦艦ポチョムキン》で乳母車がオッデセイの階段から落ちて泣き叫ぶ乳母をモデルにしたように、彼も「叫び」そのものに憑りつかれているようだった。ムンクが《叫び》を何度も描き続けたように。
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